Alice from Hell

藻上 狛

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捕らわれた罪人

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底知れぬ冷たい目と目が合う。
アリスは先端に血の付着した漆黒の剣を片手に下げて黒いネズミを見下ろしていた。
その剣は間近で見ると緩く湾曲していて、1箇所短い爪のある不思議な形をしていた。
それが黒いネズミに振り下ろされれば一溜まりもないだろう。

「どうして黒いネズミがここにいるんだ?」

アリスの訝しげな視線が黒いネズミに刺さる。
どうして、と言われてもそれを一番問いたいのは黒いネズミ自身だった。
また、アリスの質問の意図もよく分からなかった。

「さっき、そこの大蛇に吹っ飛ばされて、そこのお茶会まで落ちてきたんだ」
「ふーん」

アリスは視線を蛇にやった。おそらく勘違いだが、黒いネズミには蛇が気まずげに身をすくませたように見えた。
更にアリスはお茶会のドームの方へ視線をやる。帽子屋と三月ウサギ、ドードーが凍りついて動かなくなるのが遠目に窺えた。
だがアリスはどちらもどうでも良さそうに視線を黒いネズミに戻した。いや、黒いネズミの背後のものを注視している。

「そのウサギはまだ生きているな」
「……えっ」

思わず地に伏した白ウサギを見返した。
ぐったりとして動かないが、辛うじて息があるのだろうか。
冷たい殺気を感じて黒いネズミは咄嗟に腕を広げて前へ向き直った。
アリスがまさに剣を振り上げていた。

「ま、待って」
「どうして黒いネズミが白ウサギを庇う?」

アリスは忌々しそうに吐き捨てた。
初めて見る露骨な嫌悪の表情だった。
その表情に黒いネズミは痛ましさを感じた。

「じょ、女王に会いたいんだ」
「……女王?」

片眉を釣り上げて、黒いネズミの瞳をじっと見る。天に掲げられた剣先がいつ自分の喉元に突き刺さってくるか分からない恐怖を感じながら黒いネズミは見返した。

「……よく分からないけど。お前がそうしたいならそうすると良い」

予想外なことにアリスはあっさりと剣を降ろした。
黒いネズミと白ウサギを見て不愉快そうに眉間に皺を寄せながら、一歩後退して片手を挙げた。
すぐに上空からヒィゥゥゥンと高音が鳴って先程の大鷲がアリスに向かって滑空してきた。

大鷲が突風と共に舞い降りる。
アリスは素早くその背に飛び乗ってあっという間に上空へ舞い上がっていった。
大鷲が見えなくなると役目を終えたからか、土人形は地面に溶けるように沈んでいき、大蛇はトランプ達の残骸を乗り越えて森の中へと消えていった。
黒いネズミは立ち尽くしてただそれを見送っていた。

喧騒が去ると、何事も無かったかのような静寂が辺りを包んだ。ただそこに散らばった戦闘の跡と、背後で死にかけている白ウサギが惨劇を物語っていた。
死んでもおかしくなかった状況から生き残ったことを実感して黒いネズミの体から力が抜けていく。
これまで脈動して循環していた血液が薄くなり、視界の外側から黒く染まっていく。

気を失う、と自覚しても止めることはできない。

まるで睡魔に負けるように黒いネズミは瞼を下ろしていって意識を手放した。



アリスは白ウサギを殺しに来た。

ーーアリスはみんなを殺そうとする

アリスはトランプ達を切り裂いた。

ーーアリスは白ウサギも女王も殺す気でいる

アリスは黒いネズミを殺さなかった。

ーーアリスはみんなを殺そうとする


このまま眠って目を開けたら目が覚めないだろうか。夢から目が覚めて、いつもの布団の上でいつもの日常に。



**********



キラキラと明るい光りが見える。

あれはーーイルミネーションだ。
奥山麻也おくやまあさやの在籍する大学は冬になると学務科が校内を装飾する。
校舎を出ると両サイドの門がピカピカと明滅するのが視界に入るのだが、友人達の評判はあまりよろしくなかった。
「あの安っぽい装飾に経費が回されるなら取りやめて俺達の学費を減らして欲しい」とはその中の1人の言葉である。
黒縁の丸い眼鏡をかけていつもせっかちそうにバイトに明け暮れている同級の男だ。
麻也も苦学生であるのは同じなので気持ちは理解できた。

12月の終わり頃、その光を見ながら校舎を後にしようとしていた時。学科の課題を後輩とこなして帰るところだった。
大学前の通りで待機していたTVクルーに掴まったのだった。大学生を対象にした街頭インタビューで、クリスマスに何をするかとか時節的な話を聞かれた気がする。
その流れで隣に居た後輩に対して「彼女さんですか?」等と言われるので返答に困ったのを覚えている。
戸惑いながら否定するのを、他人事のように口元を押さえてクスクスと笑っていたあの後輩。

なんだか最近、似たものを見た気がする。

最近っていつだろう。

あの冬の日だってそんなに前の出来事ではない。





**********



眩い光を感じて眠りから目が覚める。
パチパチと瞬いて上体を起こした。見回すと辺りは薄暗くシンとしている。
三方に石造の壁が立ち塞がり、自分が狭い部屋のような閉ざされた空間にいることが分かった。
残る一方には鉄格子が嵌っていて、まるで牢屋の中にいるようだった。
上方の小窓から陽光が差し込んで一筋の線となって横たわっていた辺りを照らしている。

