花葬

田原摩耶

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第二章

02※

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 花戸が手にしたシャワーから暖かなお湯が溢れた。
 最初は足、それから太もも、下腹部、胸元へとゆっくりと心臓の近くまで満遍なくシャワーを当てられていく。

「熱くはない?」
「っ、……」
「文句がないってことは、丁度良いってことなのかな?」

 怒るわけでもなく、一人続ける花戸になんとも言えない気分になった。
 この男が分からない。理解したくもないが、悪意というものを感じないのだ。あんな酷い真似をしておきながら、どうでもいい気遣いをしてくるこの男が不気味で堪らない。
 それでも、確かに全身汚れて匂いが不愉快で堪らなかった現状、こうしてシャワーを浴びることができるのはありがたいものだった。
 そこまで考えて、思考を振り払う。違う、もとはといえばこの男がしでかしたことだ。絆されるな。
 唇を硬く結び、俺は花戸から顔を逸した。
 会話が途切れ、シャワーの音だけが響く。
 それから全身をお湯で流した花戸はそのままお湯を止める。もしかして終わったのだろうかと顔を上げたときだった。
 ディスペンサーからボディソープを適量手に取った花戸は、そのまま液体を絡めた手で俺の上半身に触れてくるのだ。

「っ、……な、に……」
「言っただろ、綺麗にするって。俺のせいで汚してしまったんだし」
「……ッ」

 言いながら平らな胸にソープを塗り込むように揉まれ、背筋が震えた。やめろ、と身動ぎをするが、花戸の指が胸の中央、乳首を掠めた瞬間堪らず唇を結んだ。

「っ、ふ……ぅ……ッ」
「ちゃんと綺麗にしないと。せっかく大事な息子さんを預かってるんだからね」

 両胸の突起を引き伸ばすように指の腹で柔らかく擦られる。花戸が指を動かす度にソープがぬちゃぬちゃと音を立て、静まり返った浴室内に不愉快な音が響き渡るのだ。
 やめろ、と言いたいのに、少しでも口を開けたら変な声が出てしまいそうで怖かった。
 けど、小便を飲まされるよりかは遥かにましだ。
 さっさと終われ。
 そうぐっと堪え、俺は目を瞑った。

「っ、ん、ぅ」

 声を出したくなかった。
 唇を噛み、声を押し殺す。
 突起の上を滑る指に柔らかく潰され、引っかかれ、揉まれる。あまりにも執拗な愛撫に嫌悪感を覚えるが、さっさと飽きてくれればいい。そう思うのが限界だった。
 不意に、こちらを覗き込んでくる花戸に唇を柔らかく噛まれる。そのまま啄むように唇を塞がれながらも両胸を女のように揉まれるのだ。
 何が楽しいのか理解ができない。
 唇を割って入ろうとしてくる花戸の舌を拒めば、花戸はそのまま俺の唇を執拗に舐めた。唇の薄皮を舐られ、そのまま角度を変え、更に深く唇を重ねてくるのだ。

「っ、ぅ……っく……」

 反応したくないのに、腰に当たる性器の感触に汗がじっとりと滲む。花戸の脈まで伝わってきそうだった。
 ――なんで勃起してるんだ、この男は。
 先程あれだけ処理したにも関わらず、次第に大胆になってくる愛撫に堪えられず堪らず背中を丸めてしまう。不可抗力だった。下腹部、ずっと異物を挿入されていた肛門が酷く疼いた。
 そんな俺に気付いたのか、俺から唇を離した花戸はそのまま俺の耳朶を優しく噛む。

「っ、は……っ」
「ね、間人君。俺のも洗ってよ」

 胸から手を離した花戸に手首を掴まれる。
 そのまま掌を重ねるように握られ、あろうことかこの男は俺の手を自分の性器へと持っていったのだ。

「っ、ぃ、やだ……」

 指先に触れる既に固くなった性器の感触に思わず逃げようとするが、力が入らない。
「お願い、間人君」と優しい声で囁きながらも無理矢理性器を握らせてくる花戸に吐き気がした。やめろ、と手を外そうとするが指を絡め取られてしまい、俺の手ごと花戸は自分の勃起した性器を扱き始めるのだ。

