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1.イネイブラー
05
しおりを挟む長いこと僕たちの間に会話はなかった。
先生も僕を引き離そうとはしなかったから、それに甘えてしまっていた。
ささくれ立っていた神経も落ち着き、涙も乾いてきた頃。今度は恥ずかしさが込み上げてくる。
そして、先生に対してこんな迷惑をかけてしまったことも。
今更どんな顔をして離れればいいのか分からず、子供みたいにしがみついていた手の外し方が分からなかった。
きっかけはチャイムだった。
次の授業が始まったのだと気付き、先生も授業あったのではないかと顔を上げれば、先生と目が合う。
「五限は空きコマだ」
だから気にしなくてもいい、なんてなんでもないように常楽先生は口にした。
僕が泣いてても気にしてないみたいな素振りが逆に今は救いだった。
すみません、と呟き、そっとそのまま先生から離れて顔を伏せた。顔が熱くなるのを見られたくなかった。
「……先生だって忙しいのに、こんなことで時間をとってしまって」
「それも教師の職務の内だ。気にするな」
「職務……」
そう繰り返して呟けば、常楽先生は少しだけばつが悪そうな顔をする。余計なことを言った、そんな顔をして口元を抑えるのだ。
「……大事な生徒のためだ」
すごくぎこちない。言い慣れていないのか、やや台本を読んでいるような棒読みがおかしくてつい口元が緩む。
それから、先生は小さく息を吐いた。
「何を笑ってる?」
「あ、す、すみません。……先生って怖いイメージがあったから、その……少し面白くて」
「お前な。……まあ、いいけど」
諦めたような顔をした常楽先生。その表情が和らいだのを見て、少しだけ胸の奥が軽くなる。
それと同時に別の申し訳なさも込み上げてきた。こうして先生の時間を独占してる事実に。
それなのに、先生は僕から無理に聞き出そうとしてこない。だけど離れるわけでもなく、そのまま壁に凭れ掛かる。
多分きっと、僕が『もう大丈夫です、気にしないでください』と言っても先生は傍にいてくれるのだろう。
それが分かったからこそ、また気分は沈んでいく。先生は間違っていない。
言葉の糸口を探る。けれど、僕と先生の間には教師と生徒という糸しかない。雑談なんてする間柄でもない。
ならば、と無意識につくった拳に力が入った。
「……先生は、恋人はいるんですか?」
「…………」
やっぱり、驚いた顔をしている。
それから眉間に皺を寄せて目を瞑る先生。
「それを聞いてどうする?」
「僕は……その、初めて人と付き合いました」
「……」
「先生は恋人との性行為のときに首を絞めますか?」
「――織和」
「腹を殴ったり、嫌だって言ってる恋人を無理やり抱いたり……しますか?」
なるべく感情的にならないように、一つ一つ言葉を選ぶ。先生の顔を直視できなくて、地面のタイルの継ぎ目を視線でなぞりながら言葉を手繰り寄せる。
けれど、それもすぐに途切れた。先生に手で止められたから。
言わなくていい、そう言うかのように。
「別れろ」
そう一言。
先ほどまで打って変わって先生の全身から怒りが読み取れた。怒っている同性に対して緊張してしまうのは昔からだったか、僕にはもう分からない。
「先生、例えばの話です」
「だとしても別れるべきだ。話にならないなら親、警察――第三者を介入させろ。……即刻だ」
「……頭ではそれが最善だと分かってます。けど、別れたいって思わないんです。ちゃんと優しい時は優しいし……」
「現行でDVの被害に遭っている人間は大抵そう言う。精神衰弱しているところに着け入れるのは洗脳と変わらない」
分かってる。正常と異常の境目があやふやになっていることも。些細な亀裂が無数に入っていることも。
「でもそうしたら、慈門君が」
慈門君はどうなってしまうのか。
喉奥から漏れた本音に、常楽先生の目が細められた。全てを悟ったように、静かに先生は息を吐いた。
「あいつの心配はお前がすることじゃない。あいつの問題だ」
「先生」と顔を上げたとき、伸びてきた手に肩を掴まれる。覗き込んでくるその目に息が止まりそうになった。
キスされるわけでもないのに緊張する体に先生は気付いたのだろう、それでも視線は外れなかった。
「織和、お前は異常じゃない。……問題があるのは天翔の方だ」
「いいな」と今までにないしっかりとした口調で先生は口にした。言い聞かせるように、真剣な目で。
普段の肩の力を抜いたような授業態度からは想像できない程の先生の目から視線を外すことができなかった。
ずっと、誰かに言ってもらいたかった。
吐き出したかった。自分だけがおかしいのかと抱えていた蟠りが、あんだけ絡み合ってもう二度とほつれないと思っていた蟠りが、先生のたった一言で一気に解消されていく。
乾いたと思っていたはずの視界が歪む。慌てて手で目元を拭えば、先生は僕の肩から手を離した。
「……天翔のことについては心配するな。言っただろ、教師の役目だ」
「……っ、でも、僕は……」
「とにかく、すぐに別れるのが難しいと思うならあいつと距離を置け。……連絡も、無視しない方がいいが、予定があると理由付けて二人きりにならないようにしろ。難しいなら図書室に顔を出せ」
「……っ、……」
「もし文句言ってくるなら俺の名前を出していい。何かあれば俺や他の教師をすぐ呼べ」
ここまで常楽先生に言われても未だ本当にこれでいいのか、と心で迷いが生じている。
返事をしない僕に気付いたのか、常楽先生は「これはお前のためでもあり、あいつのためでもある」と静かに付け加えた。
そんな風に言われたら僕はもう何も言えない。こく、と頷くことが精一杯だった。
先生が怒ってるのを見て知らずのうちに自分の認知が世間よりも歪められていることに気付かされる。なら、慈門君はどうなのか。
僕が思っているよりも慈門君は大きなものを抱えているというのか。
そして、僕はそれに気づけなかった。
「織和」
「……」
「保健室で休め、それか早退してもいい。俺から伝えておく」
「……」
授業……この後授業が残っていることを思い出す。
憂鬱な気分のまま、こんな顔で教室に戻るのは流石に僕でも無理だ。
俯けば、先生は暫く無言の後「早退するならこのまま家まで送る」と呟いた。
先生、車持っているのか。と驚く反面、そこまで甘えていいのかと今更躊躇した。けれど、それ以上に今は一人になりたくないという気持ちが強かった。
このまま一人でいると多分、僕は慈門君のことばかり考えて後悔してしまうから。
僕は「お願いします」と声を絞り出した。
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