70 / 81
フラッシュバック 《桃》
しおりを挟む「あ、ショーがはじまるね。竜之介まだかな…」
有栖ちゃんの言葉に、ちょっと感極まってしまい話を逸らした。…情けない。
あたりが暗くなると水槽の青色が、まるで感情を飲み込むかのように揺れる。
ショーの演出なのだろう、壁にも波が映されて天井には夜空が映された。マッピングだろうか…スピーカーからは立体的な波の音が聞こえる。
ザザザザ…ン
水槽の魚を見つめていたと思っていた有栖ちゃんが、隣でビクッと隣で震えた。
有栖ちゃんが凝視していたのは、天井の夜空と壁一面に広がった夜の海だった。
彼女の指が、さっと俺の手に触れた。
9月とは思えないひんやりとした指だった。
「有栖ちゃん、どうし…」
言いかけて、俺は口をつぐんだ。
有栖ちゃんの唇がわなわなと震えているのが見えたからだ。
次の瞬間、彼女の身体がぐらりと揺れて、前のめりになるのを、咄嗟に抱きとめた。
腕の中で華奢な体が震えているのがわかった。……息が荒い……。
「有栖ちゃん?」
声をかけても返事がない。
有栖ちゃんの口から途切れ途切れに言葉が漏れる。
「やめ、て……」
はあはあと肩で息をしている。
一瞬躊躇ったが、俺は小さな背中をさすった。
「パパ……やだ……」
有栖ちゃんが苦しそうに胸を押さえる。
「有栖…っ!」
竜之介が走って駆け寄ってくる。
「有栖、大丈夫だから、ゆっくり息をして」
荒い呼吸が次第にヒューヒューと肺や気管から風がもれる音に変わり、背中に触れた掌から彼女から身体から痙攣にも似た震えが伝わってくる。
「有栖、俺にあわせて呼吸して……」
竜之介は有栖ちゃんの隣に座って、落ち着いた声言う。
さっきまで俺に笑いかけてくれていた瞳からは光が消え、だだただ苦悶の色が滲んでいた。
無意識に握っている僕の手に力が入る。
もしかしたら竜之介と間違えているのかもしれない。
「桃、悪い…ここをでよう…有栖は夜の海でフラッシュバックを起こしているみたいだ…」
竜之介は、有栖ちゃんをさっと抱き上げて立ち上がる。
有栖ちゃんはまだ、苦しそうに息をしながら竜之介の首筋に顔をうずめて震えている。
竜之介は俺より少し華奢だったけれど、有栖ちゃんを抱き上げるのは慣れた様子で、俺は初めて竜之介と有栖ちゃんの壮絶な日常をみた気がした。
有栖ちゃんがいつも少し悲しそうに笑うわけも、竜之介がやたら老成して大人びているわけも。
「リュウ…病院は嫌……ひとりになりたくない……」
有栖ちゃんは、はあはあと苦しそうに悶えながら竜之介の腕のなかで力なく首を振る。
竜之介が答える。
「わかってるよ…」
なんて優しい声を出すんだろう。
有栖ちゃんが苦しそうに胸を押さえた拍子にふいにワンピースの前が緩む。
その時俺は見てしまった。
手当はされているものの、彼女の白い胸元に痛々しいほどにたくさんの痣や傷があるのを。
俺は咄嗟に持ってきていた薄手のパーカーを彼女にかけた。
「悪い……」
竜之介は短く言って、その身体を支えて抱えなおすと水族館を後にした。
帰りのタクシーの中で竜之介に身体を預けながら、有栖ちゃんは何度も俺にごめんね、ごめんねと繰り返した。
「本当に…楽しかったんだよ…?」
顔を上げようとする有栖ちゃんを竜之介は制して、
「大丈夫だよ…桃はちゃんとわかってるから…」
と、優しく言う。
本当に竜之介は有栖ちゃんには極上の優しさを見せる。
「そうだよ。俺もすごく楽しかったし!また3人でデートしようよ。秋になったらピクニックとかどう?」
俺が明るく言うと
「そう……だね。ありがとう、桃くん」
有栖ちゃんは嬉しそうに目を細めた。
やがてタクシーは竜之介たちの住むマンションの前でとまり、竜之介は有栖ちゃんを半ば抱き抱えるようにしてタクシーを降りる。
「桃、わるいな…バタバタさせちゃって…」
降りるとき、竜之介が屈んで俺に言う。
いや、俺の方こそなにもできなくて…と言おうとしたら、
「桃がいてくれて良かった…俺も楽しかった」と笑い、有栖ちゃんを支えながらエレベーターに乗り込んで行った。
その傷ついた美しい後ろ姿を、俺は何も言えず見送った。
入り込む隙が全くない2人に見えて、なんだか胸がひりひりした。
その後、竜之介から、有栖ちゃんは暗い海の近くのマンションで父親に酷い暴力を受けたことを聞いた。
どんな酷いことだったのかは、聞かなかったけど、嫌になるほどに予想がついた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
俺と結婚してくれ〜若き御曹司の真実の愛
ラヴ KAZU
恋愛
村藤潤一郎
潤一郎は村藤コーポレーションの社長を就任したばかりの二十五歳。
大学卒業後、海外に留学した。
過去の恋愛にトラウマを抱えていた。
そんな時、気になる女性社員と巡り会う。
八神あやか
村藤コーポレーション社員の四十歳。
過去の恋愛にトラウマを抱えて、男性の言葉を信じられない。
恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。
そんな時、バッグを取られ、怪我をして潤一郎のマンションでお世話になる羽目に......
