天国か地獄

田原摩耶

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√β:ep. 2『変動と変革』

03

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「鍋パーティーか。別に構わんぞ。ただ飯を食うだけだろ?」

 俺の思案とは裏腹に、芳川会長の態度はあっけらかんとしたものだった。

「……ほ、本当ですか?」
「……何をそんなに驚いている。先刻灘にはそう伝えていたはずだが……お前、何も言わなかったのか?」
「自分は伝えましたよ」

 う、嘘じゃなかったのか……!
 心外だと言わんばかりの灘の無言の視線が突き刺さる。
 けど、正直意外だった。てっきり「そんなことしてる場合か」と怒られるとばかり思っていたからだ。

 五味と十勝が鍋のための材料を買い出しにいったのと入れ違うように戻ってきた芳川会長に、俺はなんだか正直肩透かしを食らったような気分だった。

「す、すみません……会長は、怒るだろうなと思ってたんで……その、『こんなことしてる場合じゃないだろ』とか言って……」
「確かに最初は聞いて呆れたが、『こういう時だからこそ』というやつだ。君もこの殺風景な場所での食事は飽きてるだろう。たまには皆と食卓を囲むのも大切だ」
「……っ、会長……」

 俺は、会長のことを頭でっかちの頑固な人とばかり思っていたのかもしれない。
 その言葉に、正直耳を疑った。

「……それに、状況が状況だからこそだ。纏まりがなくなっていると思われてはそれこそ奴らの思う壺。ここらで気分を切り替え、一からやり直すのも必要不可欠だと俺は思うんだ」

 ……なるほど。それだけの理由で会長が許してくれるとは思わなかったが、その理由を聞いて納得する。
 亀裂、仲違い、それらから生じる隙は組織において影響はなかなか大きい。仲直りをそんな風に考えるのは悲しいが、会長の言葉には一理ある。

「もう少し泳がせるのも悪くはないが……タイミングを見誤って元に戻らなくなっては元も子もない」
「……そう、ですね」
「そんな顔をするな。確かに聞こえは悪いかもしれないが、一応、俺も反省している。確かに、後輩を指導する立場である俺達がこんな状態じゃあ示しもつかない」

「すまなかったな、面倒を掛けた」と、一言。
 俺と灘に向かって謝罪する芳川会長に少し驚いたが、対する灘は「そうですね」とだけ答える。

「謝るのなら、自分よりも十勝君たちにお願いします。心配してたようなので」
「……そうか」
「それと、五味先輩にも」
「……面倒だな」
「か、会長……っ」
「冗談だ。あいつは謝るのが下手だからな。いつも俺から謝ってるんだ。……連理にも、あいつも、小言が煩いからな。そうだ、今夜の鍋、あいつも来るって言ってたのか?」
「十勝君が何やら連絡を入れるみたいなことを行ってましたけど……すみません、その後のことは俺、聞いてないです」
「……そうか、しかし、連理が来るとなると……あいつに連絡が行かなければいいんだがな」

 と、会長が思案顔で呟いた時だった。
 バーン!と音を立て、止め金が壊れる勢いで開かれる生徒会室扉。
 そして、そこから現れたのは。

「会長ぉお!!今晩鍋パするって本当っすか~!!どうして俺を誘ってくれないんですかぁ!!混ぜてくださいよーー!!」

 出た、櫻田だ。
 大袈裟に泣き真似をしながら突進してくる櫻田を避けた会長はそのまま足を引っ掛ける。するとブレーキがぶっ壊れているやつはそのまま見事に引っかかり、壁に衝突していた。見事な転びっぷりに拍手しそうになるのも束の間、勢い良く起き上がった櫻田は怒るどころか恍惚な笑みを浮かべているではないか。

「会長~!!流石の身のこなしっす!!マジ尊敬しますっ!!……って、あ゛ぁ?!なんで齋藤先輩がここにいるんすかァ?!」

 あ……一応は先輩として呼んでくれている。が、やっぱりこいつ苦手だ。
 獲物を見つけた獰猛な獣の如く食い掛かってくる櫻田にひいいっと息を飲んだとき。

「それよりも、部外者がなんの用ですか。……場合によっては指導対象として指導室に連行させていただきますが」

 櫻田の背後に立った灘は強引に櫻田を引き止める。
 引き止めるのはありがたいのだが、その、せめて服の裾とか腕を掴んでくれ。何故スカートを掴む。確かにひらひらしてて掴みやすそうではあるが俺から見ると目の毒でしかないのだが。

