天国か地獄

田原摩耶

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√β:ep.last『罪と罰』

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 店を出た俺たちは、そのまま近所のカラオケに入店した。フリータイムで部屋を借り、案内される部屋番号の扉を叩く。
 二人きりになれて、静かな場所。監視カメラはあるが、それでも話せる場所ならどこでもよかった。
 裕斗は着ていた上着を脱ぎ、俺の上着を預かろうとしたが俺はそれを断った。
 ここでゆっくりと長居するつもりはなかった。

「もしかして怒ってるのか、さっきのこと」
「……いえ、怒ってないです」
「そうか、けど……そうだな。――聞きたいことがあるんだろ、言いたいことも」

 長い足を組み、裕斗は「もういい頃合いだからな」と口にした。

「お前が知りたいって言うなら、俺は正直に話すよ」

 ……本当に、この人はおかしな人だと思う。
 自覚してるのだろう。そして、恐らくあの場で俺が見ていたものの内容も想像ついてる。
 その上で、俺に対しては裕斗先輩として接してくるのだ。俺のことを好きだと、ずっと味方だと言った顔で。

「芳川会長を殺したんですか」
「殺していない。あいつは生きてるよ」

「いや、死んでない……って言った方がいいのか?」そう口にする裕斗に、俺は目を瞑った。
 裕斗は、嘘は吐いていない。そうわかったからこそ余計、その一言に思考が乱されそうになるのを深呼吸をすることで堪えた。

「じゃあ、どこに……」
「今は俺達が入院してた病院だ。……阿佐美たちが貸してくれたあそこに運ばせておいた」
「でも、いつ、どうやって……」
「あいつには何日か頑張ってもらったよ。あの晩、すぐに動くのはあまりにも無謀過ぎたからな」

 それから裕斗は一つ一つ、俺に説明してくれた。
 あの晩に起きたこと、俺が気絶していた間に起きていたことを。

 サイトウと別れたあと、裕斗は志木村と連絡を取った。そして俺が帰ってきていることを確認し、それから志木村を通して俺の状況を確認していたと。
 裕斗は芳川会長がなにをするか分かっていたのだ。
 だから、学園に戻ってくる前にとある病院へと向かった。もう一人、学園外で自由に動ける第三者の協力が必要だったのだ。

「栫井のやつ、俺の言葉を聞いてすぐに協力してくれたぞ。……よっぽど知憲のことを助けたかったんだろうな」

 裕斗から芳川会長が危ないと聞いた栫井は、タクシー代わりの車を用意して待機していたという。
 そして、あの晩。
 芳川会長をトドメを刺そうとしていた阿賀松を止めた裕斗は、そのまま隠し持っていた包丁で阿賀松の首を掻ききった。
 ――ずっと、腑に落ちなかった。
 あの阿賀松があっさりと殺されるはずがないと。阿賀松が唯一油断する相手――それでも、その可能性はあり得ないと思っていた。
 けど、阿賀松がいなくなった今、裕斗は隠す必要もなくなったのだろう。

「……本当は、後遺症なんてなかったんですね」

 志摩に刺された際、神経を傷つけてしまい極端に握力が落ちている。片腕は殆ど感覚がないと、俺を抱き締めた裕斗は口にしていた。
 けれど、俺を助けにきたとき。扉を壊す裕斗を見てその違和感は色濃く浮かんだ。

「齋藤には心配かけたと思ってるよ。けど、そういうことにしないと、詩織は慎重な性格だからな。余計な警戒をさせたくなかったんだ」

「それに、多少握力が弱くなったのは事実だしな」それも、数日前リハビリを行えば通常通りに戻るようになっていたという。
 一人で歩くこともできるし、生活に不自由することもない。それでもそうせざる得ない、そう判断した裕斗は阿佐美だけではなく俺も騙したのだ。
 そして、阿賀松さえも。

「……っ、どうして、阿賀松先輩を……」
「逆に聞くが、もしお前が俺の立場だったらどうする?」

 溶けかけた氷が浮かんだジュースをストローで掻き混ぜ、そして中を一口飲み干す裕斗。
 裕斗はグラスをテーブルの上に置き、こちらへと目を向けた。
 裕斗に笑顔はなかった。
 ただ真っ直ぐ、その目はこちらを向いていた。

