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√β:ep.last『罪と罰』
最終話
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短いようであっという間に時間は過ぎる。
刑期を終え、出所した俺は迎えに来ていた両親とともに一度実家へと戻ることになった。
夏も終わり、秋の空気が気持ちいい時期だった。
両親は定期的に面会に来てくれていたが、五年ぶりに帰ってきた実家はやはり久し振りだった。
そして、両親と話したあと俺は自室に戻りすぐに芳川会長を探し出すことに専念する。
当時のニュースを片っ端から調べれ、当時相当話題になっていたことを知る。そして、それらの記事から数名の安否を知ることとなった。
灘はあのあと死亡したのだと。縁は意識不明の重体となっているが、別の記事では輸送先の病院で息を引き取ったとの記事を見て俺は息を飲んだ。
そして、数ある記事の中とある記事を見て固まった。
――志摩裕斗が、死んだ。
一瞬理解ができなかった。同姓同名の別人ではないか、そう思いたかったのに、貼り付けられた顔写真には見覚えがあった。
そして犯人は現行犯で捕まり、医療少年院に送致。当時十八歳のその少年は、市内私立高等学校で起きた連続殺人・過失致死傷罪の主犯である男子高校生で――……。
その先の文字は歪んで見ることができなかった。
ずっと、外部からの新しい情報が入ってくることはなかった。手に渡るもの全て検閲されたなか、俺は、なにも知らずにただ刑期を終えることだけを考えて模範囚として五年を過ごした。
――なにも知らずに。
のうのうと。
「……どうして、」
裕斗は芳川会長を助けたはずだ。何故、芳川会長が裕斗を殺す必要があったのか。
考えたくなかった。駄目だ、目を逸らすな。
なんで。
「――」
……会いに、いかなければ。
自分で確かめなければ。もう逃げないのだと決めたのだ。
俺は会長が送致された医療少年院へと向かった。
それほど長い旅にはならなかった。
閑静な田舎町に、その少年院は存在した。丁度建物の前にいた刑務官に面会はできないのかと聞いたが、断られた。どこも同じだ、身内でなければ面会することは叶わない。
そして、芳川会長の親族はもうどこにもいない。
だとしたらどうすればいいのか。
一か八かだった。
「――芳川知憲さんは、ここにいらっしゃいますか」
そう聞いた瞬間、刑務官はうんざりしたような顔をした。
「なんだ、お前もマスコミ関係者か?」
「い、いえ……俺は……その、後輩で。面会ができなくてもいいんです。あの人が、元気なら……」
「ああ……そういう。残念だけどあの子ならもうここにはいないよ」
「――え?」
「つい先日退院してた。今どこで何やってるやら知らねえよ」
「……あ、りがとう、ございます……」
会長が、出所。
心臓の鼓動が加速していく。なんでだ、何故、俺はこんなに緊張しているのだろうか。
俺は刑務官にお礼を言い、その場を後にする。
ひんやりとした秋空の下、俺は途方に暮れていた。電車もバスも一日に数本しか通らない田舎町、次の便は翌朝になるようだ。
仕方なく俺はその町の宿泊施設を探すことにした。
静かな町だった。穏やかで、時間がゆっくりと過ぎていくようなそんな町だ。
もしかしたら、俺の知らないところで会長も穏やかに過ごしてるのではないか。
――裕斗を殺して。
「……ッ、……」
俺は、なんで震えてるのだ。
まだなにも聞いていない。それに、会長は会長だ。なにも変わっていない。
――信じると決めたのだ。もう、逃げないのだと。
五年間、毎晩のように会長のことを夢に見た。
一人になった会長。あのとき、最後に別れたときの会長。映像の中の会長。
