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I will guide you one person
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しおりを挟む藤也の言葉により仲吉のことを思い出した俺は、体が回復するとともにすぐさま屋敷へと戻る。
――屋敷内、応接室。
「仲吉っ!」
そう勢い良く応接室の扉を開けば、部屋の奥から「ひぃっ!!」と情けない声が聞こえた。
「って、あれ、南波さん…?」
「すっすみません! 俺ですみません!」
ここを出る前、仲吉が眠っていたソファーには丸まって震える南波がいるだけだった。
居た堪れなくなるほどの怯えっぷりを見せてくれる南波。南波一人なのだろうかと辺りを見渡せば――いた。
応接室の片隅。携帯端末を片手に壁にかかった絵画の写真を撮っていた仲吉はこちらを振り返る。
そして人の顔を見るなり「お、準一」とぱっと表情を明るくした。
「どうした? なんか疲れてね?」
「いや……なんもねえよ」
見たところ他のやつらに変なことを吹き込まれてもなさそうだ。けろっとした顔の仲吉にただ安堵する。
「南波さん、もしかしてずっとこいつ見ててくれたんですか?」
「いや、その、勝手に動いていいという許可を貰ってなかったので」
そもそも最初からそんな許可は必要ないのだが。それでも、仲吉から目を離さずにいてくれたのは純粋にありがたい。
「ありがとうございます」と、そのままの流れで南波の肩を叩いた瞬間、南波の広い背中がビクッと跳ねあがる。
「あっ、すみません……つい」
相手は男嫌いだったことを思い出す。
慌てて距離を取り直すが、意外なことに南波は全身から血を吹きながら痙攣を起こすことも皮膚が腐敗し溶け出すこともなかった。
これはもしかして、少しは俺に慣れてくれたのだろうか。
そう思いながら南波の顔をちらりと盗み見たときだった。
「し……っ、失礼します……っ!!」
そう、俺の目の前から南波は脱兎の如く逃げ出した。
そのまま壁や扉にぶつかりながらも廊下の奥へと消えていく南波をただ俺は見送ることしかできなかった。
ほんの一瞬だが、確かに目が合った気がする。
……まあ、これも進歩であることには違いない。
南波がいなくなった後の応接室、俺は先程まで南波が座っていたソファーへと腰をかければ、仲吉が隣にやってきた。
「今の音何?」
「南波さんが転がりながら出て行った音」
「なんだよそれ」
それ以外に言い表しようがないんだよな。
「……奈都のところに行ってたのか?」
ふと、仲吉は俺の表情から何か察したようだ。
単刀直入に聞いてくる仲吉に「ああ」とだけ頷き返す。
「どうだった、あいつ」
「多分もう心配いらない」
「大丈夫なのか?」
「後はあいつ次第だ」
俺は伝えたいことは伝えた。
これから先のことを決めるのは奈都だ。奈都の精神状態回復を待つしかない。
もう、俺にやれることはあいつの憂さ晴らしに付き合うことぐらいだろう。
……友人として。
「そっか。……なら、よかった」
「お前にも世話かけたな」
「本当だよ。そのくせさっさと帰れとか言うし」
「当たり前だろ。ここにあまり長居してたら何が起こるか分からねえんだから」
「霊障ってやつ? お前、散々信じなかったのに今になって信じるのな」
けらけらと笑う仲吉。
他人事だと思いやがって、と横目に睨みつけた時だった。
「っつ、ぅ」
突然、笑っていた仲吉は胸元を抑える。
「おい、どうした?」
苦しみ出す仲吉に驚き、咄嗟にその丸くなった背中に手を伸ばした時だった。
ぱっと顔を上げた仲吉は「なんてな」と笑う。
「ビビった?」
「……お前な……」
「うわ、怒んなよ。冗談だって。お前があんま心配するから脅かしてやろうと思ってさ」
「洒落になんねえよ、馬鹿が!」
思わず拳を握りしめる一発ぶん殴ってやろうと掴み掛かった時、仲吉の額から汗が流れ落ちるのを見た。
心なしかその体温も低く、唇の血色も悪く見えるのも照明のせいだけではないだろう。
「……おい」
「……なーんてな」
本当に大丈夫なのかよ、と問い詰めるよりも先に、俺の手から逃げ出すように仲吉は立ち上がる。
「わり、ちょい便所」
