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第4章 凶兆

124話 キカン 其の4

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 最初に聞こえたのはコツコツと規則正しく床を叩く音。足音だ。

 ドサリ……
 
 次に何かが崩れ落ちる大きな音。聞き取れない程に小さい呻き声をかき消す音が響くと、規則正しく床を叩く音が再びフロアに反響した。

 コツコツ……

 音源はドンドンと近づき、やがて全員の眼前に姿を見せた。

「やれやれ、随分と久しぶりに身体を動かしますが、久しぶりなのでまだ本調子じゃないですね」

 光源の下に現れたのはスサノヲに制式採用されたスーツを纏う痩身長駆の男。年の頃は20代中頃、長く伸びる髪を首元辺りで一つに束ねた髪型と線の細い青年の様な相貌は遠い記憶の中に残る……私が良く知る仲間、N-10エヌ・テン。私達と同じ監視者の1人。

「スサノヲか?」

 伊佐凪竜一が訪ねた。彼の身なりはどう見てもスサノヲにしか見えず、故に6人目のスサノヲを増援と警戒するのも無理はない。

「いいえ。貴方を助けに来ました」

「俺を?なら一体誰だ?名前は?」

 丁寧な物腰で回答したN-10に対し、彼は矢継ぎ早に疑問をぶつけた。スサノヲと同じ格好をした正体不明の男が自分を助けると言い出したのだから無理もなく、つい先ほどまで行われていた戦闘の流れから判断すれば信用するのは危険と判断する心情は理解できる。だからどうにもタイミングが悪いと、私はそう呟いだ。

「名前と素性はまだ明かせません。全てを話すには余りにも時間が足りず、何より荒唐無稽で信じ難い内容ですから。しかし、貴方がその意志のままに進み続けるならば何れ知る時が来るでしょう。ですので今は急いでください」

 疑念を真正面から受け止めたN-10は回答の終わりに微笑むと、その澱みない瞳と態度に伊佐凪竜一は警戒態勢を解いた。同時にそれまで闇の中に爛々と輝く赤い虹彩が彼本来の黒へと戻る。信用した証と見ていいだろう。

「だけどいいのか?俺を助けたら……」

「気になさる必要は有りません。私は私の心の赴くままに行動しているだけですから。それに感謝するのは寧ろ……」

「クソがッ、ドイツもコイツも俺達の邪魔しやがってェ!!」

 助けたいという真摯な申し出を聞いた彼の心にほんの少しだけ安寧が訪れた。が、唐突に聞こえた絶叫が台無しにする。視線を声の方向へと向ければ、意識を取り戻したスサノヲの1人が猛然と伊佐凪竜一目掛け突撃する光景。

 しかし、満身創痍の上に精神を耗弱したスサノヲを捉えるなど容易い。N-10はその声を聞くや次の瞬間にはスサノヲの前方に回り込んでおり、更に踵落としの要領で振り上げた足を叩き落としていた。

 視認できない速度の攻撃を真面に喰らったスサノヲは物凄い音と共に床に叩きつけられ、程なく意識を手放した。N-10は襟を正し深く深呼吸をすると、改めて伊佐凪竜一に語り掛ける。

「さて、これで少しは大人しくなるでしょう。残念だが彼らは正気ではありません。スサノヲにしても度が過ぎる好戦的な性格を見るに、恐らくナノマシン製の向精神剤の過剰投与が原因でしょう。ちょっと語弊がありますが暴走している、そんな状態です」

「そんな!!」

「ですが、アナタは知らないでしょうがナノマシン投薬ソレに強い強制力は有りません、あくまで本来の性格を僅かに矯正ないし補佐する程度の能力しか発揮しません。治療目的に発展した精神治療用ナノマシンに本心とは掛け離れた言動を取らせるほどの万能性も強制力もありませんし、違法であってもそれは同じ。人の意志とはそれ程に強固に出来ており、脳はそれ程にデリケートなのです。つまりアレは彼らの偽らざる本音です」

 その言葉に3人は何も言えなかった。投薬と言う単語に見出した僅かな可能性は容易く潰された。本音……つまり英雄は必ずしも歓迎されないという事実が心に重く圧し掛かり、あるいは鋭利な刃物の如く深く食い込む。

「貴方が旗艦アマテラスに行けば今以上の絶望に晒されるでしょう。薬の影響であろうがなかろうが、彼らが奥底に隠す剥き出しの本心が牙を剥きます。これから進む道には悪意しかない、それでも進みますか?貴方が追いかけ、助けようと決めた女性は助けを拒絶するかもしれない、それでも行きますか?貴方と共に地球を救った女性は既に心変わりしているかも知れない、それでも戦い続けますか?」

 いくつもの質問を重ねたN-10はジッと伊佐凪竜一を見つめた。どうやら彼はその質問をしたいが為にこんな真似をしでかしたようだ。だが気が付けば神父も魔女も私も、そして追い付いた私設の異常を感じ取り独断で行動を開始したセオとアレムも彼を見つめている。誰もが彼の答えを待っていた。

「あぁ」

 彼は間髪入れずたった一言だけ答えた。誰もがその言葉を聞き、男は微笑んだ。

「貴方に出会えてよかった。そう遠くない内にハイドリは開き、旗艦と地球を繋ぐでしょう。それまでの時間稼ぎは私が引き受けます」

「信じていいのか?」

「勿論」

 今度は彼が即答した。とても嬉しそうなその表情を見た私は……どうしてだろうか、少しだけ嫉妬していた。ともあれ羽田宇宙空港での短い戦いは終わりを告げた、後は魔女がハイドリ制御システムを掌握し開門するだけ。

