田原摩耶

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本編

02

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 出勤早々、予約表を確認して「げ」と喉から出かけた声を飲み込んだ。
 何で今日に限ってセット卓もフリー卓も苦手な常連客で埋まってるのか。
 幸いメンバーのスタッフが数人いてくれるお陰で俺は打たずに済みそうだが、それにしても……。

「大好ちゃん、個室いける? ホットのアリアリ1とナシナシ2。それからアイスのアリアリ」
「分かりました」

 個室って今日は……モトヤさんたちか。
 あの人たち朝方まで騒ぐから苦手なんだよな。絡んでくるし。

 回された注文分のアイスとホットのカップを計四つ、それからもう二つにミルクと砂糖を入れて個室まで持っていく。
 案の定空気清浄機が追いつかないくらい白く濁った個室の中、「失礼します」と小さく声をかければぎろりとこちらを睨まれる。
 そして、

「お! 大好ちゃん、やっときてくれた~」
「大好? ……ああ、お前が言ってたお気に入り?」
「そうそう、可愛いでしょ!」

「あの、こちらアリアリ2とナシナシ2です……」

 セットということはここにいる三人ともモトヤさんの友達かなにかなのだろう。
 モトヤさんと似たなんか怖そうな人たちばっかだ。特に奥の席に座ってる男の人とか袖の下のタトゥーえぐすぎるって。少しでも粗相したら絶対怒られる。
 薄暗い個室内、黒い髪を掻き上げた男の人と目が合って慌てて俺は俯いた。

「俺、冷たくて甘いやつ」

 そして聞こえてきたのは少し掠れた声。
「はい」と小声で返事をし、眠たそうに欠伸をしていたその男の人の元へ慌ててアイスコーヒーを運ぶ。
 ゆっくり……緊張しないように……怒られないように……。

「大好ちゃん、シフト変えた? 俺のこと避けてただろ?」
「さ、けてませ……ひっ!」
「本当~~?」

 言いながら尻を撫でられ、思わず手にしたカップを落としそうになる。瞬間、傾き中身を溢しそうになったグラスを黒髪の人に取り上げられた。
「あ」と思った次の瞬間、無言でモトヤさんの頭にグラスの容器をぶっかけ出す男の人にぎょっとした。

「お、お客様?!」
「ってめ、おい、何すんだお前――」
「酔い覚まし。醒めた?」
「は……」

「あ、あの……」

 何が起きてるんだ。
 他の仲間の二人は「出たよ、天ちゃんの天然」と笑ってるし……いや笑い事なのか?
 喧嘩になるんじゃないかと固まる俺に、天ちゃんと呼ばれた黒髪の男の人はそのまま俺からトレーごと奪う。

「ごめん、清掃こっちでやるから」
「ぇ、あ……あの、店内での喧嘩は……」
天華てんげテメェ、まさかお前も大好君狙ってんじゃねえだろうなぁ?!」
「な、何か拭くものを……」
「大丈夫大丈夫、いつものことだから」

「だから、向こう行ってていいよ」と肩を叩かれ、耳打ちされるその優しい声に思わずどきりとする。
 一瞬推しの顔が過ったが、いや、まさかな。
 確かに垂れ目っぽいけど……いやいや俺、垂れ目だったら誰でもいいのか?
 そんな自問自答を繰り返しながら、結局大事になりそうになる前に避難する。閉め切った扉の向こうからすぐモトヤさんの呻き声が聞こえてきたが、恐ろしすぎてその奥を確認することはできなかった。


 それから、慌てて他の先輩スタッフに頼んで様子を見に行ってもらったりとてんやわんやあったが――どうやらあの後すぐにモトヤさんは酔い潰れたらしい。「寧ろ床汚してごめんね」と天華さんは笑う。
 けど、多分あれは間違いなく……。



「ったく、モトヤ君いつかやると思ったけどさ、暫く出禁だな」
「……」
「大好君、大丈夫? ごめんね、俺も個室に君一人で行かせて」
「い、いえ……大丈夫です」
「今日はもう上がっていいよ」
「……はい、失礼します」

