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2.シャーデンフロイデ
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まだ帰りたくないという気持ちはあったが、先生に捕まった以上困らせるわけにもいかない。……お茶も貰ってしまったし。
「お使いはもう終わったのか」
窓の外の風景を眺めていると、ふと先生に声をかけられる。
僕がコンビニで言ったことを信じてくれていたらしい。
「……あれは、嘘です。……本当はただ空気を吸いたくて」
「……そうか」
「……怒らないんですか?」
「別に……お前くらいの年頃ならあるだろ。……せめて近所に留めておけ、と言いたいところだけどな」
「それに、この辺はあまり治安はよくない」と先生は呟く。
窓の外、歩道の上では派手な集団が固まって大きな声で笑っている。
「何があったか聞いてもいいか」
「……大したことじゃ、ないんです。本当に……」
「こういうのは話すという行為に意味があるって言うだろ。……ま、全部受け売りだけどな」
「……」
強要するつもりはないし、お前の好きにすればいい。そう先生は続ける。
先生と話していると本当に自分の悩みがちっぽけなもののように思えてくる。
先生の言った通りだろう。己の感情を言語化するために頭の中で整理するという行為が僕を否応なしに冷静にしてくれる。
「……先生、小緑君に話してくれたんですよね」
口にしたとき、常楽先生の横顔が一瞬こちらを見た。
「『お前を気にかけてくれ』とは言ったな。……甘南と話したのか?」
「……はい、久し振りに昔のことを話しました」
「……何か言われたのか」
喉に言葉が突っ掛かる。
思い出すだけで腹の奥が重たくなっていく。吐き気が塊になって沈んでは川底の土石のように溜まっていく。淀んだ感情とともに。
「……先生は、友達に避けられたことってありますか?」
「避けるというより、喧嘩した数日はお互い目も合わせなかったことはあるな」
「仲直りしたんですか?」
「さあな」
「さあなって……」
「気付いたときには普通にまた話すようになってた」
昔の話だけどな、と先生は続ける。
確かに常楽先生の性格からして絶対自分から折れなさそうだしな、と想像して少しだけ気が軽くなった。
「……小緑君とは中学のとき疎遠になってたっていうのは前に言いましたよね」
「ああ」
「小緑君と連絡とって、その理由を聞いたんです。……それで」
「……甘南はなんて?」
「……」
大したことはない。
そう思い込むことはできた。
けれど、いざ第三者に伝えようとすると脳全体が締め付けられているような気分になる。
「……慈門君に、頼まれたらしいです。僕に関わるなって」
「……」
「だけど、僕はもう慈門君と付き合ってるから……だから気にしないでいいのかと思ったって。小緑君、その時のことを謝ってくれて……」
「……」
「……多分、先生の言った通りなんです。今の僕は平常な状態じゃないから、小緑君の言葉を聞いた時、僕……」
自分で口にするだけで苦しくなっていく。
悲しいというよりもこんな些細なことを許せなくなっているという自分の狭量さと、それを吐露するという行為にストレスを感じているのだろう。先生は車を歩道に寄せて止める。
まだ家ではないのに、と思わず顔を上げた時、先生はこちらを見た。
「……それで、ここまで走ってきたのか」
「……先生……」
「甘南に文句は言ってやったのか。むかついたって」
そんなこと言えるわけがない。
そう首を横に振れば、常楽先生は「そうか」と呟いた。
「優しいな」
その一言に心臓が押し潰されそうになる。
ひんやりとした車内。虫の鳴き声すら聞こえない静かな夜の住宅街に僕の心音が響き渡っているのではないか、そう思えるほど鼓動は煩い。
「そんなこと……ありません。小緑君と慈門君が知らないところで話していることも、慈門君のことを優先した小緑君が許せなくて……そんな自分も嫌で、何も言えない僕も、全部」
「お前はそれほど甘南を信じていたんだ。それに、不当な扱いに腹が立つのは当然の権利だ。お前が自分を責める必要はねえよ」
「……」
「全貌を聞いたわけじゃないが、少なくとも甘南は謝罪した。お前に対して罪の意識があったからだ」
「……分かってます」
「全部を許す必要はない。お前が許したくないなら許す必要はない」
「でも、先生。僕が許さなかったら……」
「一生恨めという話じゃない。織和、お前はまだ子供だ。無理して大人にならなくていい」
先生は、僕の嫌な部分も僕が受け入れられなかった僕自身も全部包み込んでくれる。
よくないと分かっていても、リップサービスだと分かってても、今の僕にとってかけてほしかった言葉は甘い蜜のように僕を満たしていくのだ。
あのバニラのように、冷たいそれは触れればあっという間に解けて染み込んでいく。
「自然に許せると思った時に許せばいい。どうもお前は自分を押さえ込んでまで全てを許そうとする傾向がある。……そんなことしてたらストレスが溜まるのは当たり前だ」
そう、ティッシュの箱を取り出した先生はそれを僕に差し出した。気付けば目から涙が止まらなくて、僕は「すみません」とそのティッシュを数枚手にした。
「満足するまで泣け。泣くという行為にはデトックス効果がある。寧ろ合理的だな」
普段教室で耳にする先生の声は抑揚が少なく、どこか冷たく感じる。
けれど今は先生の声が優しく聞こえて、先生は意図してないのかもしれないがそれも相俟って涙腺を刺激されてしまうのだ。
とめどなく溢れる涙を拭い、赤くなる顔を隠すように俯く。先生は何も言わずに窓の外を眺めていた。
