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第二十話 皇帝陛下が強く在る、その理由
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「素敵ですわ……」
「そうか?」
「皇帝陛下には粗品に思えてしまうのかも知れませんけれど、十二分に素敵なものでございます」
少し大袈裟に、しかし半分以上は本心でうっとりと呟くミリアを、皇帝陛下が不思議そうに眺めていた。
皇帝陛下はまったくもって乙女心というものを理解できていないらしい。もっとも、ミリアが喜んでいるのは全く別の意味だけれど。
――これを売り捌けば一年間は余裕で生きていけるじゃない。なんてすごいのかしら!
ミリアと皇帝陛下の腕には揃いのブレスレットが嵌められている。
ミリアのものは赤、皇帝陛下のものは青色に輝く模造品の宝石が散りばめられたものだ。
初めてのデートの記念にはちょうど良かった。
本物の宝石、たとえば思い出の盗品であるペンダントの紫紺の宝玉とは比べ物にならないとはいえ、綺麗なのは間違いない。コソ泥時代にこんなものを手に入れられていたなら飛び上がって喜んだだろう。
それぞれの瞳の色をあえて選んだのは、少しでも皇帝陛下にミリアのことを強く意識させたい故。そして当然ながら周囲へ主張するためでもあった。
皇家の影の視線をそこら中に感じる。
人数は五、六人といったところか。物陰や天井、人混みの中から突き刺さってくるそれは、城の中でこちらの行動を監視していた頃の……つまりあの月夜以前の皇帝陛下の視線に比べるとずいぶん無遠慮だ。だが、気分は良かった。
ありのままを公表してくれたらいい。ここまですればきっと、ペリン公爵令嬢は腹を立ててくれるはずだ。
心の中でほくそ笑みながら、もちろんそれを表に出さないままで皇帝陛下とのデートを続けた。
デパートでの買い物も、食べ歩きに負けず劣らず満足できたと言える。
アクセサリー店は思わず目を奪われるような美しい品物ばかりだったし、衣服の店にて、次にお忍びで出かける時のことを話しながらワンピースや外套を選ぶのもなかなかに楽しかった。
結果、二、三時間ほどをデパートに費やし、ようやく外へ出た頃にはすっかり日暮れ間近になっていた。
つい時間を忘れてしまった感は否めない。今後は気をつけようと思う。
そう自省しながら、夕陽に朱く照らされた街をゆっくりと眺め回す。
今回のデートにおける続いての目的地は――。
「次は観劇だったか」
ミリアが見回した意味に目ざとく気づいたらしい皇帝陛下に言われ、こくりと頷いた。
「ええ。あくまで風の噂程度でしか知らないので、歩いて劇場を探さなければなりませんが。構いませんでしょうか?」
「問題ない」
「皇帝陛下のお優しさに、感謝いたしますわ」
「忙しいので帰る」などと言い出しかねないと考えていたので、心からありがたく思った。
少なくともデパートで退屈はさせなかったらしい。
それから、劇場探しにもかなりの時間を要したのに、皇帝陛下からは文句の一つもなくて。
――皇帝陛下の心の掌握は順調と考えていいのかしら?
確信しそうになるが、まだ早い気がするミリアだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
劇場。
それは食べ歩きやらデパート同様、今までのミリアとは縁遠かったものの一つである。
他の御令嬢たちは友人や婚約者と連れ添ってよく観劇――と言っても貴族専用の劇場だけれど――に出かけていたが、フォークロス伯からの盗みの依頼をこなすのに忙しかったため、行ったことはなかった。
しかしながら少なからず興味はあったのだ。
皇帝陛下と共に観ることになった舞台の内容は、騎士が主人公の物語だった。
話の主軸は幼馴染の少女との恋愛。村を怪物に襲われるという悲劇を経て、唯一生き残った彼女を守るためにと主人公はひたむきな努力を重ねる。
『僕が強く在るのは、もう二度と、何も、大切なものを失いたくないからだ』
――カッコつけなセリフよねぇ。
そんな感想を少し抱いたが、野暮なので胸に押し込めておく。
一度少女の身が危険に晒された時は命懸けで守り、最後は結ばれるという大円団。
ありがちな話かも知れない。しかし今までこういう類の物語に触れてこなかったせいか、そこそこ心を動かされてしまったし、ぽろぽろ泣いている人までいた。
皇帝陛下はというとぎゅっと唇を引き結んでいるだけだった。それでも終演後に訊いたら「それなりに良かった」と言うので、言葉通りなのだろう。
いくら態度が軟化しまくっているとしても冷酷非道の皇帝とまで言われているのだから、この程度の劇で感動を見せたら逆におかしいくらいだ。
考えが読みにくい皇帝陛下だが、付き合いが長くなってきたおかげで多少は彼のことがわかるようになって気がする。気のせいでしかない可能性も充分にあるけれど……そう信じたい。
ミリアの目には、やはり主人公のカッコつけなセリフに対して反応を示したように見えた。
だって主人公役の俳優がそれを言い放った時、皇帝陛下が息を呑む気配がしたから。
デートは大衆劇場での観劇で終わりだ。
でも、城に帰るまでがデートである。来た道を辿り、帝都の入り口で待たせている馬車に着くまでの時間を忘れてはいけない。
だからその余った時間の中で劇の感想を語り、そのあと、雑談の延長線上であるかのようにして訊いてみた。
「皇帝陛下が強く在る理由は何ですの?」
と。
精一杯可愛く小首を傾げたものの、その程度で誤魔化せるとは思っていなかった。事実、態度を一変させてぎろりと睨みつけられる。
ああ、本当にわからない、とミリアはため息を吐きたくなった。
背筋がゾッとするこの目つきと、このデートの中で向けられた優しさ。そのどちらが皇帝陛下の本性なのであろうか?
