恣意的なぼくら。

田原摩耶

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2.シャーデンフロイデ

04


「…………」

 冗談です、分かってますよ。
 生徒と教師の立場くらい弁えてます。僕だって。

 そう笑って返したいのに、頭の中が真っ白になって口から言葉が出てこない。

 何か答えないと。そう思えば先生の言葉を何度も頭で反芻させては傷口が広がっていく。
 それに耐えきれず、僕は。

「……っ、ごめんなさい」

 先生の胸を押し返す。
 思いっきり突き飛ばして、それから先生から逃げ出すように僕は地歴倉庫室を飛び出した。

 今度は先生は追いかけてくることも呼び止めてくることもなかった。

 行く宛など何も考えずに学校から飛び出して、それから僕は気付けば家の前まで帰ってきていた。

「……」

 鞄も何もかも忘れているせいで家の鍵もないことに気付いた。
 本当に僕は、何をやってるんだ。
 あまりにも自分が情けなくて恥ずかしい。
 このまま消えて無くなってしまえばいい。常楽先生の記憶からも消えてしまいたい。

「……馬鹿すぎる」

 頭に昇っていた血が下がれば下がるほど客観視した己の姿があまりにも滑稽で、同時になぜあんなことを言ってしまったのだろうかとも後悔した。
 歯止めが効かなかったというのが適切だろう。先生に一線引かれるのが怖かった――そんな思考をしてしまう時点で、先生に警戒されても無理もないというのに。

「……」

 誰にも会いたくないし、このまま学校へ戻るのも気まずい。
 でも、スマホも全部置いてきてしまったし……とにかく今はどこか一人になりたかった。

 僕は先生が好きなのだろう、きっと。
 それがどういう感情か未だ言語化できるわけではない。それでも先生が好きだということは確かなものだった。
 小緑君のことも、慈門君のことも好きだった。けど、こんなに苦しくなることはなかった。自分を忘れそうなほどになるのも。
 それもただ、先生が言うには僕の精神状態が不安定だから一番近くにいた人間に縋り付いているだけなのかもしれないが。

「……」

 先生の言葉を思い出して、じわりと目頭に涙が溜まる。
 理論で片付けられるとあまりにも軽薄で、そんなものにここまで苦しめられている自分すら否定されているようでただ悲しかった。
 先生は僕に寄り添ってくれた。だからこそ、余計。


 落ち着いてきたと思ったら急にやってきた悲しみを抑えきれず、ぼろぼろと溢れる涙を手の甲で拭う。
 住宅街のど真ん中で泣いてるところを近所の人に見られたら益々不審がられるだろう。だから僕はとにかく人目を避けるため、適当な公園の男子便所の個室に閉じこもった。

 何を見ても何を聞いてもただ悲しい。
 こう言う時はとにかくどん底にまで落ちるほど悲しみに明け暮れた方がいい、と何かの本で読んだことがある。
 今となればそんな簡単に言ってくれるなよと思う。

 鞄があれば読みかけの本もあって気分転換になったかもしれない。いや、きっと涙で濡れないようにするのに気遣って文字なんて読めたものではないだろう。

 僕は、僕は――失恋したのか。

 明確に。ハッキリと、拒絶された。
 別の道も提示された。嫌われたわけではない。
 分かっていても明らかにあの時、あの瞬間、先生の中で僕は距離を置かなければならない生徒になったはずだ。
 それがただ怖かった。

 内容が内容なだけに人に相談するわけにもいかない。先生に迷惑かけたくない。
 けれど、先生に距離取られるのも嫌だ。

「……先生」

 僕が泣いてる時、先生がいつでも話を聞いてくれた。
 今はそんな先生がいない。

 先生に抱き締めてもらいたい。
 だめだ、僕――よくないことを考えている。

「……」

 ――やっぱり、学校へ戻ろう。
 休み時間のタイミングを見計らって荷物だけ持って帰って、今日は早退しよう。
 先生も多分察してくれるだろう。ああ、いつからだろうか。授業をサボるという選択肢を入れるようになったのは。

 腫れた目を拭い、僕は便所から出た。
 自分の顔を見たくなかったので鏡を避けるように、不思議そうな顔でこちらを見てくる子供達の視線から逃げるように、僕は公園を出て学校へと戻ることにした。

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