 スタッフたちの憐れむ視線を受けつつ、俺は着替えた後トボトボと雀荘を後にする。
 そして薄汚れたビルの階段を降りて行った時、向かい側の花屋の前――背の高いシルエットを見つけた。
 遠目に見ただけでも分かる均等の取れた体。そして派手なインナーカラーと手首までびっしりと刻まれた刺青。
 さっき助けてくれた――確か、天華さんだ。

 俺は辺りを見渡し、自販機に駆け寄る。そしてミルクと砂糖がたっぷり入ったアイスコーヒーを買い、それを手に天華さんの元へと向かった。

「あ、あの……っ、先程はありがとうございました……!」

「ん?」と驚いたようにこちらを振り返る天華さんに俺は考えるよりも先に結露で濡れたその缶コーヒーを捧げる。

「これ、……あの、先程飲みそびれたと思って……」
「……ああ、君。そこの店の子か」
「い、いらなかったら捨ててください……その、助けてくれたお礼を言いたくて……」

 やばい、突然差し入れしてきて変なやつと思われているのではないか。
 明らかに相手が引いてる気配を感じて冷や汗が止まらない。
「それで、その」と萎んでいく語尾。

「それが言いたかっただけです、その、邪魔してすみません……っ!」

 それでは、と慌てて頭を下げて逃げ出そうとした時、ものすごい力で手首を掴まれて固まった。

「待って」
「あ、あの……」
「俺にも缶コーヒーのお礼、言わせてよ」
「……っ、お、お礼なんて……」

 滅相もないです、と首を横に振る。
 夜の品のないネオンに照らされた顔がまるで眩しくて直視できない。
 俺の推しは一人だけ、浮気なんてしない。そのつもりだったのに。

「――大好君」
「へ、あ」
「俺のこと覚えてる?」
「え、ええと……その、まだ二週間で、俺、あまり要領よくないからお客様の顔はまだ覚えれてなくて……っ! あと、怖い人とかかっこいい人のことはあまり直視できないというか……!!」
「……俺、怖い?」
「あ、ちが、ちがくは……」
「……っ、く……ふ……」

 笑――?!

「あはは、ごめんごめん。……君、結構クールな子だって思ってたけど……そっか。随分と感受性が豊かな子だね」
「う、うぐううぅ」
「え? 泣いてる?」

 恥ずかしい。穴があったら入りたい。
 先程から余計なことばかり口走ってる。俺はいっつもこうだ。恥ずかしい。俺を埋めてくれ。
「は、離してください」と耐えきれずに天華さんを振り払おうとして、「ああ」と思い出したように手を離した。

「ごめん。また逃げられそうだったから」
「……お見苦しいものを見せてしまい申し訳ございませんでした」
「違うよ、そうじゃなくて――可愛いなって」
「かわ、――――――」
「……」

 ――可愛い。
 可愛い?誰が?可愛いってなんだ?
 なんで笑って見つめてくるんだ、この人は。
 心臓が口から飛び出しそうになる。いや、待て。俺には推しが。いや、顔がいい。待て俺。てか、手がおっきい。熱い。なんかいい匂いするし、指すりすりされんの手慣れ過ぎて怖いって。無理、心臓が。

「――なんて、こんなんじゃモトヤと同じか」
「……あ、え……?」
「ごめん、このコーヒーありがたくもらうよ。……君も、夜道気をつけて帰りなよ」
「ぁ、あ、あの」

 とんでもない引力で引き止められたと思えば、突然宇宙に放り出されて人間は平然としていられるのか。
 答えは否だ。

 推しと恋愛感情は違う。
 そうネットの記事で見かけたことはある。それに関しては大いに同意だけど、なんでよりによって今思い出した?!
 初めての感覚に後ろ髪を引かれて、あれほど逃げたかったはずなのに今度は体が動かない。
 ダメなのに、よくないと思うのに。止められない。

「あの、――」
「ん?」
「また……会えますか?」

 連絡先を、という言葉はあまりにも俺には難易度が高過ぎた。
 いかにも遊び慣れてそうなこの男相手に本気になるのも良くないって分かるのに、ここで終わらせたくない。そんな必死な俺を気取ったのだろう、天華さんはふわりと微笑んだ。

「――もちろん。またすぐに会えるよ」

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