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第一話
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それは、煌びやかなパーティーの最中でのこと。
美しい音楽の流れる空間を引き裂くように、ガシャン、とガラスの割れる音が鳴り響いた。
飛び散る破片。真紅のカーペットにワインが染み込んでいく。
それまで心の中で聖女に罵声を浴びせていた貴族たちも、嫌がらせをしようと企んでいた令嬢たちも、俺のことなんてまるで気にかけていなかった両親も。
そして、俺の最愛の死を今か今かと待ち構えていた公爵家の姫さえも。
一斉にこちらを振り向き――驚愕の表情で俺を見る。
意識の空白と無理解が、そこに広がっていた。
どうやらまだ誰一人として何が起きたのか状況が呑み込めていないらしい。ああ、滑稽だ。なんて愉快なのだろう。こんな気分になったのは生まれて初めてだった。
これが貴様たちへの報いだ。どうだ、『道具』たる俺が死んだら困るんだろう?
地面に倒れ伏したままで彼らを見上げ、ニヤリと口の端を歪める。
そうしながら俺は、まるで走馬灯のように今までの短い一生を思い返し始めた――。
◆◆◆
貧富で言えば、俺は誰よりも恵まれていた。
この国の第一王子という地位。両親は健在だったし、生活において何一つ困らず、平穏に毎日を過ごせる。
誰もが俺のことを羨むだろう。神に愛されているかのような順風満帆の人生だったから。
ただ、心が満たされたことなど一度もありはしないというだけなのだ。
「父はお前を誇りに思っているぞ」
「あなたはわたしたちの大事な大事な子供なのです」
――そんな言葉はもう聞き飽きた、と何度も耳を塞ぎたくなった。
だって本当は、父は俺に完璧に意志を継がせる……つまり俺を己の代替品として育て上げるつもりでいたし、母は唯一の後継ぎである俺を失って再び王妃の務めを果たすのが嫌なだけだと知っているから。
「貴方こそが次の王に相応しい」
「王子殿下の友であれて幸福ですよ」
――自分のことしか考えていないくせに優しげな顔をするな、そう言ってやろうと思ったのは一度や二度じゃない。
俺の権威を利用してやろうと心の中で黒い笑みを浮かべているのが見えたから。
何もかもがくだらない。
かけられる言葉の通りに両親の愛があると疑わず、王に仰いでくれる相手も親友もいるのだと愚かに信じられたならどれほど幸せ者だっただろうか。
俺に授けられたこれはきっと祝福だった。まったくもって不要だったが。
人の心を読の声が聞こえる。おとぎ話に出てくる魔法のようなその力によって、残酷な現実を見せつけられてきた。
俺は『王子』という道具としてしか見られていないのだ。
唯一そうでないのは俺を恋慕い、近づいてこようとする令嬢たちくらいなものだが、己を少しでも良く見せようと醜い争いを繰り返し、恋敵をいかに蹴り落とそうかと考えてばかり。
人間というものに失望したのは一体いつからだっただろう。誰も彼も信用できなくなった俺は己の能力を秘匿した。
大勢の心の中を覗けば王子教育なんて簡単だったから、優等生として振る舞った。あとは令嬢たちを虜にしてやまない優しげな笑みを張り付けてさえいればいい。
――そんな風に考えていた俺にとって、それはただの暇つぶしでしかなかった。
王族というのは民に好印象を与えるために奉仕活動というのをすることがある。
どうせ良い王子を演じているのだから、たまにはそういうことをやってみるのも悪くない。
十二歳になったある日、向かったのは、ボロボロの孤児院だった。
中から現れた院長が俺を出迎える。
「第一王子殿下、ようこそおいでくださいました。神に感謝を」
(いかにもキラキラした服を着て、わざわざ見せつけに来たのかしら。いやらしい)
正面から悪意を浴びせられても、俺は何とも思わない。こういうことには慣れ切っていた。
「王国の善良な民である貴方たちを支えるのは王族として当然の務めです」
もっともらしいことを言って、孤児院の中に足を踏み入れる。
孤児院の孤児たちは皆俺を注視した。
王子になど近づくと何をされるかわからない。そう考えて無言で俯き、存在感を消そうとする子がいた。
自分たちが貧しいのは王族のせいなのだからと憎悪を募らせ鋭く睨みつけてくる子も、俺に気に入ってもらえれば孤児院から抜け出せるのではと考える子供までいる始末。
皆、齢十歳ほどである。まともな教育を受けていないにせよそれなりの知恵はついているから、心を覗けば色々考えていることがわかってしまってうんざりとした。
――所詮、人間の考えることはどんな場所でも同じということか。
だが一人だけ、例外がいた。
俺は一目でそれに気づかなかったけれど、彼女だけは確かに異質だったのだ。
「ねえ、あなた、だあれ?」
先陣を切って声をかけてきたのは、透き通るような白い髪に、キラキラとした金の瞳の少女。
服はボロ切れのようだし四肢は痩せ細っていたが、見窄らしいどころか形容し難い輝きを放っていた。
こちらを見上げる動作に媚びる様子は見られない。その心の中を覗き見ても――。
(かっこいい! おうじさまなんて、すごいなぁ。どんなこなのかな?)
