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第一話
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俺は悩んでいた。
もうすぐ二十五に差し掛かろうという年頃なのに婚約者がいないことについて……ではない。それもかなり由々しき事態ではあるが、それより困った問題がすぐ目の前にある。
「あの二人、早くくっつかねぇかな」
俺の視線の先にいるのは二人の人物。
片方は近衛服に身を包んだ美青年。そしてもう一人は、小柄で愛らしく、人懐こそうな少女。
仲良く並んで歩く彼らの様子を見れば二人が想い合っているのは明らかだ。百人中百人が両想いと答えるだろう。
だが、本人たちは互いの好意に気づいていない。それを見ている身としては焦ったくて仕方ないのである。
邪魔にならない程度の近さから二人を眺めながら俺は、二人をくっつけるための策に思考を巡らせるのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
その少女がやって来たのは、一年ほど前のこと。
王の御前であるにも関わらず、彼女は緊張することなく、親しみやすい笑顔を浮かべていた。
「わぁ、騎士様ってすごいなぁ。めちゃくちゃかっこいい!
あ、初めまして! あたし、ヘザーっていいます」
身体は痩せ細っていたが、きっとそれなりに食べて肉をつければ可憐な少女になることは容易に想像がつく。
肩までのふわふわのピンク髪に鮮やかな青の瞳。瞳は期待に爛々と輝いていた。
そんな少女からの裏のない微笑みに、うっかり俺は見惚れかけた。
が、己を律し、どうにか平静を保った。
「お初にお目にかかります、聖女ヘザー様。私は聖騎士のリチャード・オールドマンと申します」
先に彼女に名乗ったのは俺の隣に立つ同僚のリチャードだった。
彼は俺と同い歳だが、信じられないくらいの美丈夫である。そして騎士の中でも最上位の聖騎士。家柄もしがない子爵家の出の俺とは違って筆頭公爵家の次男坊で、もしも嫡男に何かあれば公爵家の後継者となるかも知れない高貴な立場だ。
女騎士や令嬢に至るまであらゆる女性に好意を寄せられ求婚されるリチャードだが、その誘いを一度も受けたことはなく、『氷の騎士』と呼ばれていたりする。
そんな彼は、恭しく平民の少女に頭を垂れていた。
普通、たとえ騎士であろうと平民の少女を敬ったりはしない。ではなぜリチャードがここまで丁寧な言葉遣いで相対しているかと言えば、ヘザー様がただの平民ではないからだ。
――聖女。
百年に一度この国に生まれ、聖女にのみ与えられる光魔法でもって大地に、そして人々に恵みをもたらす存在。今代の聖女がヘザー様だったのだ。
聖女たるヘザー様は王族と同等に尊いお方。そして彼女を護衛する役目に魔法騎士の俺と聖騎士のリチャードが国王陛下直々に任命されたというわけだった。
……と、そんな風に思い返している場合ではなかった。俺も慌てて名乗り上げる。
「デュアン・パテル。気軽にデュアンと呼んでください」
きっと平民のヘザー様には堅苦しいのは不快だろうから、と思って、手を差し出した。
ヘザー様はすぐに俺の意図を察して手を握りしめてくれる。
「はいっ! リチャードさんにデュアンさん、よろしくお願いします!」
国王陛下は少し厳しい顔で俺とヘザー様を見ている。おそらく平民だから作法を知らないヘザー様に眉を顰めざるを得ないのだろう。
これからしっかり彼女を教育していかなければならないと俺は思った。そして教育を担当することになるであろうリチャードは『氷の騎士』っぷりを発揮して、静かに佇んでいた。
「ヘザー様、そんなにはしゃいでは玉の肌に傷がつきますよ」
「いいでしょ、別に。まったくデュアンさんは心配性なんだから。あたし、これでも力仕事とか結構得意なんです」
「やんちゃも程々にしないと、怒られるのは俺らなんですからね」
「わかってますってばー」
ヘザー様はとても元気な方だった。
城のあらゆる場所を見て回りたいと言って、教育係の厳しい教育から逃げ出しては子リスのように駆け回る。かと思えば掃除婦に混じって床磨きを始めたりするのだ。
そんな彼女は護衛である俺たちにとって厄介極まりない存在である。しかし俺もリチャードもヘザー様を厳しく咎めたりはしなかった。
彼女の溌剌とした笑みを見てしまえば、叱る気も失せてしまうのだった。
「今日はお城の外に出てみたいんですけど、いいですか?」
そんな突拍子もないことを言い出すヘザー様が、可愛くて仕方ないと思うようになったのはいつからだったろう。
国王陛下の許可をいただいた上で、俺たちは三人で城下町にお忍びで行ったりもした。
