篠崎×安西(旧カルーアミルク)

gooneone(ごーわんわん)

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「たまには歩いて行こうか」
 お盆が過ぎると曇りの日は少し涼しく感じるようになった。とは言っても昼間はまだ暑いし、酷暑に慣れた身体が涼しく感じているだけなのかもしれないけれど。
「いいんですか、仕事」
「あぁ、たまには一緒に歩きたい」
 時刻は十六時半。風もあって、今日は一日エアコンも使わずに過ごしていた。気持ちがいいし、もしかしたら篠崎も気分転換をしたいのかもしれない。
「じゃあ、準備しますね」
 土曜日の夕方は大抵二人でスーパーに買い出しに出る。そして食材をたくさん買って、その日の夜と翌日の日曜に、平日の食事の作り置きを用意しておく。平日の昼は篠崎が一人家で食べるので、その分も作る。大変だから作らなくていいと篠崎は言うけれど、できれば栄養のあるものを食べてほしかった。
 それにたくさん作っておけば安西の帰りが遅いときや疲れているときに温めて出してくれるのだ。作ったのは安西で篠崎は温めるだけなのにそれはとても美味しく感じる。篠崎の気遣いが含まれているからだろうか。

 心地よい風に包まれながら歩く。
「だいぶ涼しくなりましたね」
「だが週明けはまた暑くなるらしいぞ」
 知らなかった。でもここ数年は九月が終わる頃まで残暑が厳しいのでそれも普通になってきているのかもしれない。
「体調は大丈夫か」
「え?」
「この暑さでの通勤は辛いだろう」
「あぁ、いえ、車ですし、慣れてますから。それより篠崎こそ日本の湿度と暑さが辛いんじゃないですか」
「暑いっていうより熱いって感じだな」
 苦笑され、同じく苦笑を返す。それでも今のところ篠崎が体調を崩さずにいられるのは自宅で仕事をしているからだろう。きっと通勤となればかなりきついはずだ。
 手を繋ぐことはできないけれど、こうして他愛ない話をしながら並んで歩ける時間はとても穏やかで幸せな時間だ。秋になって暑さがもう少し和らいだらもう少し早い時間から二人で散歩ができたらいい。
 今日は歩きなので重いものは買わなかった。スーパーの中に入っているベーカリーでフランスパンとレバーペーストを買っただけ。買い物というより散歩の気分が勝ってしまって、結局明日の朝車で買い出しに行こうという話になったのだ。たまにはゆったりした土曜の午後もいいだろう、と。
 一つしかない荷物は篠崎が持ってくれたので安西は手ぶらだった。それが申し訳なく思いつつ大切にされているようで嬉しく思いながらの帰り道。
 無意識に声が出てしまった。
「あれ」
 行きには気付かなかった道端の掲示板。そこには『夏祭り』のチラシがあった。
「どうした」
「いえ」
 誤魔化せるか、と思ったものの、やはり敏い篠崎は安西の直前の視線を追った。
「祭りか」
 篠崎は見たままを言っただけだ。夏祭りのチラシ。祭りか。
「……みたいですね」
 誤魔化しを隠すように歩を進める。篠崎も隣を歩いてくれた。
「今週末か。仕事は休みだろう、行ってみようか」
「え……と、」
「ん?苦手か?」
「や、その篠崎は日本の祭りって行ったことありますか?」
 どうにか話題を変えることはできないだろうか。
「……ないな」
 少しの間があったのはきっと記憶を振り返ってきちんと答えようとしてくれたからだろう。
「浴衣とか似合いそうですよね」
「そうか?」
「ええ、背も高いし」
「諒くんも似合いそうだ」
 その声は普段よりゆったりしている。きっと想像しているのだろう。実際に似合うかどうかは別として、好きな人にそう言われて嫌悪を感じる人はいないだろう。
「そうですか?」
「ああ、見たい」
「……けど、持ってないので」
 持っていない。それに、一度も着たことがない。子供の頃なんて、浴衣どころか日常の服ですらおさがりや着回しだったのだ。
「そうなのか」
「日本人でもみんな持ってるわけじゃないですよ」
 笑って言えば篠崎はもう一度そうなのか、と言った。無理矢理作ったいびつな笑顔は暗さで見えなかったに違いない。
「知らなかった。みんな持っているものだと思っていた」
 そのまま話題が祭りに戻らないことに安堵する。どうにか話を変えられただろう。
 本当は一緒に行きたいと思った。けれど安西は祭りに行ったことがない。施設の頃はお金がなくて祭りに行っても何も買えないと思い、惨めになるからと行かなかったのだ。きっと親のいる同級生は渡されたお小遣いで楽しむのだろうと。
 高校生になってアルバイトできるようになっても卒業と同時に始まる一人暮らしのために徹底的に貯金をした。だから社会人になって落ち着くまでお金に余裕があるときなんて一度もなかった。
 今ならお金はある。けれど祭りに行ったらその惨めだった子供の頃を思い出してしまう気がして。そしてそんな自分が嫌だった。もう過去に囚われる必要はないのだから子供の時に遊べなかった分、と思い切り遊べばいいのだ。なのにそう思えずに避けて生きてきた。
 卑屈だ。施設の生活が嫌だったわけじゃない。子供の頃は確かに我慢を強いられることも多かったし子供同士での喧嘩が辛いときだってあった。けれど今こうして大人になれば施設スタッフの苦労だって分かるし、育ててもらっただけで感謝すべきだということも分かっている。実際に心から感謝している。けれど、本音を言えば割り切れないことだってたくさんあった。――ある。
 だから――。
 
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