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――洋館内、通路。
廊下に滴る血痕を辿っている内に俺たちは中庭へと続く扉の前までやってきていた。そしてその血痕は開いたままになっていた扉の向こう――中庭へと続いていた。
俺の知っている洋館では中庭なんて洒落たものではなく、荒れ、最早樹海の一部のようになっていた。しかし、開かれた扉の向こうに広がるのは手入れの行き届いた木々と花壇に植えられた花たちというなんとも美しい光景だ。
――そこに血溜まりがなければの話だが。
「準一さん、あそこにいるのって……」
入口側、敷き詰められたレンガの地面の上に滲むドス黒い血溜まりに気を取られていると奈都に呼びかけられる。つられて顔をあげ、奈都の指し示すその先へと目を向けた俺は息を飲んだ。
「……ッ! 藤也!」
中庭の奥、大きな樹木にもたれかかるように腰をかけたそいつを見つけた俺は慌てて駆け寄る。
日陰の下、俺の呼びかけに反応するようにそいつ――藤也はゆっくりと体を起こした。
「……準一さん」
以前ほどではないが、見るからに弱っているのが分かった。というか、弱っているというか……。
「藤也……なんか縮んでないか……?」
以前はギリギリ高校生だと分かるくらいだったが、今は中学生かどうかも怪しいくらい若返ってる。いや、幼くなっているといった方が適正なのかもしれない。なんか心無しか小さくなってる気がするし……。
見たところ出血しているようではないので一安心したが、ただ事ではなさそうだ。
駆け寄ってきた俺たちに、藤也は面倒臭そうに息を吐いた。そして。
「……持ってかれた」
「持ってかれたって……な、なにを……」
「色々。……で、そのせいでこれが限界」
「形を保つの」と藤也は小さく呟く。省エネモードということなのだろうか。
以前と同じようなことが藤也の身に起きてるというのなら、俺もどうしたらいいかは多少分かっていた。地面へと放り出されていた藤也の手を取り、握り締める。すると藤也の目がこちらを見上げるのだ。
「……準一さん」
「前みたいに、俺の元気分けたら良くなるのか? お前の体調は」
「元気って……」
「あ、違ったか……?」
「…………いや、別に」
いいけどさ、と藤也は少しだけ目を伏せる。そしてそのまま俺の手を握り締めた。
やはり不思議な感覚だ。どれだけ効果があったのかは分からないが、少しだけ間を置いて藤也は目を開いた。先程とあまりサイズが変わっていないように見え、「もういいのか?」と尋ねれば「今度はあんたまで縮み兼ねない」と藤也はぽつりと呟いた。
――それってつまり、俺の精神も摩耗してるということなのだろうか。
深く聞き返すよりも先に、ゆっくりと藤也は立ち上がる。どうやら動ける程度には回復したらしい、その事実に一先ず安心することにした。
「……はあ、それで……アンタたちが来たってことは見たの? アレ」
ぱたぱたと土埃を払いながら立ち上がった藤也。
やはりいつもよりも縮んでる違和感はあるが、態度や口ぶりは当たり前だが藤也のままだった。
その問いかけに、俺は「ああ」と頷く。
「藤也君、一体何があったんですか」
「さっきお前の片割れのガキが化け物に連れて行かれてたぞ、ありゃどういうことだ」
「あの血は幸喜のものなのか?」
「一度に話さないで、うるさい」
「……」
「……」
「……」
「……全員黙ってどうすんの」
気を取り直し、なにも言わなくなってしまった二人の代わりに俺は「なにがあったんだ?」と尋ねることにした。
「なにって言われても……俺もよくわからない。あの化け物が追いかけてきてあいつが捕まった」
「あいつ……幸喜か」
「そう」
「お前は連れて行かれなかったのか?」
聞き返す南波に、藤也は少しだけむっとしていた。そして「あいつの方が元気だから」と言い返すのだ。
「元気……?」
「準一さん風に言うとだけど。……取り敢えず、ここ全体が既に精神世界で間違えないだろうね」
そう静かに続ける藤也に、やはりそういうことかと納得する。誰の、とは言わないが藤也も気付いているのだろう、目を開いた藤也はそのままこちらを見た。
「それから、あの化け物……あれはきっと、どこかに餌を運んでる」