「なぜそのようなことが気になる」
「劇中の主人公と皇帝陛下のお姿が、どこか似ているような気がして」
半分真実で、半分嘘。
英雄そのものだった主人公と血まみれ皇帝、強く在るという点では同じ。その信念が同様なのか否なのか、遠からず彼の最愛となる予定の身として少し知りたくなっただけに過ぎない。
しばし沈黙が落ち、靴音だけがあたりに響いた。
そして――――――やがて得られた答えは、予想外のもので。
「余が強くなったのは劇の中で語られていたような大それた理由ではない。ただ、苛立ったからだ」
「苛立った、ですか」
苛立った? 皇帝陛下が?
声を荒げたところを未だ一度も見たことのない、皇帝陛下が?
ミリアは瞬時に今までの皇帝陛下を思い返してみる。
眼差しはいつも冷たくて、氷のような印象だった。
特に初対面などはミリアのことも虫ケラ程度にしか考えていなさそうで、人殺しの匂いがして、声は不機嫌そのもの。
それだけで理解した。できてしまった。
むしろどうして今まで気づかなかったのかが不思議でならないほど、皇帝陛下は常に激怒していたのだ。
「余は常に苛立っていた。故にこそ人を殺め、剣を血に染めてきたのだ。劇中のあの男のように大事なものを守るためであれたなら、どれほど良かったか」
「――――」
「常に一挙一動が公に晒され、何も知らない民や貴族に好き放題罵られるのが皇帝というものだ。皇族に人権などない。皇帝たる者、正しく強く在らねばならないのに」
劇の中の主人公を通じて描かれていたのが赤々と燃える正義だとしたら、皇帝陛下のそれは黒々とした何かだ。
その何かに満たされているはずの皇帝陛下はすぐに、溢れ出させていた殺気を収め、口元を歪めた。
「話し過ぎた。今のは忘れろ」
忘れろと言われても困る。でもその一方で、なんと答えていいのか、いかなる返答が正解なのか、見当もつかない。
予想以上に重たい話になってしまった。
皇族に人権はない。まったくもってその通りである。
数代前の皇帝が私服を肥やして民が反乱を起こし、それに乗じた他の皇族が帝座を奪った。そして民たちの怒りを鎮めるため、国民に対し己らの全ての行動をつまびらかにすると誓ったのが現皇家の始まり。
先先代、先代、それから今の皇帝陛下や皇族、全員が影の監視の下で生きているというのだから、当然窮屈に思うはず。苛立って当然のはずだ。
戦場でそれを発散し、血まみれ皇帝と呼ばれるまでに至ったのか。だがそれでは違和感がある。
『余は帝国が不利益を被らぬため、正しき判断の元に、各国への戦を仕掛けた』。
かつて告げられた皇帝陛下の言葉が、偽りだったというのか。
問い詰めたところで皇帝陛下は今はもう何も教えてくれないに違いない。
聞き出したいのをグッと我慢して、口を噤む。もしも機会があればその時にまた訊くしかないだろう。
――まあいいわ。わたしの知ってる皇帝陛下は恐ろしくも優しい人なわけで、今のところ牙を剥いてくることもないし。
そうして自分を納得させたミリアは、考えもしなかった。
まさか今日、皇帝陛下が血まみれ皇帝と呼ばれる所以を目の当たりにするだなんて。
「そうか?」
「皇帝陛下には粗品に思えてしまうのかも知れませんけれど、十二分に素敵なものでございます」
少し大袈裟に、しかし半分以上は本心でうっとりと呟くミリアを、皇帝陛下が不思議そうに眺めていた。
皇帝陛下はまったくもって乙女心というものを理解できていないらしい。もっとも、ミリアが喜んでいるのは全く別の意味だけれど。
――これを売り捌けば一年間は余裕で生きていけるじゃない。なんてすごいのかしら!
