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35.藍音
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バレンタインにホワイトデー、彼と過ごすはずの楽しい予定は全て一人で見送ることになった。
定期的に様子を見に来てくれるナツを追い返すのも申し訳なくて、今日はなんとなく近くの公園までふらりと出掛けてきた。
最近では過剰に心配されることが少し苦痛だ。
先日は無理に口付けようとした彼を全力で振り解いて追い出した。
というのも蒼真がいなくなってはや三ヶ月以上が経つというのに、ミルカは一度も精を摂取していない。
別に意地を張っているわけでも、我慢しているわけでもなかった。
これにはミルカ自身驚いているのだが、全く食欲が湧かないのだ。
蒼真がいなくなればきっと今までと同じ生活に戻るだろう。
そう思っていたのに、街に出ても食指は動かない。
目の前から消えても、帰ってくるのかわからなくても、彼以外のことが考えられない。
精気の味はもちろん、触れる指先も、執拗なキスも、余裕を感じさせる笑顔も、なにもかもが忘れられないでいる。
「そーま様……、早く戻ってきて。ミルカさみしいよ……」
小さな呟きは溢れる涙と共に初夏の風に攫われる。くすんと鼻を鳴らしたミルカの隣にふと感じる気配。
不思議に思い横を見れば、ふわりとした長い亜麻色の髪を揺らす女性が興味深そうにミルカを眺めていた。
そこに先ほどまで誰もいなかったはずだ。いくらぼうっとしていてもそれくらいは判別できる。
「ひっ?!」と叫んだミルカはベンチ端へ身を寄せる。
鷹夜と同じ歳くらいだろうか。もちろん初対面だ。
こんな知り合いなどいない。
驚きでバクバクする心臓に手を当てる姿に、目の前の女は薄い琥珀色した瞳を猫のように細めた。
「驚かせちゃった? ごめんね、悪魔のお嬢さん。私は藍音よ。よろしくね」
にっこり浮かぶ人懐っこい笑顔。
だが気を取り直し、腕組みして足を組んだミルカは、冷ややかな視線を差し出された手に落とす。
薄い色素の瞳に、特有のオーラ。それにミルカを「悪魔のお嬢さん」と言い切った。目の前の女は間違いなく天使だ。
しかも鷹夜よりよほど上級に見える。
「なにが、よろしくよ。白々しい。天使は嫌いなの。消されたくなければどっか行ってよね。ミルカ強いんだから、あんた如きじゃ使役できないわよ」
「うんうん、そうだねぇ。よろしくね、ミルカちゃん。可愛い名前だね」
「あ! しまった……。馴れ馴れしく呼ばないでよ!」
「えー、仲良くしようよぉ」
知られてしまった名前にミルカは苦い顔をする。
ずいと寄ってくる藍音から遠ざかるにも既にベンチの端だ。
ツンと顔を背けるミルカを楽しそうに覗き込む顔は無性に腹が立つ。
しかも濃いアルコールの香りが鼻を掠める。
よく見れば彼女の手には薄い林檎色の液体が入った瓶と、小さなコンビニの袋があった。
「お姉さんとお友達になろ? はい、お近づきの印♡」
持っていたコンビニの袋からもう一本同じ瓶を取り出し、ミルカの目の前に差し出す。
天使は淫魔を蔑むものばかりで、特に同性はそれが顕著だ。ミルカとしては「嫉妬おつかれさまでーすw」くらいにしか思っていないけど。
だが藍音は機嫌の良い笑みを浮かべている。彼女の友好ムードはミルカにとって不気味に映った。
「いやよ! 天使の女って特に嫌い。私たちはいやらしいことなんかしませーん、て顔しちゃってさ。そんなこと絶対あり得ないでしょ。清楚系ビッチよ、絶対! だってソウマ様なんかめちゃくちゃエッチなんだから! ああんミルカ以外にも知ってる女がいるなんて悔しいー!」
最後はなかば叫ぶようになってしまった。そもそもの発端は鷹夜に元カノの情報を聞き出そうとしたことだった。
一連の流れと同時に、過去の女へのモヤモヤした感情も思い出してしまったのだ。
急にヒートアップしたミルカにぽかんと目を丸くした藍音は次いでパチパチと瞬きし、ぶはっと派手に噴き出した。
黙っていればいかにも天使なのに、笑い方はいっそ豪快だ。
酒を飲みながら話しかけてくる天使も初めて見たけど。
今度はミルカが呆気に取られる。
「めっちゃ叫んでるし! いやーウケるわぁ。面白いねぇミルカちゃん」
「なによ、変な女。天使ってみんな気取ってるのに」
「それは偏見だよー」
「偏見持ってるのはそっちじゃない。天使なんてどいつもこいつも腹が立つ奴ばっかよ。ソウマ様は別だけど」
ふんと顔を逸らすミルカを藍音は全く気にしない。
興味深そうに覗き込んでくる悪戯っぽい瞳はほんの少し、恋しい彼を思い出してしまう。
「そのさっきからちょいちょい出てくるソウマ様について聞きたいな。どんな関係? ミルカちゃんはどう思ってるの?」
「言うわけないでしょ。どっか行ってよ。目障り。不快。消えて」
「ひっどーい!」
大袈裟に悲しんでみせるアイネは横目でミルカを見やり、口元を手で押さえながらくふふと笑う。