「餌って……」
「今、俺が準一さんからもらったみたいに、あの化け物は生命力を集めてるってこと」
「それってもしかして、花鶏さんに?」
聞き返せば、藤也はこくりと頷いた。
「……多分、そう」
「それじゃああのガキ、餌として献上されたってことか?」
「……南波さん、声が嬉しそうですね」
「やめろややこしくなるから! ……けど、日頃の行いはあるだろうな」
……やはり私怨じゃないか。と突っ込むのはやめておく。
「つまり精神力に釣られてあの化け物がやってきてるってことなのか?」
「……多分そう、俺はあいつに比べると少ない。元々義人に取られてる分もあったけど、幸喜の場合はそれプラスで義人も食ってたから」
なるほど、と納得してしまいそうになる。
そして俺は奈都と南波へと交互に視線を向けた。俺が言おうとしてることに気付いたようだ、奈都もちらりと南波を見る。
俺たち二人の視線に気付いたらしい、「なんだよ」と南波はばつが悪そうな顔をした。
「いえ……多分流れ的に、この中で幸喜の次に精神力溢れてるのって南波さんな気がして……」
「あ?」
「準一さんも弱ってるという話ですし、僕もそれほど元気な方ではないのでパッション的にやはり南波さんに釣られてあの化け物たちが来てる気がするんですよね」
「……ああ?! つまり俺のせいってことか?!」
「ち、違いますよ! そこまでは言ってませんけど……もしかしたら逆に使えるかもしれませんし……」
そう考え込む奈都。
南波を囮にするのもアリかもしれないが、流石に可哀想な気もする。そもそもわざわざ囮なんてしなくてもあいつらが向かった先は抑えてるのだ。
「……じゃああの出血はやっぱり幸喜ってことなのか?」
「――……出血?」
そう口を開けば、先程まで口を閉じていた藤也が片眉を持ち上げる。怪訝そうな顔だ。
「俺たちはあの化け物に食堂へと担ぎ込まれてる幸喜を見かけたんだ、そしたら血を引きずったような痕が続いてて……それを逆に戻ってきたら藤也に会えるんじゃないかと追っかけてきたらここに辿り着いたんだ」
「…………」
改めて成り行きを藤也に伝えれば、藤也は「ああ」と納得したように呟いた。
「血は多分わざと。……アンタたちに知らせるつもりか、ドッキリするつもりだったんじゃないの? ……あいつが普通に弱ってるときは“そう”ならないから」
「え……」
「でも、一番まずいときはその血が消えたときかもね」
そう言って藤也は屋敷へと向かって歩き出す。
そして、開かれたガラス戸。その足元に出来ていた血溜まりが跡形もなく消えているのを見て俺は思わず藤也を見た。
「藤也……」
「……場所、食堂だっけ?」
「あ、ああ……これって」
「――……少し、急いだ方がいいかもしれない」
そうぽつりと口にする藤也。
どうやら最悪の事態が起きている可能性が出てきたようだ。ああ、と頷き返し、俺たちは急いで食堂の方へと向かった。
道中にも残っていた血痕は消えていた。血痕を残すほどの余力すらもなくなっているということか。
……あの精神力が取り柄のような幸喜が?
内心半信半疑だったら、これが事実だったらなかなか笑えない。
瞬間移動することもできないまま、俺達は食堂までやってきていた。向かってる途中あの化け物に追いかけられるのではないかと思ったがその心配もない。
そして食堂の扉を開いたときだ。
「――おや、皆さんお揃いではありませんか」
俺の知ってる年季の入った食堂とはまた違う、明るい照明の下に佇むその人物に息を飲む。
和装のその男は一人ただ誕生席に腰を掛け、何かを待っているようだ。俺たちの顔を見て、和装の男――花鶏は微笑んだ。
幸喜を助けるぞ、と息巻いてやってきたもののまさか探していた人物が待ち構えてるなんて思っていなかった。
驚く俺たちと何も言わない藤也を押し退け、「おいテメェ」と前に出たのは南波だった。
「お前、急にいなくなったと思ったらいきなり現れやがって……! あのクソガキはどこだ!」
ズカズカとテーブルに近づいた南波はそのまま花鶏と向かい合うように下座に立つ。
「久し振りの再会だというのに第一声がそれですか。……ええ、少々悲しいですね」
「ああ?」
「それにしても貴方達、幸喜のことを心配して来てくださったんですね。皆さんが情に厚い方で私も嬉しいです、ええ、とても」
「いいからどこだって聞いてんだよ、この――」
カマ野郎、と南波が言いかけた矢先のことだった。キラキラと視界の端でなにかが煌めく。
怒りに身を任せ、テーブルを殴る南波の頭の上。ぶら下がった人一人潰せそうなシャンデリアが揺れるのが見えたのだ。
「南波さん! 危ない……ッ!!」
咄嗟に叫べば南波が何事かとこちらを振り返る。
シャンデリアが落ちてくる――そう伝える暇もなかった。大きくシャンデリアが傾き、天井につながったコードの部分がぶつりと切れた瞬間食堂が暗くなる。ガラスが砕ける音が一瞬遅れて聞こえた。
「な、南波さん……っ!」
壁にかかった蝋燭の火の灯りがあったお陰で真っ暗になることはなかった、けれどもだ。慌ててシャンデリアに駆寄ろうとしたときだった。
「……っ、いででで……」
シャンデリアの奥で影のようなものが動き、南波の声が聞こえた。――南波だ。
「……っ、あっぶねー……おい! もっと優しく退かせ!」
「……反射神経もすっとろいオジサンに言われたくない」
「ああ?! 誰がオジサンだクソガキ……ッ!」
南波の奥、佇む影に気付いてほっとした。どうやら間一髪藤也が南波を突き飛ばして助けてくれたようだ。あの藤也が南波を、と感動する暇もなかった。
今のはただの事故とは思えなかった。この世界で起きることに事故は存在しないのだから。
「花鶏さん、なにが目的なんすか。こんなこと……っ」
シャンデリアの破片が仄かな灯りを反射し、キラキラと足元で輝いていた。生憎そんな幻想的ですらある光景を美しく感じる暇はない。
我慢できず花鶏に問いかければ、暗闇の奥、確かに花鶏は笑ったような気がした。
「何が目的……ですか。準一さん、貴方はもう知ってるでしょう」
くすくすと笑う花鶏。すぐ側にいるのに、まるで分厚い壁に隔たれているみたいに花鶏の表情も、考えてることも、なにもわからない。
少なくとも助けを求める人間はこんなことするとは思えない。それに、花鶏がこんな攻撃的な真似をするなどと。
なんて考えてる矢先だった。
「テメェはさっきから意味有りげなことばっか言いやがって……! 準一準一うるせえんだよ、少しはこっちにも配慮しやがれ! あと言いたいことあんなら回りくどい真似しないで直接言え!」
先程シャンデリアを降らされたことを忘れたのか、すぐさま噛み付く南波に「はあ」と花鶏は大げさな溜め息を吐き出す。
「貴方は全く……何事にも段取りというものがあるのをご存知ではないのでしょうか。まあ貴方らしいと言えばそうなのでしょうけど」
「……幸喜を連れて行ったのも全部、食べて生命力にするため。――それは、アンタ自身の力が弱まってるから」
「そうじゃないのか」暗闇の中、藤也は花鶏に問いかけた。花鶏は「流石、賢い子ですね」と手をぱちぱちと叩くのだ。
「想像力は我々のような精神体が生きていくのに必要不可欠な力です。自分の都合のいいように解釈し、精神の安定を保つ。自己暗示は基本でしょう」
「――幸喜を食べたのか?」
藤也の声に、言葉に、食堂が静まり返った。
それはできることなら考えたくない想像だった。
そんなわけないだろう。そう言いたいのに、喉に突っかかったように言葉が出ない。
そんな嫌な空気の中、花鶏は「ええ」と答えたのだ。
「お陰で、少しは栄養になったようですね。……こんなこともできるようになりましたので」
“こんなこと”と花鶏が口にしたとほぼ同時に、ぱかりと天井が開いた。そう、天井が。まるで箱かなにかのように開き、顔を上げたときだった。
視界が反転する。
違う、この世界がだ。
「――へ」
床だったはずの部分は天井になり、そんなことになったら必然的に体が落ちるわけだ。それは俺だけではない、藤也も、南波も――たまたま食堂の扉から一歩外に下がっていた奈都がドアノブを掴んだまま驚いた顔でこちらを見ていた。
「準一さん!」という声を聞きながら、体が落下していくのを感じた。
ただ一人、重力に逆らうようにそのまま誕生日席に腰を掛けていた花鶏はどこからか取り出したティーカップを手にこちらに向かって微笑んだ。
「それでは皆さん、またお会いしましょう」
――世界は暗転する。
