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「会いたい」 《竜之介》
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「ありす!」
バタンと大きな音と共にドアが開いて、兄が入ってきた。
いつもの兄らしくなく、相当急いでやってきたらしく、息があがっている。
有栖が目に入るや否や、ガバッと彼女を抱きしめた。いつものような慈愛に満ちた抱きしめ方ではなく、かき抱き、もう離したくないというような抱きしめ方だった。
僕は初めて見る兄の様子に、ちょっと動揺する。
それは有栖も同じだったようで、戸惑いながら目を瞬かせ、されるがままになっている。
「お兄ちゃ…」
兄は彼女の両肩をつかむと、まるで,有栖のどこにも傷がついていないか確かめるように彼女を見つめ、自分と向かい合わせて、有栖の目を見た。
「よかった……無事で……」
そう言うと、兄はやっと安心したように彼女の頬に微かに触れた。
その指は震えていた。
「竜之介、ありがとな……」
ようやく落ち着いてきたのか、いつもの穏やかな表情に戻った兄は、少しかすれた声でそうつぶやいた。
***
「喉乾いただろ…?」
冷えてないけど…といいながら、兄はキッチンの戸棚からミネラルウォーターを、僕と有栖に渡してくれた。
そして自分も喉を鳴らして、半分くらい一気に飲む。ごくごくと喉仏が動く。
手を添えて、有栖をなにげなくソファに導くと、その隣に僕も座るよう促した。自分はちょうど有栖と向き合う位置に片足を立てて直接床に腰を下ろした。トンと半分空になったペットボトルを置く。
兄が有栖をじっと見る。兄は憂いを帯びだ切長の目をしていて、時々弟の僕でもドキリとするほど美しい。
その兄の目は、優しい中にも強い決意を宿しているように見えた。
「有栖…おまえに話さなければいけない。それが有栖にショックを与えるのはわかってる。でも話すよ…」
兄はゆっくり、穏やかな声で、有栖に話しかけた。
いつになく真剣な様子の兄に、有栖はまばたきもせず、コクリと頷く。
ああ、この感じ。
有栖はこの非常事態にも関わらず、兄が来たことで、そして兄が自分の名前を呼び、向かい合って座ったことで、落ち着きを取り戻しつつある…。
完全に兄を信頼している瞳。
僕は有栖の呼吸が整っていくのを見て、心から安堵しながら、そうさせたのが自分ではなく兄だということに、嫉妬していた。
兄は有栖がいくつか瞬きをしたのを確認してから、話を続けた。
「前に有栖は…兄ちゃんと竜之介と…ずっとこうやって暮らしたいって言ってくれたよな…覚えてるか?」
有栖は素直に頷く。
「兄ちゃんも同じ気持ちなんだ…。兄ちゃんも今の暮らしを守りたい…。そして竜之介も…そうだよな?」
兄がこちらに視線を送り有栖も僕の顔を見る。
僕もしっかりと頷いてみせる。
「だから、今から言うことは、ちゃんと聞いてほしい……お願いだ……」
兄がゆっくりした口調でそう前置きをしたので、僕も黙って待った。
「……有栖は…親父…パパのこと、今はどんなふうに思ってる?」
父が家を出て行ってから、兄が自分から父親の話を有栖に振るのは、たぶんこれが初めてだ。
有栖は、自分のなかの答えを探るように言葉を選んでいるようだった。
「パパは…いつも優しくて…笑っていて…私やママを幸せにしてくれた…大事なパパ」
有栖の答えに、僕の心はズキリと痛んだが、兄もまた悲しそうに笑った。サラリと揺れる長めの前髪がその表情に影を落としている。
「そっか…そうだよな…」
ふいに兄が指を伸ばして、ふわりと有栖の頰を指の背でそっとなでる。
壊れ物を扱うような、そんな仕草だった。
「有栖は……パパに会いたい??」
兄の唇がわずかに震えている。
こんなに動揺している兄を僕は初めて見たかもしれない。
3人の間に沈黙が流れた。それは短い時間だったかもしれないが、僕にはひどく長く感じられた。
長いまつ毛で縁取られた有栖の瞳が揺れた。
「会いたい…」
小さいけれど、はっきりとした声で、有栖はそう答えた。
その目は兄の瞳をまっすぐに見ている。
今までのどんな有栖の言葉よりも、そのたった四文字が堪えた。激しく動揺している気配を隠そうとする。
兄もそうに違いない。
兄は自分を納得させるように、ちいさく頷いて目をつぶり、大きく息を吸って、それからまたそっと口を開いた。
「そうか……そうだよな……会いたいよな……」
「……でも、パパに……会っちゃいけないの……?」
兄の様子に、有栖は不安げな表情で問いかける。
「うん……そう…そうだ……今は…会ってほしくない」
兄は下を向いてぎゅっと目をつぶり、頭を振る。そして意を決したように顔を上げると、また有栖の目をまっすぐに見つめた。
「……親父は、有栖に…いや、俺たち家族に、悲しいことをした…有栖はそれを忘れてる……忘れてしまいたいほどに悲しいこと…。だから、俺たちは有栖にその悲しいことを思い出してほしくはない。俺と竜之介と有栖が今まで通り幸せに暮らしていくために…」
兄の声はあくまで落ち着いているが、僕には、むしろ兄が感情を抑えようと必死になっているように思えた。
有栖はじっと兄の目を見つめている。
長い時間が過ぎたように感じた。