ミリアと皇帝陛下の腕には揃いのブレスレットが嵌められている。
ミリアのものは赤、皇帝陛下のものは青色に輝く模造品の宝石が散りばめられたものだ。
初めてのデートの記念にはちょうど良かった。
本物の宝石、たとえば思い出の盗品であるペンダントの紫紺の宝玉とは比べ物にならないとはいえ、綺麗なのは間違いない。コソ泥時代にこんなものを手に入れられていたなら飛び上がって喜んだだろう。
それぞれの瞳の色をあえて選んだのは、少しでも皇帝陛下にミリアのことを強く意識させたい故。そして当然ながら周囲へ主張するためでもあった。
皇家の影の視線をそこら中に感じる。
人数は五、六人といったところか。物陰や天井、人混みの中から突き刺さってくるそれは、城の中でこちらの行動を監視していた頃の……つまりあの月夜以前の皇帝陛下の視線に比べるとずいぶん無遠慮だ。だが、気分は良かった。
ありのままを公表してくれたらいい。ここまですればきっと、ペリン公爵令嬢は腹を立ててくれるはずだ。
心の中でほくそ笑みながら、もちろんそれを表に出さないままで皇帝陛下とのデートを続けた。
デパートでの買い物も、食べ歩きに負けず劣らず満足できたと言える。
アクセサリー店は思わず目を奪われるような美しい品物ばかりだったし、衣服の店にて、次にお忍びで出かける時のことを話しながらワンピースや外套を選ぶのもなかなかに楽しかった。
結果、二、三時間ほどをデパートに費やし、ようやく外へ出た頃にはすっかり日暮れ間近になっていた。
つい時間を忘れてしまった感は否めない。今後は気をつけようと思う。
そう自省しながら、夕陽に朱く照らされた街をゆっくりと眺め回す。
今回のデートにおける続いての目的地は――。
「次は観劇だったか」
ミリアが見回した意味に目ざとく気づいたらしい皇帝陛下に言われ、こくりと頷いた。
「ええ。あくまで風の噂程度でしか知らないので、歩いて劇場を探さなければなりませんが。構いませんでしょうか?」
「問題ない」
「皇帝陛下のお優しさに、感謝いたしますわ」
「忙しいので帰る」などと言い出しかねないと考えていたので、心からありがたく思った。
少なくともデパートで退屈はさせなかったらしい。
それから、劇場探しにもかなりの時間を要したのに、皇帝陛下からは文句の一つもなくて。
――皇帝陛下の心の掌握は順調と考えていいのかしら?
確信しそうになるが、まだ早い気がするミリアだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
劇場。
それは食べ歩きやらデパート同様、今までのミリアとは縁遠かったものの一つである。
他の御令嬢たちは友人や婚約者と連れ添ってよく観劇――と言っても貴族専用の劇場だけれど――に出かけていたが、フォークロス伯からの盗みの依頼をこなすのに忙しかったため、行ったことはなかった。
しかしながら少なからず興味はあったのだ。
皇帝陛下と共に観ることになった舞台の内容は、騎士が主人公の物語だった。
話の主軸は幼馴染の少女との恋愛。村を怪物に襲われるという悲劇を経て、唯一生き残った彼女を守るためにと主人公はひたむきな努力を重ねる。
『僕が強く在るのは、もう二度と、何も、大切なものを失いたくないからだ』
――カッコつけなセリフよねぇ。
そんな感想を少し抱いたが、野暮なので胸に押し込めておく。
一度少女の身が危険に晒された時は命懸けで守り、最後は結ばれるという大円団。
ありがちな話かも知れない。しかし今までこういう類の物語に触れてこなかったせいか、そこそこ心を動かされてしまったし、ぽろぽろ泣いている人までいた。
皇帝陛下はというとぎゅっと唇を引き結んでいるだけだった。それでも終演後に訊いたら「それなりに良かった」と言うので、言葉通りなのだろう。
いくら態度が軟化しまくっているとしても冷酷非道の皇帝とまで言われているのだから、この程度の劇で感動を見せたら逆におかしいくらいだ。
考えが読みにくい皇帝陛下だが、付き合いが長くなってきたおかげで多少は彼のことがわかるようになって気がする。気のせいでしかない可能性も充分にあるけれど……そう信じたい。
ミリアの目には、やはり主人公のカッコつけなセリフに対して反応を示したように見えた。
だって主人公役の俳優がそれを言い放った時、皇帝陛下が息を呑む気配がしたから。
デートは大衆劇場での観劇で終わりだ。
でも、城に帰るまでがデートである。来た道を辿り、帝都の入り口で待たせている馬車に着くまでの時間を忘れてはいけない。
だからその余った時間の中で劇の感想を語り、そのあと、雑談の延長線上であるかのようにして訊いてみた。
「皇帝陛下が強く在る理由は何ですの?」
と。
精一杯可愛く小首を傾げたものの、その程度で誤魔化せるとは思っていなかった。事実、態度を一変させてぎろりと睨みつけられる。
ああ、本当にわからない、とミリアはため息を吐きたくなった。
背筋がゾッとするこの目つきと、このデートの中で向けられた優しさ。そのどちらが皇帝陛下の本性なのであろうか?