廊下に滴る血痕を辿っている内に俺たちは中庭へと続く扉の前までやってきていた。そしてその血痕は開いたままになっていた扉の向こう――中庭へと続いていた。
俺の知っている洋館では中庭なんて洒落たものではなく、荒れ、最早樹海の一部のようになっていた。しかし、開かれた扉の向こうに広がるのは手入れの行き届いた木々と花壇に植えられた花たちというなんとも美しい光景だ。
――そこに血溜まりがなければの話だが。
「準一さん、あそこにいるのって……」
入口側、敷き詰められたレンガの地面の上に滲むドス黒い血溜まりに気を取られていると奈都に呼びかけられる。つられて顔をあげ、奈都の指し示すその先へと目を向けた俺は息を飲んだ。
「……ッ! 藤也!」
中庭の奥、大きな樹木にもたれかかるように腰をかけたそいつを見つけた俺は慌てて駆け寄る。
日陰の下、俺の呼びかけに反応するようにそいつ――藤也はゆっくりと体を起こした。
「……準一さん」
以前ほどではないが、見るからに弱っているのが分かった。というか、弱っているというか……。
「藤也……なんか縮んでないか……?」
以前はギリギリ高校生だと分かるくらいだったが、今は中学生かどうかも怪しいくらい若返ってる。いや、幼くなっているといった方が適正なのかもしれない。なんか心無しか小さくなってる気がするし……。
見たところ出血しているようではないので一安心したが、ただ事ではなさそうだ。
駆け寄ってきた俺たちに、藤也は面倒臭そうに息を吐いた。そして。
「……持ってかれた」
「持ってかれたって……な、なにを……」
「色々。……で、そのせいでこれが限界」
「形を保つの」と藤也は小さく呟く。省エネモードということなのだろうか。
以前と同じようなことが藤也の身に起きてるというのなら、俺もどうしたらいいかは多少分かっていた。地面へと放り出されていた藤也の手を取り、握り締める。すると藤也の目がこちらを見上げるのだ。
「……準一さん」
「前みたいに、俺の元気分けたら良くなるのか? お前の体調は」
「元気って……」
「あ、違ったか……?」
「…………いや、別に」
いいけどさ、と藤也は少しだけ目を伏せる。そしてそのまま俺の手を握り締めた。
やはり不思議な感覚だ。どれだけ効果があったのかは分からないが、少しだけ間を置いて藤也は目を開いた。先程とあまりサイズが変わっていないように見え、「もういいのか?」と尋ねれば「今度はあんたまで縮み兼ねない」と藤也はぽつりと呟いた。
――それってつまり、俺の精神も摩耗してるということなのだろうか。
深く聞き返すよりも先に、ゆっくりと藤也は立ち上がる。どうやら動ける程度には回復したらしい、その事実に一先ず安心することにした。
「……はあ、それで……アンタたちが来たってことは見たの? アレ」
ぱたぱたと土埃を払いながら立ち上がった藤也。
やはりいつもよりも縮んでる違和感はあるが、態度や口ぶりは当たり前だが藤也のままだった。
その問いかけに、俺は「ああ」と頷く。
「藤也君、一体何があったんですか」
「さっきお前の片割れのガキが化け物に連れて行かれてたぞ、ありゃどういうことだ」
「あの血は幸喜のものなのか?」
「一度に話さないで、うるさい」
「……」
「……」
「……」
「……全員黙ってどうすんの」
気を取り直し、なにも言わなくなってしまった二人の代わりに俺は「なにがあったんだ?」と尋ねることにした。
「なにって言われても……俺もよくわからない。あの化け物が追いかけてきてあいつが捕まった」
「あいつ……幸喜か」
「そう」
「お前は連れて行かれなかったのか?」
聞き返す南波に、藤也は少しだけむっとしていた。そして「あいつの方が元気だから」と言い返すのだ。
「元気……?」
「準一さん風に言うとだけど。……取り敢えず、ここ全体が既に精神世界で間違えないだろうね」
そう静かに続ける藤也に、やはりそういうことかと納得する。誰の、とは言わないが藤也も気付いているのだろう、目を開いた藤也はそのままこちらを見た。
「それから、あの化け物……あれはきっと、どこかに餌を運んでる」
「餌って……」
「今、俺が準一さんからもらったみたいに、あの化け物は生命力を集めてるってこと」
