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フラッシュバック 《桃》

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「あ、ショーがはじまるね。竜之介まだかな…」

有栖ちゃんの言葉に、ちょっと感極まってしまい話を逸らした。…情けない。

あたりが暗くなると水槽の青色が、まるで感情を飲み込むかのように揺れる。
ショーの演出なのだろう、壁にも波が映されて天井には夜空が映された。マッピングだろうか…スピーカーからは立体的な波の音が聞こえる。

ザザザザ…ン

水槽の魚を見つめていたと思っていた有栖ちゃんが、隣でビクッと隣で震えた。

有栖ちゃんが凝視していたのは、天井の夜空と壁一面に広がった夜の海だった。
彼女の指が、さっと俺の手に触れた。
9月とは思えないひんやりとした指だった。
「有栖ちゃん、どうし…」
言いかけて、俺は口をつぐんだ。
有栖ちゃんの唇がわなわなと震えているのが見えたからだ。

次の瞬間、彼女の身体がぐらりと揺れて、前のめりになるのを、咄嗟に抱きとめた。
腕の中で華奢な体が震えているのがわかった。……息が荒い……。

「有栖ちゃん?」

声をかけても返事がない。
有栖ちゃんの口から途切れ途切れに言葉が漏れる。
「やめ、て……」
はあはあと肩で息をしている。
一瞬躊躇ったが、俺は小さな背中をさすった。
「パパ……やだ……」
有栖ちゃんが苦しそうに胸を押さえる。


「有栖…っ!」
竜之介が走って駆け寄ってくる。
「有栖、大丈夫だから、ゆっくり息をして」

荒い呼吸が次第にヒューヒューと肺や気管から風がもれる音に変わり、背中に触れた掌から彼女から身体から痙攣にも似た震えが伝わってくる。

「有栖、俺にあわせて呼吸して……」

竜之介は有栖ちゃんの隣に座って、落ち着いた声言う。

さっきまで俺に笑いかけてくれていた瞳からは光が消え、だだただ苦悶の色が滲んでいた。
無意識に握っている僕の手に力が入る。
もしかしたら竜之介と間違えているのかもしれない。

「桃、悪い…ここをでよう…有栖は夜の海でフラッシュバックを起こしているみたいだ…」

竜之介は、有栖ちゃんをさっと抱き上げて立ち上がる。
有栖ちゃんはまだ、苦しそうに息をしながら竜之介の首筋に顔をうずめて震えている。

竜之介は俺より少し華奢だったけれど、有栖ちゃんを抱き上げるのは慣れた様子で、俺は初めて竜之介と有栖ちゃんの壮絶な日常をみた気がした。

有栖ちゃんがいつも少し悲しそうに笑うわけも、竜之介がやたら老成して大人びているわけも。

「リュウ…病院は嫌……ひとりになりたくない……」
有栖ちゃんは、はあはあと苦しそうに悶えながら竜之介の腕のなかで力なく首を振る。
竜之介が答える。
「わかってるよ…」
なんて優しい声を出すんだろう。

有栖ちゃんが苦しそうに胸を押さえた拍子にふいにワンピースの前が緩む。

その時俺は見てしまった。

手当はされているものの、彼女の白い胸元に痛々しいほどにたくさんの痣や傷があるのを。
俺は咄嗟に持ってきていた薄手のパーカーを彼女にかけた。
「悪い……」
竜之介は短く言って、その身体を支えて抱えなおすと水族館を後にした。

帰りのタクシーの中で竜之介に身体を預けながら、有栖ちゃんは何度も俺にごめんね、ごめんねと繰り返した。

「本当に…楽しかったんだよ…?」
顔を上げようとする有栖ちゃんを竜之介は制して、
「大丈夫だよ…桃はちゃんとわかってるから…」
と、優しく言う。
本当に竜之介は有栖ちゃんには極上の優しさを見せる。

「そうだよ。俺もすごく楽しかったし!また3人でデートしようよ。秋になったらピクニックとかどう?」
俺が明るく言うと
「そう……だね。ありがとう、桃くん」
有栖ちゃんは嬉しそうに目を細めた。

やがてタクシーは竜之介たちの住むマンションの前でとまり、竜之介は有栖ちゃんを半ば抱き抱えるようにしてタクシーを降りる。
「桃、わるいな…バタバタさせちゃって…」
降りるとき、竜之介が屈んで俺に言う。
いや、俺の方こそなにもできなくて…と言おうとしたら、
「桃がいてくれて良かった…俺も楽しかった」と笑い、有栖ちゃんを支えながらエレベーターに乗り込んで行った。

その傷ついた美しい後ろ姿を、俺は何も言えず見送った。
入り込む隙が全くない2人に見えて、なんだか胸がひりひりした。

その後、竜之介から、有栖ちゃんは暗い海の近くのマンションで父親に酷い暴力を受けたことを聞いた。
どんな酷いことだったのかは、聞かなかったけど、嫌になるほどに予想がついた。
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