「……本当に大丈夫かよ」
「なんだよ準一、便所までついてくる気か?」
「……、……」
「普通に夏バテだわ、気にすんなよ」
そう言いたいことだけいい、応接室から出ていく仲吉。
立ち去り際、やつが口元を押さえているのが見えた。
――吐き気、だろうか。
よく考えれば森の中とはいえこの洋館には冷房などといった気の利いた文明の利器は存在しない。
暑さも寒さも関係ない俺たちならまだしも、仲吉の肉体的負荷は間違いなくあるだろう。
――もっと考えるべきだった。
やはり、ここにいることはあいつの心身に負荷をかけることになる。
「……」
「随分と、具合が悪そうですね。仲吉さん」
そのときだった。
背後から聞こえてきた声に全身が緊張する。艶かしく、甘いその声の持ち主は振り返らずとも誰か分かった。
「……花鶏さん」
「まあ、生身の人間がここにいたら誰も彼も充てられてしまうのは当然ですからね。自然の摂理といいましょうか」
カラン、と下駄の音が響き渡る。
ソファーの背もたれ越し、花鶏は目が合うなり声を出さずに薄っすらと微笑む。
その言葉に眉を寄せた。
「充てられるって、なにがっすか」
「人の感情は空気感染します。私達のような思念体は健全な人間にとっては毒も同然。肉体精神に強い影響を与えることになるでしょう」
つまり、一緒にいるだけでも仲吉の負担になるということか。
ただでさえ善良な愉快犯のような男だ。その言葉を何でもかんでも鵜呑みにはしたくなかったが、妙な説得力が花鶏にはあった。
それに、慣れてない環境での疲れや奈都のことで仲吉の疲労は限界に近いのかもしれない。
――やはり、このままでは駄目だ。
そう自分に言い聞かせるよう、口の中で繰り返す。
言いたいことだけ言い残し、花鶏は音もなく消えていった。
それと入れ違うようにして仲吉は応接室へと戻ってきた。
「わり、お待たせ。って、どした?」
そう不思議そうにする仲吉の手には買い物袋が握られていた。
ここを出ていく時には持っていなかったものだ。もしかしたらそれを取りに行ってたのかもしれない。
「いや、別に」
「はは、しおらしくなってんじゃん。なに、心配した?」
「……」
「あ、そうだこれ」
人気のなくなった応接室。
再び俺の隣に腰をかけた仲吉はガサガサとビニール袋を漁り出す。
そんなやつを尻目に「なあ」と俺は重い口を開いた。
「お前、今日はもう――」
「ほら、準一に土産」
帰れよ――そう続けようとした矢先だ。
ビニール袋から市販の弁当を取り出した仲吉に遮られる。出鼻挫かれ何とも言えない気分になる俺のことなんか気にせず、仲吉はその弁当を開く。
「……なにこれ」
「一応来る前食ってたんだけどやっぱ道中で腹減るだろうなぁって思ってさ、途中で買ってきた」
「ほら、これやるよ。お前、卵焼き好きだっただろ?」味はどうか分かんねーけどさ、と楽しそうにはしゃぐ仲吉。
本当にこいつは、マイペースにも程があるんじゃないのか。
「あのな、俺は死んでんだぞ。味とかも分かんねえし、そもそもお前、食うなら自分で食えよ」
「こういうのは気の持ちようっていうだろ? お供えだって喜ぶじゃん、仏さんは」
「~~……っ、この、」
「ほら、口開けろって」
「いらねえって、自分で食えよ」
「なんで」
「お前のが腹減ってんだろ!」
そう言い返せば、仲吉は少しだけ目を丸くする。
そしてやや間を置いたあと、やつの腹が鳴るのを聞いた。
微妙な沈黙の後、揉み合いになっていた俺たちは再び並んでソファーへ座り直す。
そして、諦めたように自分で唐揚げを食い出す仲吉。
いつの日か食った唐揚げの匂いが応接室に充満している、ような気がした。
「なあ、そんな寂しいこと言うなよ」
「……」
「俺は今まで通りお前と仲良くできたら良いんだよ。別に……どうだって」
お前がそんなやつだというのは知ってる。
誰にでも分け隔てがなく、穿った見方をしないやつ。
だからこそ今だけはそんなやつの性格が恐ろしくもあった。
「俺は何もねえけど、お前はあるだろ。たくさん。……優先順位を間違えんじゃねえよ」
「死んでねえよ」
その語気の強さに思わず顔を上げた時、伸びてきた手に手首を掴まれる。
そのままぐ、と引っ張られる手に驚いたのも束の間。手の甲の上に重ねられる手。飯を食って回復したのか、先ほどよりもほんのり温かいやつの体温が重なった箇所から流れ込んでくる。