「それってもしかして、花鶏さんに?」
聞き返せば、藤也はこくりと頷いた。
「……多分、そう」
「それじゃああのガキ、餌として献上されたってことか?」
「……南波さん、声が嬉しそうですね」
「やめろややこしくなるから! ……けど、日頃の行いはあるだろうな」
……やはり私怨じゃないか。と突っ込むのはやめておく。
「つまり精神力に釣られてあの化け物がやってきてるってことなのか?」
「……多分そう、俺はあいつに比べると少ない。元々義人に取られてる分もあったけど、幸喜の場合はそれプラスで義人も食ってたから」
なるほど、と納得してしまいそうになる。
そして俺は奈都と南波へと交互に視線を向けた。俺が言おうとしてることに気付いたようだ、奈都もちらりと南波を見る。
俺たち二人の視線に気付いたらしい、「なんだよ」と南波はばつが悪そうな顔をした。
「いえ……多分流れ的に、この中で幸喜の次に精神力溢れてるのって南波さんな気がして……」
「あ?」
「準一さんも弱ってるという話ですし、僕もそれほど元気な方ではないのでパッション的にやはり南波さんに釣られてあの化け物たちが来てる気がするんですよね」
「……ああ?! つまり俺のせいってことか?!」
「ち、違いますよ! そこまでは言ってませんけど……もしかしたら逆に使えるかもしれませんし……」
そう考え込む奈都。
南波を囮にするのもアリかもしれないが、流石に可哀想な気もする。そもそもわざわざ囮なんてしなくてもあいつらが向かった先は抑えてるのだ。
「……じゃああの出血はやっぱり幸喜ってことなのか?」
「――……出血?」
そう口を開けば、先程まで口を閉じていた藤也が片眉を持ち上げる。怪訝そうな顔だ。
「俺たちはあの化け物に食堂へと担ぎ込まれてる幸喜を見かけたんだ、そしたら血を引きずったような痕が続いてて……それを逆に戻ってきたら藤也に会えるんじゃないかと追っかけてきたらここに辿り着いたんだ」
「…………」
改めて成り行きを藤也に伝えれば、藤也は「ああ」と納得したように呟いた。
「血は多分わざと。……アンタたちに知らせるつもりか、ドッキリするつもりだったんじゃないの? ……あいつが普通に弱ってるときは“そう”ならないから」
「え……」
「でも、一番まずいときはその血が消えたときかもね」
そう言って藤也は屋敷へと向かって歩き出す。
そして、開かれたガラス戸。その足元に出来ていた血溜まりが跡形もなく消えているのを見て俺は思わず藤也を見た。
「藤也……」
「……場所、食堂だっけ?」
「あ、ああ……これって」
「――……少し、急いだ方がいいかもしれない」
そうぽつりと口にする藤也。
どうやら最悪の事態が起きている可能性が出てきたようだ。ああ、と頷き返し、俺たちは急いで食堂の方へと向かった。
道中にも残っていた血痕は消えていた。血痕を残すほどの余力すらもなくなっているということか。
……あの精神力が取り柄のような幸喜が?
内心半信半疑だったら、これが事実だったらなかなか笑えない。
瞬間移動することもできないまま、俺達は食堂までやってきていた。向かってる途中あの化け物に追いかけられるのではないかと思ったがその心配もない。
そして食堂の扉を開いたときだ。
「――おや、皆さんお揃いではありませんか」
俺の知ってる年季の入った食堂とはまた違う、明るい照明の下に佇むその人物に息を飲む。
和装のその男は一人ただ誕生席に腰を掛け、何かを待っているようだ。俺たちの顔を見て、和装の男――花鶏は微笑んだ。
幸喜を助けるぞ、と息巻いてやってきたもののまさか探していた人物が待ち構えてるなんて思っていなかった。
驚く俺たちと何も言わない藤也を押し退け、「おいテメェ」と前に出たのは南波だった。
「お前、急にいなくなったと思ったらいきなり現れやがって……! あのクソガキはどこだ!」
ズカズカとテーブルに近づいた南波はそのまま花鶏と向かい合うように下座に立つ。
「久し振りの再会だというのに第一声がそれですか。……ええ、少々悲しいですね」
「ああ?」
「それにしても貴方達、幸喜のことを心配して来てくださったんですね。皆さんが情に厚い方で私も嬉しいです、ええ、とても」
「いいからどこだって聞いてんだよ、この――」
