恣意的なぼくら。

田原摩耶

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1.イネイブラー

アイス・シュガー・ホリック

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 恋人って、人と付き合うって楽しいことばかりではないとこの数週間で身をもって解らされた気がする。
 けれど、慈門君の気持ちを聞けて良かった。
 ……代償はそれなりにあったけど。

「……うーん」

 やっぱり目立つな、と鏡を覗き込み、腫れた頬を撫でる。ほんのりと熱を持ったそこは腫れて硬くなっている。
 一応冷やした方がいいのかな。逆に血液が固まって治りが悪くなったりするのだろうか。
 人に殴られたこともこんなに派手な怪我をしたこともなかっただけに周りには心配されそうだが、取り敢えず風邪気味だと言ってマスクをつけて誤魔化すしかない。

 何か言われる前に朝ご飯をさっさと食べて学校へ行こう。

 そう僕は決心する。






 なるべく台所に立つ母親と顔を合わせないようにしそそくさと口に朝ご飯を詰め込み、家を出た。
 味噌汁が沁みたが、それも勲章のようなものだと思えばまだ耐えられる。

 そして玄関の扉を開けば、いつも居るはずの大きな影はない。
 あれ、と辺りを見渡せば――いた。家の前ではなく門の前、大人しく立っている慈門君を。
 また昨日に引き続き落ち込んでるようだ。いつもならけろっとした顔で大きな手を振ってくるのだが、今は僕の顔を見るなり心配そうな顔をする。

「慈門君、おはよう」
「はよ。……なあ、折。そのマスク……」
「ああ、ちょっと腫れちゃってさ。痛みはそんなにないんだけど、母さんに見られるとうるさそうだったから」
「……」
「慈門君、もう『ごめん』はいいからね?」

 そう、そっとこちらから慈門君の手を取る。
 昨日は暗かったが、朝の日差しに照らされた慈門君の顔はよく見える。しょぼくれた顔が少しだけ緊張したように引き攣った。

「それより、行こう。僕、アイス食べたいんだよね」
「口、痛くねえの」
「痛くはないけど、冷やした方がいいのかなって」
「じゃあ俺奢る。好きなの選べよ」
「本当? じゃあ一緒に食べて行こうか」

「ああ」と笑う慈門君。その顔にいつもの明るさが戻って少しだけほっとした。
 握り返される手の熱に包まれ少し身体が強張ったが、それも一瞬。すぐに緊張は全身へと馴染んでいく。

 慈門君に殴られてよかったのかもしれない。
 そんな風に思うのは不謹慎なのだろうか。
 痛いのは嫌いだけど、これを機に慈門君が以前のように優しく、乱暴な真似をしないようになってくれるのならば安いものだと思えた。


 それから僕らはコンビニに寄り道し、それぞれ好きなアイスを選んで慈門君に奢ってもらうことになる。
 それをコンビニの裏側で並んで食べる。僕はカップに敷き詰められたバニラアイスを突き、慈門君はモナカタイプのアイスを齧ってる。ちらりと僕の方を見ながら。

「……なに?」
「いや、それ好きだよなって」
「うん、好き」
「他のでも良かったのに。たまには。……ほら、高いのとかあったろ」
「僕はこれがいいんだ。別に慈門君の財布に配慮したわけじゃないけどね」
「……そか、ならいいけど」
「うん」

 それからまた会話は途切れる。
 やっぱりアイスは傷口には染みるが、それも口内が冷たくなってくると痛みが鈍くなってきた……気がした。アイスは効果があったみたいだ。

「ねえ、慈門君」
「ん?」
「昨日、なんで指導室に呼ばれたの?」

 結局、昨日は『しょうもないことで呼び出された』と濁されてしまった詳細。そのことがずっと気がかりだった。
 今ならば聞けるのではないかと思い切って尋ねれば、瞬間、先ほどまで流れていた穏やかな空気が僅かに凍りつくのを感じて、少し緊張した。

「……それ、常楽に聞いたの?」
「うん。最初は水泳部で何かあったのかなって思ったけど」
「別に折に関係ないだろ」

 あ、と、言ってから慈門君は髪を掻き毟るように後頭部を押さえた。「違くて」と、それから「ごめん」とも声を漏らす。
 誰しも一つ二つ隠し事したいことはある。別に全てを言えと言うわけではないけど、なくなったと思っていた壁がまた僕たちの間に聳え立ったのを肌で感じて淋しくなる。

