恣意的なぼくら。

田原摩耶

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2.シャーデンフロイデ

02

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 先生の言ってることは正しいし尤もだと分かっている。それが僕のためのものだとも。
 自分から頼っておいてこんな形で先生を振り回すのは間違っている。
 頭で理解した状態で、それでも骨を守る為に肉を断たなければならない。

「……」
「織和」
「……分かりました」

 頭の中で組み立てる。大事なものを隠す為、その周りを別のピースで組み立てていく。

「僕、慈門君に距離を置こうと伝えたんです」
「……」
「……慈門君が家にきて、それで、看病すると言うので断ろうと思って……。その時にはもう母さんは仕事に行った後でしたので、多分、その時の僕は焦っていたんです」

 先生の指先がハンドルを握る。その指先がイラつきを現すように表面の皮を叩くのを僕は見つめていた。

「それで?」
「……どうしても帰ってほしくて、耐えられなくなって……僕は慈門君にそのまま伝えました。それから……初めて誰かと言い合いしました。僕は人と喧嘩したことなかったから」

 皮膚に突き刺さる先生の視線がひたすら痛い。
 けれど、これも嘘ではない。オブラートには包んでいるが。

「そこで、伝えたんです。慈門君にされて嫌だったことと、距離を置きたいということ。それから、そのせいで体調が悪いと」
「あいつはなんて?」
「反省してくれましたよ。自分も悪かったって」
「……」
「だから、ちゃんと話し合って――やり直そうって」

 並ぶレーンから横にずらす。それだけで隠したいものから遠ざけることは可能だ。
 知られたくない部分から目を逸らし、僕はきっかけとその結果だけを先生に伝えた。それらしい言葉で飾り立てて。
 先生はじっと僕を見ていた。車内に重たい沈黙が流れる。目のやり場に迷った僕は先生の腕時計を見つめていた。

「やり直そうって言ったのはどっちだ?」
「慈門君です」
「お前は自分の意思で頷いたのか?」
「はい。その時の僕は先生の言うとおり、別れることだけを考えてましたから。……慈門君から聞きませんでしたか?」
「電話口ではあいつは何も言わなかった。だから来たんだ」
「……それは、すみません」
「謝るな。お前には関係ないことだ」

 それでもその一因は自分にあるのではないかと思ってしまう。常楽先生はシートの背もたれに背中を預ける。

「……織和」
「はい」
「俺はお前の意思を尊重したいと思っている」
「……はい」
「けど、『じゃあもう好きにしろ』と野放しにすることはできない」
「……はい」
「暫く経過観察することになる。それはお前らのためでもあるんだ、織和」

「人の性格ってのは一晩で変わらないからな」そう続ける先生に僕は何も言い返せないまま、返事の代わりにただ頷くことしかできなかった。







「折、大丈夫だったか?」
「……うん、ただ話してただけだから。先生も心配してくれてたからね」
「……つうか、なんか距離近くなかったか? なんでわざわざ車に……」
「軽い面談のようなものだよ。面談の会話、慈門君だって僕に聞かれたら気まずいでしょ?」
「まあ、そうかも?」

 ――常楽先生が帰った後。
 車から降り、家の中へと戻る僕を出迎えてくれた慈門君はずっと先生を警戒しているようだ。それでもすぐに噛み付かなかっただけでも成長だと思うべきなのだろう。
 玄関口、慈門君が居るだけで見慣れた空間もやけに狭く感じる。
 先生の個別指導で大分精神が磨耗したらしい。なんとか先生は納得してくれて、その日は学校へ戻るということになった。それから引き続き何かあれば連絡しろ、と口癖のように並べて。

「俺のせいでごめん、折」
「……いいよ、もう。それより、慈門君……少し休みたいんだ」
「具合悪いのか?」
「……ちょっと、喋りすぎたみたいで」
「大丈夫か?」
「うん。……少し横になればマシになると思うから」

 心配そうな顔をぶら下げてこちらを覗き込んでくる慈門君。大きな手のひらでそっと背中を撫でられるだけで僅かに緊張する。
 それを誤魔化すように、僕を支えようと腰へと回される慈門君の腕をやんわりと掴んだ。
 好きにしてていいから、と伝えれば、慈門君の顔色が少し変わった。焦ったような、不安そうな目で僕を見つめる。

「傍に居たい、って言ったら……迷惑か?」
「……」
「それとも、俺がいんの。嫌だ?」

 数時間前にも似たような問答をした記憶はまだ新しい。それでもその言葉は縋り付くように聞こえた。僕のため、というよりも自分のためだ。
 不安なのだろう。僕を一人にするのが。

「何もしないなら、いいよ」
「ああ、分かった。……ありがとな、折」
「……」

 それは何に対してのお礼なのだろうか。
 僕たちはお互いにラインを探り合っている。その空気がストレスにならないわけではないが、慈門君なりの配慮は確かに伝わってきた。
 なんだか全てがリセットされて他人に戻ったみたいだ。そんなことをぼんやりと考えながら、僕は慈門君とともに部屋へと戻る。


 それから、何事もなかったように時間は進んだ。
 結局親が帰ってくるまで慈門君はうちに居たし、僕はベッドで半日過ごすことになる。
 その間慈門君はベッドの側、犬みたいに僕のことを見ていた。本当はベッドに入ってきたかったのだろうけど、そうしなかったのは慈門君なりの成長なのかもしれない。
 無論、肉体は休めているはずなのに休んだ気がしない。そんな状態のまま僕は帰るという慈門君をベッドの上から見送ることになった。
 うちの母親が慈門君を晩御飯に呼ぼうとしていたが、流石に気まずかったのだろう。慈門君はそれを断り、「またな」とだけ言って家を出た。

 慈門君が帰った後、全身の体温が下がっているのを感じた。
 目を瞑っても瞼裏に慈門君の顔が浮かんでは消えない。
 僕はずっと慈門君と幼馴染で、気兼ねなく話せる友人の一人で、兄弟のように育ってきた。――それが全て崩された。
 僕は慈門君のことを何一つ知らない。見え方が変わるほどそれを痛感した。

 今になって打ち付けられた頭が痛み出し、ベッドからもそりと起き上がる。そして階段を降りてキッチンの冷蔵庫で冷やされていた氷枕をこっそり持ってきては再びベッドに横になった。

 小緑君は知っていたのだろうか。
 慈門君の自傷癖のことを。

 古い傷跡のことを思い出しながら、またぐるぐると考え込んでは目を瞑って、寝返りを打っては目を開く。それを何度か繰り返し、体を起こした。
 明日は、登校しないとな。……先生も気にするだろうから。
 明日以降のことを考えては気が滅入りそうだったが、それを誤魔化すように僕はベッド側のサイドボードの上に置いていた読みかけの文庫本を手に取った。
 余計なことを考えずに済むように、眠気が来るまで僕はひたすら文字の羅列に目を走らせ――そして気付けば眠りに落ちていた。

 カーテンの隙間から差し込む朝日を瞼越しにも感じながらも目を覚ました。

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