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第二十四話 これからは婚約者として
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ペリン公爵令嬢と別れたあと。
ベラ殿下がペリン公爵令嬢に最後の挨拶を行ったらしいがそれには同席せず、普段通りに侍女の勤めを開始した。
――もうペリン公爵令嬢がわたしの邪魔をしてくる心配はないってことなのよねぇ。
これで安心して皇帝陛下の相手ができる。
けれどもミリアは、なかなか彼の姿を見つけられなかった。
ペリン公爵令嬢は皇帝陛下に最後の手続きをしてもらうと言っていたから、謁見の時間の分、執務が滞っているのだろうか。
まあ仕方ないかと諦める。皇帝陛下との進展を急ぐ必要なくなったのだし、ミリア自身も皇帝陛下と出かけたおかげでやらなければならないことが山積していたのでちょうどいい。
そんなこんなで気づいたらすっかり日暮れ時。
早々に部屋に戻ろう。そう思っていたところに突如として背後から声をかけられ、飛び上がりそうになった。
「ミリア・フォークロス、貴女に話がある」
「こっ、皇帝陛下!?」
振り返ると、真紅の双眸に見下ろされていた。
全身が竦み上がるが、どうにか笑顔を作り上げた自分は本当にすごいとミリアは思う。
「なんだ、その反応は。やはり余が怖いのか」
「……少々驚いてしまいましたの。てっきり本日はお会いできないものかと勝手に思っていましたので」
「そうか」
「ところで、お話とは一体何でしょう?」
話がある、と言われても心当たりが思いつかずに首を傾げた。
昨日のデートについてとか、そういったことなのかも知れない。しかしそんなことをわざわざ伝えに来る人のようには思えないのだが。
「謁見の間を使うまでもない簡単な話である故、そのままで聞け」
「はい」
そう言われたので、少し油断したのが間違いだった。
だって直後――とんでもない言葉を聞かされたのだから。
「貴女を余の婚約者としたい。皇妃になれ、ミリア・フォークロス」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――どうして、今?
――ついに、来た。
二つの想いが同時に湧き上がる。
ペリン公爵令嬢の忠告を聞き入れず、皇帝陛下の傍に在ることを決めたばかりである。
いずれこうなることは今朝のペリン公爵令嬢との会話から予想できたことだ。ただ今日の今日だとは思わなかっただけで。
デートの翌日に求婚は、段階を飛ばし過ぎている気がした。
皇帝陛下が至って真剣な恐ろしい目をしているのを見るに、当然ながら冗談や嘘の類ではない。本当の本当に婚約者にしたいと、妻にしたいと言われている。
ここに美しい月はない。花もない。ただの城の廊下で、全く求婚に似合わない場所だった。
それなのに胸の鼓動は緊張と興奮で否応なしに早まってしまう。
なんと返答すべきなのだろう。
あっさりと受け入れてしまっていいのか否かがわからない。
まさか、最愛の座をとっくに手に入れられていた?
ペリン公爵令嬢に関する事案が終わったからか、それともデートが思いのほか効果が強かったのか。
それともミリアと同様に、ペリン公爵令嬢から何か言われたのか。
何にせよ、求婚は最大級の好機以外の何者でもなかった。
進展を急ぐ必要はないと思ったばかりだったが、それでも望ましいことに変わりはないのだ。
「よろしいのですか? わたしはしがない伯爵家の娘に過ぎませんのに……喜んでしまってもよろしいのですか?」
「警戒するのも無理はない、か。身分程度、どうにでもなる」
「わたしを求めてくださっている理由を教えてくださいませんでしょうか」
「貴女は今まで出会ったどの女よりも面白い。教養のない貴女でもわかる、単純明快な理由はそれだ。当然他の思惑もあるがな」
相変わらず教養がないと思われているのか……。
それはさておき。
「わたし、元々はフォークロス家の庶子ですの」
「知っている」
「教育も最低限ですし、皇帝陛下の隣に並び立つに相応しいとは到底思えませんけれど。わたしを最愛にしてくださるなら、皇帝陛下の求婚を受け入れさせていただきたいですわ。皇妃でも何でもやってやりますとも!」
拳を強く握り締めながらミリアは、いつもの淑女の笑みではない、勝気な笑顔を見せた。
面白い女と評されたからには面白い女として応えようと思ったのだ。
皇帝陛下がくつくつを喉を鳴らし、肩を揺らして笑い始めたので、きっとこの答えで正解だったに違いない。
「その勢いと覚悟は好ましい。フォークロス家にこの婚約を認めさせるよう、命令を下そう。そして――」
まだ何かあるらしい。
身構えるミリアだが、当然のことを……当然でありながらすっかり忘れていたことを言われただけだった。
「フォークロス伯爵令嬢ミリア、余の名において貴女の侍女の任を解く」
「侍女の、任を?」
「これからは余の婚約者として過ごしてもらう。皇妃になることに頷いた以上、拒否権はない。皇族に入る身ならいつ暗殺されてもおかしくないと考えろ」
まったくもってその通り。元々侍女になったのは皇帝陛下と接触するための手段でしかないのだから、最愛の座を奪うという目的が達成されたのなら辞すのは当然だ。
皇帝陛下の最愛になるのは、すっかり馴染んでしまった日常が一変してしまうことと同義。いきなり暗殺の可能性を仄めかされるとは思わなかったが、皇族にとってはよくあることなのだろう。
「貴女には余の害になること、余を退屈させること、余の手以外で死すことを禁ずる。あとは好きにして構わない」
「単純のようで、難しそうなことばかりですわねぇ」
「貴女ならこれくらいはできるだろう。期待している」
「ご期待に添えるよう精一杯努めますわ」
暗殺されない自信くらいはあるが、果たして皇帝陛下を退屈させないままでいることができるかが問題だ。
あとあと頭を悩ませることになるのは間違いない。けれども今は大きな目標を達せられたことを喜ぶとしよう。
――これでやっと、フォークロス伯に依頼完了の報告ができるわ!