――まだ、ちゃんとお別れも、なにも言えていない。
そう冷たくなり始めていた頬を叩き、喝を入れ直す。
きっと、裕斗のこともなにかがあったんだ。そう思いたかった。割り切りたかった。
とにかく、話を聞こう。そう自分に言い聞かせて、再び街の中を歩き出す。
日も落ち始めた中、近くのコンビニに入ってどこか泊まれるような場所がないか聞いてみよう。葬思い、通りを抜けて視界に入ったコンビニへと入る。
そして、バイトの学生の子に泊まれそうな場所を聞く。ボロいが安い宿があるらしい。お礼と、ついでにホットのお茶を買って俺はコンビニを後にした。
刑務官の様子からして、会長のことを悪く思ってる様子はなかった。本当に真面目に過ごしてたのか。
俺と会長の間にある空白の五年間はあまりにも大きくて。
――大丈夫、大丈夫だ。
裕斗の口癖だった言葉を繰り返し、自分に言い聞かせる。気分を切り替えるために、お茶でも飲もうかとしたときだった。ふと、コンビニの入り口の横に先程までいなかった長身の陰を見た。黒尽くし、フードを深くまで被ったその人影に思わず目を向けた俺はそのまま固まった。
「……よお、久し振りだな」
――忘れたことも、なかった。
ゆっくりとフードを外したその男は、無造作に伸びた癖混じりの黒い髪を掻き上げ、俺を見下ろした。
「どうして、お前が――……」
「……お前を待ってた」
フードの男――栫井平佑は生白い顔に笑みを浮かべる。面影はあるが、より鋭利になったその雰囲気にただならぬ嫌な予感を覚えた。
確か、栫井は裕斗に頼まれて芳川会長を匿っていたはずだ。確かに、栫井の死亡記事は見てなかった。
けど、なんで今このタイミングでこいつが現れるのか。
「待ってたって……う゛ッ!」
次の瞬間、腹を殴られ身体が浮きそうになる。
ここ数年、まともに殴られることはなかった。だからこそ余計、久し振りの殴られた衝撃はより重く、鋭く肉体に刺さる。四肢から力が抜け落ちたとき、伸びてきた栫井の腕に支えられる。
「っ、ぁ、が……ッ」
逃げなければ、そう思うのに身体は思うように動かなかった。
栫井はそんな俺を抱えたまま、そしてコンビニの駐車場へと停まっていた車の後部座席を開くのだ。
「まっ、……って、どこに……ッ」
「――あの人が待ってる」
その一言に、喉が焼けるように熱くなる。込み上げてくる熱に、俺は閉まる扉を見た。
「……あの人って、」
広い車内。運転席に乗り込んだ栫井はミラー越しに俺を一瞥するだけで、そのまま何も言わずにエンジンを掛けるのだ。
……免許、持ってたのか。
そんなことを聞けるような空気でもない。俺は、ただ大人しく栫井についていくことにした。
――元より、逃げるつもりなど最初からなかったのに。
栫井の車は暫く走って、停まった。そして、やってきたのは古びたビジネスホテルだった。
ここに、会長がいるのか。思いながらも、ホテルに足を踏み入れた。
フロントで鍵を受け取り、そのまま狭い通路を歩いていく。本当に素泊まりするためだけの宿泊施設なのだろう。エレベーターを使って二階まで上がる。そして、一回同様客室がずらりと並ぶ通路の奥――窓際のラウンジで窓の外を眺めていたその人影を見た。
「……ッ、……」
その後ろ姿を見た瞬間、ずっと抱えていた不安や微かな疑念、それすらも全て吹き飛んだ。
「っ、か……いちょう……」
そう、口にしたとき。窓を眺めていたその人はこちらを振り返った。あのときと変わらない、鋭い視線。黒い髪の下、眼鏡を掛けたまま会長は俺をただ見ていた。
「――君は、本当に理解ができない」
手にしていた本を置き、会長は立ち上がる。そして、胸倉を掴まれる。黒革の手袋で覆われたその手袋越し、強い力で引っ張られ息を飲んだ。
「何故、ここにきた?」
「……っ、会長……」
「――……俺に殺されると思わなかったのか」