「生きてんだろ、ちゃんと。ほら」
そう、怒ったような顔をした仲吉に俺はただ呆れて言葉も出なかった。
本当に、こいつは無茶苦茶だ。
けれど、こいつに触れれることが全てを証明している。
恥ずかしいし情けない話だが、俺はこいつとの関わりを断つことを拒んでいる。
しっかりと繋がれた手がそれを物語っているようで余計居た堪れなくなる。それと同時に、そんな一言に全身が軽くなるようだった。
「……っ、ほんと、馬鹿だろ」
こんなの、綺麗事以外の何物でもないとわかっているのに。それにも関わらずその言葉を待っていたみたいに喜ぶ自分が情けなくて恥ずかしくて馬鹿馬鹿しくて、心地よかった。
「なに今更反抗期になってんだよ。ノリでいいんだよ。こういうのは。ほら、口」
「だから、また……」
「あーんって言って欲しいのか?」
「馬鹿か」
「んじゃ、口開け」
こいつは本当に。
俺の気遣いも全部無碍にしていきやがる。
卵焼きを摘んだ箸先を突きつけられ、俺は目の前でニコニコと笑う男を睨む。
「……後から返せって言われても返さないからな」
「はいはい」
笑う仲吉の手ごと掴み、そのまま自分の口元まで卵焼きを引き寄せる。そして俺は眼前の卵焼きをぱくりと頬張った。咀嚼。
「ど?」
「……んまい」
「ほら、うまいじゃん」
「……」
何をこんなことで嬉しそうにしてんだか。
そのまま自分もミートボールをひょいと口に放り込む仲吉を尻目に、俺は再び背凭れに背中を預ける。
あれだけ重苦しく感じた応接室には様々な料理の匂いが、食欲をそそるような匂いが広がっていた。恐らくこれは俺の嗅覚の記憶によるものだと分かってても、ここがどこだか一瞬忘れてしまいそうになるほど“日常”だった。
きっと、全部こいつが隣にいるからだ。
「それ、食い終わったら帰れよ」
「は? そんな嫌わなくていいだろ」
「嫌ってねえよ。……嫌ってないけど、行ったり来たりで疲れてんだろ。……ちゃんとしたところで休め」
「なに、心配してくれてんの?」
「そーだよ、心配してんだよ。悪いか」
もう、ヤケクソだった。
もともと、こいつ相手に意地を張ったところで意味はない。分かっていたことだ。
そんな俺に目を丸くしたまま仲吉はこちらを見つめ、それからにへ、と破顔する。
「いや、すげー嬉しい」
「……」
「わかったわかった、ちゃんと帰ればいいんだろ。準一って結構心配性だな」
「お前だからだよ」
「え?」
「お前と一緒にいると、心臓がいくつあっても持たない」
弁当を食べ進んでいた箸を止め、こちらを見る仲吉の目が大きくなる。
みるみるうちにやつの顔が赤くなっていくのを目の当たりにしてしまい、「今更照れんなよ」と思わず声が低くなる。
なんなら俺よりも大分恥ずかしいこと言ってる自覚はないのか。
「ほら、食ったんならさっさと帰れよ。すぐ夜になるだろ。また一泊したいとか言うなよ?」
「分かってる、分かってるって。旅館にも顔出さねえとだし今日は戻るから」
「……ならよし」
「なんだそれ」
それから仲吉の飯を急かし、その後バタバタとやつを崖上まで連れていくことになる。
ちゃんと帰るまで見送りに行けば、渋りながらも仲吉は素直に車に乗り込んだ。
いつものあいつの性格ならば無理してでもここに居座ろうとするのだが、やはり心のどこかで限界を感じていたのかもしれない。
仲吉を見送ったあとの樹海の中。
エンジン音が遠ざかるのを聞きながら、俺はあいつが無事旅館へと戻れることを祈る。そして、やがてそれすらも聞こえなくなり、辺りに静寂が戻った時。
俺は肺の中に溜めていた息を吐き出した。
「……」
そうだよな。いつまでもあいつを巻き込むわけにはいかない。
あいつがなんと言おうとだ。
まだ心の中で決心つくことが出来ない自分に言い聞かせるように繰り返す。
あいつと俺は、もう違うのだから。
今まで通り、なんていうのは幻想だ。
「……帰るか」
ぽつぽつと落ちてくる雨を皮膚で感じながら、俺は屋敷へと足を進めた。
【I will guide you one person】END
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