次にフォークロス伯に会った時はたっぷり自慢してやろうと密かに決めたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「申し訳ございません。皇帝陛下と婚約を結ぶことに相成りましたので、辞させていただきますわ」
「……思ったより早くて驚いた。いいわ、今までありがとうね」
皇帝陛下の承諾のサインを持参し、頭を下げたミリア。
多少は惜しまれるかと思っていたのに、あっさりと手放す決断をされて面食らった。
「ベラ殿下の義姉にさせていただくのだと思うと少々複雑ですわ」
「自分の侍女の中から皇妃になる者が出るんだから、私はなんだか誇らしい気持ちだけど。それにあの兄がようやく婚約者を作ってくれて安心してるの」
「安心、ですの?」
「だって、私に婿を取らせて、その相手に皇位を譲り渡そうだなんて言っていたんですもの。そのせいで結婚に困っていたんだから」
なるほど。
社交的なベラ殿下に婚約者がいない理由が初めてわかった。……皇帝陛下はきっと、ミリアが現れなかったら一生独身を貫くつもりだったのだろう。
「あの兄の婚約者になるからには、命が危うくなることも、投げ出したくなることも多々あるでしょう。そんな時は私に聞いてね。私なりの恩返しとしてできるだけ力になるから」
「恩返しなんて……。わたしは皇帝陛下のお優しさに甘えさせていただいているだけですのよ。ですが、ありがとうございます」
ベラ殿下が協力姿勢を見せてくれるのは、この上なく好都合だ。
社交界でも少しは認められやすくなるだろうから。
「ミリア。あの兄を、幸せにしてあげてちょうだい」
柔らかな笑顔で告げられた願いに、「もちろんですわ」と頷いた。
ベラ殿下がペリン公爵令嬢に最後の挨拶を行ったらしいがそれには同席せず、普段通りに侍女の勤めを開始した。
――もうペリン公爵令嬢がわたしの邪魔をしてくる心配はないってことなのよねぇ。
これで安心して皇帝陛下の相手ができる。
けれどもミリアは、なかなか彼の姿を見つけられなかった。
ペリン公爵令嬢は皇帝陛下に最後の手続きをしてもらうと言っていたから、謁見の時間の分、執務が滞っているのだろうか。
まあ仕方ないかと諦める。皇帝陛下との進展を急ぐ必要なくなったのだし、ミリア自身も皇帝陛下と出かけたおかげでやらなければならないことが山積していたのでちょうどいい。
そんなこんなで気づいたらすっかり日暮れ時。
早々に部屋に戻ろう。そう思っていたところに突如として背後から声をかけられ、飛び上がりそうになった。
「ミリア・フォークロス、貴女に話がある」
「こっ、皇帝陛下!?」
振り返ると、真紅の双眸に見下ろされていた。
全身が竦み上がるが、どうにか笑顔を作り上げた自分は本当にすごいとミリアは思う。
「なんだ、その反応は。やはり余が怖いのか」
「……少々驚いてしまいましたの。てっきり本日はお会いできないものかと勝手に思っていましたので」
「そうか」
「ところで、お話とは一体何でしょう?」
話がある、と言われても心当たりが思いつかずに首を傾げた。
昨日のデートについてとか、そういったことなのかも知れない。しかしそんなことをわざわざ伝えに来る人のようには思えないのだが。
「謁見の間を使うまでもない簡単な話である故、そのままで聞け」
「はい」
そう言われたので、少し油断したのが間違いだった。
だって直後――とんでもない言葉を聞かされたのだから。
「貴女を余の婚約者としたい。皇妃になれ、ミリア・フォークロス」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――どうして、今?
――ついに、来た。
二つの想いが同時に湧き上がる。
ペリン公爵令嬢の忠告を聞き入れず、皇帝陛下の傍に在ることを決めたばかりである。
いずれこうなることは今朝のペリン公爵令嬢との会話から予想できたことだ。ただ今日の今日だとは思わなかっただけで。
デートの翌日に求婚は、段階を飛ばし過ぎている気がした。
皇帝陛下が至って真剣な恐ろしい目をしているのを見るに、当然ながら冗談や嘘の類ではない。本当の本当に婚約者にしたいと、妻にしたいと言われている。
ここに美しい月はない。花もない。ただの城の廊下で、全く求婚に似合わない場所だった。
それなのに胸の鼓動は緊張と興奮で否応なしに早まってしまう。
なんと返答すべきなのだろう。
あっさりと受け入れてしまっていいのか否かがわからない。
まさか、最愛の座をとっくに手に入れられていた?
