恣意的なぼくら。

田原摩耶

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3.???

07


「喋り方は気をつけよう。けどな、生まれ持ったもんばかりはどうしようもできねえ。俺の目が気に入らないなら別に俺の顔を見なくてもいい」

 つらつらと。
 一息をついた常楽はコーヒーに口をつける。
 動じるどころか手応えもない。
 少しは申し訳なさそうにするとかあるだろ。表情筋はどうなってんだ。
 文句は沸々と湧き上がってくるが、あまりの苛立ちに全て怒りに塗り替えられる。

「……馬鹿にしてんのか?」
「していない」
「舐めてんだろ、俺を揶揄ってんのか?」
「そう思う理由は」
「さっきから質問ばっかしつけえんだよ、自分で考えろよそんくらい!」

 何事かと周りの客がこちらを見ようがどうでもよかった。
 ただ一人、目の前の常楽は呑気にコーヒーを飲んでいた。そしてそのカップがテーブルに置かれる。

「お前は分かるのか?」

 謝罪でもするのかと思いきや、なんなのだ。
 まるで煽るようなその言葉に思わず「は?」と声が裏返りそうになる。
 常楽は続ける。

「俺が今何を考えてるのか分かるのか? 天翔」
「…………」
「因みに、『お前の話が聞きたい』だ。……分かったか?」
「……知らねえよ」
「だろうな。いくら優れてる人間だろうが相手の真意を一から百まで理解することは難しい」

「それは身内であってもな」その言葉にぴくりと体が反応した。コツコツとテーブルを叩く指先、見えない文を読むような抑揚のない声は教室の中に響くそれとなく同じだ。

「人間社会においてコミュニケーションは必要不可欠だ。相手の話を聞くという行為こと、そして自分の考えを伝える行為。それを双方行う必要がある。どちらか一方では意味がない」
「……」
「俺はお前のことが知りたいと思っている」
「教師らしいセリフだな」
「生憎、今ここではコーヒーを飲みにきた一般客だ。そしてお前も、それに同席している客の一人だろ」

 腹の奥を探られているみたいで気持ち悪い。
 それなのに、今すぐ目の前の机を蹴って逃げ出したってよかった。それなのに椅子から立ち上がることはできない理由は、この男に逃げたと思われたくなかったからだ。
『知られるのが怖くて逃げ出した』――そんな風に思われること自体が癪だった。

「じゃあ、今ぶん殴っても訴えねえって?」
「勝手にしろ。人として然るべき対応をさせていただけるだけだ」
「……アンタの、そういうところが腹立つんだよ」
「言っただろ、俺は一般客だって。カウンセラーじゃない。共感性は乏しいという自覚はある。……まあ、善処するが期待はするなよ」

 クソ教師が。

「説教して気持ちよくなりたいんなら他所を当たれよ。こっちは具合悪いんだよ」
「なら『体調がいいときに連絡しろ』と言えばするのか?」
「しねえよ。アンタの顔を見たら具合悪くなる」
「それでいい。嫌なことは否定しろ。取り繕う必要はねえよ」

 言葉の応酬。嫌な顔の一つをさせたくて言い返してるだけなのに、こいつはいちいち人の言葉を拾ってくる。
 それが嫌で文句を言えば、またボールを投げ返される。
 楽しいわけがない、こんな会話。なのに何故か口を閉じれなかった。
 入院生活で人恋しくなってたか?
 だとしても、入院前は興味だってなかったのに。どうでもいいやつとの無意味な会話など。
 なのにこの男がじっとこちらを見てくるから。流すような適当な相槌ではなく、俺の言葉を、返答を待つから。

「……そんなこと、教師が言っていいのかよ」
「自分の考えていることを口にするのは人としての当然の権利だ。犯罪じゃない」

 意図的に相手を傷つけるつもりじゃない限りな、と常楽は付け加える。
『お前のことだ』と暗に言われてるみたいで口を閉じれば、今度は常楽の方からボールを寄越した。

「……」
「病院生活はどうだった」
「……退屈だった」
「何か、暇つぶしになるもんでも持っていってやればよかったな。……お前は本を読まないんだっけか?」
「……俺が読書家に見えるなら教師やめろ」
「謹慎中、暇潰しくらいにはなるぞ。人と会わずとも他者と会話できる。相手は他者に伝えるという前提で書き記しているからだ。そして少なくとも読書の間は脳と指、目を使う。――それに」
「……それに?」
「現実から離れるのに丁度いい」

 乾いた笑いが漏れる。
 顔は強張ったままだった。それでも、なんとなくこの男らしいと思った。

「……それ、大人が言っていいわけ?」
「そのどこかの大人が言ってるんだ。それに、距離を置くのは悪いことじゃない。ストレス解消にもなり勉強にもなるし、顔色も伺う必要のない丁度いい話し相手だ」

 お前は現実から離れろ、と言うかのような有難いお言葉に笑えてくる。
 やっぱお前も俺を隔離しておきたいんだろ。視界に入れずに済むように。
 そう言いかけたとき。

「お前が家に居たくないというなら謹慎中、別室登校という形で図書室利用許可を下すことは出来る。正し、条件付きにはなるけどな」

『家』という単語に無意識に全身が強張る。
 なんで、と顔を上げれば、常楽は「お前が家に帰りたくなさそうな顔をしていたからそう思っただけだ」と続けた。

「……嘘だ。あいつらに、何か言われたんだろ」
「何も言われなかった」
「……」
「言われなかったからだ、天翔」

 脳が萎縮する。脳の奥に押しやった触れられたくない部分に土足で踏み込まれたような拒否反応に視界が明滅する。
 呼吸をする。腹部に力を込めて、ゆっくりと息を吸う。それから肺にたっぷりと溜まった空気を吐き出す。そうすれば気持ちが落ち着くと言っていたが、嘘だ。
 全身は硬直したまま、怒りばかりが脳を浸していく。真面目に話していた俺が馬鹿だった。
 結局、こいつも所詮教師だ。勝手に決めつけて、勝手に見下すためのラベリングする。