「部外者ってなんだよ、俺はれっきとした会長の親衛隊だっての!」

 灘の一言に怒った櫻田は吠える。それよりもスカートを掴まれていることの方を怒った方がいいのではないかと思ったが、見兼ねた会長が灘を静止し、二人の間に入った。

「おい櫻田、なんの用だ」
「会長、俺の話聞いてくれるんですね!」
「……手短にしろよ」

 やれやれと言わんばかりの態度だが、まだ口に出さないだけ会長もすごい。
 要件を促す会長に、櫻田は思い出したように拳を握り締める。

「鍋のことっすよ、鍋パ!俺、誘われてねーんすけど!」
「そ、それは会長じゃなくて十勝君の判断で……」
「うるせぇ!テメェに聞いてねーんすけどクソ先輩」

 口を出したらこれだ。
 近くの椅子を蹴り上げる櫻田に堪らず「ヒッ」と飛び上がれば、眉間の皺をより深くした会長は静かにやつを睨む。
 そして、

「櫻田」
「うっ、す、すみません……でした……」

 虫を目で殺すような冷たい視線に、なんということだろうか。あの櫻田が素直に誤っているではないか。

「……貴様は以前の貴様とは違うだろう、他の役にも立たないくせににキャーキャー煩いそこらのやつらとは」
「はいっ!勿論ですとも!俺は芳川会長だけの忠実な下僕ですからねっ!」

 それどころか、完全に手懐けている。
 目を輝かし、張り切る櫻田にあるはずのないしっぽがブンブンと振られているようなそんな気がするレベルだ。
 絶句する俺の隣、「会長の教育的指導の効果ですね」と灘は口にする。
 教育的指導というよりも、これは、悪化してないか……?
 思ったが、そんなことを口にする勇気はない。

「……櫻田、貴様を呼んでいないのは他でもない。俺達が鍋をしている間に別でしてもらいたいことを俺から『特別』に頼もうとしていたからだ。『俺の見込んだ』櫻田なら出来るだろう」
「えっ?!ま、マジすかそんな俺……勿論っす!!俺、会長のためなら火の中水の中どこでも言ってやるっすよ!!」
「そうか、期待しているぞ。なら、また後でこちらから連絡しよう。だから今はその時のために自分の部屋に戻って休養を取っておけ」
「了解っす!じゃあ、俺、いつまでも待ってますね!」

 すごい、流石だ。あくまで櫻田を立てつつ、自分の思惑通りに転がそうとしている会長のその口車に、まんまと乗せられている櫻田はそういうと満面の笑顔で生徒会室を出ていった。
 嵐が去ったあとの静けさ、というのはまさにこのことかもしれない。

「な、なんだったんだ……」

 文句言いに来たはずなのに、最後は笑顔だなんて。
 いつもの会長なら灘に櫻田を縛り上げて指導室辺りに強制連行してそうなものなのに。
 先程灘が言っていた教育的指導、というのも気になったが、文化祭後に何かあったのだろうか。気になったが、恐ろしくて聞けない。

「騒がしくしてしまって悪かったな、齋藤君。……しかしまあ、丁度よかった」
「あの生徒、最初に比べて随分と会長に従順になりましたね」
「別にアイツを扱うのは簡単だ、単純だからな。ただ、それまでは相手をしたくなかったから手綱を掴もうとも思わなかっただけだ」
「…………」

 俺の横でなんだか恐ろしい会話がされているが、俺は敢えて聞かなかったことにする。
 けれど、少し意外だった。
 芳川会長は親衛隊は嫌いだと思っていたからか、こうして親衛隊である櫻田を認めた上に利用するなんて。
 会長の友人である連理がその元締めに君臨することになったからか、気になったが、俺はその事実がいいことなのか悪いことなのか、まだ判断付かなかった。