「あのままにしていたら伊織は知憲を殺していただろうな。……それから、お前のこともだ。齋藤」

 底冷えするほど穏やかで、優しい声音だった。
 この人は後悔などしていない――そう思えるほどはっきりとした口調だった。

「お前と知憲がしたことが正しいとは思わない。けれど、そうしなければならない原因を作り、追い詰めたのはあいつだ」
「……ゆ、うと先輩……」
「あいつは亮太を殺した」

 その一言に背筋が凍る。
 考えたくなかった。それでも、裕斗は顔色を変えることなく続ける。

「証拠はないし、状況証拠だけだ。あいつのことだ、きちんと隠してんだろうな。こんなに時間経っても音沙汰ないんだ、もう見つかるはずがない」
「……ッ、……」
「だから俺はあいつを殺したんだよ、齋藤――憶測だけで行動するなんて愚かだと思うか?」

 裕斗は微笑む。表情は笑っていたはずなのに、まるで泣いてるようにも見えるのだ。おかしいと分かっていた。
 けれど、きっと、俺が裕斗の立場だったら。

「……いえ、俺も、そうすると思います」

 そっと裕斗の手に自分の手を重ねれば、その手ごと裕斗に握られる。強く、包み込むように握られた手をそのまま裕斗は自分の額に押し付けるのだ。まるでなにかに祈るように、「お前は優しいな」と小さくつぶやき、目を瞑るのだ。

 阿賀松を刺したあと、完全に殺すために腹を刺したという。
 瞼裏にこびり付いた阿賀松の死に顔、あの顔は、今までずっと親友だと思っていた相手に殺されたからか。少なくとも阿賀松は、裕斗に刺されるとは微塵も思わなかったのだろう。
 そう思うと心臓の奥が痛くなったが、俺はその痛みを見てみぬふりをした。

 そして、志木村があげたエレベーター内へと阿賀松の死体を引き摺って運ぶ。
 壱畝が持っていたカメラに残っていた映像は正にそのときだったのだろう。裕斗は志木村と協力し、外で待機してる栫井に芳川会長を受け渡す。
 ――破られた窓から芳川会長を落とす形で。
 下手したらトドメになりかねない方法だが、学生寮内と校舎、人目を無視してなるべく目立たない形で芳川会長を学園外に運び出すには手段を選ぶことはできなかったのだろう。

 そのときに芳川会長は裕斗に告げたのだ、仮眠室にいる俺のことを。
 そして裕斗は着替え、何事もなかったように俺を迎えに来たのだ。

「とにかく、あの状態ではあいつはすぐに他の奴らに狙われるだろうからな。せめて怪我が回復するまでは匿わせるつもりだった」

「そのあときちんと罪は償ってもらうつもりでな」裕斗は続ける。

「……勿論、俺も自首するつもりだ。けど」
「けど……?」
「言っただろ、お前を一人にさせないって」
「……ッ」
「せめて、知憲が回復するまで――お前の判決が決まるまで様子を見るつもりだった。もしお前が保釈されて、俺が拘留されたままで知憲も動けない。……そんな状態でお前になにかがあったら、どうしようもないからな」

 全て、裕斗は考えていた。見据えていたのだ、万が一の可能性も全て。
 初めてあったときは正義感の強い人だと思っていたが、そうではなかった。計算高く、自分以外を信じていない。故に、張り巡らせるのだ。何重にも、糸を。
 そんな裕斗の欠点――合理的非合理性、それは俺に対するソレだ。俺が、この人を歪めてしまったのか。
 自惚れだと笑って受け流すようなそんなものだったらきっとまだよかったのだろう。志摩のことがあるとはいえ、俺はこの人の光を、人生を歪めてしまった。そう思うと酷くやるせなくなり――それ以上に、嬉しくすら思う自分の浅はかさを見た。

「……先輩」

 その頬に触れる。裕斗は抵抗しなかった。俺の手を握りしめたまま、指を絡める。

「齋藤」
「……はい」
「俺はおかしいのか?」
「いえ、おかしくありません」
「お前は今、幸せなのか」

 阿賀松が死んで、芳川会長が生きている。
 何人も巻き込んだ。人の善意も、悪意も、全て踏みにじって、俺は今ここに立っている。
 裕斗の背後、阿佐美がこちらを見ていた。長い前髪の下、俺を見ていた。