「……いや、言いたくないならいいよ。ごめん、僕もしつこく聞いて」
「……なんか、部でイジメがあったとかさ」
「え?」

 もしかして教えてくれるのか、といえ驚きとその口から出てきた予想外の言葉に目を丸くする。

「い、イジメって……水泳部で?」
「そうそう。誰が言い出したのか知らねえけど、それで呼び出しくらったわけ。……俺、そもそも最近顔出してねえってのに」
「……イジメ……」

 珍しくない話ではない。小学校のときも中学校のときもそのような問題は常に付き纏っていたが、高校に上がってからは皆それなりに社会性が身についたものと思っていた。
 僕がただ周りに関心がなくなっていただけなのか、それとも隠れてそんなやり取りがあったのか。

「それで、その被害者の子は……」
「一年だよ。そもそも、話聞いたらフツーのシゴキレベルのやつ。それくらいで疑われるこっちの身にもなれってよな」
「……シゴキ?」
「背中を押したり、大きな声出したり……ああ、まあ、ずっと帰宅部で文系のお前にはわかんねーかもだけど」

 所謂体育会系ノリというのは僕も目の当たりにしたことはある。
 慈門君の周りには特にそういうタイプの人たちが集まるし、確かに遠巻きに見てると一瞬喧嘩してるのかとヒヤヒヤしてても戯れあってるだけだと慈門君に言われて驚いたこともあった。
 僕はあのノリがあまり得意ではない。だから慈門君がそういう友達といるときはなるべくそっとしてる。
 その分、小緑君みたいなタイプの子たちといる方が落ち着いたが……もしかしてその一年の子も僕みたいな考え方だったのかもしれない。

「ま、俺はそのときいなかったんでっつって帰らせてもらったけど。……本当あの時はしつこかったわ」
「……そっか、色々あったんだね」
「ん……それで、ごめん。お前に当たって」
「慈門君、また謝ってる。今度ごめんって言ったら一口もらうからね、それ」
「硬いの食べられないだろ、その口で」
「頑張ればいける……かな?」
「俺が噛んで柔らかくしてやろうか」
「やだ、慈門君汚いって」
「ひっで、汚くはねえだろ」

 それからお互いに笑い合う。
 慈門君は確かに乱暴だし、ガサツだし、喧嘩っ早いところはある。それでも悪意をもって誰かを陥れるような人ではないと僕は小さい頃から見てきた。
 慈門君、良くも悪くも目立つから先生たちに目をつけられているのは知ってた。
 授業態度も毎回寝てるか友達と喋っててあまりよくないと聞いてたけど、僕が注意してからは一応起きてると言ってたし。
 ……悪い子じゃないんだよな。
 けれど昔からの慈門君を知らない人たちからしてみれば背が高くて声も大きくて遠慮しない慈門君はあまりよくは思われにくいらしい。

「……難しいね」
「いーよ、ま、俺にはお前がいるから」

 そう人目を盗んでキスしようとしてくる慈門君をやんわりと止めつつ、僕は代わりにアイスに齧り付いた。「おい」といいつつ慈門君はそのまま僕の頭を撫でる。
 怒られるかなとちらりと慈門君を見上げれば、慈門君は哀しそうな、諦めたような目で僕を見ていた。

「俺、折と付き合えてよかった」
「……ふふ、またそれ?」
「ああ。だって折だけでも俺のこと分かってくれてさ、俺のこと受け入れてくれんの。……すげーほっとする」
「……慈門君」
「もし俺、お前が小緑と付き合ってたらって思ったら…………」

 言いかけて、自分で地雷を踏んだらしい。いきなり髪を掻き上げ「あー、やめやめ!」と慈門君は吠え出す。

「自分で考えて吐き気したわ」
「吐き気って」
「そんなん、まじでさ。死んだ方がマシじゃん、俺」
「そんなこと言わないでよ、慈門君」
「……分かってるよ、折。らしくねえよな、俺らしく……けど、なんかお前と付き合ってからさ……幸せだけど、なんつーか……」

「怖えんだよな」とぽつりと慈門君は呟いた。
 その視線の先には犬の散歩をしているおじいちゃんがヨボヨボと歩いているのを、僕と慈門君は暫くじっと見つめていた。

 怖い。そう慈門君が言うのはなんとなく分かる。
 未知の感覚はいつでもそうだ。けれど、それを乗り越えた先に幸福があるのではないだろうか。
 ……なんて、恋愛のことなんて物語でしか齧ったことない僕が言ったって説得力も皆無だろうけど。

 代わりに繋いだままになっていた手を握り締めれば、その倍、ぎゅっと握り返してくる慈門君の掌の熱に目を瞑る。
 アイスはすっかりと溶け、形をなくし始めていた。
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