ペリン公爵令嬢に関する事案が終わったからか、それともデートが思いのほか効果が強かったのか。
それともミリアと同様に、ペリン公爵令嬢から何か言われたのか。
何にせよ、求婚は最大級の好機以外の何者でもなかった。
進展を急ぐ必要はないと思ったばかりだったが、それでも望ましいことに変わりはないのだ。
「よろしいのですか? わたしはしがない伯爵家の娘に過ぎませんのに……喜んでしまってもよろしいのですか?」
「警戒するのも無理はない、か。身分程度、どうにでもなる」
「わたしを求めてくださっている理由を教えてくださいませんでしょうか」
「貴女は今まで出会ったどの女よりも面白い。教養のない貴女でもわかる、単純明快な理由はそれだ。当然他の思惑もあるがな」
相変わらず教養がないと思われているのか……。
それはさておき。
「わたし、元々はフォークロス家の庶子ですの」
「知っている」
「教育も最低限ですし、皇帝陛下の隣に並び立つに相応しいとは到底思えませんけれど。わたしを最愛にしてくださるなら、皇帝陛下の求婚を受け入れさせていただきたいですわ。皇妃でも何でもやってやりますとも!」
拳を強く握り締めながらミリアは、いつもの淑女の笑みではない、勝気な笑顔を見せた。
面白い女と評されたからには面白い女として応えようと思ったのだ。
皇帝陛下がくつくつを喉を鳴らし、肩を揺らして笑い始めたので、きっとこの答えで正解だったに違いない。
「その勢いと覚悟は好ましい。フォークロス家にこの婚約を認めさせるよう、命令を下そう。そして――」
まだ何かあるらしい。
身構えるミリアだが、当然のことを……当然でありながらすっかり忘れていたことを言われただけだった。
「フォークロス伯爵令嬢ミリア、余の名において貴女の侍女の任を解く」
「侍女の、任を?」
「これからは余の婚約者として過ごしてもらう。皇妃になることに頷いた以上、拒否権はない。皇族に入る身ならいつ暗殺されてもおかしくないと考えろ」
まったくもってその通り。元々侍女になったのは皇帝陛下と接触するための手段でしかないのだから、最愛の座を奪うという目的が達成されたのなら辞すのは当然だ。
皇帝陛下の最愛になるのは、すっかり馴染んでしまった日常が一変してしまうことと同義。いきなり暗殺の可能性を仄めかされるとは思わなかったが、皇族にとってはよくあることなのだろう。
「貴女には余の害になること、余を退屈させること、余の手以外で死すことを禁ずる。あとは好きにして構わない」
「単純のようで、難しそうなことばかりですわねぇ」
「貴女ならこれくらいはできるだろう。期待している」
「ご期待に添えるよう精一杯努めますわ」
暗殺されない自信くらいはあるが、果たして皇帝陛下を退屈させないままでいることができるかが問題だ。
あとあと頭を悩ませることになるのは間違いない。けれども今は大きな目標を達せられたことを喜ぶとしよう。
――これでやっと、フォークロス伯に依頼完了の報告ができるわ!
次にフォークロス伯に会った時はたっぷり自慢してやろうと密かに決めたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「申し訳ございません。皇帝陛下と婚約を結ぶことに相成りましたので、辞させていただきますわ」
「……思ったより早くて驚いた。いいわ、今までありがとうね」
皇帝陛下の承諾のサインを持参し、頭を下げたミリア。
多少は惜しまれるかと思っていたのに、あっさりと手放す決断をされて面食らった。
「ベラ殿下の義姉にさせていただくのだと思うと少々複雑ですわ」
「自分の侍女の中から皇妃になる者が出るんだから、私はなんだか誇らしい気持ちだけど。それにあの兄がようやく婚約者を作ってくれて安心してるの」
「安心、ですの?」
「だって、私に婿を取らせて、その相手に皇位を譲り渡そうだなんて言っていたんですもの。そのせいで結婚に困っていたんだから」
なるほど。
社交的なベラ殿下に婚約者がいない理由が初めてわかった。……皇帝陛下はきっと、ミリアが現れなかったら一生独身を貫くつもりだったのだろう。
「あの兄の婚約者になるからには、命が危うくなることも、投げ出したくなることも多々あるでしょう。そんな時は私に聞いてね。私なりの恩返しとしてできるだけ力になるから」
「恩返しなんて……。わたしは皇帝陛下のお優しさに甘えさせていただいているだけですのよ。ですが、ありがとうございます」
ベラ殿下が協力姿勢を見せてくれるのは、この上なく好都合だ。
社交界でも少しは認められやすくなるだろうから。
「ミリア。あの兄を、幸せにしてあげてちょうだい」
柔らかな笑顔で告げられた願いに、「もちろんですわ」と頷いた。
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