 そして一旦解散となり、予定時刻に十勝の部屋に集まることになったのだけれど……。

「十勝、失礼するぞ」
「お、お邪魔します……」
「はーい、どうぞどうぞ~!二人とも遅いからもう先に鍋に火ぃ掛けてましたよ~!」

 そう、出迎えてくれるエプロン姿の十勝と連理、ソファーの上でぐったりしている五味。
 それから……。

「……どうも」

 そう一言。会長に軽く会釈をする栫井。ここに来るまであんなに楽しみにしていた鍋パーティーが一気に色を変えてしまうのが分かった。

 冗談だろ。どういう風の吹き回しなのだろうか。栫井が鍋なんて。
 いやそもそも来ないだろうというのは俺の思い込みだが、それでも、まさかこんなタイミングで参加するか。
 して欲しくない、というのは俺の本音だ。
 だって、会長は栫井を疑っていて、俺だって阿賀松と一緒にいるのを見てしまったのだ。

 あくまで平静を装わなければ、と思うが、引き攣った顔は中々直らない。
 会長は、「ああ」とだけ栫井に答え、そのまま脇を通り抜けてソファーに腰を下ろす。

 相変わらずカーテンで仕切られた室内。流石の大人数だと中々狭く感じるが、窮屈感はそれだけのせいではないはずだ。

「どうぞ」

 既に灘も来ていたらしいようだ。
 空いていたソファーに会長と腰を掛ければ、灘が飲み物を運んでくれる。
 ぶどうジュースだ。
「あ、ありがとう」と答えた時には既に灘は台所の方に戻っていた。

「佑ちゃん、見てみて~このエプロン。可愛いでしょ?アタシのお気に入りなの~!」
「おい連理、早速齋藤君に絡むのやめろ」
「何よー、だって佑ちゃんのこの顔見なさいよ。アンタたちがムスッとしてるから佑ちゃん困ってるのよ~」
「え、ええと……」

 会長と栫井が同じ空間にいるだけで生きた心地がしないのは事実だが、何もそんなにど直球に行かなくても。
 おまりにも率直な連理にヒヤッとしたが、逆にお陰で会長の周囲の空気が和らぐのを感じた。……というよりも、呆れてるといった感じだが。

「あの……貴音先輩、ピンクも似合うんですね。素敵です」
「やだっ、佑ちゃんったらも~本当素直な子!」
「……貴様が言わせたんじゃないのか」
「なんですって~!!」
「……おい、連理キャーキャー叫ぶなよ。……うえっぷ」

 会長と連理が言い争ってる側のソファーの上、顔にタオルを乗せてぐったりしていた五味が起き上がる。
 その顔色は見るからに具合が悪そうだ。

「あら、武蔵ちゃんもう大丈夫なの?」
「あぁ……っと、せっかく忘れてたのにぶり返してきた……」
「……どうかしたのか。拾って変なものを食べたんじゃないだろうな」
「逆だよ逆!お前らに変なものを食わせないよう阻止したんだよ俺は!」

 茶化す芳川会長にまた喧嘩にならないかと冷や汗掻いたが、そんな余裕もないようだ。吐き捨てる五味の横、俺たちにそっと近付いた連理は「さっきカズ君が鍋にぶどうジュースを入れ始めてそれでキャベツと玉ねぎを突っ込んで紫にしようとしてね」と耳打ちする。
 な、なんだその地獄絵図は……。
 通りでこの部屋、微妙にぶどうの匂いがするのか。

「……それは、よくやってくれた……五味」
「お陰でもう鍋って気分じゃねーよ。俺は食えるもんならなんでもいい」
「まさか紫玉葱、紫キャベツという品種が存在するとは。自分の勉強不足です」

 ぐったりしてる五味に灘も反省してるらしい。
 やってきた灘は「これを」と、五味に水を注いだグラスを手渡す。「ありがとよ」とそれを受け取る五味。
 灘でも失敗することがあるのだろうかと少し驚いたが、自分でも余程ショックだったのだろう。ただでさえ生気のない灘の顔はいつもよりも元気がない。

「灘、人には得意不得意がある。お前は料理が不得意だっただけだ。料理のことは十勝に任せておけ」
「アタシも頼ってくれてもいいのよ!」
「分かりました。では自分は器の用意をします」
「ああ、是非そうしてくれ」

 ナイスフォロー。というべきか。
 さっきよりかは元気……というよりもようやくいつもの灘に戻っているようだったが……。

「得意不得意なぁ……会長が言うかぁ?それ」
「あら、トモ君だからこそでしょ?」

「……む、どういう意味だ、お前ら」

 灘が去った後、目を見合わせる五味と連理に芳川は面白くなさそうな顔をする。
 俺も会長同様どういう意味か分からなかったが、なんとなく、会長が誂われてるのは分かった。