「ゃ……ッ、ぅ、ひ……ッ」

 掌の下、ドクドクと脈打つ性器は恐ろしく熱く、触れれば触れるほど性器の先端から溢れ出す先走りが絡み、耳障りな音が浴室内に響くのだ。
 気持ち悪い、気持ち悪い、嫌だ。そう思うのに、花戸は興奮してるのか更に手を早める。

「っ、間人君……ああ、そうそう。上手だよ、とっても。……君、才能あるよ」
「……ッ」

 終われ、さっさと出せ。
 熱いのに寒い。口でしゃぶるよりましだ。そう自分を鼓舞することが精一杯だった。
 一人で勝手に舞い上がっては性器をガチガチに勃起させる花戸を意識したくなかった。
 奥歯を噛み締め、ぎゅっと目を瞑ってやり過ごそうとしたときだった。
 不意に、花戸の手が止まった。

「……っあぁ、ちょっと待って。どうせなら……」

 まだ花戸はイッていないはずだ。
 そう、恐る恐る目を開いたときだった。腰を掴まれる。

「どうせイクなら、こっちがいいな」

 嘘だろ、と思った矢先だった。乱暴に掴まれた臀部、その閉じかけていた肛門に押し当てられる性器の感触に全身から血の気が引いた。

「待……っ」

 待ってくれ。なんて頼むこともできなかった。
 俺が言葉を続けるよりも先に、花戸は躊躇なく性器を挿入してくる。

「っ、ひィ……――ッ」
「っ、うわ、はは、中、柔らかくなってるね」
「まッ、ぅ゛……ッ、ぅ、ふ……ッ!」

 腰を抱きかかえるように固定し、そのまま一気に腰を打ち付けられればそれだけで視界が赤く染まる。堪らず目の前のタイルの壁にしがみつくが、悪手だった。支えを見つけた俺を見て、薄く唇を緩めた花戸はそのまま腰をゆるく動かし出すのだ。

「っ、流石に熱いな……っ、きもちいいよ、間人君の中……ッ」
「っ、ぅ゛ッ、ご、くな……ッぁ゛……ッ!」

 空腹と吐き気が収まらない体内に焼けるような熱が広がる。粘膜中が炎症を起こしてるようだった。
 太く血管が浮かび上がるそれでナカをくまなく摩擦されればそれだけで意識が飛びそうになる。そんな俺の顎を捉え、花戸は再び唇を重ねてくるのだ。

「ふ、ぅ……っ」
「っ、は、間人君……っ」

 挿入のペースは緩めるどころか激しさを増す。
 肉の潰れるような音ともに下半身を揺さぶられ、最奥の突き当りを執拗に突き上げられるだけで何も考えることはできなくなるのだ。
 ガクガクと震える腿を掌で掴まれ、キスをしながら更に深く抉られる。
 熱い、死ぬ。無理だ。薄れゆく酸素、茹だるような湿気の中、ただ受け入れることしかできないまま体内に花戸の精液を注がれる。

「っ、は、ぁ……ッ」

 洗うって言ったのは誰だ。
 今更そんなことを言い返す気にもなれなかった。腹を満たしていく精液の感覚に下腹部が重くなったときだった。ようやく終わるのか、そう思った矢先萎えるどころか硬く勃起したままの花戸は再び腰を動かし始めるのだ。

「……っ、ま……ッ」

 まだやるつもりなのか。
 血の気が引き、咄嗟に花戸の腰を離そうとしたが、その伸ばした手首ごと掴まれる。
 そしてやつは深く息を吐き、満たされた俺の腹を撫でるように手を這わせるのだ。
 臍の付近、花戸のものを咥え込み薄く皮膚が伸び膨れ上がったそこを愛おしそうに撫でる。

