天国か地獄

田原摩耶

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√β:ep. 3『王座取りゲーム』

14【side:芳川】

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 辺り一面に広がる赤。
 目の前には、黒い影。男が、頭をぐしゃりと撫でる。『待っていろ』とその口は確かに動いた。
 行ってはダメだ、と声を上げる。けれど、声は出ない。届かない。
 燃え立つ炎の中に駆け込むその背中に向かって手を伸ばす。俺が行く、と足を動かす。けれど、周囲の大人たちに羽交い締めにされた身体は動かない。
 それどころか、その火に充てられ、皮膚が溶けていく。どろりと。アイスクリームかなにかのように。それでも、手を伸ばした。行くな。帰ってきてくれ。俺が行くから。だからーー。叫ぶ。けれど、どろどろに溶けた身体は最早原型も留めていない。
 そして、炎に包まれた建物までもがどろりと崩れたところで、目を覚ました。
 夢だと分かっていても、心臓の鼓動は早かった。滲む汗。渇いた喉は痛んだ。実際に、叫んでしまっていた、と気づいたのは喉の違和感と、目の前にいた男の表情を見たからだ。

「……トモ君、大丈夫?随分と、魘されていたみたいだけど……」

 連理貴音は、心配そうな顔をしてみせた。
 やつの顔を見て、すべて思い出す。どこまでが夢で、どこまでが現実だったのか。……すべて、現実だ。

『現状、芳川知憲を生徒会長解任しろという声が多数上がっている。理由は本人が分かってるんじゃないか?』

 呼び出された会議室にはよく見知った人間の顔があった。
 五味に栫井、十勝に八木を筆頭にした各生徒会役員。それから連理と……志摩裕斗。
 静まり返った会議室には志摩裕斗の声がよく響いていてたのを覚えてる。

『特定の一般生徒への明らかな厚遇・贔屓、そして職権濫用。自分の立場を利用して学園そのものを私物化してるのではないか?ということが元々疑問視されていたようだが、俺は問題は別のところだと思っている。……その特定の生徒がその扱いを望んでいないことだ』

 誰一人発さない。ただ、静かに、各々の考えを持ってその志摩裕斗の言葉を聞いていた。突き刺さる視線や感情にも目もくれず、志摩裕斗は自分の言葉を淡々と続ける。
 昔と、変わらない。

『本人の意志を無視して、芳川知憲はその生徒を贔屓した。周りの目を気にする本人を言い包め、それとも実力行使したのか。現に、そのせいで彼は他の生徒から嫌がらせを受けていた。それを知っていても、特別扱いをやめなかった』

 怒りも何も浮かばない。ただその言葉を他人事のように聞き流す。好きに言えばいい。痛くも痒くもない。


『恋人?正しい交際?本当にそうなのか?付き合っていたら、監禁してもいいのか?相手の自由も尊厳もすべて奪っていいのか?本気でそう思っているのなら生徒会長として以前の問題だ。少なくとも学生としての時間を奪ってる人間は全校生徒の代表として相応しくない、そう俺は判断した』
『ちょっと……言葉を選んだらどうなのよ。そもそも、本当に佑ちゃん……彼がそう思ってるのか、ちゃんと本人の口から聞いたの?それは全部貴方の思い込みじゃないの?だとしたら、尊厳を踏み躙ってるのは貴方の方じゃないかしら、志摩先輩』

 志摩裕斗に反論したのは連理貴音だ。これも想定内だ。元より、やつは気が強い。大人しく聞いてはいないだろうと思ったが、ここまでとは。『おい、連理』と五味が窘める。連理は、ふん、と息を巻き、志摩裕斗を睨み付けた。
 志摩裕斗は、困ったように笑う。それも束の間。

『確かに、その通りかもしれないな。もしも連理君、お前の言う通り本人たちが至極真っ当に愛し合ってた場合だがな』
『何よ、その言い方。少なくとも、アタシには二人はちゃんと真面目に付き合って……』
『連理!』