俺とリチャードは普通の平民の青年といった風貌――といってもリチャードは美貌を隠し切れずに女性たちに振り向かれてばかりいたが――、そしてヘザー様は町娘の装い。
ドレスを纏った時より町娘衣装の方が似合うのは、きっと彼女が根っからの平民気質だからだろう。
平民が利用する小さなカフェに赴き、そこで紅茶とスイーツを楽しんだりした。スイーツを前に目を輝かせる彼女はとても愛らしく、小動物のようだ。
「聖女様、口の周りにクリームが」
「ありがと。リチャードさんは世話焼きなんですね。こうしてるとなんだか恋人みたいじゃない?」
「……お戯れを」
しかしそんなに可愛い彼女を前にしてさえ、リチャードは表情を変えない。
さすが『氷の騎士』というだけある、と俺はいつも思う。俺は彼と同期だが、リチャードが笑ったところなんて一度も見たことがないかも知れない。
「冗談ですよ冗談」とケラケラ笑うヘザー様だが、彼女がリチャードに惹かれ始めているらしいことは側から見ている俺にはわかっていた。
右に出る者がいないほどの美丈夫。若い女子であれば、虜になるのも無理はないことだった。
彼女自身そのことをまだ自覚していないようだし、リチャードもまるで気づいていないらしかったが。
リチャードはどこまでも職務に忠実だ。
だからきっと、たとえヘザー様が想いを告げたところで、応えることはないだろう。それに彼が女性とそう言う意味で親しくなるわけがない。
俺はそう思っていた。
――リチャードから直接、相談を受けるまでは。
それはお忍びで出かけた数日後のこと。
その日もヘザー様の護衛にあたるため、彼女の部屋へ向かいながら俺とリチャードは話していた。
「デュアン。最近おかしな感覚に陥る時があるのだが、聞いてくれないか」
「何だ? もしかして、恋煩いか?」
俺は冗談めかして言った。
彼に限ってそんなことはあり得ないだろうとたかを括っていたからこその発言。しかし。
「聖女様の笑顔が浮かんできて、夜寝付けない」
「ふーん。それで?」
「聖女様を思い出すと食事が喉を通らなくなる。聖女様の言動一つ一つに集中力をかき乱される。そして聖女様に……」
「おい、ちょっと待て。リチャードお前さっきからずっと聖女様ばっかり言ってるじゃねぇか」
「なぜなのか私にもわからない。だが気がついたら聖女様のことを考えてしまっていてな」
俺は内心、うわぁと思った。
これはあれだ。冗談でも何でもなく恋煩いだった。
『氷の騎士』としての仮面で表情からその内心は窺えないが、彼の内心はいつしかヘザー様の屈託のない笑みに満たされていたのである。しかも彼は今まで女性関係に全く興味のない男だったので、自分の感情の意味がわからないのだろう。
ヘザー様は本当に明るくて人当たりのいい少女だ。
貴族令嬢のような洗練された美しさはないけれど、その代わりに毒々しさも裏の思惑があったりもしない。ただただ純粋な彼女に惹かれる気持ちはわかる。
わかるのだが、まさかリチャードが知らないうちに恋に落ちていたとは気づかなかった。
俺はなんと言ったらいいものかと迷った。
ヘザー様もリチャードを想い始めているのなら、なんら問題はない。普通であれば。
ただ、ヘザー様は聖女なのである。それが唯一にして最大の問題だ。
――きっと俺が余計な口を挟めば、リチャードは早々に身を引くだろう。
色恋とは無縁だった『氷の騎士』たる彼の初恋を俺が散らしていいものなのだろうか。
悩んだ挙句、俺が出した答えは。
「ヘザー様をお護りするのが俺らの役目なんだから、食べるのと仕事に集中するのはちゃんとしろよ。俺に手伝ってやれることはないけど、お前が不調の分俺が支えるからさ!」
結論を先送りするという結論だった。
もうすぐ二十五に差し掛かろうという年頃なのに婚約者がいないことについて……ではない。それもかなり由々しき事態ではあるが、それより困った問題がすぐ目の前にある。
「あの二人、早くくっつかねぇかな」
俺の視線の先にいるのは二人の人物。
片方は近衛服に身を包んだ美青年。そしてもう一人は、小柄で愛らしく、人懐こそうな少女。
仲良く並んで歩く彼らの様子を見れば二人が想い合っているのは明らかだ。百人中百人が両想いと答えるだろう。
だが、本人たちは互いの好意に気づいていない。それを見ている身としては焦ったくて仕方ないのである。
邪魔にならない程度の近さから二人を眺めながら俺は、二人をくっつけるための策に思考を巡らせるのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
その少女がやって来たのは、一年ほど前のこと。
王の御前であるにも関わらず、彼女は緊張することなく、親しみやすい笑顔を浮かべていた。
「わぁ、騎士様ってすごいなぁ。めちゃくちゃかっこいい!
