俺たちは、壊れた世界の余白を埋めている。

惟光

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第10話 偽装開幕

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#第10話 偽装開幕

――これは1年前の、政略結婚騒ぎの話。

ルクシオン本部。
事務所の空気は、いつもよりやけに静かだった。
いや、静かというより、鈍い。
湿ったスポンジみたいに、やる気を吸い取ってくるような。
その中心で、鷹宮ルカはソファに倒れ伏していた。

「…………もう俺、だめだわ。人生終わった。」
「あんた…三日前に“オムライスうまく焼けた!”って喜んでたじゃない。」
「あれが人生のピークだったんだよ……今はもう、谷底。
政略結婚って、どこのラノベだよ……。」

机の奥から書類の束を運んできた蘭子が、ズカズカとヒールで床を鳴らしながら近づいてくる。

「あたしがまとめたこの山ほどの報告書より、あんたの情緒の方が乱高下してんじゃないの?」
「報告書は出せば終わるだろ……結婚届出したら人生が爆発すんの。」
「じゃあ爆発させれば?どーんと行きなさいよ、結婚!逆に!」
「いやいやいや!!」

ルカは勢いよく起き上がり、ソファの上で正座した。

「何その“とりあえず一回やってみ?”みたいな軽率なノリ!俺の人生、もっと繊細だから!!」
『私は良いと思うんだけどなー。』

スピーカーから雪の声がふわりと落ちた。

『披露宴は欠席するけど、会場のカメラ、ハックして見守るね。』
「裏切り者ぉぉぉおおおおお!!」

ルカはソファに倒れこみ、クッションに顔を埋めて絶叫する。

――そこへ、事務所のドアが控えめにノックされた。
ルカはクッションに顔を埋めたまま、声だけで応じる。

「――あいよ、開いてんぞー……俺の心は絶賛クローズ中だけどな……」

カチャ、とドアが開く音。
足音は、ヒールのカツカツでもなければ、スニーカーのペタペタでもない。
歩幅が一定で、無駄がなく、乾いた革靴の音。

「……なんだ、ナオか」

ルカが顔を上げると、いつもと変わらぬ無表情の青年が、茶封筒をひとつ差し出していた。
深い藍色のシャツの袖をまくり、腕時計の位置を微調整するように手首を捻る。

「書類。依頼された分、先にこっちに。」
「おー、ありがとー……助かるわ、もう結婚で死ぬ予定だったけど延命された。」
「……なんだそれ。」

ナオは短く言って、蘭子に軽く会釈した。
無駄口も叩かず、スマートに仕事を済ます。
だが、それが彼にとっての“礼儀”でもあるのだと、ルカは知っていた。

「ナオちゃん、最近来るのちょっと減ったんじゃない?」
「……ほかの現場、ちょっと忙しくて。」
「あら残念。いっそ、正式に入りなさいよ。ルクシオン。」
「考えてないわけじゃないですけど。」

そこで、蘭子の顔が突如明るくなった。

「そーよルカ、私と正式に結婚しちゃえば万事解決じゃない!」

蘭子の爆弾発言に、ルカは茶を吹いた。

「はっ!? 冗談キツいっす姐さん……あ」

茶封筒を握ったまま、ルカの表情がぴたりと止まる。
視線だけが、そっとナオの顔を捉える。

「…………なあ、ナオ。」
「……なんだよ。」
「お前さ――俺と付き合ってくんね?」

その場の空気が、ピタリと止まった。
茶封筒を持ったままのルカがナオを見据え、ナオは微動だにしない。
雪だけが、静かに呟いた。

『――あ、今の、録音したよ。』
「おう、保存よろしく。未来の俺の武勇伝になるわ。」

ルカはソファから立ち上がり、軽く伸びをする。
その顔には、どこか悪戯めいた笑み。
ふざけたようで、芯に冷めた熱を宿す、あのルカ特有の“読めない表情”だった。

「いやぁ、我ながら冴えてんじゃん。政略結婚なんてクソ食らえ。
こっちの方が、よっぽど“対抗策”になるだろ。」
『冴えてる……ねぇ。』
「やっぱ俺、天才だわ。
そんでそのまま、ナオは正式に“関係者”になっちまえよ。」
「…………」

ナオは何も言わない。ただ視線だけを、まっすぐ返した。
その沈黙すら、ルカには心地よいらしい。

「……ちょっと、」

蘭子の声が低く落ちる。
唇を少し尖らせて、腕を組んだ。

「なーによ。あたしと結婚すればって言った時は、鼻で笑ってたくせに。」
「いや、だって姐さんは、そういうの違うっしょ。」
「……あぁん?」
「あーいや……、あー……ちょっと俺、口が滑る日みたい…?」
『いつもだよ』