「……だって、裸の間人君がいるんだよ。……一回で我慢できるわけないだろ」

 悪びれもせずそんな言葉を口にするこの男に血の気が引いた。

 空腹と吐き気、摩耗した体力と擦り切れた神経にとって抜かずに二度目の性行為は最早拷問に等しい。

「ッ、待っで! ……っ、ひ、ぅ゛ッ、あ゛っ、うそ……っ、や、ぁ゛……ッ!」
「……っ、ちゃんと、後で綺麗にするから」

 響く声が自分のものなのかどうかすらも分からない。指一本すら力が入らず、崩れ落ちそうになる体を背後から抱き竦めるようにして下から突かれる都度意識が飛びそうになる。

「ぬ゛ッ、いて、花戸さ……ッ」

 お願いだから、と枯れた喉奥から声を振り絞り、背後の花戸に懇願すれば、あの男は場違いなまでに嬉しそうに微笑むのだ。
 まるでずっと欲しかったものを貰った子供のようなあどけなさすらある笑顔に血の気が引いた。
 そして、指を絡めるように掌を重ねられ、そのまま腕を手綱のように引っ張られるのだ。拍子に限界まで勃起した性器に奥を突き上げられ、声にならない悲鳴が漏れる。

「……っ、俺の、名前……嬉しい、もう呼んでくれないのかと思った……ッ!」
「ぁ゛っ、あ゛ッ!! ひ、ッ、うそ、とまッぁ゛、う゛っ!」

 止まるどころか明らかにピストンの間隔は短くなっていく。腫れ上がった内壁に精液を塗り込むように執拗に摩擦され、最奥、突き当りを押し上げられる度に食いしばった歯の奥からくぐもった嗚咽が漏れるのだ。
 なんとか挿入を耐えようとするが、既に体の方が限界に近い。落ちそうになる腰に花戸の腰を打ち付けられる度に腰が痙攣し、内腿はガクガクと震えた。
 快感とは程遠い、ほぼ経験のなかったこの体にとって花戸の愛撫はただひたすら独善的で暴力ですらあった。

「っ、ふ、ぅ゛……ッ!!」

 朦朧とする意識の中、腹の奥で熱量が膨れ上がる。花戸が射精したのだ。どくどくと脈打つ鼓動。それらを受け止めきれず、溢れ出したものが腿へと流れ落ちる。

「は……ッ、ぅ……」
「……逆上せちゃった? ごめんね、すぐ体綺麗にするからね」

 ひとまずは落ち着いたのか、それでも熱っぽく囁かれるだけでも背筋が凍るようだった。
 動きを止めた花戸はゆっくりと腰を引いていく。瞬間、ずるりと精液ごと溢れ出す異物感に堪らず「っ、ひ、」と息を飲んだ。
 そして栓をしていたものがなくなり、どぷりと溢れ出す精液。見なくても肛門が広がっているのが分かった。ずっと入っていたものが失せた違和感に背筋が震える。
 そのとき、花戸の指がぽっかりと開いたそこに触れた。待ってくれ、という俺の声もでなかった。そのまま難なく挿入された二本の指は、中に溜まった精液を掻き出そうと中を蠢くのだ。

「ぁ、い、やだ……も……ッ」
「そんな可愛い声出さないで……これでも我慢してるんだ」

 そう息を吐く花戸。先程出したばかりにも関わらず、太もものあたりに再び既に硬くなっていたものがあたり今度こそ青褪めた。そのまま腿の隙間までわざと押し付けられ、動けなくなった。下手したらまた挿入されるのではないかと怖かったからだ。
 固まる俺に、花戸はそのままゆっくりと腰を動かした。

「……っ、間人君……」
「ん、む……っ」

 体に性器を押し当てながら、まるで恋人かなにかのように深く口づけを交わす花戸にただただ恐怖した。
 抵抗する気力すらなかった俺はそれをただ受け入れることしかできず、深くなるキスに嫌悪感が増すばかりだった。

 その後、花戸はちゃんと俺の体を洗い流した。本当に気遣ってるとは思えないが、やつは結局挿入こそはしなかったが風呂を上がるまでには全身という全身隈なく愛撫され、ようやく浴室を出たときは一人で歩ける状態ではなかった。