「……なんだよ、親にまで嫌われて可哀想だって? 通りで、だから優しくしてんのか? ばっかじゃねーの」
「……」
「言っとくけどどこの家もそんなもんだろ。殴られてるわけでもねえし、あいつらは忙しいだけ。それをなに、は? 俺が……放っとかれて可哀想って? んなわけねーだろ、余計なお世話なんだよ!」

 頭が、思考が茹る。口に出した言葉が自分へと跳ね返ってくる。
 全てが矛盾となって突き刺さる。なんで俺があいつらを庇ってるのか、それすらもムカついて余計歯痒くて。
 けれど、常楽の言葉を否定するということは家族を認めるということになる。その行為に全身が拒否反応を示す。

「……俺は……」

 嫌われてねえよ。家族とは仲良いんだ。
 その二言だけで事足りるはずなのに、死んでもその言葉を口にしたくなかった。あいつらを認めたくなかった。
 また、自分を殺すような真似はしたくないのに。

「天翔」

 とうとう声も出なくなり、項垂れることしかできなかった。頭上から落ちてくるその声に反応することもできない。
 じっと黙り込むことでやり過ごす。そんなの、ガキの頃と同じだ。
 そんな自分が惨めで情けなく、吐き気がする。

「――すまなかった」

 そんなとき、続けて落ちてきた声に目を見張る。
 なんでお前が謝るんだ。そう、思わず顔を上げる。
 常楽はじっとこちらを見ていた。

「……っ、……やめろよ、それ……」
「……」
「おかしいだろ、ガキ相手にまじになってんの……なに、うちの親に脅された? じゃねえとまじでおかしいよ、イカれてんじゃねえのか」
「……」
「分かったつもりになって気持ち良くなってんのか? 金出したから言うこと聞くと思って舐めてんだろ? なあ!」

 あいつは何も言い返さなかった。
 ざまあみろ、やっぱその程度だったんだろ。
 何も知らないくせに知ったようなことばかり言いやがって。腹立つんだよ。――ああ、本当に。

「……馬鹿に、すんなよ」

 何事かと厨房から顔を出した店員がこちらへとやってくる。注意されるよりも先に席を立ち、俺は常楽を置いて店を出て行った。
 カフェの外は相変わらず暖かな陽射しが降り注いでくる。鬱陶しいほど柔らかい陽気が纏わりつき、それを振り払うように病院を後にしようとした時。

 いきなりクラクションを鳴らされる。振り返れば、寄ってきた車の窓から常楽が顔を出した。

「乗れ」
「……」

 それを無視して通り過ぎようとしたとき、再びクラクションが鳴らされた。うるせえ。こいつ、教師のくせに。

「んだよ!」
「歩いて帰る場合、俺も徒歩でついていく羽目になるぞ」
「……っ」
「乗れ。お前が話したくないなら黙っておく」
「……優しくするな」
「してない。怪我人を長距離歩かせるのは目覚めが悪いし学校にも叱られるからだ」
「……」
「無料タクシーと思って割り切れ」

 クソ教師め。道路交通法で取り締まられろ。
 口の中で舌打ちし、そのまま早足で病院の敷地から出ようとした時。後方から車のドアが閉まる音がした。
 そして、普通に隣に並んでくる常楽にぎょっとする。

「着いてくんなって言ってんだろ!」
「じゃあ乗れ。……これ以上騒げば今度は覆面パトカーが迎えにくるぞ」

 脅迫じゃねえか、もう。
 ムカついたが、先ほどカフェで騒いだ手前もある。冗談には聞こえないし、なにより全身の傷が疼き出しているのを感じた。

 俺は別にこいつを認めたわけでも許したわけでもない。
 ……ただ、タクシーを使うだけだ。

 そう自分に言い聞かせ、渋々俺は常楽の車に乗り込んだ。
 助手席に座れば嫌でも芳香剤の匂いが鼻につく。それに混じってヤニの匂いがした。女でも車に乗せてんのか。

 そんな事を思ってると、「シートベルト」と促される。締めろまで言えよ、クソ腹立つ。
 無言のまま、病院を出て走り出す車の窓の外をじっと見ていた。助手席に乗るのは久しぶりな気がした。友人の車に乗る時はずっと後部座席だったし、今思い返せば幼い頃まで遡る。家族で出かける時、自分も行きたいと口を出すこともできなくて留守番を買って出た。家族といるよりも折たちと一緒にいたかったから。
 その方が兄も家族も楽しめるだろうと思った。
 そんな馬鹿で愚かなガキだった頃の記憶だ。

「……」

 目を瞑る。そうするとシート越しに伝わるエンジンの振動をより感じる。

「お前は馬鹿じゃない、天翔」

 それに混ざって、聞こえてきた声を無視する。

「ただやり方を知らないだけだ。それは悪いことじゃない。それを教えるのは大人の役目だからだ」
「……」
「お前が望むなら、俺は手助けをする」

 黙っておく、と言ったくせに。このおっさん。
 本当に。

「……ばっかじゃねーのか」

 シートベルトの下、体を捩る。窓の外の景色なんて興味ないのに、窓に齧り付いて。
 不意に、膝の上にぽんと置かれるティッシュに舌打ちをする。

 ――そういうのが余計だって言ってんだよ。クソ。

 家に着くまで、それ以上俺たちの間に会話などなかった。
 ささくれ立った神経を撫で付けるような沈黙に、ただ身を預けていた。

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