雪の声が冷静に落ちた。

「……なあ。」

ナオが、初めて声を出す。
低く、抑えた音で。

「今の、本気か?」

ルカは、ふっと口角を上げた。
その笑みは、軽やかさと底意地の悪さと、少しの寂しさが混ざっている。

「さて、どうだろな――でも、名案だとは思ってるよ。
クソ親父よりは、"丸く"収められるかも。」

+++

煌都の夜景を背に、黒塗りの車がホテルの正面口で静かに停まった。
後部座席のドアが、外から開けられるよりも先に、内側から開いた。

先に降り立ったのは、鷹宮ルカ。
黒のスーツに身を包み、ノータイの首元に手をやると、ふと鏡のガラスに映る自分を見て笑った。

「……完璧。」

ニヒルな笑みは、誰にも向けられていない。
ただ一人、戦場に立つ男の顔だった。

続いて降りてきたナオは、深い溜め息をついてネクタイを引き直す。
革靴がアスファルトを踏み、ルカの隣に立った。

「……本気でやんのか、これを…。」
「腹、括っただろ?」
「……お前は切り替え早いな。」
「ナオは意外と切り替え遅ぇのな。」

ナオは、ルカのその軽さに、ほんのわずかに眉を寄せた。
冗談のようで、冗談じゃない。

「雪の裏技使って依頼申請通したし、謝礼も弾んでるし、上々ならボーナスも上乗せ!」
「その手回しの良さが、一番タチ悪いんだよな……。」

ナオは小さく舌打ちして、会場の正面を見上げる。
煌々とライトアップされたホテルのガラス張りエントランス。
その奥では、既に華やかな音と香りが渦を巻いている。

「……で、どう動けばいいんだよ。」
「簡単なことだ、ナオ。」

ルカはゆっくりと振り返り、口元に笑みを乗せる。

「“付き合ってます”って顔で、俺の隣に立ってろ。――それだけで、今夜は充分だ。」

+++

会場に足を踏み入れた瞬間、周囲の空気がわずかにざわついた。

「……今の、鷹宮家の子息じゃない?」
「隣の男……まさか、お付き合いされてる?」

そんな小声が、シャンパンの泡のように弾けては消える。

ルカはにこりと笑い、ナオの腰に軽く手を添えた。
――その瞬間。ナオも、ルカの肩にそっと手を回す。

ぴたり。

二人の動きが、かすかに止まった。

「……ちょ、お前、なんでそうなるんだよ?」
「いや、お前の動きの方が変だろ。こっちのほうが自然。」

「いやいや、頼んだの“恋人役”な?ダーリン見る目で俺を見とけよ。」
「……その顔でダーリン名乗るの、やめてくれ。」

ささやきながら、互いの手を直そうとして、またぶつかる。
歩調も合わず、どちらが主導か探るようにぎこちなくなる。

「……ねぇ、あれって本当に付き合ってるの?」
「さっきから妙にちぐはぐよね……」

すれ違うパーティ客の視線が、ちらりと二人をかすめる。

――ルカは一瞬で笑みを張り直し、ナオの腕を強引に引き寄せた。

「ったく……俺が依頼主なんだから、黙って従え。」

笑顔を貼り付けたまま、口の端で小さく舌打ちする。
ナオは息を呑んだが、仕方なくその肩に身を預けた。

「……顔が近い。気持ち悪い。」
「我慢しろ、任務だ。割り切れ。」

互いの距離は近づいたまま、心の距離は拗ねたように擦れ合っている。

――ふと背後から、穏やかな笑い声がかかった。

「やぁ、鷹宮くん。ずいぶんと華やかな登場じゃないか。」

振り返ると、やや年配の紳士がグラスを片手に近づいてくる。
ルカは作り笑いを浮かべながら、軽く会釈を返した。

「光栄です、田村さん。久々の表舞台ですから。」
「ふふ……ところで、お隣の彼は?」

ナオが一瞬だけ固まる。
ルカはすかさず――けれど、どこかぎこちなく笑みを深め、肘でナオの脇腹を小突いた。

「(……おい、ここはマジでちゃんとやれよ)」

声にならない圧が伝わる。

ナオは、微かに肩をすくめたあと、ゆっくりと一歩前に出る。
視線だけで、ルカに問う。

 ――“あとで文句言うなよ。”

その問いには、怒りも諦めもない。
ただ、静かな覚悟と、わずかな戸惑いが滲んでいた。

そして。
場に一瞬、張り詰めたような沈黙が流れた。
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