その沈黙が心地よく、僕の心を包み込んでくれる。
だからかもしれない。
……僕、いつも先生の前で泣いてる気がするのは。
「お使いはもう終わったのか」
窓の外の風景を眺めていると、ふと先生に声をかけられる。
僕がコンビニで言ったことを信じてくれていたらしい。
「……あれは、嘘です。……本当はただ空気を吸いたくて」
「……そうか」
「……怒らないんですか?」
「別に……お前くらいの年頃ならあるだろ。……せめて近所に留めておけ、と言いたいところだけどな」
「それに、この辺はあまり治安はよくない」と先生は呟く。
窓の外、歩道の上では派手な集団が固まって大きな声で笑っている。
「何があったか聞いてもいいか」
「……大したことじゃ、ないんです。本当に……」
「こういうのは話すという行為に意味があるって言うだろ。……ま、全部受け売りだけどな」
「……」
強要するつもりはないし、お前の好きにすればいい。そう先生は続ける。
先生と話していると本当に自分の悩みがちっぽけなもののように思えてくる。
先生の言った通りだろう。己の感情を言語化するために頭の中で整理するという行為が僕を否応なしに冷静にしてくれる。
「……先生、小緑君に話してくれたんですよね」
口にしたとき、常楽先生の横顔が一瞬こちらを見た。
「『お前を気にかけてくれ』とは言ったな。……甘南と話したのか?」
「……はい、久し振りに昔のことを話しました」
「……何か言われたのか」
喉に言葉が突っ掛かる。
思い出すだけで腹の奥が重たくなっていく。吐き気が塊になって沈んでは川底の土石のように溜まっていく。淀んだ感情とともに。
「……先生は、友達に避けられたことってありますか?」
「避けるというより、喧嘩した数日はお互い目も合わせなかったことはあるな」
「仲直りしたんですか?」
「さあな」
「さあなって……」
「気付いたときには普通にまた話すようになってた」
昔の話だけどな、と先生は続ける。
確かに常楽先生の性格からして絶対自分から折れなさそうだしな、と想像して少しだけ気が軽くなった。
「……小緑君とは中学のとき疎遠になってたっていうのは前に言いましたよね」
「ああ」
「小緑君と連絡とって、その理由を聞いたんです。……それで」
「……甘南はなんて?」
「……」
大したことはない。
そう思い込むことはできた。
けれど、いざ第三者に伝えようとすると脳全体が締め付けられているような気分になる。
「……慈門君に、頼まれたらしいです。僕に関わるなって」
「……」
「だけど、僕はもう慈門君と付き合ってるから……だから気にしないでいいのかと思ったって。小緑君、その時のことを謝ってくれて……」
「……」
「……多分、先生の言った通りなんです。今の僕は平常な状態じゃないから、小緑君の言葉を聞いた時、僕……」
自分で口にするだけで苦しくなっていく。
悲しいというよりもこんな些細なことを許せなくなっているという自分の狭量さと、それを吐露するという行為にストレスを感じているのだろう。先生は車を歩道に寄せて止める。
まだ家ではないのに、と思わず顔を上げた時、先生はこちらを見た。
「……それで、ここまで走ってきたのか」
「……先生……」
「甘南に文句は言ってやったのか。むかついたって」
そんなこと言えるわけがない。
そう首を横に振れば、常楽先生は「そうか」と呟いた。
「優しいな」
その一言に心臓が押し潰されそうになる。
ひんやりとした車内。虫の鳴き声すら聞こえない静かな夜の住宅街に僕の心音が響き渡っているのではないか、そう思えるほど鼓動は煩い。
「そんなこと……ありません。小緑君と慈門君が知らないところで話していることも、慈門君のことを優先した小緑君が許せなくて……そんな自分も嫌で、何も言えない僕も、全部」
「お前はそれほど甘南を信じていたんだ。それに、不当な扱いに腹が立つのは当然の権利だ。お前が自分を責める必要はねえよ」
「……」
「全貌を聞いたわけじゃないが、少なくとも甘南は謝罪した。お前に対して罪の意識があったからだ」
「……分かってます」
「全部を許す必要はない。お前が許したくないなら許す必要はない」
「でも、先生。僕が許さなかったら……」
「一生恨めという話じゃない。織和、お前はまだ子供だ。無理して大人にならなくていい」
先生は、僕の嫌な部分も僕が受け入れられなかった僕自身も全部包み込んでくれる。
よくないと分かっていても、リップサービスだと分かってても、今の僕にとってかけてほしかった言葉は甘い蜜のように僕を満たしていくのだ。
あのバニラのように、冷たいそれは触れればあっという間に解けて染み込んでいく。
「自然に許せると思った時に許せばいい。どうもお前は自分を押さえ込んでまで全てを許そうとする傾向がある。……そんなことしてたらストレスが溜まるのは当たり前だ」
そう、ティッシュの箱を取り出した先生はそれを僕に差し出した。気付けば目から涙が止まらなくて、僕は「すみません」とそのティッシュを数枚手にした。
「満足するまで泣け。泣くという行為にはデトックス効果がある。寧ろ合理的だな」
普段教室で耳にする先生の声は抑揚が少なく、どこか冷たく感じる。
けれど今は先生の声が優しく聞こえて、先生は意図してないのかもしれないがそれも相俟って涙腺を刺激されてしまうのだ。
とめどなく溢れる涙を拭い、赤くなる顔を隠すように俯く。先生は何も言わずに窓の外を眺めていた。
その沈黙が心地よく、僕の心を包み込んでくれる。
だからかもしれない。
……僕、いつも先生の前で泣いてる気がするのは。
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