あ、初めまして! あたし、ヘザーっていいます」
身体は痩せ細っていたが、きっとそれなりに食べて肉をつければ可憐な少女になることは容易に想像がつく。
肩までのふわふわのピンク髪に鮮やかな青の瞳。瞳は期待に爛々と輝いていた。
そんな少女からの裏のない微笑みに、うっかり俺は見惚れかけた。
が、己を律し、どうにか平静を保った。
「お初にお目にかかります、聖女ヘザー様。私は聖騎士のリチャード・オールドマンと申します」
先に彼女に名乗ったのは俺の隣に立つ同僚のリチャードだった。
彼は俺と同い歳だが、信じられないくらいの美丈夫である。そして騎士の中でも最上位の聖騎士。家柄もしがない子爵家の出の俺とは違って筆頭公爵家の次男坊で、もしも嫡男に何かあれば公爵家の後継者となるかも知れない高貴な立場だ。
女騎士や令嬢に至るまであらゆる女性に好意を寄せられ求婚されるリチャードだが、その誘いを一度も受けたことはなく、『氷の騎士』と呼ばれていたりする。
そんな彼は、恭しく平民の少女に頭を垂れていた。
普通、たとえ騎士であろうと平民の少女を敬ったりはしない。ではなぜリチャードがここまで丁寧な言葉遣いで相対しているかと言えば、ヘザー様がただの平民ではないからだ。
――聖女。
百年に一度この国に生まれ、聖女にのみ与えられる光魔法でもって大地に、そして人々に恵みをもたらす存在。今代の聖女がヘザー様だったのだ。
聖女たるヘザー様は王族と同等に尊いお方。そして彼女を護衛する役目に魔法騎士の俺と聖騎士のリチャードが国王陛下直々に任命されたというわけだった。
……と、そんな風に思い返している場合ではなかった。俺も慌てて名乗り上げる。
「デュアン・パテル。気軽にデュアンと呼んでください」
きっと平民のヘザー様には堅苦しいのは不快だろうから、と思って、手を差し出した。
ヘザー様はすぐに俺の意図を察して手を握りしめてくれる。
「はいっ! リチャードさんにデュアンさん、よろしくお願いします!」
国王陛下は少し厳しい顔で俺とヘザー様を見ている。おそらく平民だから作法を知らないヘザー様に眉を顰めざるを得ないのだろう。
これからしっかり彼女を教育していかなければならないと俺は思った。そして教育を担当することになるであろうリチャードは『氷の騎士』っぷりを発揮して、静かに佇んでいた。
「ヘザー様、そんなにはしゃいでは玉の肌に傷がつきますよ」
「いいでしょ、別に。まったくデュアンさんは心配性なんだから。あたし、これでも力仕事とか結構得意なんです」
「やんちゃも程々にしないと、怒られるのは俺らなんですからね」
「わかってますってばー」
ヘザー様はとても元気な方だった。
城のあらゆる場所を見て回りたいと言って、教育係の厳しい教育から逃げ出しては子リスのように駆け回る。かと思えば掃除婦に混じって床磨きを始めたりするのだ。
そんな彼女は護衛である俺たちにとって厄介極まりない存在である。しかし俺もリチャードもヘザー様を厳しく咎めたりはしなかった。
彼女の溌剌とした笑みを見てしまえば、叱る気も失せてしまうのだった。
「今日はお城の外に出てみたいんですけど、いいですか?」
そんな突拍子もないことを言い出すヘザー様が、可愛くて仕方ないと思うようになったのはいつからだったろう。
国王陛下の許可をいただいた上で、俺たちは三人で城下町にお忍びで行ったりもした。
俺とリチャードは普通の平民の青年といった風貌――といってもリチャードは美貌を隠し切れずに女性たちに振り向かれてばかりいたが――、そしてヘザー様は町娘の装い。