完全に面白がっている。じとりと睨んで見せても彼女はより一層ケラケラ笑うばかりだ。
定期的に様子を見に来てくれるナツを追い返すのも申し訳なくて、今日はなんとなく近くの公園までふらりと出掛けてきた。
最近では過剰に心配されることが少し苦痛だ。
先日は無理に口付けようとした彼を全力で振り解いて追い出した。
というのも蒼真がいなくなってはや三ヶ月以上が経つというのに、ミルカは一度も精を摂取していない。
別に意地を張っているわけでも、我慢しているわけでもなかった。
これにはミルカ自身驚いているのだが、全く食欲が湧かないのだ。
蒼真がいなくなればきっと今までと同じ生活に戻るだろう。
そう思っていたのに、街に出ても食指は動かない。
目の前から消えても、帰ってくるのかわからなくても、彼以外のことが考えられない。
精気の味はもちろん、触れる指先も、執拗なキスも、余裕を感じさせる笑顔も、なにもかもが忘れられないでいる。
「そーま様……、早く戻ってきて。ミルカさみしいよ……」
小さな呟きは溢れる涙と共に初夏の風に攫われる。くすんと鼻を鳴らしたミルカの隣にふと感じる気配。
不思議に思い横を見れば、ふわりとした長い亜麻色の髪を揺らす女性が興味深そうにミルカを眺めていた。
そこに先ほどまで誰もいなかったはずだ。いくらぼうっとしていてもそれくらいは判別できる。
「ひっ?!」と叫んだミルカはベンチ端へ身を寄せる。
鷹夜と同じ歳くらいだろうか。もちろん初対面だ。
こんな知り合いなどいない。
驚きでバクバクする心臓に手を当てる姿に、目の前の女は薄い琥珀色した瞳を猫のように細めた。
「驚かせちゃった? ごめんね、悪魔のお嬢さん。私は藍音よ。よろしくね」
にっこり浮かぶ人懐っこい笑顔。
だが気を取り直し、腕組みして足を組んだミルカは、冷ややかな視線を差し出された手に落とす。
薄い色素の瞳に、特有のオーラ。それにミルカを「悪魔のお嬢さん」と言い切った。目の前の女は間違いなく天使だ。
しかも鷹夜よりよほど上級に見える。
「なにが、よろしくよ。白々しい。天使は嫌いなの。消されたくなければどっか行ってよね。ミルカ強いんだから、あんた如きじゃ使役できないわよ」
「うんうん、そうだねぇ。よろしくね、ミルカちゃん。可愛い名前だね」
「あ! しまった……。馴れ馴れしく呼ばないでよ!」
「えー、仲良くしようよぉ」
知られてしまった名前にミルカは苦い顔をする。
ずいと寄ってくる藍音から遠ざかるにも既にベンチの端だ。
ツンと顔を背けるミルカを楽しそうに覗き込む顔は無性に腹が立つ。
しかも濃いアルコールの香りが鼻を掠める。
よく見れば彼女の手には薄い林檎色の液体が入った瓶と、小さなコンビニの袋があった。
「お姉さんとお友達になろ? はい、お近づきの印♡」
持っていたコンビニの袋からもう一本同じ瓶を取り出し、ミルカの目の前に差し出す。
天使は淫魔を蔑むものばかりで、特に同性はそれが顕著だ。ミルカとしては「嫉妬おつかれさまでーすw」くらいにしか思っていないけど。
だが藍音は機嫌の良い笑みを浮かべている。彼女の友好ムードはミルカにとって不気味に映った。
「いやよ! 天使の女って特に嫌い。私たちはいやらしいことなんかしませーん、て顔しちゃってさ。そんなこと絶対あり得ないでしょ。清楚系ビッチよ、絶対! だってソウマ様なんかめちゃくちゃエッチなんだから! ああんミルカ以外にも知ってる女がいるなんて悔しいー!」
最後はなかば叫ぶようになってしまった。そもそもの発端は鷹夜に元カノの情報を聞き出そうとしたことだった。
一連の流れと同時に、過去の女へのモヤモヤした感情も思い出してしまったのだ。
急にヒートアップしたミルカにぽかんと目を丸くした藍音は次いでパチパチと瞬きし、ぶはっと派手に噴き出した。
黙っていればいかにも天使なのに、笑い方はいっそ豪快だ。
酒を飲みながら話しかけてくる天使も初めて見たけど。
今度はミルカが呆気に取られる。
「めっちゃ叫んでるし! いやーウケるわぁ。面白いねぇミルカちゃん」
「なによ、変な女。天使ってみんな気取ってるのに」
「それは偏見だよー」
「偏見持ってるのはそっちじゃない。天使なんてどいつもこいつも腹が立つ奴ばっかよ。ソウマ様は別だけど」
ふんと顔を逸らすミルカを藍音は全く気にしない。
興味深そうに覗き込んでくる悪戯っぽい瞳はほんの少し、恋しい彼を思い出してしまう。
「そのさっきからちょいちょい出てくるソウマ様について聞きたいな。どんな関係? ミルカちゃんはどう思ってるの?」
「言うわけないでしょ。どっか行ってよ。目障り。不快。消えて」
「ひっどーい!」
大袈裟に悲しんでみせるアイネは横目でミルカを見やり、口元を手で押さえながらくふふと笑う。
完全に面白がっている。じとりと睨んで見せても彼女はより一層ケラケラ笑うばかりだ。
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