 連理の言葉を遮ったのは、五味だ。
 いきなり言葉を遮られ、不服そうな連理は『何よ』と目尻を釣り上げ、五味を睨む。

『それは、俺達が口を挟むところじゃないだろう。少なくとも、俺も、お前も、こいつらに関しては第三者だ。……そんな俺達が言ったところで証拠にもならない』

 こちらを見ようとしないまま、五味は続ける。その意見には、俺も同感だ。ただ『いつもはこうだった』『ああだったから本当に好き合ってるのだ』と他人が言ったところで宛にならない。結局、俺と齋藤佑樹の問題なのだから。赤の他人が俺達のことを理解できるなどと鼻から思っていない。
 そして、志摩裕斗もそれは分かってるはずだ。

『ああ、俺も同感だ。友人思いなのは結構だが感情的になりすぎるのはよくないな。論点がずれてる。俺が言ってるのは、特定の生徒の依怙贔屓並びに長時間の拘束が生徒会長が取るべき行動ではないという話だ。そこに愛があろうがなかろうが、それらは既に問題行動に違いないだろう』

 志摩裕斗はこちらを見る。

『一応聞くが、ここまでで何か言いたいことはあるか』
『ないな』
『本当にないのか?』
『俺が彼を贔屓していたのも事実だ。彼の方から俺に協力を仰いできたのだから、当たり前だろう』
『おい……』
『……』
『変な男に絡まれるからと相談を持ち掛けられたから、部屋に匿った。そうでもしなければ彼は何をされるかも分からず、その恐怖でそれこそ学園生活も儘ならなかったからだ。付き合うフリをしたのも、彼に相談を持ち掛けられたからだ』

 付き合うフリ、と口にしたとき、十勝と連理が反応した。他の役員たちも、明らかに色めきだつ。栫井と八木は、相変わらずだった。

『俺を陥れるためのネタ作りのために自分の体を使って既成事実を作ってこいと命じられたと言う彼を助けるには、付き合うというのがその時一番彼の身を守ることが出来ると判断したからだ。そうすれば、一緒にいる時間も出来る。隠さないで敢えて贔屓したのは、釘を刺すためだ』

 志摩裕斗は、静かにこちらを見ていた。
 相変わらず、読めない。けれど今は読む必要などない。最初から相手の意図はわかっている。俺の粗さがしが目的の場なのだから。

『だとすると、お前が依怙贔屓する前から彼に対する嫌がらせはあったという事か?』
『ああ、そうだ。元生徒会長であるお前なら分かってるだろう。転校生に対する身辺のサポートが生徒会長の義務だと。だが、どうやらその対応を特別扱いと受け取った人間もいたようだ。……普段からあまり役員以外の生徒と接することがなかったせいでそう捉えられてしまうというのが、俺の反省すべき点だろうがな。四月、彼が転校して間もなく嫌がらせは始まっている。証拠ならあるぞ。監視カメラの記録を見てみればいい』

『阿賀松伊織の私室前廊下のカメラの記録をな』腹いせに煽ってみるが志摩裕斗の表情は変わらない。けれど、こちらを伺ってるのは肌で感じた。
 ……相変わらず、気味が悪い男だ。単純そうでいて、その思考は難解で、それでいて明快。食えない。