一瞬、会長の言葉の意味がわからなかった。
目の前の会長を見上げれば、すぐ唇が触れそうな距離に胸の奥が痛いほど裂けそうになる。
「約束、したので……」
会長に殺されても、それならそれで俺は良かった。
会長を裏切って、また会長を一人にするくらいなら俺は会長の手で終わらせてもらった方がまだよかった。
そんなことを言えばきっと、会長はまた不可解な顔をするのだろう。
けれど、会長はそれ以上なにも言わなかった。
その代わり、唇を塞がれる。栫井の前で、とか、人がいつ来るかもわからないこんな場所で、などそんなことを気にする気にもならなかった。
熱く、触れた箇所が焼けただれてしまいそうなほどの熱から逃げることなどできなかった。俺は芳川会長に抱きついたまま、ただそれを受け入れた。
会えなかった五年間を埋めることにきっと、俺達は夢中だったのだろう。長い口付けのあと、会長は俺を引き離す。
「余計な手間が省けた」
そう、会長は上着のポケットに隠し持っていたナイフを放り出したのだ。
「……これ」
「君の刑期は分かっていた。……君が出所して、どこかへ逃げるつもりならば殺すつもりだった」
「……っ、もしかして、それで、仮釈放……」
会長は何も言わなかった。自然な動作で煙草を咥え、火を着けるのだ。ぢ、と音を立て先端に灯りが灯る。
「ここにきたってことは、調べたんだろう。俺のことを。――あの男のことも」
いつの間にか栫井の姿はなくなっていた。俺は会長に促されるまま、向かい側の椅子に腰をかける。
あの男のことは、裕斗のことだろう。
はい、と頷けば、そうか、と会長は息を吐いた。
「責めないのか」
「……俺は、その場にいなかったのでなにがあったのかわかりません。けど、会長は……会長は理由もなくそんなことをする人だと思いません」
そう続ければ、会長は「ははっ」と口を開けて笑うのだ。見たことのない笑顔だった。
自嘲するような、そんな嘲笑だ。
「お前に俺の何が分かるんだ?」
「会長は、俺を助けてくれました」
「……思い上がるのも甚だしいな。――言っておくが、君のためじゃない。俺のためだ」
そう言って、会長は笑みを消した。会長だって分かっているはずだ、その言葉の意味を。
俺を助けたところで会長に利益などなにもない、それどころか不利益すら被る。それでも、それを選んだことの意味を。
「私欲を満たすためにお前のことを好いてる男を殺したんだぞ、俺は」
「……はい」
「……君は、やはりどこかおかしいな。君こそ、一度脳を見てもらうべきではないか」
会長はそう言って、短くなった煙草を灰皿を押し付けた。そして、二本目を口に咥えたのだ。
会長が言わないのならば、それでもいいと思った。
俺が今こうして会長の隣にいて、会長が俺の隣にいる――それが答えで、現実で、俺達にはそれだけが全てだった。
これから先、明日からのこともない。会長の傷も、その手袋の下も、裕斗と交わした言葉も――俺は会長が言わないのならば聞くつもりはなかった。
会長が生きていて、一人ではなくなるなら。
――それ以外、どうでもよかった。
俺達は二人で窓枠の外、浮かぶ明るくまんまるの月を眺めていた。
一直線に登る一本の煙がまるで線香の煙みたいだ、そんなことを思いながら。
天国か地獄 √β【罪と罰】END
「……それより、いい加減それをやめたらどうだ」
「え?」
「俺はもう会長でも芳川でもない。……いつまで学生気分で居るんだ」
「っ、え、あ……でも……」
「知憲でいい」
「名字で呼ばれると、ややこしくなる」そう、会長は――知憲さんはそっぽを向いたまま口にした。
「と、もあきさん」
「……用があるとき以外は不必要に呼ぶな」
「っ、は……はい、知憲さん……」
「………………」
短くなった煙草を灰皿に押しつけ、知憲さんは無言で三本目を取り出し、火を着けた。