 ◆ ◆ ◆


 自分の腹の音で目を覚ます。
 気絶していたようだ。目を覚ませばあのベッドの上へと戻っていた。あの男――花戸の姿はどこにもない。
 空腹で腹と背がくっつきそうだった。気分が悪い。喉も酷く痛む。風呂で逆上せてしまったせいか、全身は未だ火照っていた。
 起きなければ。またあの男が戻ってくる前に。これ以上好き勝手されたくない。
 その一心で立ち上がろうとするが、両手首と両足首を縛られてるせいで思うように動けない。それでも芋虫のように這いずることはできた。
 前回のような失敗はしないように、先にシーツを足を引っ掛けてなんとかベッドの下へと落とす。それをクッション材代わりに俺はそのまま床の上へとそっと転がった。……節々が酷く痛んだが、前回ほど派手に落ちずに済んだ。それから、腹に力を込めて上半身を起こした。
 これだけで一苦労だった。取り敢えず、腕の拘束だけでもどうにかならないか。噛むことさえでにればまた違ったが、前回同様口はテープで塞がれていた。ベッドの足に腕を押し付けて力を込めるが、隙間なくぎっちりと皮膚に張り付いた革製のそれはちょっとやそっとじゃ千切れそうもない。……どうしよう。
 部屋を見渡す。この部屋にはなにもない。生活感も感じない。本当にただ人を閉じ込めるために用意した気配すらする。
 前々から感じていたが、花戸の家には花戸以外の人間の気配がまるでしない。かといって、学生の一人暮らしにしてはあまりにも広すぎる。
 余程親が金持ちなのか、俺は兄の生活していた一部屋を思い出してはなんとも言えない気分になった。
 足と臀部に力を入れ、なんとか扉の方へと向かう。そのまま扉にそっと耳を押し当てた。……生活音は聞こえてこない。花戸は今この家にいないのか。
 まだ確信はできないが、それでも俺がここまで動いてもやってくる気配のない花戸に内心ほっとした。……けど、これもいつまで持つか分からない。
 早めに調べれるところは調べておこう。
 そう、目の前の扉のドアノブに両腕を伸ばす。不自由な指でなんとかドアノブを掴み、引こうとするが……駄目だ。やはり鍵がかかっていた。
 外側から施錠されてるらしい。落胆し、俺は扉から離れることにした。

 それから暫く。なにかないか探したが何もない。
 それどころか髪の毛一本すら落ちていないのだ。あの男の徹底ぶりには辟易する。
 そのとき、扉の向こうから物音が聞こえた。花戸が戻ってきたようだ。真っ直ぐにこちらへと向かってくる足音に、慌ててベッドまで戻ろうとするが一足遅れた。
 開く扉。ベッドの側、すがりつくようにしがみついたまま俺は固まった。
 そこには花戸がいた。外に出ていたのか、最後に見たときとまた違う服を着ていた。

「……君はまた……。どうやらベッドの周りにはクッション用意した方がいいみたいだね」
「……っ」
「怪我は?」

 大股で歩み寄ってきた花戸は軽々と人の体を抱き上げ、そして、そっとベッドの上へと降ろした。鼻孔を掠めるあの煙草の匂い。それに混ざって微かに懐かしい香りがした。まるで……お香のような。
 押し黙る俺に、花戸は口を塞ぐテープを剥がすのだ。

「喉、乾いただろう。ほら、帰りに買ってきたんだ。……飲ませてあげるよ」

 いらない、と答えるよりも先に伸びてきた花戸の指に唇を触れられる。デジャヴ。歯でボトルの口を開く花戸をみて慌てて顔を逸らそうとするが、遅かった。当たり前のように、自ら水を口に含んだ花戸はそのまま俺の唇を塞ぐのだ。押し流される水はそのまま強引に喉奥へと押し流される。
 拒もうと舌を動かそうとすれば顎へと流れ、胸元まで流れて落ちていく。花戸はそれを無視して、二度、三度と口移しで俺に水分補給をさせるのだ。

「……っ、ケホ……」
「お腹は? 減ってるだろう。君のためにご飯も用意したよ。……リビングへ行こう」
「っ、いらない……」
「もしかして……さっきみたいに食べさせないと、君は自分で食事もできないのか?」
「……っ」

 取り出したハンカチで俺の口元を優しく拭う花戸。その行為とは裏腹に、背筋が薄ら寒くなることを言い出す目の前の男になにも言えなくなる。
 こんな犯罪者の用意した料理なんて食べるか。そう思うが、この男にとって俺の意思など関係ないのだ。花戸は足の拘束具の鍵を外した。
 そして、そのまま俺の手を取るのだ。

