花葬

田原摩耶

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第三章

09

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 異常も日にちが経つにつれて日常へと変わっていく。
 俺が逆らわない限り花戸は暴力を振ってくることはなくなっていた。腑抜けている、と言えばそうだろう。この男はまるで人間のように平穏な時間を楽しむように俺という家族との団欒を楽しんでいた。
 それを皮膚で感じながらも、腹の中に隠したこの感情だけは俺の血肉を食ってすくすくと育っていく。花戸への憎悪を忘れぬように、絆されぬように、あの男が兄さんにしたことを敢えて思い出すようにした。
 あいつは悪魔で化け物で人でなしの気狂いで異常者だ。
 分かりきっていた。この甘ったるいぬるま湯のような時間も一時的なものだ。
 これでいい。やつが隙を見せるくらい緩ませればいい。それが最初から狙いなのだ。
 なんなら、この男が完全に油断しきったところに俺が喉笛に噛み付いたらどんな顔をするのか――この男を地獄のどん底まで落としてやりたい。兄が感じたような絶望の奥底まで。


 ベッドの上、覆い被さってくる花戸の首に手をかけるようにしがみつこうとしたとき、花戸に手を取られる。そのまま俺の指先に唇を寄せ、舌を這わせた。濡れた舌が別の生き物のようにとっぷりと指の先端から根本、谷間へと這わされているのを見て俺は蛭を思い出した。

「……っ、は、に、兄さん……」
「間人君、……今日は甘えん坊さんだね」
「ん、は、……っ、そんな、こと……んっ、は、ぁ……っ」
「良いんだよ、俺に甘えてくれて。……もっといっぱい、頼ってほしいな」

 兄として、という言葉は飲み込む代わりに花戸は俺の唇に甘くキスをする。腹の中の異物が膨らんでいく。そのまま腰を動かす花戸に熱も感情も全て掻き混ぜられ、喉の奥から声が漏れた。

 花戸は声を出す方が喜ぶから喉を開いた。
 でも嘘っぽい喘ぎ声に対しては不信感もあるから抑えめがいい、だとか。フェラをするのもさせるのも好きだとか。
 いらぬ情報ばかりが積み重なっていく。なのに、肝心のこの男の中身についてはまだ俺は何も知らない。
 ガラ空きになった首に何度か触れようとしても花戸にやんわりと躱されては手足を縛られることもあった。
 隙を見せてるようでこの男自身には隙がない。
 心を開いてるように見えて、肝心の部分はガチガチに閉じられている。
 それをこじ開けるのに必死になってただひたすら腰を振って控えめに喘いで化け物を「兄さん」と呼び媚を売る。

 どちらが化け物なのか。
 俺はもう鏡を見ることをやめた。




 ある日のこと。数日花戸が帰ってこないときがあった。
 冷蔵庫には食材があったし、適当な料理を花戸の見よう見まねで作って失敗しながらもそれを口にすることでなんとか空腹を紛らわせることができた。

 冷蔵庫の食材もなるべく足の早そうなものから選んで節約しつつ食い繋いでいたが、それも次第に底つく。
 水分があれば人は生き存えるというし、最悪暫くは保つだろう。
 だから、そこまで悲観してはなかった。
 それよりも花戸がここまで帰ってこない理由が気になった。
 何かあったのか。もしかしてとうとうあいつ、警察に捕まったのか?
 だとしたら滑稽だ。あいつも、俺も。

「……」

 寂しさを感じることもない。けれど、会えない時間が募る度に焦りのようなものに追い立てられる。
 ただどっかで遊び呆けてるだけ、だと思いたい。
 寝室でいると落ち着かなくて、ベッドから降りてリビングまでうろうき、それから玄関の方を何度も覗き込んだ。足枷の鎖ギリギリになるくらい玄関まで近付く。開く気配のない扉の側、冷たい廊下の上に座り込む。

 そのまま膝を抱え、目を瞑る。
 起きていると余計なことばかりを考えてしまう。なるべく情報を遮断したくて、外部の物音を探るようにただじっと頭を抱え込んでいた。
 一時間、二時間……どれほどの時間が経ったのだろうか。腹の音に気付き、目を開く。
 食欲もない。尿意もない。

 このまま死ぬのか、俺は。
 多分死ぬ時ってこんな感じなんだろうか。ぼんやりとそんなことを考えながらも冷え切った体を動かす気にもなれなくてそのまま再び目を閉じようとした時、あれほど静かだった扉の奥から音が聞こえた。それは些細な物音だった。
 外からロックが外される音――花戸が帰ってきたのだ。

「……っ?! は、間人君……?!」
「……」
「もしかして、ずっとここで待ってたのっ?」
「……」

 一瞬夢かどうかも分からなかった。
 けど、上着を着たあの男がすぐにこちらに駆け寄ってきて俺を抱き抱えたとき感じた体温や呼吸からしてこいつが本物の花戸だということはわかった。
 別に、喜びも落胆もない。『なんだ、まだ生きていたのか』とは思った。

「寒かっただろう。ああ、こんなに冷えて……ベッドに行こう。それから……お風呂も、すぐに用意するからね」
「……ぁ……」
「ん? どうしたの?」
「……」

 久しぶりに自分の声を聞いたような気がする。唾も出ない程喉が渇いてる。もしかしたら自分が思ってるほど時間が経過していたのかもしれない、と思った。
 花戸の焦りっぷりがなんだか面白くて、あまりにもこいつが申し訳なさそうにするからそれが余計滑稽で――俺はそのまま花戸にしがみついた。いつの間にかに熱を奪われた体にとって花戸の体は暖かく、眠りを誘う。
 脳が弛んでいく。皺が伸び、つるりとあらゆる感情が滑り落ちていく。

「……ごめんね、間人君」

 謝るのは不自然じゃないか、花戸。
 あんたは悪魔で化け物で人でなしの気狂いで異常者なんだから、俺を飼い殺しにしても胸も痛まないはずだろ。
 渇いた唇に花戸の熱を感じながら、俺はそのまま微睡むように意識の奥底へと突き落とされる。
 冷たくて硬いフローリングよりも余程、花戸の肉布団は丁度よかった。

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