『齋藤佑樹は阿賀松伊織に暴行を受けていた。それは見るに耐えれるものではない。それを見過ごせ、特定の生徒を依怙贔屓するのは生徒会長として反してるというのなら俺はこの席を降りる。まともに学園生活を送ることすら出来ていない一人の生徒よりも自分の立場を優先させるような人間にはなりたくないからな。好きにしたらいい』
『……会長……』
『ただ、一つだけ言わせてもらうがここ数週間彼を部屋から一歩も出させなかったのは俺の判断だ。理由は俺が目を離した隙に阿賀松伊織の仲間に彼が攫われたからだ。そのときのことなら、そこにいるやつらもよく知ってるはずだ。その間、それこそ何をされたのか分からない状態で二人目が連れ去られそうになってな、しかし二人目……十勝は齋藤君を連れ出してくれた。……感謝してる。ようやく戻ってきた彼は人に触れられることすら怖がっていた。それだけで、何があったのか判断つくはずだ。その時のことも、十勝が知ってる。俺の話だけでは信用できないと言うならば、十勝にも、他の連中にも確認を取ればいい』 
『十勝君、それは本当なのか?』
『正直、こういう場所で話すのはあいつに申し訳ないし、自分にも腹立つんで言いたくないんですけど、会長は嘘吐いてないですよ。……ぶん殴られて、縛られてやべーって思ってたら、あいつ……俺も居る前で、俺だけじゃない、他に人いんのに、佑樹に……っ』

 みるみるうちに、十勝の表情が歪む。そして言い終わる前に、十勝は髪を掻き乱した。

『これ以上、言わせないでくださいよ、つーか、わかれよ、目の前で、すげー死にそうな声上げて、ベッドの上で逃げようとしてる佑樹の頭無理矢理押さえ付けてんの、本当、見てられるわけねーだろ、……まじ』

 十勝のこんな顔を見たのは二度目だ。一度目は、顔面腫らして齋藤佑樹を担いで戻ってきたとき。二人きりになったとき、十勝に何があったのかを聞いた。そのときも、十勝は非常に悔しがっていた。歯がゆくて仕方なかったのだろう。演技が下手なこいつのことは知ってる。全部、本心なのだろう。
 その場にいた誰も、それ以上言及しなかった。志摩裕斗の表情は、険しさを増す。

『そんなことがあったばかり、それも、十勝によってなんとか取り戻せた彼を自由に登校させる。そんなことをしたらどうなるか、すぐに判断つくだろう。逃げられたと逆上したやつに、齋藤君はすぐに連れ戻されそれ以上にひどい目にあわさられる。そう判断したから俺は頑なに齋藤君を部屋から出さなかった。……それが、他の人間の不信感を買おうがな』

『これが、当事者の俺から言える【事実】だ。他にも彼を守れる方法があったというなら教えてくれ。生憎、俺にはこれしか思い当たらなかった』あまり口を挟んでこない志摩裕斗は不気味だが、矛盾はないはずだ。嘘も吐いていない。辻褄もあっている。少なくとも、この場にいる大半の人間は信じるだろう。
 けれど、ただ一人、志摩裕斗の表情は変わらなかった。かと言って露骨に疑ってくるわけでもない。ただ、観察してくるのだ。本当に厭らしい。けれど、今この場で裁決が降されることはなくなった、だろう。

「本当、大変だったわね。結局のところ保留にはなったけど、きっと元会長さん、監視カメラ見てくれるのかしら?」
「……さぁな」

 志摩裕斗は見るだろう。過去にまで遡って、すべてを知ろうと閲覧するはずだ。あの頃の、不公平を嫌う志摩裕斗のままだったらの話だが。
 生徒会室。俺は、部屋に帰されることを許されなかった。恐らく今頃志摩裕斗たちが部屋を探り入れてる頃だろう。灘には予め齋藤君を別室へと移すようにと伝えていたが、大丈夫だろうか。やつがヘマをすると思わないが、問題は齋藤佑樹だ。以前、志木村と五味の前に出ていった齋藤佑樹を思い出しては心がざわつく。
 一度戻った方がいいと思うが、生徒会室に残れと言われてる今、下手に近付くのは逆に怪しまれる。そう判断し、大人しく従ってはみるが、気が気ではなかった。

「それにしても、さっきのトモ君が言ってた、付き合っていたフリっていうのは本当なの?」
「ああ、本当だ。俺達がそれを演じることになったきっかけは、阿賀松伊織に脅されていた齋藤君のメンツを保つためだ」
「でも、本当にそれだけなの?」
「……」

