天国地獄闇鍋番外編集

田原摩耶

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芳川×齋藤

√β齋藤自殺END

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「齋藤君は自殺しました。彼が手首を切った浴室にはこんなものが残されていたそうです」

 部屋にやってきた灘の言葉に目を瞑る。
 聞き間違いではない。鉛のように重い頭の中にその言葉が反芻する。

 齋藤佑樹は手首を切っていた。その傷は何重にも連なり、その出血は浴槽を赤く染めていたという。齋藤の監視役を買って出ていたのは風紀委員長の八木だ。あいつが見つけたときは齋藤佑樹はぬるくなった浴槽の中で冷たくなっていたという。それでも息はあったと通報した八木により、齋藤佑樹は意識不明の状態のまま病院に運ばれる。その行為も虚しく、搬送先の病院で息を引き取る。俺がそのことを聞いたのは彼が息を引き取ってから半日してからだった。

 自室待機を命じられ、出る予定もなかったため仮眠を取っていたところだったところにやってきた灘の言葉は正に寝耳に水だ。
「遺書の内容は」と尋ねれば、灘は珍しく言葉に詰まった。

「……すみません、自分も現物を見たわけでは」
「そうか」
「あの、会長」
「悪いが、少し一人にさせてくれないか」

 灘は「わかりました」とだけ頭を下げればすぐに部屋から出ていった。閉まる扉。一人残された部屋の空気は冷え切っていた。
 齋藤佑樹が、自殺した。そんなことが有り得るのか。何故今更、というのが第一。その次に、本当に死んだのかというのが二つ目。
 実感などあるわけもない、死体を見たわけでもない。灘なりのジョークなのかもしれない。俺を和ませようとデモしたつもりか。あまり趣味がいいとは思えない。部屋を出て行こうとしたとき、扉がノックされる。扉を開けば、そこには酷い顔をした八木がいた。

「あいつは、お前に会いに行くつもりだったんだ」

 絞り出すように吐き出す八木。ろくに寝れていないのだろう。疲労は滲み出、寝不足なのか目元が窪んでいる。

「何故そう言い切れる」
「俺が、お前が部屋にいるということを伝えた」
「……なんだと?」
「目を離すべきではなかった。……あいつの立場に対する認識が甘かった」

 顔を掌で覆い隠す八木は、声を絞り出すように続けるのだ。後悔してるのは一目瞭然だ。
 しかし、それ以上に引っかかったことがある。
 それではまるで、あいつは死ぬ気などなかったように聞こえる。脳裏にあいつの顔が浮かぶ。まだ、出会って間もない春先のこと。顔を合わせると控えめに微笑むあいつの顔が。

「……葬儀は」
「今朝、あいつの親が来てたよ。今夜に通夜があって、明日昼から葬儀だと」
「……」
「おい、芳川っ!どこに……」

 八木を無視して部屋を出ていく。頭の奥で音が鳴り響く。脳味噌全体を揺さぶるようなこの感覚には覚えがある。体の一部が欠けたような違和感。ずっと、ずっと、我慢していた。見ないふりしていた。時間が経てば代わりのもので埋まると思っていた。けれど、実際はどうだ。
 八木から聞いた齋藤佑樹が自殺をした部屋の前のカメラを確認する。警察と教師の人だかりができているその扉の前、時間を巻き戻す。青褪めた八木が部屋から出てきた。そして、部屋に入っていく。その前、一人の男が部屋から出てきた。そいつの姿を見た瞬間、身の毛がよだった。
 ――栫井平佑。
 あいつが何食わぬ顔して部屋から出てくる。更に時間を巻き戻す。そして、きた。齋藤佑樹が平佑のあとを付いていって部屋に入るのを。その後、齋藤佑樹は部屋から現れない。出てきたのは平佑だけだ。カメラを止める。息を吐く。震える指先を固く握り締めた。
 また、あいつか。

 怒りや悲しみはない。胸を支配するのはぽっかりと空いたような穴だけだ。虚しい、とすらも感じない。あいつはもういない。それだけだ。
 ただそれだけだと思うのに、平佑が殺した。間接的に手を出した可能性があるとわかった瞬間、胸の奥に火を付けられる。それは抗いがたいほど強烈で、一瞬にして思考を塗り替える。

 電話を掛ける。数コール響いてもやつが出ることはない。普段ならばすぐに出る。おかしい、と思ったときには何もかもが遅かった。
 栫井平佑の部屋へと向かう。扉に触れる。鍵は開いていた。扉を開いた瞬間、天井からぶら下がる影を見た。

 開いた扉に反応して揺れる。宙ぶらりんの体。足元に落ちる体液に、部屋いっぱいに広がるのは異臭。内蔵物が腐ったような匂い。確認しなくても、肌で感じた。この部屋は死臭に満ちてる。

 靴を脱ぎ、部屋へと上がる。
 天井からぶら下がる平佑の顔は乱れた前髪で隠れ、見えない。右手は赤黒く汚れていた。血の乾いた色だ。足元にはぐしゃぐしゃになった紙が落ちていた。