静かな田舎のホテルの一角、俺達に流れる時間だけが酷くゆっくりと進んでいく。
そんな気がしたのは、恐らく願望が入っていたのかとしれない。なんて。
刑期を終え、出所した俺は迎えに来ていた両親とともに一度実家へと戻ることになった。
夏も終わり、秋の空気が気持ちいい時期だった。
両親は定期的に面会に来てくれていたが、五年ぶりに帰ってきた実家はやはり久し振りだった。
そして、両親と話したあと俺は自室に戻りすぐに芳川会長を探し出すことに専念する。
当時のニュースを片っ端から調べれ、当時相当話題になっていたことを知る。そして、それらの記事から数名の安否を知ることとなった。
灘はあのあと死亡したのだと。縁は意識不明の重体となっているが、別の記事では輸送先の病院で息を引き取ったとの記事を見て俺は息を飲んだ。
そして、数ある記事の中とある記事を見て固まった。
――志摩裕斗が、死んだ。
一瞬理解ができなかった。同姓同名の別人ではないか、そう思いたかったのに、貼り付けられた顔写真には見覚えがあった。
そして犯人は現行犯で捕まり、医療少年院に送致。当時十八歳のその少年は、市内私立高等学校で起きた連続殺人・過失致死傷罪の主犯である男子高校生で――……。
その先の文字は歪んで見ることができなかった。
ずっと、外部からの新しい情報が入ってくることはなかった。手に渡るもの全て検閲されたなか、俺は、なにも知らずにただ刑期を終えることだけを考えて模範囚として五年を過ごした。
――なにも知らずに。
のうのうと。
「……どうして、」
裕斗は芳川会長を助けたはずだ。何故、芳川会長が裕斗を殺す必要があったのか。
考えたくなかった。駄目だ、目を逸らすな。
なんで。
「――」
……会いに、いかなければ。
自分で確かめなければ。もう逃げないのだと決めたのだ。
俺は会長が送致された医療少年院へと向かった。
それほど長い旅にはならなかった。
閑静な田舎町に、その少年院は存在した。丁度建物の前にいた刑務官に面会はできないのかと聞いたが、断られた。どこも同じだ、身内でなければ面会することは叶わない。
そして、芳川会長の親族はもうどこにもいない。
だとしたらどうすればいいのか。
一か八かだった。
「――芳川知憲さんは、ここにいらっしゃいますか」
そう聞いた瞬間、刑務官はうんざりしたような顔をした。
「なんだ、お前もマスコミ関係者か?」
「い、いえ……俺は……その、後輩で。面会ができなくてもいいんです。あの人が、元気なら……」
「ああ……そういう。残念だけどあの子ならもうここにはいないよ」
「――え?」
「つい先日退院してた。今どこで何やってるやら知らねえよ」
「……あ、りがとう、ございます……」
会長が、出所。
心臓の鼓動が加速していく。なんでだ、何故、俺はこんなに緊張しているのだろうか。
俺は刑務官にお礼を言い、その場を後にする。
ひんやりとした秋空の下、俺は途方に暮れていた。電車もバスも一日に数本しか通らない田舎町、次の便は翌朝になるようだ。
仕方なく俺はその町の宿泊施設を探すことにした。
静かな町だった。穏やかで、時間がゆっくりと過ぎていくようなそんな町だ。
もしかしたら、俺の知らないところで会長も穏やかに過ごしてるのではないか。
――裕斗を殺して。
「……ッ、……」
俺は、なんで震えてるのだ。
まだなにも聞いていない。それに、会長は会長だ。なにも変わっていない。
――信じると決めたのだ。もう、逃げないのだと。
五年間、毎晩のように会長のことを夢に見た。
一人になった会長。あのとき、最後に別れたときの会長。映像の中の会長。
――まだ、ちゃんとお別れも、なにも言えていない。
そう冷たくなり始めていた頬を叩き、喝を入れ直す。
きっと、裕斗のこともなにかがあったんだ。そう思いたかった。割り切りたかった。