 連理の指摘に、一瞬、言葉を忘れる。
 すべてのきっかけ。何もかもが明らかに音を立てて組み代わり始めたのは、齋藤佑樹にすべてを打ち明けられたあの日だ。
 連理の言葉の意味が分からなかった。それだけ?逆に、それ以外に何があるというのか。

「佑ちゃんのこと、あんなに可愛がっていたじゃない。あれも、周りを騙すためのフリだったの?」
「…………」

 ああ、と納得する。
 人の心に重点を置く連理らしい着眼点だと思った。
 しかし、俺はそれに対する答えを持ち合わせていない。そんなもの、俺が聞きたいくらいだ。

「さあな」
「さあなって……トモ君」
「それよりも、連理、別にお前まで俺とここに残る必要はないんだぞ。お前だって仕事があるんじゃないのか」
「そんなの、アタシに似て頑張り屋の副隊長ちゃんがぱーっとやってるわよ。それに、こんな状況で貴方を一人にする方が心配よ」
「お節介だな」
「何よ、その言い方。そこはありがとうございますでしょう!」
「……」

 正直一人になりたい気もあったが、いざ一人になったところであの男に対しての怒りがただ溜まって何も手につくことはできなかっただろう。
 その分、傍に人間がいるだけで大分冷静になることができた。芳川知憲としての自分を、保つことが出来た。
 齋藤佑樹。あいつといると、自分を見失う。
 隠していたものも、塗り固めていた鍍金すらも、すべてあいつの前では無意味なものになる。
 あいつに関わらなければこんな面倒なことにもならなかった。そんなこと、頭では分かっていたのに。

「……トモ君、やっぱ顔色が悪いわよ。何か飲み物を……」

 そう、連理がソファーから立ち上がったのときだ。
 制服のポケットの中に仕舞っていた携帯端末がいきなり震え始める。咄嗟に取り出せば、画面には灘の名前が表示されていた。

「どうした」
『会長、申し訳ございません。齋藤佑樹が志摩裕斗に連れて行かれました』

 聞こえてきた、風の音が混じったその音声。
 その内容は、万が一と予期していた最悪の内容そのものだった。

「お前は今どこにいる?」
『学生寮の外壁から、志木村さんの部屋の外で待機してます。部屋の中には今、志木村さんと齋藤佑樹がいるのは確認しましたが……恐らく志摩裕斗がそちらに向かっていると思われます』
「……」

 灘が失敗するはずがないと思っていたが、齋藤君も一緒だ。何が起こるかは分からない。……が、まさかここまで想像通りの厄介の展開を迎えるとは。

「分かった。なら貴様はそのまま部屋の内部の様子を探れ。絶対に、動くな。何かあればまた連絡しろ」
『畏まりました』
「詳しい話は後で聞く。くれぐれも、目を離すな」

 通話を終える。不思議と頭は冷静だった。
 志摩裕斗が何かに気付いたとしても、俺がやることは何も変わらない。ただここで何も知らないフリをする。気付かずに、白を切る。
 灘のことだ。志摩裕斗に何かしらのアクションを掛けたのは間違いないだろう。そして失敗した。
 ……全てあいつの独断にすれば、こちらとしては痛くも痒くもない。
 端末を仕舞う。
 不安そうな顔をした連理がこちらを見ていたので、「大した問題ではない」とだけ応える。
 そう、大した問題ではないはずだ。それなのに、端末を手にした手のひらに、汗がじわりと滲んでいた。
 ……大した、問題では。

「……ッ」
「トモ君、ちょっと、どこに……!トモ君!」

「すぐに戻ってくる」とだけ付け足し、俺は、生徒会室から出た。生徒会室前には幸い人影はない。
 学生寮へと向かうため、一番の近道である学生寮とこの校舎をつなぐ通路へと向かう。
 こんなタイミングで戻ってこられれば、印象が悪くなるだろう。
 そんなこと、分かっていた。それでも、都合があの状態の彼を志摩裕斗たちの傍に置くわけにはいかなかった。置きたくなかった。見られたくなかった。渡したくなかった。
 湧き上がるこの感情は独占欲と呼べるようなものでもなく、自分でも、こんな行動を取る自分が信じられずにいた。

 ◆ ◆ ◆

 生徒会専用通路前。

「そんなに急いでどこに向かうんだ?」

 薄暗いその通路の中央に、その影は佇んでいた。
 志摩裕斗は、冷めた視線を投げかけてくる。影のせいか、その表情はよく分からない。

「……退け」
「はいどうぞっつって、お前を齋藤君の元へ行かせると思うか?俺が?」
「……」

 焼けるように、腹の奥底が熱くなる。怒りか、不快感か、汚泥にも似たその感情と比例し、頭はやけに冷めていく。

 締め切られたカーテン。隔離されたその空間に外部の声は聞こえない。
 誰もいない、二人きりだ。外部に声も洩れない。

「あの時も、そうだったな。……知憲」

 俺は何も答えなかった。けれどあの時とは明らかに違うことがある。それは、今の俺にはこの状況が好機とも取れることだ。
 考えるよりも先に身体が動いていた。下手なことをされる前に、釘を刺さなければならない。こいつだけは、こいつだけは野放しにはできない。
 そう考えたときには既に身体が動いていた。
 握り締めた拳を思いっきりやつに向かって振り被った瞬間だった、視界の隅で影が動く。それとほぼ同時に、拳に確かな手応えがあった。肉の感触。

「……ッおッも……」

 目を見開く。腹部を庇うように腰を引いたその男は、俺の腕を握り締めた。そして笑う。

「芳川君、君いいパンチしてるねー。俺じゃなかったらさぁ、結構やばかったんじゃない?」
「貴様……」

 薄暗い通路内。微かな照明に照らされた頭髪は鈍く、青く発光する。縁方人は口元を拭い、そして、「違うだろ、昔みたいに方人先輩って呼べよ」なんて歪に笑った。
 驚いたのは、俺だけではない。志摩裕斗も、いきなり現れた縁方人に顔色を変える。

「おい、手を離せ」
「悪いけど、それは無理な相談だな」
「何?」
「君に勝手なことをされるのは困るんだよ、俺も」

 どういうつもりだ、とやつの手を振り払おうとしたときだった。

「齋藤君が気になるんだろ」

 そのときだ。耳打ちされた言葉に、その固有名詞に、心臓が僅かに反応する。顔を上げれば、縁方人は薄ら笑いを浮かべていた。
 その時だった。

「おい、そこで何してる!」

 複数の足音。今度は何かと思えば、そこにはパトロール中の風紀委員の連中が数名。俺の姿を見るなり、ぎょっとする。

「芳川君」

 ぐっ、と腕を引っ張ってくる縁方人。走るぞ、と目で合図をしてくる。
 冗談じゃない。何故、俺が、こんなやつの言いなりにならなければならない。手を振り払う。そして、そのまま俺は生徒手帳を使いエレベーターを起動させる。
 開くドアを迅速に閉めようとしたとき、ギリギリのタイミングで乗り込んでくる縁方人に呆れた。
 閉まる直前、その隙間から志摩裕斗の冷めた目がこちらをただ見ていた。俺はそれを一瞥し、専用の通路に繋がる階へと移動する。

 閉め切られた個室の中、縁方人は「危なかったー」等と言いながら、壁にずるずると凭れ掛かった。
 何が危なかっただ。どういうつもりなのだ、この男は。何を企んでいるのか分からない現状だが、動き出したエレベーターは途中の階では停止することは出来ない。早く停まれ。そして、この男をどうにか排除しなければ。

