《完結) エフ -- 夢見るありすと、ある兄弟の物--

夜の雨

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涙 --エピローグ-- 《竜之介》

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有栖が眠っている。
病院から戻ってきた有栖は、ひとりで寝ると言って突っぱねたが、僕が半ば強引に一緒に寝ようとベッドに引っ張った。

また一緒に眠れる日が来るなんて。
日常を取り戻したい。
僕と有栖と、そして兄との3人の日常を。

眠っている有栖を起こさないように、そっと有栖の髪に触れる。
有栖が戻ってきてから毎晩繰り返す僕の祈りの儀式だ。

--- 少しでも背中の傷も心の奥に沈めた深い傷も癒えますように。
祈りを込めて背中を静かに撫でる。
そして、少し腕に力を入れて抱きしめる。

「ん……」
と有栖が身動きする。
起こしてしまったかと慌てて力を抜く。
「リュウ…」
有栖の口が小さく動いて僕の名前を呼ぶ。
「リュウ…大丈夫よ…謝らないで…」
横を向いて眠っていた有栖が寝返りをうって仰向けになる。
どうやら寝言のようだ。

僕はふいに目頭が熱くなるのを感じた。
母が自死して有栖が発狂したときも、父親に乱暴されたときも、僕を庇って脊髄に損傷が残ってしまった時も、耐えてきた。
泣く資格はないと思ったから。
ずっとこらえてきた涙がそんな有栖の一言で一筋の涙が溢れてしまった。

普段、固く固く閉ざした僕の心の底に、一筋のその雫は音もなく静かに落ちて沁みていった。僕が本当に隠している感情が顔をもたげる。

有栖……
そばにいられればそれでいいんだよ。

「有栖…愛している」
一度でいい。

どうしても口に出して言ってみたかった。
彼女の前で。
僕は身を起こし、片手でベッドのシーツに肘をついて身体を支えながら、自分の唇を有栖の形の良い唇にそっと自分の唇を寄せた。
僕の前髪の先が有栖の髪に触れた。
ああ…あと数センチだ…。
僕は自分の唇が震えていることに気づいた。

有栖の吐息が僕の唇をくすぐる。
ほんの、ほんのわずかに唇の先が彼女に触れてしまった気がした。
---駄目だ。 
近づけた唇を離そうとした時、僕の涙が一滴ぽたりとバラ色の有栖の頬に落ちた。

まつ毛が震えて、有栖がゆっくり目を開く。
まるで眠りの森のお姫様が、長い眠りから目を覚ましたみたいに。
すごく間近に有栖の瞳も唇もある。
有栖は驚くこともなく、スレスレに迫った僕の瞳を見ていた。
しばらく僕らは見つめ合っていたのだろうか。

やがて、少し寝ぼけた表情の有栖は、麻痺が少し残った右手で僕の頬を触れた。
その指は不規則に小さく震えていた。
「リュウ…泣いてるの?」
とろんとした声で有栖は言うと、僕の頬を撫でたあと、手を優しく僕の後頭部にまわした。
そして
「大丈夫よ。泣かないで。……私、夢を見ていたの」
と小さく囁くように呟くと、僕をそっと引き寄せて、唇を重ねてきた。やわらかな温もりが唇に痺れるように広がって、僕の前歯に彼女の小さな舌の先が無防備にほんの少しだけ触れるのを感じた。

やわらかで甘い感覚に、僕の思考は全て停止した。頭が真っ白になるって本当にあるんだな。

ゆっくりゆっくりとその唇を離して、潤んだ目で、有栖は僕に微笑みかけた。
「ふふ…久しぶりにリュウにキスしちゃった…リュウ……私のだいじな……」
そこまで言うと、また目を閉じて、すうっと眠ってしまった。

僕はしばらく呆然としていた。
彼女がその後どんな言葉を続けたかったのかわからない。

けれど、僕には彼女が僕のたった一度の告白に答えてくれたような気がして、自分の罪悪感やどす黒い感情を、有栖の慈愛に、優しく洗い流してもらったような気がした。

勝手な、勝手な、勝手な解釈だけど。

有栖……有栖が僕の腕の中にいる。

そしてもう我慢せずに涙を流した。
もういいんだ。
今は泣いてもいいんだ……。


--- end ---
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