「また悪い夢か」
「おい、目を覚ましたぞ罪人が」
「おい、あれはネズミだ罪鼠だ」

ボソボソと声がした方に目を凝らすと鉄格子の向こうにトランプ兵の影が見えた。

「罪人?」
「罪鼠が声をかけてきたぞ」
「違う、『罪人』に呼びかけてるんだ。俺達は罪人じゃない」

黒いネズミは鉄格子にしがみついて怒鳴った。

「そこのトランプ兵、何で俺はこんなところに入れられてるんだ!?」

トランプ達はぴょんっと跳ねると黒いネズミの方を見遣ってまたボソボソと話し始めた。

「何でかって聞いてるぞ」
「罪鼠を牢屋に入れるのは当たり前だよな」
「ああ、罪の無いものは牢屋には入れない」

容量を得ない答えに焦れて黒いネズミは唸った。

「罪って何だ?訳の分からない夢の中で訳の分からないものに襲われることか?」
「やれやれ。訳の分からない質問をされたぞ」
「ああ、ちんぷんかんぷんだ。大体牢屋に入ってるやつが何で入ってるかなんて、
「ドードー達はどうしたんだ?帽子屋と三月ウサギは?俺は確か、お茶会に飛び込んで、蛇に襲われて……そうだ、アリスが来て、気を失ったんだ」
「ああ、ドードーなんて知らないな」
「帽子屋の奴らはあそこでずーっとお茶会をしてるんだ」
「そういえばそこでネズミを捕まえたって聞いたな」
「だから、何で捕まるんだよ。トランプがいるってことはここはまさか女王の城の牢屋なのか?」
「ああ、ここはハートの女王様の城だな」
「ああ、煩いぞ罪鼠」

大人しくしていろよ、と格子の隙間から槍の柄で小突かれてゴロン、と転がされる。
人間の姿だったらあんなペラペラな奴ら倒せそうなものなのに。それにしたってどうして自分が女王の城に捕らわれるのか、全く心当たりがない。白ウサギを助ければ女王に会えると思っていたが、こんな出会い方は想定外だ。


「へっへっへ」


己の境遇に頭を抱えていると、奇妙な笑い声が聞こえた気がして黒いネズミは辺りを見回した。一瞬トランプのどちらかと思ったが、どちらの声とも違うしトランプ達は微動だにしていない。それに声は自分の上方から聞こえた気がする。

「なあ、今何か聞こえなかったか?」
「罪鼠の声が聞こえるぞ」
「今っていつだ?」
「今は今って言った時が今だ。今って言った時に聞こえたのは罪鼠が今って言った声だ。だから今って言ってる罪鼠の声が聞こえたな」
「ああもう、クソトランプども」

黒いネズミは頭を抱えて地面に伏せた。自分は頭がおかしくなったのかもしれない。
そもそも一度気を失ったのに目が覚めてもネズミのままで、おかしな事態は続いている。
本当にこれはただの夢じゃないのか?
生々しい冷えた肌の感覚、毛むくじゃらの体、足に直接触れる冷たい石の感触。人間だった時が夢だったのかと思う程に実感がある。
気がおかしくなりそうな黒いネズミの耳に、今度はカーン、カーン、と硬いものがぶつかるような音が聞こえてきた。

「あれは?あれも幻聴か何かか?」
「おい、罪鼠には幻聴が聞こえるらしい」
「哀れなネズミだ。これから裁判が始まるというのに、女王様の御前でそのお声もネズミには届かない。裁判員が近づく音も聞こえてないのだろうな」
「裁判だって!?」

カーン、と杖をついてハートのJジャックが鉄格子の前に現れた。

「黒いネズミを出せ。女王様の御名において裁判を執り行う」
「待った、俺が何をしたって言うんだ」

格子が外から開いて裏返った声を上げる黒いネズミをトランプ兵が両脇から捕らえる。
腕を持ち上げられて爪先立ちの宙ぶらりんになりながら、為す術もなく引き立てられていく。
階段を上がっていくつかの扉をくぐり抜けていると、いつの間にか足元が無骨な石畳から深紅の上等なカーペットに変わっていた。
黒いネズミが足先で長毛の柔らかい毛並みを撫でていると、眼前に両開きの大扉が迫っていた。
両脇のトランプ兵がようやく黒いネズミを降ろしたかと思うと、ハートのJが振り返って黒いネズミの両腕を纏めて縄でぐるぐる巻にした。

「こんな事してどういうつもりだ」
「裁判だ。女王様の御名において、厳粛に裁かれよ」

2人のトランプ兵が大扉を開いていく。
抗議しようとした黒いネズミの口はその先の光景に気圧されて開いたまま固まった。

長方形の奥行きある広い部屋。両サイドに階段上の席がカーブを描いて連なっていた。
がらんどうの座席が無言の威圧感を持って罪人を見下ろしている。
部屋の反対側の行き止まりには雛壇のようなものが鎮座しており、壇上には御簾がかかって中の様子は窺えない。
開いた扉から雛壇までレッドカーペットは続いていて、丁度雛壇の下、仰ぎ見る位置に証言台のような木の柵が置かれていた。

何より真に迫った空気に黒いネズミは息を呑んだ。
巫山戯た世界で巫山戯ているように見える連中も、大真面目にやっているのだ。真剣に黒いネズミを裁こうとしている。

証言台まで縄を引かれて連行される。
アリスは軽々と切り裂いていたが、縛られた黒いネズミはトランプ達から逃げ出す事すら叶わないだろう。
いつの間にかハートのJが雛壇の上の御簾の傍に控えていた。
姿の見えないその奥から高圧的な声が高らかに響いた。

「裁判を始める!!」


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