 だが魔女と神父のアジトへと視線を移せば何やら様子がおかしい。どうやら何者かが神父のPCに侵入したようだ。ここまでの情報を総合すれば、地球において彼を超えるハッキング技術を持つ人間はいないというが、ならば一体誰が横槍を入れているのか。

『嘘?もうバレた!!でも誰……それにコレって……でも助かるから躊躇わずのっかかるよ僕は!!』

『おい、急いだ方が良いからってそんな怪しいモン信用するなよ!!』

 神父の言葉と僅かに映る映像から状況を推測するに、何者かが簡易操作プログラムを寄越した様に見えた。魔女は正体不明の相手からのあからさまな善意に不信感を示す。

 一刻も早く施設を起動させたいという窮状にタイミング良く現れた救いの手など、どう考えても罠以外に考えられない。が、神父だけはその行動に何か別の意図を感じ取った。直接やり取りしている彼だからこそ気付いた何かがあるようで、その表情に当初の驚きや戸惑いは一切ない。 

『いや、コイツ……手伝ってくれてるよ』

『見てても何やってるかさっぱりわからんが、嘘じゃないよな?罠の可能性は?』

『分かんない。でも罠ならこんなストレートな行動取らない。もっと巧妙に、漸く見つけたって喜んで食いつく様な嫌らしい隠し方するよ。それに……上手く言えないけどすごく丁寧なんだ。僕の邪魔をしないどころかまるでどうぞ好きにやりなさいって言ってるみたいだ』

『相手は?』

『あのさぁ。そんな情報、普通は残さな……え?この双子みたいな紋様、これ……確かディオスクロイ教だよね?』

『大統領から受けた依頼の時のあいつ等か?どうなってるんだココ地球だぞ?いや待て、まさかソイツ等……だとするとどうしてこんな真似をするンだよ?』

『今はそんな事後回し!!伊佐凪竜一、聞こえる?ハイドリ開けるよー』

 施設に気の抜けた声が響くと同時、大きな扉の向こうに小さな震動が発生した。施設が稼働を始め、転移用の灰色の門を生成する合図だ。

 伊佐凪竜一が扉を開け放つと煌々と灯る明かりがドーム状の空間全体を照らし、床とドーム内壁を走るエネルギーラインが白く発光しドーム中央へと流れ込む様子が目に飛び込む。目的達成はもう少しだ。

 気が抜けた。誰もが成功確率が低い賭けに勝ち、ほんの僅かに気を緩ませた。直後……凄まじい地響きが全てを揺さぶった。同時、それまで灯っていた灯りが明滅を始め、エネルギーラインの半分がフッと消失した。

 まるで、彼等の先行きを暗示しているようで酷く不吉な光景だ。

『何が起こったんだ!?』

『分かんない、急にエネルギー供給が下がった!!』

『急に……まさかさっきの振動、爆発か!!』

 魔女がいち早く原因を突き止めるが時すでに遅し。監視カメラを切り替え続け、漸く衝撃の発生源を突き止めた彼女は絶句した。ハイドリを生成する中央ブロックに隣接する形で建設された専用のエネルギー供給施設が跡形も無く吹き飛び、もうもうと立ち昇る煙と施設の残骸が無残な姿を晒していた。

「何があったんです、魔女?」

『セオか。ハイドリを開くエネルギー供給施設がやられた。まだ片方残ってるが時間が掛かるらしい』

「そんな……」

 告げられた事実に全員の顔から血の気が引く。不退転の覚悟で臨んだが、状況はほんの一瞬で最悪に転げ落ちた。もし旗艦うえに戻れなければ最悪の犯罪者として汚名を被り、しかも汚名をそそぐ機会すら喪失する。

「ハ、ハハ、ざまぁミロ……」

 ドームの入り口には這いずる様な姿勢で伊佐凪竜一を睨み付けるスサノヲがいた。その手には小さなリモコンが握られており……もう一度リモコンのスイッチを押そうとしていた。

 エネルギー供給施設は残り1つ、それを破壊されたら終わりだと誰よりも早く理解したN-10は既に行動を開始、一足飛びでスサノヲの元に向かうと躊躇いなく頭部に一撃を加え昏倒させ、手放したスイッチを速やかに破壊した。

 間一髪。向こうも随分と用意が良いが、辛うじて首の皮1枚で繋がった。が、これから先もこんな綱渡り状態が続くのは疑いようがない。

 彼が宇宙を目指し羽田宇宙空港に来る可能性は決して高くなかった筈だ。なのにこうも手際よく追い込めるような罠を幾つも仕掛けるようなヤツは1人しか思いつかない。私の心に半年前、嘲笑と共に姿を消したタナトスの影が過った。こんな真似をしでかせるのはあの女位だ。

 だけど、それでも、偶然だろうが何だろうが旗艦アマテラスへの道は繋がったのだ。後は騒ぎが大きくなる前にハイドリを生成出来れば良い。

 もう少し、もう少しで彼はココに戻って来る。大丈夫だと、私は必至で自分に言い聞かせる。これ以上の悪意も不幸も無い筈だと、そう必死で言い聞かせた直後……儚い思いを踏みにじる声が聞こえた。
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