「冷めたらもったいない。おいで、食事の時間にしよう」

 また酷いものを食べさせられるのではないかと思った。その覚悟すらしていた。けれど、花戸に連れられてやってきたリビング、そのテーブルの上に並んでいたのは手の混んだ料理だった。
 ただでさえ空腹だっただけに余計、突然目の前に現れた料理の数々とその食欲を唆るような濃い匂いに強い目眩を覚えた。

「どうぞ。……って言っても、全部デリバリーだけど」
「……」

 この男の手料理ではないのか。
 ならば、と思ったが慌てて首を振る。絆されるな。ここがどこなのかを思い出せ。
 一向に料理に手を出さない俺に痺れを切らしたのか、花戸はフォークを手に取る。その動作だけでもぎょっとしたのだが、そのまま皿の上の卵焼きにフォークを突き立てた花戸はその一切れを俺に向けた。

「ほら、口を開けて」

 ほかほかと美味しそうな卵の匂いがした。腹が鳴る。そんな俺を見て、花戸は笑った。そして、俺の顎を掴むのだ。

「っ、ぅ、や、」
「ほら、あーんだよ。間人君」
「ん、ぐ……っ」

 指でこじ開けられた口に卵焼きをねじ込まれる。驚いたが、幸い熱くはない。暖かなそれを口に放り込まれたと思いきや、花戸は俺の顎を抑えて口を閉じさせるのだ。

「ほら、もぐもぐするんだよ。具飲みはよくないからね」
「……っ、ぅ、ん゛……っ」
「ちゃんとごっくんするまで口は開けさせないよ」

 まるで子供に話しかけるような柔らかい口調だった。あまりにも屈辱的だったが、本気なのだと分かった。花戸の手で無理矢理咀嚼を促され、俺は堪えきれずに口の中のものを飲み込んだ。酷く久し振りにまともな固形物を食べたと思う。細くなった喉には酷い異物感が残っていたが、それでも俺の喉仏が上下するのを確認して花戸は手を離した。
 そして、その片手で他のおかずにフォークを突き立てるのだ。

「ほら、まだまだたくさんあるからね」

 まだやるつもりなのか。まさか、俺が完食するまでする気か?
 血の気が引いた。今度はヒレカツだ。流石にいきなりそれは無理だと首を横に振るが、花戸は問答無用でそれを口に押し込む。口の中いっぱいに広がるソースの匂いに酷く具合が悪くなった。ひとくちが大きいこともあって口を閉じることが精一杯な俺に「吐いたら駄目だよ」とただ笑った。

 食欲なんてあるはずがない。
 胃がもたれ、ただ具合が悪くなりながらも俺は花戸の用意した食事を半ば無理矢理腹の中へと収めた。感触した俺を見て、花戸は「ああ、よかった」と頬を綻ばせるのだ。

「君の口に合うのか心配だったけど、お気に召してくれたようで安心したよ」

 どの口で言ってるんだ。全部食べろと脅してきたのはあんたじゃないのか。
 言い返す気にもなれなくて、俺はただ口を閉じていた。顔も見たくなくて顔を反らしていると、顎を掴まれて強引に上を向かされる。
 すぐ鼻先には微笑むあの男の顔があった。

「今度は間人君――君の好きなものを用意したいんだけど、好物。教えてくれないかな」

 なにが今度だ。まだ俺をここに閉じ込めておくつもりなのか。当たり前のように次の話をしだす目の前の男に背筋が凍る。
 こんな犯罪者と長期いるつもりはない。

「……っ、……だ、れが……」
「ん?」
「……ない、好きなものなんて……ッ!」

 嘘だった。それでも、罪悪感なんてない。少なくともこの男に言うつもりなどなかった。知られることすら嫌だった。
 その手を振り払えば、思いの外呆気なく花戸の手は離れた。乾いた音とともに花戸はただ振り払われた自分の手を見ていた。
 怒らせたならそれでもいいと思った。いっそのこと、これ以上屈辱を味わされるくらいなら兄と同じところに。そこまで考えたときだった。
 いきなり頬に熱が広がる。そして、遅れて破裂音とともに鼓膜が震えた。ほんの一瞬、左耳にきんという音が走り全ての音が遠くなる。
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