カマ野郎、と南波が言いかけた矢先のことだった。キラキラと視界の端でなにかが煌めく。
怒りに身を任せ、テーブルを殴る南波の頭の上。ぶら下がった人一人潰せそうなシャンデリアが揺れるのが見えたのだ。
「南波さん! 危ない……ッ!!」
咄嗟に叫べば南波が何事かとこちらを振り返る。
シャンデリアが落ちてくる――そう伝える暇もなかった。大きくシャンデリアが傾き、天井につながったコードの部分がぶつりと切れた瞬間食堂が暗くなる。ガラスが砕ける音が一瞬遅れて聞こえた。
「な、南波さん……っ!」
壁にかかった蝋燭の火の灯りがあったお陰で真っ暗になることはなかった、けれどもだ。慌ててシャンデリアに駆寄ろうとしたときだった。
「……っ、いででで……」
シャンデリアの奥で影のようなものが動き、南波の声が聞こえた。――南波だ。
「……っ、あっぶねー……おい! もっと優しく退かせ!」
「……反射神経もすっとろいオジサンに言われたくない」
「ああ?! 誰がオジサンだクソガキ……ッ!」
南波の奥、佇む影に気付いてほっとした。どうやら間一髪藤也が南波を突き飛ばして助けてくれたようだ。あの藤也が南波を、と感動する暇もなかった。
今のはただの事故とは思えなかった。この世界で起きることに事故は存在しないのだから。
「花鶏さん、なにが目的なんすか。こんなこと……っ」
シャンデリアの破片が仄かな灯りを反射し、キラキラと足元で輝いていた。生憎そんな幻想的ですらある光景を美しく感じる暇はない。
我慢できず花鶏に問いかければ、暗闇の奥、確かに花鶏は笑ったような気がした。
「何が目的……ですか。準一さん、貴方はもう知ってるでしょう」
くすくすと笑う花鶏。すぐ側にいるのに、まるで分厚い壁に隔たれているみたいに花鶏の表情も、考えてることも、なにもわからない。
少なくとも助けを求める人間はこんなことするとは思えない。それに、花鶏がこんな攻撃的な真似をするなどと。
なんて考えてる矢先だった。
「テメェはさっきから意味有りげなことばっか言いやがって……! 準一準一うるせえんだよ、少しはこっちにも配慮しやがれ! あと言いたいことあんなら回りくどい真似しないで直接言え!」
先程シャンデリアを降らされたことを忘れたのか、すぐさま噛み付く南波に「はあ」と花鶏は大げさな溜め息を吐き出す。
「貴方は全く……何事にも段取りというものがあるのをご存知ではないのでしょうか。まあ貴方らしいと言えばそうなのでしょうけど」
「……幸喜を連れて行ったのも全部、食べて生命力にするため。――それは、アンタ自身の力が弱まってるから」
「そうじゃないのか」暗闇の中、藤也は花鶏に問いかけた。花鶏は「流石、賢い子ですね」と手をぱちぱちと叩くのだ。
「想像力は我々のような精神体が生きていくのに必要不可欠な力です。自分の都合のいいように解釈し、精神の安定を保つ。自己暗示は基本でしょう」
「――幸喜を食べたのか?」
藤也の声に、言葉に、食堂が静まり返った。
それはできることなら考えたくない想像だった。
そんなわけないだろう。そう言いたいのに、喉に突っかかったように言葉が出ない。
そんな嫌な空気の中、花鶏は「ええ」と答えたのだ。
「お陰で、少しは栄養になったようですね。……こんなこともできるようになりましたので」
“こんなこと”と花鶏が口にしたとほぼ同時に、ぱかりと天井が開いた。そう、天井が。まるで箱かなにかのように開き、顔を上げたときだった。
視界が反転する。
違う、この世界がだ。
「――へ」
床だったはずの部分は天井になり、そんなことになったら必然的に体が落ちるわけだ。それは俺だけではない、藤也も、南波も――たまたま食堂の扉から一歩外に下がっていた奈都がドアノブを掴んだまま驚いた顔でこちらを見ていた。
「準一さん!」という声を聞きながら、体が落下していくのを感じた。
ただ一人、重力に逆らうようにそのまま誕生日席に腰を掛けていた花鶏はどこからか取り出したティーカップを手にこちらに向かって微笑んだ。
「それでは皆さん、またお会いしましょう」
――世界は暗転する。
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