「それにしても、驚いた。……芳川君、君ってそんなに頭悪い子だったっけ」
「……」
「志摩裕斗に本気で殴り掛かるつもりだったの?」

 縁方人の言葉に耳を傾けるだけ無駄だ。俺がなんと答えたところで、この男は揚げ足を取るだろう。昔からそうだ。そして、自分の手のひらの上へと誘い込むのだ。

「こんな状況で殴ったりでもしたら、今度こそ退学だろ?それとも自分の立場よりもそんなに、齋藤君が大切だったわけ?」
「……」
「はぁ……なるほどダンマリでもいいけどさ、君がそういう態度なら俺勝手に解釈しちゃうけどいい?」

 そもそも、なんなんだこの男は。
 齋藤君のことがそんなに気になるのか、わざわざ俺のところに来るなんて煽ってるのか。そうやって人を激情させ、行動を起こさせるのがこの男の目的なのか。
 けれど、それならなんであの時、志摩裕斗を庇うような真似をしたのかが理解できなかった。
 この男は、少なくともあの人のことを俺以上に嫌っていたはずだ。

「人に質問するのなら、先に自分の目的を言え。何故あの時邪魔に入った」
「邪魔って、俺がいなかったらどうなってたと思ってんだよ、お前。……あー、せっかく収まっていたのに腹がまた痛くなってきた」
「何を企んでいる」
「うわ、怖いな芳川君。もしかして、裕斗君の次は俺を潰すつもりなの?やめときなよ、俺に手を出したところで自分の首締めるだけだって。得にもなんないし」

 胸倉、首からぶら下がるネクタイを掴み、締める。
 縁方人は小さく咳をし、そしてやれやれと言わんばかりに両手を上げ降参のポーズをした。

「質問にだけ答えろ」
「俺は、芳川君を助けに来ただけだよ。あの子と約束したからね」
「何だと?」

 聞き間違いではない。縁方人は笑みを崩さずに、静かに続ける。「齋藤君だよ」と、愛しそうにその名前を口にするものだから全身が泡立ち、堪らずその体をエレベーターの壁に叩き付ける。微かに揺れる機内。縁方人はいてぇな、と笑いながら、ゆらりと立ち上がった。

「なんで、齋藤君の名前が出てくるんだ」
「あれ?十勝直秀に聞かなかった?おかしいな、わざわざ見逃してやったのに」
「……見逃しただと?」
「ああ、そうだよ。伊織の馬鹿はもう使えねーからさ、わざわざ君に塩を送ってやったってのに全然伝わってないんだもん、俺の気遣い」
「……」
「悲しいなぁ、この間だって助けてやったつもりだったんだけど?」

 部屋にやってきた五味と志木村、その仲裁に入ってきたときのことを思い出す。あの時は、ただ目障りで仕方なかったが、この男、どこまで本気で言ってるのか。或いは、全て嘘なのか。

「どうせ、お前も信じないんだろうけどな」
「何が目的だ」
「知ってるくせに、そうやって俺に聞くのって性格悪いよな」
「答えろ」

 ぐ、とネクタイを掴み、その白い首を絞め上げる。縁方人は苦しそうにする素振りも見せず、息を吐くようにその言葉を吐き出した。

「お前を、ただ一人のキングにしてやる」

「その代わり、俺に付き合えよ」掠れたその声は、苦しさを感じさせない。寧ろ、高揚感すら滲ませたその声は甘く響いた。
 相互利用は、縁方人の常套句。その差し出された手を取って、利用されるだけされて絞りカスしか残らないまま退学していった人間を何度も観てきた。
 その手が、自分に差し出されると思うと不愉快を通り越して、愉快だった。俺はそれ程に恰好の餌だと思われてるのだと思うと、可笑しくて、可笑しくて、笑えなかった。
 俺は、その手を振り払った。そして、その胸倉を掴みぐっと引き寄せる。

「思い上がるなよ。……俺が、貴様を利用するんだ、縁方人」

 縁方人は、顔色一つ変えるわけでもなく、先程同様薄ら寒い笑みを浮かべていた。「上等」と、その形の整った唇は歪に弧を描く。
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