《完結) エフ -- 夢見るありすと、ある兄弟の物--

夜の雨

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夜道の先に 《海里》 *暴力シーンあり

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有栖のことは竜之介に任せて、自宅に戻ると、やはりガレージに父の黒塗りの車が停まっていた。

大きく息を吸い込んで吐き出す。

俺の姿が見えたのか、バタンと車のドアを開けて、父が出てくる。

「久しぶりだな、海里…。家の主人がいないうちに、鍵を変えるとはいい度胸だな…」
父はそう言いながら、少しネクタイをゆるめた。

声は抑えているが、ひどく苛立っているのが伝わってくる。
万が一、有栖が一人で自宅にいる時に父が帰ってくるといけないと思い、念のため家の鍵を変えておいたのだが、まさか学校まで行くなんて…有栖と鉢合わせしなくて本当に良かった。
竜之介の機転と懸命な判断に助けられた。

父と会うのは3年ぶりくらいだろうか。母が死んでから一度も会っていない。

「また背が伸びたか?」
父のそんな言葉を無視して、俺は門に手をかける。
「有栖なら、この家には戻らないよ」
父の顔色が変わる。
「……何?」
静かに問う。
「自分の家なんだから入れば?」
門を開けて、父を招き入れた。

今日、俺は、父と対峙するために、この家に戻ってきた。
もう3年前の、何も持たず何もできなかった頃の俺とは違う。
まだ充分とは言えないけれど、弟と妹くらい守ってみせる。

、俺は、誓ったんだ。
だからもう逃げたりはしない。

***

「有栖をどこへやった?」

玄関を入るなり、父は問いただしてきた。

「教えるわけないだろ」
短く答えると、バンッ!と、思い切り壁に身体を押し付けられた。

父は昔からそうだった。
家の外では紳士で物静かな男だったが、家のなかでは感情が昂ると力まかせに物を言って、暴力をふるった。
俺にも幼かった竜之介にも…そして追い出された俺たちの実の母親にも…。

新しい母と有栖がきて、変わったかと思っていた。
暴言も暴力も収まって穏やかで優しい父になった。

でもそれは俺の思い違いだった。
父の牙は静かに有栖に向いていたんだ。

「有栖は私の娘なんだぞ!」
その言葉でカッと身体が熱くなるのを感じた。 
「父親があんなことするのかよ……」
父の目をギリっと睨んで言う。

有栖の、父を慕う無垢な笑顔が脳裏に浮かんだ。
そしてその直後、有栖が血まみれになって自分のベッドのシーツを切り刻む場面がフラッシュバックする。

身体が小刻みに震え、指先が冷たくなっていくのを感じた。

「お前こそ何様のつもりだ?」
父もまた、まっすぐに俺を見据て言う。

「お前は私と同じだろう」

にやりと父が笑う。
「自分が勇気がなくてできなかったことを先にされて腹が立っているだけなんだろう…」
俺の胸ぐらを掴んだまま、父が耳もとで囁くように言う。

手足は冷たいのに、血は煮えたぎるように熱い。
思わず拳に力が入る。
「お前は私の息子だ」
「……っ」
この身体に流れている血が呪わしく感じるほどに、父への憎悪が膨れ上がる。

「有栖は口では嫌がりながらも、本心は悦んでいたよ…あんなに小さくても立派に女だった…」
父のその一言で、カッと血が沸き立ち、一瞬目の前が真っ白になる。
気がつくと俺は父の胸ぐらを掴み返していた。ギリギリと奥歯を噛み締める。
「殴らないのか?…昔みたいに」
父が挑発してくる。

もう俺は父と同じ背丈になっていた。
父もまだ衰えてはいないが、力は同じくらいだろう。
「……あんたとにはなりたくない……」
絞り出したような低い声が出る。

その瞬間、鋭い拳に頬を殴られて、俺は玄関に叩きつけられた。
父を睨んで血が混じった唾を吐き出す。
「生意気をいうな…!」
父は俺を見下ろして低い威圧的な声で言う。

血を拭って立ち上がろうとすると、髪をつかまれてまた殴られた。今度は反対の頬だ。口の中に血の味が広がる。

でももう何も感じなかった。
もう父への恐怖も痛みも。
有栖が父にされたことに比べれば、こんな痛みなど取るに足らない。
痛みよりも、この血が父から分けられたものだということがなにより憎かった。

「有栖も竜之介も…大人になるまで、俺がちゃんと面倒を見る。アンタには絶対渡さない。」
立ち上がりながら静かに言った。
父が更に殴ろうと振り上げた拳をパシっと掴んで手首を捻り上げると、父は思わず痛みに呻いた。

ーーああ、チャチャが噛みついた痕がある…

妙に冷静にそんなことを思った。

捻り上げた父の手首に古い傷があった。
あの夏、チャチャは誰よりも早く異変に気づき、父から有栖を守ろうとしてくれたんだな。

父の身体をそのまま押しやると、彼はよろめいて、玄関の柱にドンと身体をぶつけた。父に鍵を投げつける。 
「俺をつけてきても有栖のところには行かないぜ。有栖は安全なところにいる」
俺は乱暴に玄関のドアを閉めた。

有栖は今頃、竜之介とあの部屋のベッドで眠っているだろうか。
俺じゃなくても構わないさ、有栖が安心して眠れるのならば。

あの部屋からは、この月は見えているだろうか。
有栖が丸くなって眠る姿を必死に思い描きながら、夜道を歩いた。


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