恣意的なぼくら。

田原摩耶

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2.シャーデンフロイデ

03

「……すみません、僕……」

 何かを期待してる自分が恥ずかしい。
 先生と少しでも仲良くなれたんだと一人舞い上がっていた自分を突きつけられたみたいだ。
 手を離したいのに、動くこともできない。こんなの、先生を困らせてしまう。
 そう思うのに離れてほしくない。
 何もかもが矛盾している。

「……」

 そんな僕を見下ろしていた先生は小さく息を吐き、そして再び椅子に腰を下ろした。

「織和、お前の今感じてるものは一過性のものだ。……惑わされる必要はない。過ぎ去るのを待つんだ」
「……先生」
「お前は賢いやつだ。今ここで繰り返したところでお前が痛い目を見るだけだ」

 分かるだろ、と言い聞かせるように向けられる視線に思考が傾きかける。

 きっと先生には分かってる。
 僕が抱えてる疎外感と孤独も。だからこそ歯痒かった。歯痒くて、それと同時に理解してしまった。嫌というほど鮮明に、僕が今求めているものがなんなのか。

「……せ、んせい……」

 惑わされているのだろうか。
 だから人恋しく感じるのか。違う。僕が恋しく感じているのはきっと。

「……僕が慈門君が別れられたら、先生は嬉しいですか?」

 止まるべきだと分かっていた。
 ここで立ち止まり、「分かりました」と黙って頷いておくべきだと。
 それなのに、先生に距離を置かれる度に視野が狭まっていくのが分かった。そして先生のその判断が適切だということも。

「あのな、俺たち教師にとって生徒の身の安全が保証されることは最優先事項だ。俺の個人的感情は関係ないだろうが」
「……関係あります」

 止まれ。ここで止まるべきだ。
 これ以上先生に迷惑をかけるわけにはいかない。
 分かっているのに、後に引けないところまで自分が追い込まれていることに気づいた時にはもう遅かった。

「……僕、先生と一緒にいるの……好きです」
「…………」
「わ……分かってます。先生は仕事だから僕の相手してくれてるって。それでも……」

 もっと先生と一緒にいたい。
 そう思ってしまう時点で一線を越えてしまっているのか。
 それでも、と喉奥に刺さった魚の小骨のようなその感情を吐露しようとした瞬間。
 先生の手に口を塞がれる。

「……っ、……!」
「……ストップ。止まれ、織和」

 犬にでも言い聞かせるような口調で常楽先生は吐き出す。
 向けられたその目からもう次に自分がどんな目に遭うのか、分かった。

「……先に言っておく。俺は生徒と……『教師と生徒以外』になるつもりはない」

「それは友人関係であってもそうだ」と先に釘を刺すのは先生なりの優しさだったのだろう。
 迷惑をかけていると分かった。頭では理解できているはずなのに整合性が取れていない。
 先生の言い分は正しい、と。

「……っ、ぁ……は、は、す、みません。そうですよね。……ごめんなさい」

 笑え。

「ご、……めんなさ……」

 笑わなければ、洒落にならない。
 先生の手から逃げるよう、そのまま地歴倉庫室の扉へと縺れる足で逃げようとする。
 恥ずかしい。こんなの。僕ではない。
 恥ずかしいのに、それ以上に悲しい。まるで本当に失恋したみたいじゃないか、こんなの。

 ――無理だ。

「……っ、……」

 扉から出て行こうとして、足が滑る。転びかける寸前、伸びてきた手に腕を引かれた。

「っ、せ、んせ」
「……落ち着け、一旦」
「ぅ……」

 こんな顔を見せたくなかった。
 ぐちゃぐちゃになった髪も、顔も。
 それでも先生は面倒臭そうにしながらも僕の手を掴んだまま離してくれなかった。

「……ったく、最後まで人の話を聞けって言ってるだろうが」
「ゃ……っ、はなし……」
「離したら逃げるだろ。……この手の問題は後回しにすると後々面倒だからな」
「せ……先生」

 いつもと変わらない調子で続ける先生はそのまま僕を立たせる。

「俺は教師としてお前を支えてやることはできる。……話ししたいなら話し相手にくらいにはなれる。助けもする。けど、それだけだ」
「……っ、……」
「それを踏まえた上で、好きにすりゃいい。……他人の感情を抑制できる技術、俺にはないからな。勝手にお前の経験値にすりゃいいが、俺から答えることはない。それだけは念頭に置いておけ」
「……そ、んなの……」

 こんなの、フラれているようなものだ。
 いや、それよりももっと残酷だ。

 心臓が雑巾みたいに絞られているようだ。苦しくて悲しいのに、それでいてスッパリとしたその先生の言葉に同時に救われている。
 先生は僕にこれ以上悩まないように明確に答えを与えてくれたのだ。
 そんな先生だからこそ、僕は。

「……っ、……」

 恐る恐る先生の胸にしがみつけば、先生の体が少しだけ驚いたように強張った。けれど、この間のように抱き返してくれない。
 その必要はないと判断されているのだろう。或いは、その方が悪手だと。
 それがただ悲しくて、足元が揺らぐようだった。

「……先生……っ、僕……僕は……寂しいです」
「……ああ、そうだな」
「でも、誰でも良いんじゃないんです。本当に……慈門君に避けられるより、先生から避けられる方が怖いです」
「……」
「仕事でもいいです。だから、お、お願いします……冷たくしないで……」
「……」
「……ぎゅっとしてほしいです」
「できない」

 そして、今度は先ほどよりも強い口調で常楽先生は断った。

「理由は言わなくても分かるか」と、教壇に立つときと同じ目で僕を見るのだ。

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