とにかく、話を聞こう。そう自分に言い聞かせて、再び街の中を歩き出す。
日も落ち始めた中、近くのコンビニに入ってどこか泊まれるような場所がないか聞いてみよう。葬思い、通りを抜けて視界に入ったコンビニへと入る。
そして、バイトの学生の子に泊まれそうな場所を聞く。ボロいが安い宿があるらしい。お礼と、ついでにホットのお茶を買って俺はコンビニを後にした。
刑務官の様子からして、会長のことを悪く思ってる様子はなかった。本当に真面目に過ごしてたのか。
俺と会長の間にある空白の五年間はあまりにも大きくて。
――大丈夫、大丈夫だ。
裕斗の口癖だった言葉を繰り返し、自分に言い聞かせる。気分を切り替えるために、お茶でも飲もうかとしたときだった。ふと、コンビニの入り口の横に先程までいなかった長身の陰を見た。黒尽くし、フードを深くまで被ったその人影に思わず目を向けた俺はそのまま固まった。
「……よお、久し振りだな」
――忘れたことも、なかった。
ゆっくりとフードを外したその男は、無造作に伸びた癖混じりの黒い髪を掻き上げ、俺を見下ろした。
「どうして、お前が――……」
「……お前を待ってた」
フードの男――栫井平佑は生白い顔に笑みを浮かべる。面影はあるが、より鋭利になったその雰囲気にただならぬ嫌な予感を覚えた。
確か、栫井は裕斗に頼まれて芳川会長を匿っていたはずだ。確かに、栫井の死亡記事は見てなかった。
けど、なんで今このタイミングでこいつが現れるのか。
「待ってたって……う゛ッ!」
次の瞬間、腹を殴られ身体が浮きそうになる。
ここ数年、まともに殴られることはなかった。だからこそ余計、久し振りの殴られた衝撃はより重く、鋭く肉体に刺さる。四肢から力が抜け落ちたとき、伸びてきた栫井の腕に支えられる。
「っ、ぁ、が……ッ」
逃げなければ、そう思うのに身体は思うように動かなかった。
栫井はそんな俺を抱えたまま、そしてコンビニの駐車場へと停まっていた車の後部座席を開くのだ。
「まっ、……って、どこに……ッ」
「――あの人が待ってる」
その一言に、喉が焼けるように熱くなる。込み上げてくる熱に、俺は閉まる扉を見た。
「……あの人って、」
広い車内。運転席に乗り込んだ栫井はミラー越しに俺を一瞥するだけで、そのまま何も言わずにエンジンを掛けるのだ。
……免許、持ってたのか。
そんなことを聞けるような空気でもない。俺は、ただ大人しく栫井についていくことにした。
――元より、逃げるつもりなど最初からなかったのに。
栫井の車は暫く走って、停まった。そして、やってきたのは古びたビジネスホテルだった。
ここに、会長がいるのか。思いながらも、ホテルに足を踏み入れた。
フロントで鍵を受け取り、そのまま狭い通路を歩いていく。本当に素泊まりするためだけの宿泊施設なのだろう。エレベーターを使って二階まで上がる。そして、一回同様客室がずらりと並ぶ通路の奥――窓際のラウンジで窓の外を眺めていたその人影を見た。
「……ッ、……」
その後ろ姿を見た瞬間、ずっと抱えていた不安や微かな疑念、それすらも全て吹き飛んだ。
「っ、か……いちょう……」
そう、口にしたとき。窓を眺めていたその人はこちらを振り返った。あのときと変わらない、鋭い視線。黒い髪の下、眼鏡を掛けたまま会長は俺をただ見ていた。
「――君は、本当に理解ができない」
手にしていた本を置き、会長は立ち上がる。そして、胸倉を掴まれる。黒革の手袋で覆われたその手袋越し、強い力で引っ張られ息を飲んだ。
「何故、ここにきた?」
「……っ、会長……」
「――……俺に殺されると思わなかったのか」
一瞬、会長の言葉の意味がわからなかった。
目の前の会長を見上げれば、すぐ唇が触れそうな距離に胸の奥が痛いほど裂けそうになる。
「約束、したので……」
会長に殺されても、それならそれで俺は良かった。
