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第一章「あなたの妻です」

第十二話「反撃の矢」

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 リーンベイルの凶賊“ドブイタチ”は、森の木の上・・・にいくつもの住居を作っている。
 すべての住居が、監視塔の役割を果たしているのだ。

 その中のひとつに、クレイは幽閉されていた。

 夕闇の中で、松明たいまつがパチパチとはぜている。


「おい坊ちゃん、売り物には手をつけるなよ」

 ベイブがクレイの体に触れようとしたとき、“ドブイタチ”の頭領が言い放った。

「傷モノにされちゃかなわん」
「待てよ、そいつは契約にないぜ。俺はこの女をさらって来いと言ったんだ」
「さらった後、どうするかはこっちの勝手だ」

 そう言って、頭領はニヤリと笑った。

「商売は手広くやらねぇとな」
「そうかい。まあ好きにしろ」

 ベイブとしても、“ドブイタチ”は関わりたくない相手だ。
 しかし“冒険者殺し”サンティの命令とあらば仕方なかった。

「賢い選択だぜ、坊ちゃん・・・・

 “ドブイタチ”の頭領は吐き捨てるように言った。

「しかし、面白くもねえ小娘だ。悲鳴のひとつも上げやしねえ」
「今は別に、声を上げる必要、ないですから」

 手足を縛られたクレイは、きっぱりと言い放った。
 ベイブには、それが滑稽に見えて仕方がない。

 このあと自分がどういうにあうか、わかっていないのだろう。

「お前まさか、あの臆病者のフィンが、助けに来るなんて思ってるんじゃないだろうな?」

 ベイブはそう言ってクレイをあざ笑った。
 しかしクレイはけろりとしている。

「あなたは旦那さまのなにを見て、臆病者だと思ったのですか?」
「そりゃあ……そりゃあよお……」

 ベイブは言葉に詰まった。


 どれだけ暴言を吐かれても。
 クエストを押しつけても。
 報酬をピンハネしても――文句ひとつ言わない。

 それがフィンという冒険者だ。

 しかしベイブにはわかっている。
 それらが“パーティーにしがみつく”ための方便であることを。
 フィンの沈黙は、臆病を意味するわけではない。

 そうわかってはいるのだが――日頃からバカにしている、あのフィンだ。
 “ドブイタチ”のアジトにひとり足を踏み入れるなど、考えられなかった。

「そりゃあ……なんですか? 理由もなくわたくしの旦那さまを侮辱したのですか?」
「うるせぇ黙ってろ!」

 ルビー色の瞳にまっすぐ見据えられ、ベイブは思わず睨み返した。

「……まあ、縛られた女をサカナに酒を飲むのも悪くはねえ」

 ベイブはそう言って、酒壺からじかに飲んだ。

「いい趣味してやがるぜ」

 頭領が笑う――そのときだった。


 ――ドサッ


「おうい、誰か落ちたぞォ!」

 外から声がした。

「……木の上にアジトを構えてると、たまに、ああいうマヌケがいやがる」

 そう呟いた頭領は、小屋の外に出て、大声を上げた。

「どいつだァ! 拾ってやれィ!」

 何人かがハシゴを下りて、落ちている人影に駆け寄った。
 しかし、なにか様子がおかしい。
 人影がびくびくと震えている。

「どうしたァ! さっさと手当してやれェ!」

 頭領が叫ぶと、がなり声が返ってきた。

「カシラァ! 肩に矢が刺さってるッ! 敵襲だッ!」
「なにィ!? 野郎ども、戦闘配置だァ!」


 まさか。

 ベイブがそう思った次の瞬間、隣の木の上にある住居が燃え上がった。

「火矢だッ! 火矢を撃たれてるッ!」

 “ドブイタチ”のアジトには火のついた矢が次々と着弾し、あっという間に炎が燃え広がる。
 ハシゴを降りて避難しようとしている“ドブイタチ”にも、炎は容赦なく襲い掛かった。

「は、ハシゴが……ハシゴが燃えっ……わァァァーーーッ!」

 手下のひとりが樹上から真っ逆さまに落ちていくのを見て、頭領が声を荒げる。

「ちくしょうが! 相手は何人だ!」
「わからねえよカシラァ! 影も見えやしねえ!」

 あっという間に大混乱に陥る“ドブイタチ”。


「火……? いや、そんなはずは……」

 ベイブの脳裏に浮かんだのは、黙々と薬草を集める狩人の顔だった。
 いままで自分たちが何度も足蹴にしてきた、あの――。

「ひとりだ」
「なんだと坊ちゃん?」
「相手はひとりだっつってんだよ!」


 バキバキバキ――


 そう言っている間にも、樹上に点在している“ドブイタチ”のアジトが、次々と焼き落とされていく。
 夕闇に沈もうとしていた森は、瞬く間に火の海と化した。

「あの野郎、人質のことを考えてないのか!?」

 頭領の言葉を聞いて、ベイブが吐き捨てた。

「……あんたがそうやってデカい声を出すからだ」

 “ドブイタチ”のような、ならず者集団が女をさらったのだ。
 せっかくの“商品”を手下どもに見張らせるのはリスクが高い。


「フィンの野郎、人質の位置を……ここを見抜いてやがる……!」


 “ドブイタチ”どもは、燃え上がった住居から、押っ取り刀で下りてくる。

「そこいら中を探せェ! 奴が火をつけたんだ、明かりは十分だ!」

 剣を持った荒くれ者たちが、ハシゴをつたって次々と地面に降り立ち、森の中へと散っていった。

「俺たち相手に舐めた真似してくれやがって。だがここら一帯は俺らの庭みたいなもんだ。すぐに首を持ってくる。そうビクビクすんなって、坊ちゃんよォ」
「ああ……」

 魔物を狩るクエストのことを、ベイブは思い返す。
 どんな難しい立地に放り込んでも、どれだけの数の魔物を押しつけても。
 ベイブはフィンの“ミス”を見たことがなかった。