「……わかったわ…」
兄の目に視線を合わせたまま、有栖は短くそう答えた。
バタンと大きな音と共にドアが開いて、兄が入ってきた。
いつもの兄らしくなく、相当急いでやってきたらしく、息があがっている。
有栖が目に入るや否や、ガバッと彼女を抱きしめた。いつものような慈愛に満ちた抱きしめ方ではなく、かき抱き、もう離したくないというような抱きしめ方だった。
僕は初めて見る兄の様子に、ちょっと動揺する。
それは有栖も同じだったようで、戸惑いながら目を瞬かせ、されるがままになっている。
「お兄ちゃ…」
兄は彼女の両肩をつかむと、まるで,有栖のどこにも傷がついていないか確かめるように彼女を見つめ、自分と向かい合わせて、有栖の目を見た。
「よかった……無事で……」
そう言うと、兄はやっと安心したように彼女の頬に微かに触れた。
その指は震えていた。
「竜之介、ありがとな……」
ようやく落ち着いてきたのか、いつもの穏やかな表情に戻った兄は、少しかすれた声でそうつぶやいた。
***
「喉乾いただろ…?」
冷えてないけど…といいながら、兄はキッチンの戸棚からミネラルウォーターを、僕と有栖に渡してくれた。
そして自分も喉を鳴らして、半分くらい一気に飲む。ごくごくと喉仏が動く。
手を添えて、有栖をなにげなくソファに導くと、その隣に僕も座るよう促した。自分はちょうど有栖と向き合う位置に片足を立てて直接床に腰を下ろした。トンと半分空になったペットボトルを置く。
兄が有栖をじっと見る。兄は憂いを帯びだ切長の目をしていて、時々弟の僕でもドキリとするほど美しい。
その兄の目は、優しい中にも強い決意を宿しているように見えた。
「有栖…おまえに話さなければいけない。それが有栖にショックを与えるのはわかってる。でも話すよ…」
兄はゆっくり、穏やかな声で、有栖に話しかけた。
いつになく真剣な様子の兄に、有栖はまばたきもせず、コクリと頷く。
ああ、この感じ。
有栖はこの非常事態にも関わらず、兄が来たことで、そして兄が自分の名前を呼び、向かい合って座ったことで、落ち着きを取り戻しつつある…。
完全に兄を信頼している瞳。
僕は有栖の呼吸が整っていくのを見て、心から安堵しながら、そうさせたのが自分ではなく兄だということに、嫉妬していた。
兄は有栖がいくつか瞬きをしたのを確認してから、話を続けた。
「前に有栖は…兄ちゃんと竜之介と…ずっとこうやって暮らしたいって言ってくれたよな…覚えてるか?」
有栖は素直に頷く。
「兄ちゃんも同じ気持ちなんだ…。兄ちゃんも今の暮らしを守りたい…。そして竜之介も…そうだよな?」
兄がこちらに視線を送り有栖も僕の顔を見る。
僕もしっかりと頷いてみせる。
「だから、今から言うことは、ちゃんと聞いてほしい……お願いだ……」
兄がゆっくりした口調でそう前置きをしたので、僕も黙って待った。
「……有栖は…親父…パパのこと、今はどんなふうに思ってる?」
父が家を出て行ってから、兄が自分から父親の話を有栖に振るのは、たぶんこれが初めてだ。
有栖は、自分のなかの答えを探るように言葉を選んでいるようだった。
「パパは…いつも優しくて…笑っていて…私やママを幸せにしてくれた…大事なパパ」
有栖の答えに、僕の心はズキリと痛んだが、兄もまた悲しそうに笑った。サラリと揺れる長めの前髪がその表情に影を落としている。
「そっか…そうだよな…」
ふいに兄が指を伸ばして、ふわりと有栖の頰を指の背でそっとなでる。
壊れ物を扱うような、そんな仕草だった。
「有栖は……パパに会いたい??」
兄の唇がわずかに震えている。
こんなに動揺している兄を僕は初めて見たかもしれない。
3人の間に沈黙が流れた。それは短い時間だったかもしれないが、僕にはひどく長く感じられた。
長いまつ毛で縁取られた有栖の瞳が揺れた。
「会いたい…」
小さいけれど、はっきりとした声で、有栖はそう答えた。
その目は兄の瞳をまっすぐに見ている。
今までのどんな有栖の言葉よりも、そのたった四文字が堪えた。激しく動揺している気配を隠そうとする。
兄もそうに違いない。
兄は自分を納得させるように、ちいさく頷いて目をつぶり、大きく息を吸って、それからまたそっと口を開いた。
「そうか……そうだよな……会いたいよな……」
「……でも、パパに……会っちゃいけないの……?」
兄の様子に、有栖は不安げな表情で問いかける。
「うん……そう…そうだ……今は…会ってほしくない」
兄は下を向いてぎゅっと目をつぶり、頭を振る。そして意を決したように顔を上げると、また有栖の目をまっすぐに見つめた。
「……親父は、有栖に…いや、俺たち家族に、悲しいことをした…有栖はそれを忘れてる……忘れてしまいたいほどに悲しいこと…。だから、俺たちは有栖にその悲しいことを思い出してほしくはない。俺と竜之介と有栖が今まで通り幸せに暮らしていくために…」
兄の声はあくまで落ち着いているが、僕には、むしろ兄が感情を抑えようと必死になっているように思えた。
有栖はじっと兄の目を見つめている。
長い時間が過ぎたように感じた。
「……わかったわ…」
兄の目に視線を合わせたまま、有栖は短くそう答えた。
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