「ねぇ、佑ちゃん、トモ君の弱点って知ってる?」
「え?弱点……ですか?」

 いきなり話を振られて驚いたが、それよりもいきなり隣に座ってきた連理に心臓が跳ねる。
 会長たちとはまた違う、甘い香りに不覚にもドキッとしてしまうのだ。

「おい、連理。齋藤君に余計なことを吹き込むなよ」
「あら~そんな言い方しないでもいいじゃない。好きな人のことならなんでも知りたくなるのが恋ってものじゃないの~?ねえ、佑ちゃん」
「え、ええと……その……」

 確かに、連理の言葉にも一理ある。
 ……会長のことが知りたい。けど、会長はあまりそういうことを知られるのが好きそうな人ではない。
 言い淀む俺に、会長は「逆に聞くが」と面倒臭そうに口を開いた。

「その弱点というのはなんだ?俺には見当も着かないんだが」
「「えっ?!」」

 見事に五味と連理の声が重なった。それどころか、台所でグツグツしていた十勝も「マジすか会長~」と笑っている。
 ……ということは、結構周知しているのだろうか。
 けれど、会長の弱点なんて思い浮かばない。
 頭もいいし、運動神経だっていい。おまけに生徒会長として一部を除けば生徒からも、教師からも信頼されているのだ。
 弱点なんてあるのか……?

「武蔵ちゃん、この子無自覚だったみたいよ」
「これは……まあ、薄々分かっていたけどなぁ……」
「おい、コソコソ喋るな。不愉快だ」
「嫌だわ~本人に自覚ないんだったらイジリにくいじゃないのよ~!」
「だからなんだと言っている!早く言え!」
「え~でも言ったらトモ君怒るでしょ?イヤ~!」
「なら最初から言うな!」
「やだわ~トモ君もう既に怒ってるじゃない~!」
「お前のせいだぞ連理、土下座して謝ってこい!」

 一時はどうなることやらと思ったが、思いの外、会長と五味は先日までのような気まずさを引きずっていなかった。
 結局会長の弱点は教えてもらえなかったが、それはそれでいいかもしれない。
 それよりも。
 外れた場所で椅子に座り、ぼんやりとテレビを眺めている栫井は混ざろうとすらしていなかった。
 ……相変わらず、何を考えているのか分からない。
 こういう賑やかな場所が好きなようにも思えないし、鍋に食いつきそうでもなければ寧ろ、一人で居た方が楽なんじゃないかと思うくらいだ。
 ……気まずくないのだろうか。
 楽しくないのじゃないだろうか。
 アウェー感ほど居心地が悪いものはない。
 放っておけ、と思うが、以前の自分と重ねてしまったせいだろうか。なんとなく、目が逸らせなかった。

 栫井の手元のグラスが空になってるのを見て、俺は、迷う。そして、ええい、と半ばやけくそに立ち上がった俺はキッチンで水をもらい、栫井の元へ向かった。

「……」
「……」
「……あ、あの……グラス、空になってるみたいだったから、その……」
「…………」

 栫井の目が、こちらを向く。
「余計な真似をするな」と振り払われるだろうか、それとも「いらねえ」と一蹴されるだろうか。
 反応のない栫井に改めて余計なことをしてしまったと後悔したが、今更退くに退けない状況だ。

「こっ、ここに……置いておくね」

 受け取ってもらえないなら、と俺はサイドボードに水の入ったボトルを置いた。
 逃げるようにその場を立ち去ろうとしたとき、会長がこちらを見ているのに気付いた。
 連理たちと話していた会長は、俺、ではなく栫井に目を向けていた。
 それだけならまだいいのだが、その目が、あの時、生徒会室で見た冷たい目だったことに気付き、一瞬、足が竦みそうになる。
 ……会長の視線は、すぐに逸らされ。何事もなかったように連理たちとの会話に戻り、笑い合う。
 それでも、瞼の裏にあの目がこびり付いて取れなかった。

 俺は、自分の中の居心地の悪さが色濃くなるのを感じながらも会長の隣に戻った。
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