 嫌な汗が背中を伝う。
 フィンのことは子供の頃から知っているが、ベイブは見たことがないのだ。
 本気で“人間”を相手にしたフィンが、どれだけの腕を見せるのかを。


「ぐああああああ!!」

 悲鳴が聞こえた。
 それもひとりではない。

「ぎゃああああああ!!」
「ひいっ!! ひいっ!!」

 やがて、足を引きずりながら“ドブイタチ”のひとりが、頭領の住居の下にやってきた。

「カシラァ……! 森中に罠が仕掛けてある……ッ! 膝に……矢を……」

 その言葉を引き裂くように、どこからか飛んできた矢が、男の尻を射貫いた。

「ひぐっ!」

 男はドサリと倒れたまま、声も上げずに痙攣している。

しびれ薬を塗ってやがるのか……俺も出るぞ! 坊ちゃんは小娘を見てろ!」

 ドブイタチの頭領は、そのままハシゴを下りるようなことはしなかった。
 密かに森の上に巡らされたロープを、音もたてずに渡っていく。

 樹上に蜘蛛クモの巣のごとく張り巡らされたこのロープは、いわば“動く監視塔”だ。
 下にいる敵を見つけるために、これ以上の手段はなかった。

「ぐえ!」
「がはっ!」

 次々と射貫かれていく部下たちのはるか頭上で、“ドブイタチ”の頭領は狩人の姿を探した。

(どこにいやがる……尻尾を見せろ、襲撃者……)

 頭領の目は“ドブイタチ”の中でもズバ抜けて優れている。


「ぎゃあっ!」


 倒れていく部下たちの影の合間に――いた。
 男が弓を引き絞り、放つたびに、部下がひとり、またひとりと倒されていく。

 ――あれが“盗っ人のフィン”。

(俺の森わたり・・・・は狙った獲物を逃さねえ。死にやがれ!)

 頭領は静かに腰から投げ斧を引き抜くと、フィンに向けて全力で放った。
 “ドブイタチ”の中でも群を抜く、必殺の奇襲戦法であった。

 回転する投げ斧は、その表面に焼け落ちる住居の炎を映しながら、フィンの頭上へとひらめく。


 ――しかし。


「な、なんだとォ!?」


 フィンは“ドブイタチ”のひとりが落とした剣を即座に拾い上げると、投げ斧を叩き折った。
 衝撃で折れた剣を投げ捨てると同時に、フィンは弓を引き絞り矢を放つ。


 だがその先に、頭領はいない。

 頭領はまるで猿のような素早さで、ロープの上を移動しているのだ。


(このまま闇に紛れてしまえば反撃の機会を……んッ!?)

 しかしフィンが狙っていたのは頭領ではない――。



 ――ブツッ

「なあッ!!?」


 放たれた矢が貫いたのは、頭領が足場にしている、ロープそのものだったのだ。
 矢は寸分の狂いもなく、頭上にかかった細いの一本を正確に切断した。

「お、落ちッ……ああああああああッッッ!!!!」

 悲鳴が森に響き渡る。
 頭領は高い木の上から、はるか下の地面に叩きつけられた。

 もう“ドブイタチ”は1匹も残っていない。



 パチパチと、火のはぜる音。
 夜の鳥の羽ばたく音。
 その鳴き声。


 ――勝負は終わっていない。


「フィン・バーチボルトォオオオオ!!」

 静寂を切り裂くように、フィンの背後から声がした。

「おっと、振り向くなよォ……」

 ベイブのいる小屋は、ちょうどフィンの背後に位置している。
 フィンは戦闘が始まって、初めて声を上げた。


「クレイ!! 無事か!?」
「はいっ! 臭いこと以外は大丈夫です!!」


 樹上の小屋から、背中越しに元気な声が返ってきた。
 フィンは内心、ほっとする。

 だが、そこにもうひとり――。


「お前からは見えないだろうがよォ、俺はもうを抜いてんだぜェ?」


 フィンは自分の首筋に、ジリジリと熱いものを感じていた。

 ――殺気だ。


「俺は魔法剣士だ!! 狩人ごとき、相手にならねえんだよォ!!」

 ベイブの怒号が森に響き渡った。
 幾度となく浴びせかけられた罵声が、今のフィンには、むなしく聞こえる。


「……………………」


 フィンは今までなにがあろうと、ベイブに従順だった。
 幼い頃から、けっして逆らうことはなかった。
 大勢の前で馬鹿にされようと、どんな屈辱にも耐えてきた。

 しかし今のフィンの心には、冷たい炎が宿っている。
 それは生まれて初めて、ベイブに弓を引く覚悟だ。



「……試してみるか?」



 ベイブに背を向けたまま、フィンは言った。




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