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2.シャーデンフロイデ
澱
夜。
帰宅後、帰るなり体調のことを聞いてきた母親に「もう大丈夫だよ」と何度も伝えながらも食事を済ませ、風呂へ入ってからはすぐ部屋に篭った。
ここ最近は夜中に慈門君に呼び出されることもないし、平和そのものだった。
火照った体を扇風機で冷ましつつ、ベッドに転がっていたスマホを手に取る。
そこにメッセージが届いていることに気づいた。
小緑君からだ。
どきりとしながらも恐る恐る通知を開けば、一言。『今暇か』と。
「……」
そう言えば昼休みのとき、放課後がどうとか小緑君には聞かれていた。
純白君や他の人がいる前では話せない話――あるにはある、が、まだ心が落ち着かない。
ベッドに正座になったままそのメッセージと睨み合うこと数分。既に既読をつけてしまった以上無視するわけにもいかず、『大丈夫だよ』とだけ送り返す。しかし、既読はつかない。
慈門君が返事が早すぎるだけなのだ、普通はそうなのだろう。
ここ最近は慈門君からのメッセージもあるにはあるが、雑談となるとその頻度は落ちていた。通知を無差別に切っていたが、そろそろオンにしてもいいかもしれない。なんて慣れない設定を弄っていると、いきなり画面が切り替わる。
――小緑君から通話がかかってきた。
端末の上で指が揺れる。タイミングを見計らっている内にその通話はすぐに切れてしまった。
あ、と思い慌てて僕は小緑君に掛け直した。
すぐにコールは途切れ、通話は繋がる。
「……もしもし」
まるで声の出し方すら忘れてしまったみたいに、自分でも驚くほど声が低くなってしまう。
小さく咳払いをした時、スピーカーからは『ああ』とだけ返ってきた。
――間違いない、小緑君の声だ。
少しだけノイズでざらついた音声とともに小緑君の低い声が聞こえてくる。
『悪いな、そろそろ寝る時間だったろ』
「まだ二十一時だよ。流石にまだ寝ないよ」
『……そうか? お前は早寝早起きだったろ』
「それは小学校のときだよ」
『そうか、昔の話か』
懐かしむような、微かに小緑君の声が震えて聞こえた。笑っているのだろう。顔は見えないはずなのに、彼の表情がなんとなく脳裏に描かれる。
それが自分でも照れ臭くて、僕は本題に入ることにした。
「……どうかしたの?」
『昼間話しただろ、ゆっくり話そうって』
「うん」
『だから電話した』
「……ごめんね、なんか。気を遣わせて」
『言っただろ。俺もお前のことが気になっているだけだ。気にするな』
気にするなって言われたって、気にしない方が難しいのではないか。
冷風のお陰で体の火照りが取れたはずなのに頬がまだ熱くなっていく。
情けないし、恥ずかしい。それ以上にそんな小緑君の優しさに喜んでいる自分が浅ましい生き物のように思えて嫌気が差す。
切り替えなくては、僕も。
相手は真剣に心配してくれている。
こんな曖昧な態度でいるのは不誠実だ。――今更自分が清廉潔白な人間と思うわけではないが、小緑君と話していると背筋が伸びていくのだ。
「……僕も、小緑君に聞きたいことがあったんだ」
『なんだ?』
「慈門君のこと」
スピーカーの向こうで微かに息を呑むのが聞こえた――気がした。
『奇遇だな、俺もだ』
僕と小緑君、慈門君は幼い頃からずっと一緒にいて、言葉にしなくともなんとなく相手の考えていることは分かるようになっていた。
声や表情、言葉尻に身振り手振り。それでもいつからだろうか、同じように一緒に育ってきた僕たちがバラバラになったのは。
何を考えているのか分からなくなったのは。
……いや、違う。そうじゃない。
理解しようとするのをやめたのは、踏み込もうとするのをやめたのは――僕だ。
「ねえ、小緑君。――慈門君と何かあった?」
僕と小緑君を遮る薄い膜一枚。
今までずっと見て見ぬふりをしてきたその膜が薄いと分かっていた。それでもその奥に覆われたものを、溢れ出てくるものを見たくなくて僕はそのまま放置してきた。
それを今、僕は自分の手で突き破った。
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