「――……はい」

 幸せです、という言葉は裕斗によって塞がれ、掻き消された。重ねられた唇を受け入れながら、俺は裕斗の肩越しにその亡霊に目を向ける。
 ――幸せでなくてはならないのだ。
 他人の生を踏みにじって、不幸者であってはならないのだ。
 もう誰も邪魔されない。俺たちの穏やかな生活を脅かす不安要素はなくなったのだ。それこそ、俺の望んでいた天国ではないか。

「……っ、しあわせ、です……」

 溢れる涙を舐めとられ、裕斗は俺をきつく抱き締めた。しゃくりあげる声も聞こえなくなるほど、強く。
 隣の部屋から流れてくる調子外れな歌声を聞きながら、俺達は体の隙間がなくなるほどきつく、抱きしめあった。



 俺は、その場で裕斗と別れた。
 心配だからとホテルまで送ろうとする裕斗だったが、万が一のことを考えたのだろう。俺を尾行すると言う形ならば、と話を付けて俺達は時間をずらしてカラオケを後にした。

 それから俺はホテルの部屋へと戻った。
 芳川会長が、生きていた。それを知れただけで充分だと思っていた。
 手足の震えを紛らわすように俺は付属の枕を抱き締め、顔を埋める。
 後悔は、しない。する資格など俺にはないのだ。

 頬を叩き、俺はベッドから立ち上がった。そして、鏡の前に立つ。洗面台のノベルティのはさみを使い、伸びた前髪に刃を入れた。
 ずっとバタバタしていたせいか春先よりも伸びた髪はバラバラとシンクへと落ちていく。
 そしてそんな動作を繰り返せば、鬱陶しかった髪もさっぱりとした。
 幾分か広くなった視界が少し心細かったが、それでも少しは目の前が明るくなったような気がした。

「……っよし!」

 ……頑張らなければ。変わるんだ、俺は。
 ――それは自分のためだけではない。
 頑張らなければ、ともう一度口の中で呟き、気合を入れる代わりに俺は頬を叩いた。



 日が落ち、俺は再びホテルへとやってきた両親に頭を下げた。
 それから、なにがあったのか話した。
 脅されただけではない、自分の意志で罪を犯したのだと。
 俺は、産まれて始めて父親に殴られた。母親のビンタなんて比にならなくて、それ以上に穏やかで優しかった父が始めて声を荒げたのは後にも先にもこのときだけだった。
 どうして、そうなる前に相談してくれなかったのだと。目に涙を滲ませる父に、俺は「ごめんなさい」と謝った。謝ってどうにかなる問題ではないとわかっていた、それでも、俺は両親を信じることができなかった。また軽蔑されるのが怖くて、不出来な子供だと思われるのが怖くて、落胆されたくなくて、黙っていた。
 ごめんなさい、ごめんなさい。繰り返すことしかできない俺をただ父と母は抱きしめてくれた。
 自分に居場所などないと思っていた。けれど、それは俺が周りに目を向けれなかったからだ。自分のことを考えることだけで精一杯だった。


 それから、俺のホテルには幼い頃から知っている使用人もやってきた。身の回りの世話を使用人にしてもらいながらも、裁判までの日々を過ごす。

 弁護士の先生とも改めて話した。ちゃんと、自分の意志も伝えた。事情が事情だから、これならば刑期を軽くなるだろうと先生は言っていたが俺はそれを拒んだ。
 頑張ってくれる先生には悪いが軽くしたいなどという気は毛頭なかった。

 ――あれから、裕斗とも会っていない。
 壱畝もだ。学園関係者の誰とも会わず、俺はホテルで使用人と過ごした。
 芳川会長に会いたかった。それでも、そうしなかったのは両親のこともあったからだ。
 芳川会長が無事と分かった今、俺は罪を償うだけだ。

 ――そして二ヶ月後、俺は裁判所に立つことになった。
 あれほど怖かった人目も気にならなかった。もう、こそこそする必要も逃げる必要もなくなったから。
 だから堂々とその裁判を受けることができた。
 刑期は五年、俺は少年院に送致されることになった。 
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