会長を裏切って、また会長を一人にするくらいなら俺は会長の手で終わらせてもらった方がまだよかった。
そんなことを言えばきっと、会長はまた不可解な顔をするのだろう。
けれど、会長はそれ以上なにも言わなかった。
その代わり、唇を塞がれる。栫井の前で、とか、人がいつ来るかもわからないこんな場所で、などそんなことを気にする気にもならなかった。
熱く、触れた箇所が焼けただれてしまいそうなほどの熱から逃げることなどできなかった。俺は芳川会長に抱きついたまま、ただそれを受け入れた。
会えなかった五年間を埋めることにきっと、俺達は夢中だったのだろう。長い口付けのあと、会長は俺を引き離す。
「余計な手間が省けた」
そう、会長は上着のポケットに隠し持っていたナイフを放り出したのだ。
「……これ」
「君の刑期は分かっていた。……君が出所して、どこかへ逃げるつもりならば殺すつもりだった」
「……っ、もしかして、それで、仮釈放……」
会長は何も言わなかった。自然な動作で煙草を咥え、火を着けるのだ。ぢ、と音を立て先端に灯りが灯る。
「ここにきたってことは、調べたんだろう。俺のことを。――あの男のことも」
いつの間にか栫井の姿はなくなっていた。俺は会長に促されるまま、向かい側の椅子に腰をかける。
あの男のことは、裕斗のことだろう。
はい、と頷けば、そうか、と会長は息を吐いた。
「責めないのか」
「……俺は、その場にいなかったのでなにがあったのかわかりません。けど、会長は……会長は理由もなくそんなことをする人だと思いません」
そう続ければ、会長は「ははっ」と口を開けて笑うのだ。見たことのない笑顔だった。
自嘲するような、そんな嘲笑だ。
「お前に俺の何が分かるんだ?」
「会長は、俺を助けてくれました」
「……思い上がるのも甚だしいな。――言っておくが、君のためじゃない。俺のためだ」
そう言って、会長は笑みを消した。会長だって分かっているはずだ、その言葉の意味を。
俺を助けたところで会長に利益などなにもない、それどころか不利益すら被る。それでも、それを選んだことの意味を。
「私欲を満たすためにお前のことを好いてる男を殺したんだぞ、俺は」
「……はい」
「……君は、やはりどこかおかしいな。君こそ、一度脳を見てもらうべきではないか」
会長はそう言って、短くなった煙草を灰皿を押し付けた。そして、二本目を口に咥えたのだ。
会長が言わないのならば、それでもいいと思った。
俺が今こうして会長の隣にいて、会長が俺の隣にいる――それが答えで、現実で、俺達にはそれだけが全てだった。
これから先、明日からのこともない。会長の傷も、その手袋の下も、裕斗と交わした言葉も――俺は会長が言わないのならば聞くつもりはなかった。
会長が生きていて、一人ではなくなるなら。
――それ以外、どうでもよかった。
俺達は二人で窓枠の外、浮かぶ明るくまんまるの月を眺めていた。
一直線に登る一本の煙がまるで線香の煙みたいだ、そんなことを思いながら。
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「……それより、いい加減それをやめたらどうだ」
「え?」
「俺はもう会長でも芳川でもない。……いつまで学生気分で居るんだ」
「っ、え、あ……でも……」
「知憲でいい」
「名字で呼ばれると、ややこしくなる」そう、会長は――知憲さんはそっぽを向いたまま口にした。
「と、もあきさん」
「……用があるとき以外は不必要に呼ぶな」
「っ、は……はい、知憲さん……」
「………………」
短くなった煙草を灰皿に押しつけ、知憲さんは無言で三本目を取り出し、火を着けた。
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