ドレスを纏った時より町娘衣装の方が似合うのは、きっと彼女が根っからの平民気質だからだろう。
平民が利用する小さなカフェに赴き、そこで紅茶とスイーツを楽しんだりした。スイーツを前に目を輝かせる彼女はとても愛らしく、小動物のようだ。
「聖女様、口の周りにクリームが」
「ありがと。リチャードさんは世話焼きなんですね。こうしてるとなんだか恋人みたいじゃない?」
「……お戯れを」
しかしそんなに可愛い彼女を前にしてさえ、リチャードは表情を変えない。
さすが『氷の騎士』というだけある、と俺はいつも思う。俺は彼と同期だが、リチャードが笑ったところなんて一度も見たことがないかも知れない。
「冗談ですよ冗談」とケラケラ笑うヘザー様だが、彼女がリチャードに惹かれ始めているらしいことは側から見ている俺にはわかっていた。
右に出る者がいないほどの美丈夫。若い女子であれば、虜になるのも無理はないことだった。
彼女自身そのことをまだ自覚していないようだし、リチャードもまるで気づいていないらしかったが。
リチャードはどこまでも職務に忠実だ。
だからきっと、たとえヘザー様が想いを告げたところで、応えることはないだろう。それに彼が女性とそう言う意味で親しくなるわけがない。
俺はそう思っていた。
――リチャードから直接、相談を受けるまでは。
それはお忍びで出かけた数日後のこと。
その日もヘザー様の護衛にあたるため、彼女の部屋へ向かいながら俺とリチャードは話していた。
「デュアン。最近おかしな感覚に陥る時があるのだが、聞いてくれないか」
「何だ? もしかして、恋煩いか?」
俺は冗談めかして言った。
彼に限ってそんなことはあり得ないだろうとたかを括っていたからこその発言。しかし。
「聖女様の笑顔が浮かんできて、夜寝付けない」
「ふーん。それで?」
「聖女様を思い出すと食事が喉を通らなくなる。聖女様の言動一つ一つに集中力をかき乱される。そして聖女様に……」
「おい、ちょっと待て。リチャードお前さっきからずっと聖女様ばっかり言ってるじゃねぇか」
「なぜなのか私にもわからない。だが気がついたら聖女様のことを考えてしまっていてな」
俺は内心、うわぁと思った。
これはあれだ。冗談でも何でもなく恋煩いだった。
『氷の騎士』としての仮面で表情からその内心は窺えないが、彼の内心はいつしかヘザー様の屈託のない笑みに満たされていたのである。しかも彼は今まで女性関係に全く興味のない男だったので、自分の感情の意味がわからないのだろう。
ヘザー様は本当に明るくて人当たりのいい少女だ。
貴族令嬢のような洗練された美しさはないけれど、その代わりに毒々しさも裏の思惑があったりもしない。ただただ純粋な彼女に惹かれる気持ちはわかる。
わかるのだが、まさかリチャードが知らないうちに恋に落ちていたとは気づかなかった。
俺はなんと言ったらいいものかと迷った。
ヘザー様もリチャードを想い始めているのなら、なんら問題はない。普通であれば。
ただ、ヘザー様は聖女なのである。それが唯一にして最大の問題だ。
――きっと俺が余計な口を挟めば、リチャードは早々に身を引くだろう。
色恋とは無縁だった『氷の騎士』たる彼の初恋を俺が散らしていいものなのだろうか。
悩んだ挙句、俺が出した答えは。
「ヘザー様をお護りするのが俺らの役目なんだから、食べるのと仕事に集中するのはちゃんとしろよ。俺に手伝ってやれることはないけど、お前が不調の分俺が支えるからさ!」
結論を先送りするという結論だった。
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