Alice from Hell

藻上 狛

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アリスと3人の騎士

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「ドードー!走ってくれ!」
「どこに?あいつらの居ない方にか?」
「逆だよ!白ウサギを助けるんだ!」

白ウサギは円形の庭園の外縁をなぞるように走っていた。遂に姿を現した大蛇がそれを追いかけて長い胴体を滑らせていく。
白ウサギはどうにかドームの方へ向かおうとしていたが、蛇にそれを阻まれては飛び跳ねていた。
ドームの中では帽子屋たちが身動きも取れずに戦々恐々としていた。
ドードーは苛立たしげに黒いネズミを睨みつける。

「馬鹿っ!蛇の餌になれってかっ!」
「俺がドードーの背に乗って白ウサギを掴むから、それで逃げられない?」

ドードーは目を剥いて羽をばたつかせると嘴を鳴らして黒いネズミに食って掛かった。

「馬鹿っ!アホっ!間抜けっ!唐変木っ!全員蛇の餌だっ!」

黒いネズミはその勢いに軽く後ろによろめく。白ウサギはどうにか逃げていたがそれも時間の問題に思えた。
蛇の尾と胴体と頭、全てに翻弄されて体力も尽きそうだ。

「馬鹿なネズミ、どうしてそこまでして白ウサギを助けたいんだ?」
「女王に会いたいんだ。パンジー達が白ウサギを助ければ女王に会えるって」
「おい、あいつらの言うことを何でも真に受けるな。女王なんて白ウサギを助けなくたって会えるだろ」
「でも、目の前で食われそうになってるのに」
「そんな事言ったってどうせ大丈夫さ」

そこで黒いネズミは気がついた。この中の誰も白ウサギのことを心配していないのかもしれない。
いや、帽子屋と三月ウサギは黒いネズミとは違った理由で心配していそうだが。

そんな事を考えているとピィーーッとつんざくような悲鳴が響き渡った。

遂に白ウサギが蛇の射程に入り、諦めたように体を横たえたのだった。
その光景を目の当たりにして黒いネズミは反射的に飛び出しかけた。
何もできないと分かっていて躊躇する気持ちもあったが、そうせずにはいられなかった。
だがそれも無意味だったとすぐに悟ることになる。


「「「女王様の御名においてぇっ!!!」」」


森から続々と飛び出してきたのは薄っぺらいトランプの兵団だった。トランプと言っても人間の大人くらいのサイズで軍勢となると圧巻だった。
槍を携えて一枚一枚が連なって波のようにうねり一方の兵達は忽ち蛇を取り囲む。
また一方の兵達は隊を組み蛇と白ウサギの間の壁のようになって守っていた。
あっという間の出来事に黒いネズミは口を開けて呆気に取られる。

「だから大丈夫って言っただろ。白ウサギは女王のお気に入りなんだ」

更に何か続けようとするドードーの言葉を掻き消すように帽子屋と三月ウサギが「女王様万歳っ!」と唱和する。
確かにトランプたち、女王の勢力は圧倒的に見えた。
取り囲まれた蛇は威嚇をしながらもじりじりと円形に囲んだトランプ兵の壁に詰め寄られていく。
その場の誰もが女王の勝利を確信し、黒いネズミも体の緊張を解いた。


ザシュッ


その時だった。
上空から何かが一閃し、「ギィエェェェッ」とゾッとするような悲鳴がトランプの壁の向こうから響いた。
本能で感じる命を刈られる予感に全員の体が凍ったように固まった。

「…………」
「……来たぞ」

恐怖で指一本動かすこともできない。辛うじて声を絞り出した帽子屋も、後は血の気を失ってブルブルと震えるだけだった。
対照的にトランプ兵たちは半狂乱で騒ぎ立て始めた。

「ああ白ウサギっ!!」
「女王様の御名においてっ!!」
「ああ白ウサギっ!!」

ある者は虚空に向かって無意味に槍を振り回し、ある者は地に膝をついて助けを求めるように左右を見回している。
統率だった隊列はシャッフルされるトランプのようにバラバラと崩れていく。

「……あいつら、どうしたんだ?」

黒いネズミがカラカラの声で問うとドードーがカチカチと嘴を鳴らして答えた。

「トランプ兵は与えられた命令を遂行するまでは完璧な動きをする。ただ命令が遂行できなくなると何をしたら良いか分からなくなる」
「最悪だっ!ああ無能のトランプどもっ!」
「女王はトランプに白ウサギを守らせたに違いない。なのに白ウサギがやられちまったんだっ!」

自分より無様に慌てるものを見ると冷静になるのか。あるいは最早どうしようもないと諦めたからか。
相変わらず一様に青い顔をしていたが口を動かせるようになってきた。

「何が起きたんだ?白ウサギはどうなったんだ?」
「空から何かが降ってきたっ!」
「今度はネズミなんかじゃない。それは間違いない」
「見ろっ!剣だっ!」

乱れたトランプ達の間から、赤く汚れた白い塊が倒れ伏しているのが垣間見えた。
真っ黒な細身の何かが無慈悲にもそれを貫いて地面に突き立っている。

ギシャァァァァッ

大蛇が右往左往するトランプ達を蹴散らそうと暴れ始める。跳ね飛ばされながらトランプ達は再び槍を構えて蛇に向かっていこうとする。

それらの包囲網を抜けて、地面に伏した白ウサギがただ取り残されていた。
黒いネズミはそれを目にして哀れに思った。必死に助けを求めていた白ウサギの成れの果ては貫かれたところから赤い血を流して、そしてぴくりと震えた。

「……まだ生きてる」
「おい、馬鹿なネズミ」
「誰が生きてるってっ!?」
「蛇とトランプと帽子屋と俺と眠りネズミとドードーと黒いネズミは間違いなくまだ生きてるぜ」
「白ウサギだ!」

黒いネズミは飛び出した。
後ろからドードーの喚く声が聞こえる気がしたが止まらなかった。
倒れ伏した白ウサギの元へ一直線に向かっていくが、ネズミの体ではなかなか遠いのがもどかしい。

まだ、まだ先だ。

全身をしならせて四足獣の動きで走りながら、ふと「あれ、なんで四足で走れるんだ?」と頭によぎった。そんなことを考えなければ良かったが、後の祭りで途端に走り方が分からなくなって黒いネズミはつんのめって転がった。
地面に頭を叩きつけ痛みに耐えていると急にクリアになった聴覚がようやくドードーの悲鳴を捉えた。


「アリスだっ!!」


高い笛のような音が上空から段々と近づいてくる。
地面に落ちた黒い点が黒いネズミとトランプ達を覆い巨大な影になる。
振り返れば両翼で15mはあろうかという大鷲が背後に迫っていた。大鷲は黒いネズミを風圧で転がしながらトランプに向かって直進し、何枚かを嘴で咥え、何枚かを鉤爪で掴んで攫っていくとまた遥か上空へと舞い上がっていった。

黒いネズミは転がった先でぼちゃん、とまた池に落下した。
今度はすぐさま泳いで池の縁にしがみつく。
度重なる襲来に混乱する頭をブルブルと振り水を飛ばす。
水滴の落ちる瞼を押し上げて開いた。
前方にーー白ウサギの傍らに、知らない人影が佇んでいた。


血が乾いたような暗く赤い髪。
白いジャケット。
ベルトで固められた黒いブーツ。


その人影はどれだけそこに立ち尽くしていたか。
一瞬の間が数分にも感じられた。
人影は白ウサギの肩あたりに刺さった剣の柄を掴むと、容赦なく速やかに引き抜いた。

「ゲブッ」

ウサギは血を吐いて痙攣すると、そのまま力無く動かなくなる。


剣を手に取って検分しているような横顔が伺えた。
歳は黒いネズミの本来の姿よりも下に見える青年だった。

その瞳の髪よりも明るく鮮明な赤。

その時黒いネズミの頭が割れるように痛んだ。デジャヴのような感覚。この青年をどこかで知っているような気がして、やはり知らないような気がした。

「っ……ぁぐっ」

また水中に落ちそうになるのを耐える。
直後に痛みすら掻き消すような哄笑が辺りに響き渡った。

「アッハハハハハハハハハハハハハハハ」

天を仰ぎ見て青年が笑っている。
その声を聞くと、体の芯から底冷えするような、悲痛な気持ちにさせられて、黒いネズミはまた痛み出す頭に顔を顰めた。

トランプ兵達の意識は二分されていた。
一方は蛇を取り囲んで応戦せんと陣形を組んでいる。
一方は降って沸いた青年に反射のように槍を向けて壊れた機械のように金切声を上げた。


「アリスだァーーーーッ!!」


それを合図に兵団はきっかり二波に分かれて相手に飛びかかった。
およそ20本の槍が360℃円形になって蛇を全方位から串刺しにせんと向かっていく。
また概ね同数の槍が横隊を組んで青年に向かって突進していく。

「や、やめろ……」

黒いネズミは咄嗟に叫ぼうとして、頭痛で上手く声が出せなかった。
また、トランプ兵達にやめろと言ってどうするのか、とも思う。
アリスは襲い来る槍の群れを冷たく見ていた。その足元からボコボコと土塊が盛り上がっていくのを黒いネズミは見た。

オォォォォォォン

遠くから聞こえるサイレンのような籠もった音が鼓膜を揺らす。
隆起した大地がアリスの前に壁のようになってトランプ達を転がして弾いていった。
土塊はやがて四角い箱のような頭を現し、肩、腕、胴体、足になって1体の土人形ゴーレムがそこに立っていた。
アリスは跳び上がってゴーレムの肩に乗ると、剣を振り上げて完全に体制を崩したトランプ達に向かっていった。

1枚

2枚

4枚

トランプ達が切り裂かれて散っていく。
楽しそうに愉しそうにアリスはクルクルと回ってトランプ達を破っていった。
子供が無邪気に玩具を壊して遊んでいるような光景だった。
ビリビリと紙が裂かれる音とトランプ達の悲鳴が響き渡る。

大蛇はトランプ達を振り払いながら何体かをその牙で串刺しにしていた。
尚も襲いかかるトランプを、追いついたアリスが剣で貫いた。
僅かに残ったトランプ達がアリスの背後を狙うと、土人形が腕を振るって地面に叩きつけた。

戦況は一気に覆っていた。
池から這い上がった黒いネズミは呆然とそれを眺めていた。
誰の目から見ても戦力は圧倒的だったが、数枚のトランプ兵は逃げようともせず無謀に立ち向かっていく。
黒いネズミはそれを遠目に、ヨタヨタと歩いて倒れ伏した白ウサギの元へと辿り着いた。

白ウサギは自身の鮮血で染まっており、白いウサギというより赤いウサギと言った方が正しかった。
フワフワの柔らかそうだった毛は濡れて汚れて見る影もない。
可哀想に、と思うと同時に何故白ウサギが狙われたのかという疑問が湧いてくる。
帽子屋達の言い分では自分達も変わらず殺されると言うが、アリスは真っ先に、そして執拗に白ウサギを狙ったように見える。

黒いネズミが白ウサギの腹に手を寄せた。
まだ温かいような気がしたが、意識もなくこのまま冷たくなってしまいそうだ。
ぬちゃ、と赤い血が手に付着して黒いネズミの掌を汚した。


「そいつに触ったら血がつくぞ」


背後から声がする。
いつの間にか戦闘の音は聞こえなくなっていた。
戦いに終止符が打たれたのだ。
立っているトランプは1枚も無い。
アリスが黒いネズミの後ろに立っていた。

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