「知憲君、ごめんなさい」

 そして、背後。聞こえてきた声に、目を閉じる。
 いつからいたのか、いつの間に背後に立っていたその男は俺の手元を覗き込んで笑うのだ。

「だってよ。本当、罪作りな男だよねえ、君ってさ」

 ――縁方人は笑う。まるで世間話でもしてるかのように、喉を鳴らして微笑むのだ。

「……いつからだ」
「齋藤君を自殺に追い込んだあと、昨日の夕方くらいだろうね」
「……誰にも言ってないのか」
「栫井君はいの一番に君に謝りたかったんだろうと思って、ま、遅かれ早かれ誰かに見つかってただろうし。この暑さじゃ」

 頭の中で、廻る。

「……お前は」
「いっておくけど俺は何もしてないからね」
「何も言ってない」
「口に出さずとも君の目を見たらわかるよ。……それにしても、残念だったね。君のことを好きな人を一度に二人も亡くしてしまうなんて」

 他人事のような縁の声がただ頭の中に響いた。言葉とは裏腹に、やつが本心からそう思っていないのはわかりきったことだ。
 ――一度に、二人も。

「知憲君?どこに行くの?」
「……」
「飛び降りるなら屋上がオススメだよ」

 振り返れば、やつは微笑んでいた。

「あの高さからなら痛いのも一瞬だ。けど、足からいったら下手したらただ痛いだけだから頭から落ちて即死を選ぶのがいいだろうね」
「俺は、あいつらとは違う」

「悪いが、お前の口車に乗せられない」そう続ければ、縁方人は「残念」と肩を竦める。
 部屋を出た。自室の前を通り過ぎ、エントランスを目指す。どこからか悲鳴が聞こえてくる。それを無視して学生寮を出る。学園の敷地ないはパトカーに救急車にと騒がしかった。俺はそれを横目に、学園を出た。


 サイレンが遠い。頭痛が酷い。
「会長」と耳元で囁く声が聞こえる。
 死ねば解放されるのだろう。そう思っていたが、今はそう思わない。解放されるどころか、最後まで逃げることはできないまま終えるだけだ。

 齋藤佑樹の葬儀場には、見覚えのある顔がチラホラあった。教師たちがほとんどだが、その中にあいつがいた。喪服の志摩裕斗だ。やつが葬儀場から出てくる。そして、こちらに気付いたようだ。

「知憲」
「……」

 ここは、俺がいていい場所ではない。それだけはわかった。敷居を跨ぐことはできなかった。だから、引き返す。志摩裕斗が追いかけてこようが、どうでもいい。この場から立ち去りたかった。吐き気。菊の匂い。頭痛。目眩。線香。御経。

「待てよ!知憲!」

 ……捕まった。肩を掴まれ、引き止められる。
 そして、ぐしゃぐしゃになった紙切れを押し付けられた。

「それ……お前にだ」
「…………」
「これは俺が持っていいものじゃない。……だから、お前に返す。どうするかはお前が自分で決めろ、知憲」

 ぐしゃぐしゃになったそれはところどころ赤黒い血で汚れていた。恐ろしく震えたその字はところどころ雫で滲んでいた。
 志摩裕斗は言いたいことだけ言うと、そのまま俺の前から立ち去る。俺は、その紙切れに目を向ける。それは、齋藤佑樹が残した遺書だった。


 ――芳川会長へ。
 今までごめんなさい。いっぱい助けてもらってごめんなさい。好きになってごめんなさい。最後まで迷惑かけてごめんなさい。今までありがとうございました。


 高校生が書いたとは思えない、震えた字。それは遺書というよりも幼い子供が振り絞って書いたような謝罪文だった。

 俺は、その手紙をしまった。
 彼の声が響く。いつも他人の目の色を気にしていた。怯えたように笑っていた。
 怖がりで、痛がりで、保身のあまりに正しい選択を見誤るような危ういやつだった。だからこそ、俺を好きだと言えるのだ。
 齋藤君が他の男を選ぶのは考えられない。だとしても、思わずにはいられなかった。もし、彼が、俺ではなく例えば志摩裕斗を選んでいたとしたら死ぬことはなかったのではないかと。
 後悔なんてした覚えはない。けれど、それでも、考える。俺が、彼を、あいつらを殺した。



 参列者らしき啜り泣く声が遠く聞こえる。黒と白。ブレる。視界が、景色が。吐き気がするほどの青い空が、眩しいほどの日の光が眼球に刺さるようだった。

 やけに音が遠い。これからどうしようか。何もかもどうでも良かった。どちらにせよ、自殺者が出たなんてなれば生徒会はリコールだ。最悪生徒会不在のまま年を越えるかもしれない。どちらにせよ、ゲームオーバーだ。
 君が俺のためにと足掻いたのも全部無駄だということだ。君が、俺を選んだこと自体が無駄だったのだ。間違いだった。何もかも。本当に君は愚かだった。他人を見る目がなく、目先のことに囚われる。本質を理解しようとしない。だから、こんなことになるのだ。

「……本当に、反吐が出る」


 おしまい
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