「なぜそのようなことが気になる」
「劇中の主人公と皇帝陛下のお姿が、どこか似ているような気がして」
半分真実で、半分嘘。
英雄そのものだった主人公と血まみれ皇帝、強く在るという点では同じ。その信念が同様なのか否なのか、遠からず彼の最愛となる予定の身として少し知りたくなっただけに過ぎない。
しばし沈黙が落ち、靴音だけがあたりに響いた。
そして――――――やがて得られた答えは、予想外のもので。
「余が強くなったのは劇の中で語られていたような大それた理由ではない。ただ、苛立ったからだ」
「苛立った、ですか」
苛立った? 皇帝陛下が?
声を荒げたところを未だ一度も見たことのない、皇帝陛下が?
ミリアは瞬時に今までの皇帝陛下を思い返してみる。
眼差しはいつも冷たくて、氷のような印象だった。
特に初対面などはミリアのことも虫ケラ程度にしか考えていなさそうで、人殺しの匂いがして、声は不機嫌そのもの。
それだけで理解した。できてしまった。
むしろどうして今まで気づかなかったのかが不思議でならないほど、皇帝陛下は常に激怒していたのだ。
「余は常に苛立っていた。故にこそ人を殺め、剣を血に染めてきたのだ。劇中のあの男のように大事なものを守るためであれたなら、どれほど良かったか」
「――――」
「常に一挙一動が公に晒され、何も知らない民や貴族に好き放題罵られるのが皇帝というものだ。皇族に人権などない。皇帝たる者、正しく強く在らねばならないのに」
劇の中の主人公を通じて描かれていたのが赤々と燃える正義だとしたら、皇帝陛下のそれは黒々とした何かだ。
その何かに満たされているはずの皇帝陛下はすぐに、溢れ出させていた殺気を収め、口元を歪めた。
「話し過ぎた。今のは忘れろ」
忘れろと言われても困る。でもその一方で、なんと答えていいのか、いかなる返答が正解なのか、見当もつかない。
予想以上に重たい話になってしまった。
皇族に人権はない。まったくもってその通りである。
数代前の皇帝が私服を肥やして民が反乱を起こし、それに乗じた他の皇族が帝座を奪った。そして民たちの怒りを鎮めるため、国民に対し己らの全ての行動をつまびらかにすると誓ったのが現皇家の始まり。
先先代、先代、それから今の皇帝陛下や皇族、全員が影の監視の下で生きているというのだから、当然窮屈に思うはず。苛立って当然のはずだ。
戦場でそれを発散し、血まみれ皇帝と呼ばれるまでに至ったのか。だがそれでは違和感がある。
『余は帝国が不利益を被らぬため、正しき判断の元に、各国への戦を仕掛けた』。
かつて告げられた皇帝陛下の言葉が、偽りだったというのか。
問い詰めたところで皇帝陛下は今はもう何も教えてくれないに違いない。
聞き出したいのをグッと我慢して、口を噤む。もしも機会があればその時にまた訊くしかないだろう。
――まあいいわ。わたしの知ってる皇帝陛下は恐ろしくも優しい人なわけで、今のところ牙を剥いてくることもないし。
そうして自分を納得させたミリアは、考えもしなかった。
まさか今日、皇帝陛下が血まみれ皇帝と呼ばれる所以を目の当たりにするだなんて。
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