八神あやかは元恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。そんな矢先あやかの勤める村藤コーポレーション社長村藤潤一郎と巡り会う。ある日あやかはバッグを取られ、怪我をする。あやかを放っておけない潤一郎は自分のマンションへ誘った。あやかは優しい潤一郎に惹かれて行くが、会社が倒産の危機にあり、合併先のお嬢さんと婚約すると知る。潤一郎はあやかへの愛を貫こうとするが、あやかは潤一郎の前から姿を消すのであった。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
【完結】モブのメイドが腹黒公爵様に捕まりました
ベル
恋愛
皆さまお久しぶりです。メイドAです。
名前をつけられもしなかった私が主人公になるなんて誰が思ったでしょうか。
ええ。私は今非常に困惑しております。
私はザーグ公爵家に仕えるメイド。そして奥様のソフィア様のもと、楽しく時に生温かい微笑みを浮かべながら日々仕事に励んでおり、平和な生活を送らせていただいておりました。
...あの腹黒が現れるまでは。
『無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない』のサイドストーリーです。
個人的に好きだった二人を今回は主役にしてみました。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
英雄の可愛い幼馴染は、彼の真っ黒な本性を知らない
百門一新
恋愛
男の子の恰好で走り回る元気な平民の少女、ティーゼには、見目麗しい完璧な幼馴染がいる。彼は幼少の頃、ティーゼが女の子だと知らず、怪我をしてしまった事で責任を感じている優しすぎる少し年上の幼馴染だ――と、ティーゼ自身はずっと思っていた。
幼馴染が半魔族の王を倒して、英雄として戻って来た。彼が旅に出て戻って来た目的も知らぬまま、ティーゼは心配症な幼馴染離れをしようと考えていたのだが、……ついでとばかりに引き受けた仕事の先で、彼女は、恋に悩む優しい魔王と、ちっとも優しくないその宰相に巻き込まれました。
※「小説家になろう」「ベリーズカフェ」「ノベマ!」「カクヨム」にも掲載しています。
『身長185cmの私が異世界転移したら、「ちっちゃくて可愛い」って言われました!? 〜女神ルミエール様の気まぐれ〜』
透子(とおるこ)
恋愛
身長185cmの女子大生・三浦ヨウコ。
「ちっちゃくて可愛い女の子に、私もなってみたい……」
そんな密かな願望を抱えながら、今日もバイト帰りにクタクタになっていた――はずが!
突然現れたテンションMAXの女神ルミエールに「今度はこの子に決〜めた☆」と宣言され、理由もなく異世界に強制転移!?
気づけば、森の中で虫に囲まれ、何もわからずパニック状態!
けれど、そこは“3メートル超えの巨人たち”が暮らす世界で――
「なんて可憐な子なんだ……!」
……え、私が“ちっちゃくて可愛い”枠!?
これは、背が高すぎて自信が持てなかった女子大生が、異世界でまさかのモテ無双(?)!?
ちょっと変わった視点で描く、逆転系・異世界ラブコメ、ここに開幕☆
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる