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第七話 嫌がらせには倍返し、コソ泥(侍女)は反撃す①
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「落とし物であれば宰相にでも渡しておけばいいだろうが」
「宰相閣下のお姿は、あまり見かけませんので……。ベラ殿下にお預けした方がよろしかったでしょうか?」
「なぜそうなる。いい、余に報告せよ。一介の侍女の分際で、よく頭の回る」
「ふふ。お褒めいただき、ありがとうございます」
時折、ひやりとする質問を投げかけられることはある。
それでも概ね大きな問題はない。順調過ぎるほど順調だから、きっとミリアはうまくやれているのだ。
――万が一どこかで間違えれば待っているのは死かも知れないし、全然安心はできないけど。
さて、そんなこんなを繰り返し、そろそろ盗むものが尽きてきた。
でもだからと言ってここまできて引くことなどあり得ない。代わりに他所から奪ってきたものを「落とし物では?」と言ってみたり、顔を覚えられたことを利用して、毎朝の挨拶をするようにした。
皇帝陛下の前で立ち止まって軽く一礼。思い切り眉を顰められるが気にせず、足早にその場を立ち去る。
それだけ。たったそれだけだ。
けれども目ざとい者たちは、その些細な変化を見逃してはくれなかった。
筆頭はベラ殿下。
偶然、朝の挨拶の際に出会した彼女には「あの兄と何度も言葉を交わせるなんて……」と驚かれた。
ぱっちりとした赤瞳の中には驚愕以外の感情も見えた気がしたけれど、少なくとも彼女のことは心配しなくていい。
面倒なのはそれ以外の人間、主に侍女や下働きたちであった。
「新入りの子、少し生意気じゃなくて?」
「陛下に色目を使うとは命知らずにも程があるでしょう」
「社交界のコソ泥だか呼ばれている娘ですか。侍女としての心構えがなっていないのですよ、きっと」
そんな話し声と共に、社交界では慣れっこな陰口が聞こえてきた。
くすくす、くすくすと笑い、しきりに噂を立てる姿を見て、はぁとため息を吐く。
人形のように整ったミリアの美貌、そしてベラ殿下に気に入られていることを快く思われていないことくらい知っている。だから今までなるべく皇帝陛下に声をかける姿を見られないよう注意してきたのだ。
しかしさすがに隠し通したままでいられるとは思っていなかった。隠し通せればいいと思っていたものの、これは必然に近いと思う。
どうせ囀るだけで何もしてこないだろうとたかを括っていた。
構ってやっている暇はないのである。
でも――実害があるとなれば話は別。
ある夜、侍女の仕事を終えて部屋に帰ってきたミリアは、鼻がひん曲がりそうな悪臭を感じて、顔を歪めずにはいられなかった。
ひっくり返っている化粧台。床一面にぶちまけられた、掃除に使ったあとなのだろうと思われる濁りに濁った汚水。それに浸されてぐっしょりと濡れた替えのドレス数着。
まるで大嵐が過ぎ去ったあとのような惨状だ。
「何よ、これ」
そう呟きながら、すぐにわかった。これは嫌がらせに違いないと。
しかも最悪なことに、ベッドの毛布が乱雑に剥がされ、その中に隠していたものまで踏みにじられてしまったらしい。
フォークロス伯爵家から持ち込むことができた数少ない私物。美しい紫紺の輝きを放っていたはずのペンダントは見る影もなく、鋭利な刃物か何かを執拗に突き立てられたのか、ヒビが走っている。
油断した。
気をつけていれば良かった。まさか、お上品なこの城で、陰口だけでなくあからさまな嫌がらせを受けるとは想ってもみなかったのだ。
貧民街ですら、こんな低俗な嫌がらせをされるのは稀だった。あそこは基本が命と食糧の奪い合いであり、殺るなら一思いに殺る。それに比べればずいぶんと生優しく、そして最高に性質が悪い。
ペンダントを手に取ったミリアは怒りに唇を噛み締めた。
ミリアのお気に入りの盗品はいくつかある。
今髪の毛を束ねているバレッタは他の令嬢からくすねたものだし、大金にならないクズ石などは売り払わずにミリアの手元に残していた。
そして、今回傷をつけられたネックレスもその一つだった。特に綺麗だからと大事にしていたのに、皇帝陛下の攻略に夢中になり過ぎていたのかも知れない。
これはミリアのコソ泥としての矜持の象徴、生きてきた証に等しかった。
貧民街で過ごした頃も、フォークロス伯に拾われてからもずっとお守りのようなものだったし、侍女になるため城に入るまでは片時も離さずに持っていたくらいである。
幸いなことに粉々に割られたわけでもチェーンをズタズタにされたわけでもないので、磨けば元通りになりそうだけれど。
「ムカっ腹が立つわねぇ」
これほど憤怒したのは、ずいぶんと久しぶりな気がする。
今はあくまで皇帝陛下の最愛の座を奪うことを優先させるべきであり、騒動を起こすのはあまり望ましくないとしても――ここまでの仕打ちを受けて黙っておこうとは微塵も思えなかった。
やられたらやり返す。倍返しだ。
皇家の影の目を欺き、皇帝陛下から何度も何度も窃盗をしてきた実績のあるミリアを舐めるとどうなるか、思い知らせてやろう。
ヒビが入ったままのペンダントは胸の中に仕舞った。さすがに首に下げておくのは目立ち過ぎるが、こうしておけばもう心配はないはずだから。
荒らされまくった部屋を掃除し片付けたミリアは、一休みする暇も惜しんで再び外へ出た。
「宰相閣下のお姿は、あまり見かけませんので……。ベラ殿下にお預けした方がよろしかったでしょうか?」
「なぜそうなる。いい、余に報告せよ。一介の侍女の分際で、よく頭の回る」
「ふふ。お褒めいただき、ありがとうございます」
時折、ひやりとする質問を投げかけられることはある。
それでも概ね大きな問題はない。順調過ぎるほど順調だから、きっとミリアはうまくやれているのだ。
――万が一どこかで間違えれば待っているのは死かも知れないし、全然安心はできないけど。
さて、そんなこんなを繰り返し、そろそろ盗むものが尽きてきた。
でもだからと言ってここまできて引くことなどあり得ない。代わりに他所から奪ってきたものを「落とし物では?」と言ってみたり、顔を覚えられたことを利用して、毎朝の挨拶をするようにした。
皇帝陛下の前で立ち止まって軽く一礼。思い切り眉を顰められるが気にせず、足早にその場を立ち去る。
それだけ。たったそれだけだ。
けれども目ざとい者たちは、その些細な変化を見逃してはくれなかった。
筆頭はベラ殿下。
偶然、朝の挨拶の際に出会した彼女には「あの兄と何度も言葉を交わせるなんて……」と驚かれた。
ぱっちりとした赤瞳の中には驚愕以外の感情も見えた気がしたけれど、少なくとも彼女のことは心配しなくていい。
面倒なのはそれ以外の人間、主に侍女や下働きたちであった。
「新入りの子、少し生意気じゃなくて?」
「陛下に色目を使うとは命知らずにも程があるでしょう」
「社交界のコソ泥だか呼ばれている娘ですか。侍女としての心構えがなっていないのですよ、きっと」
そんな話し声と共に、社交界では慣れっこな陰口が聞こえてきた。
くすくす、くすくすと笑い、しきりに噂を立てる姿を見て、はぁとため息を吐く。
人形のように整ったミリアの美貌、そしてベラ殿下に気に入られていることを快く思われていないことくらい知っている。だから今までなるべく皇帝陛下に声をかける姿を見られないよう注意してきたのだ。
しかしさすがに隠し通したままでいられるとは思っていなかった。隠し通せればいいと思っていたものの、これは必然に近いと思う。
どうせ囀るだけで何もしてこないだろうとたかを括っていた。
構ってやっている暇はないのである。
でも――実害があるとなれば話は別。
ある夜、侍女の仕事を終えて部屋に帰ってきたミリアは、鼻がひん曲がりそうな悪臭を感じて、顔を歪めずにはいられなかった。
ひっくり返っている化粧台。床一面にぶちまけられた、掃除に使ったあとなのだろうと思われる濁りに濁った汚水。それに浸されてぐっしょりと濡れた替えのドレス数着。
まるで大嵐が過ぎ去ったあとのような惨状だ。
「何よ、これ」
そう呟きながら、すぐにわかった。これは嫌がらせに違いないと。
しかも最悪なことに、ベッドの毛布が乱雑に剥がされ、その中に隠していたものまで踏みにじられてしまったらしい。
フォークロス伯爵家から持ち込むことができた数少ない私物。美しい紫紺の輝きを放っていたはずのペンダントは見る影もなく、鋭利な刃物か何かを執拗に突き立てられたのか、ヒビが走っている。
油断した。
気をつけていれば良かった。まさか、お上品なこの城で、陰口だけでなくあからさまな嫌がらせを受けるとは想ってもみなかったのだ。
貧民街ですら、こんな低俗な嫌がらせをされるのは稀だった。あそこは基本が命と食糧の奪い合いであり、殺るなら一思いに殺る。それに比べればずいぶんと生優しく、そして最高に性質が悪い。
ペンダントを手に取ったミリアは怒りに唇を噛み締めた。
ミリアのお気に入りの盗品はいくつかある。
今髪の毛を束ねているバレッタは他の令嬢からくすねたものだし、大金にならないクズ石などは売り払わずにミリアの手元に残していた。
そして、今回傷をつけられたネックレスもその一つだった。特に綺麗だからと大事にしていたのに、皇帝陛下の攻略に夢中になり過ぎていたのかも知れない。
これはミリアのコソ泥としての矜持の象徴、生きてきた証に等しかった。
貧民街で過ごした頃も、フォークロス伯に拾われてからもずっとお守りのようなものだったし、侍女になるため城に入るまでは片時も離さずに持っていたくらいである。
幸いなことに粉々に割られたわけでもチェーンをズタズタにされたわけでもないので、磨けば元通りになりそうだけれど。
「ムカっ腹が立つわねぇ」
これほど憤怒したのは、ずいぶんと久しぶりな気がする。
今はあくまで皇帝陛下の最愛の座を奪うことを優先させるべきであり、騒動を起こすのはあまり望ましくないとしても――ここまでの仕打ちを受けて黙っておこうとは微塵も思えなかった。
やられたらやり返す。倍返しだ。
皇家の影の目を欺き、皇帝陛下から何度も何度も窃盗をしてきた実績のあるミリアを舐めるとどうなるか、思い知らせてやろう。
ヒビが入ったままのペンダントは胸の中に仕舞った。さすがに首に下げておくのは目立ち過ぎるが、こうしておけばもう心配はないはずだから。
荒らされまくった部屋を掃除し片付けたミリアは、一休みする暇も惜しんで再び外へ出た。
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