打算も畏れも恐怖もそこにはなかった。
あったのはただ、純粋なる好奇心。
こんな無垢な心に出会ったのは初めてで驚いたのをよく覚えている。
「俺はダイオニシアス。ダイオニシアス・ギディオン・バートラム」
彼女の綺麗な目と真正面から見つめ合った俺は、令嬢たちが大好きな優しげな笑みを浮かべながら名乗った。
きっとこの少女とて頬を染めて俺の名を呼ぶだろう。そう思っていたのに、返ってきた反応は想像と違うもので。
「ダイオ……ラムさま?」
辿々しく言いながらこてんと小さく首を傾げる少女。
どうやら名前がうまくわからなかったらしい。
「ダイオニシアス」
「ダイオス?」
「……ダイオニシアス、だよ」
「うーん、わかんない。やっぱりおうじさまでいっか!」
散々間違えた挙句、結局最初に戻ってしまった。
というか、いくら心の中を覗いても特別に喜ぶ様子の欠片もない。それどころか、彼女は俺のことを『同世代の男の子』として見ていた。
「おうじさま、わたし、ビアンカっていうの。もしよかったらおともだちになってくれる?」
平民が王子と友達だなんて不敬罪で首が飛びかねない話だ。
そもそも王侯貴族と民は血の色が違うと言われていた。もちろんそんなわけはないし、俺からしてみれば国王であろうが平民であろうがどうでもいいのだが、上流階級の連中はそういうのにうるさいのである。
でも、そんなことはお構いなしの少女――ビアンカは俺に綺麗な掌を差し出してきて。
戸惑いながら俺はその手を取った。取ってしまった。
「ありがとう、おうじさま。これからよろしくね」
そのあとビアンカの心の声を聞き続けたが、あまりにも裏表がなさ過ぎる。
いくら子供といえどもこんな人間がいることが信じられないままであっという間に時が過ぎた。
気づけばすっかり帰りの馬車に乗り込む時間。
孤児院の庭で彼女の遊びに付き合わされて泥まみれになった俺に向かって、ビアンカは言った。
「おうじさま、またきてね」
(またあえるといいな)
ビアンカが浮かべる笑みは邪念なんて一つもない、純粋なものだった。
それを見せられてしまってはなんだか悪い気はしなくて――奉仕活動なんて滅多にやることではないというのに、俺は思わず頷いた。
――それが、全ての始まりだったのだ。
王宮に戻ればまた憂鬱な日々を過ごさなければならない。
俺のことなんてまともに見てくれない両親や使用人、媚びる友人たち。そんな中で思い出すのはビアンカの顔だった。
煌めく曇りなき眼が、俺を本当の意味で友達として認識していたあの心の声の優しさが忘れられない。
王子教育がないとある日、とうとう俺は城を飛び出した。
と言っても、両親からの許可は取ったし護衛はついているし馬車もいる。だが行事もないのに王宮を離れるのは非常に稀なことであった。
馬車を走らせ向かったのは、つい先日訪れたばかりの孤児院。ギョッとした顔をする院長の横を通り抜け、奥へ行く。
そこに彼女は今日もいた。
(あ、おうじさまだ!)
「ひさしぶり。わたしにあいにきてくれたんだ?」
久しぶりというほどではないが、俺はビアンカを懐かしく思ってしまった。
不思議な話だ。まだたった一度しか会ったことがないはずなのに、これほどまでに安心するだなんて。
「たまたま、この付近を通りかかったからな。少しだけなら遊んでもいいけど」
ビアンカの反応を見てみたくて、俺は軽く嘘を吐いてみる。
しかし彼女の心は大して変わらなかった。
(そっか……。でもわざわざきてくれたってことは、わたしとあそびたかったからってことだよね)
「じゃあおねがい、おうじさま」
眩しい。なんて眩しいのだろう。
彼女と過ごすうち、鬱々とした気分は晴れ、年相応の子供のように遊び回ってしまった。
周りで騒ぎ立てている心の声なんて微塵も気にならない。俺の視線はビアンカに釘付けだったからだ。
屈託なく笑う彼女は、とても――――可愛かった。
この頃になって確信し始めていた。彼女は両親や周りの奴らとは何かが違うのではないかと。
しかしそんなのはまやかしでしかないのではないかとも思う。
まだ相手のことを何もわかっていないに等しいのに気を許してはダメだ。しっかりと確かめなければ。
一見何もないように見えても、きっと奥底には醜い欲望を抱えているかも知れない。それを暴き出すべく彼女の心を揺らしてみよう。
それから孤児院を訪れる度、彼女の欲するものを与えることにした。
まずは服。貧しい孤児院では食べられない柔らかなパン、それから甘いお菓子まで。
彼女のついでに他の子供らに与えてみたら、彼らは俺のことを『恵んでくれる人』として認識し始め、途端に俺の名前を訊き出したりベタベタしてくるようになった。
単純で分かりやすい愚か者どもだ。そして人間というのは本来こうなって然るべきである。
けれどもビアンカはというと、俺がどれだけものを与えても優しく振る舞っても人並みに嬉しがりはするけれど、一番喜ぶのは俺の訪問そのものだった。
明るく健気で、まっすぐな彼女。
だがビアンカにはこれまで友達がいなかった。
白い髪は平民どころか貴族でも滅多に見られない。それ故にどこか異質なものとして遠巻きにされてきたらしい。
物心ついた時から親はなく院長も雑に世話をするだけ。そんな中で純粋なままで成長できたのは紛うことなき奇跡のような気がした。
(こんなにやさしくされるの、うまれてはじめて)
(おうじさまっていいこだなぁ)
(わたしもおうじさまになにかしてあげられるかな?)
その心の声はあたたかくて優しくて、やがて彼女を疑うことをやめた。
そうしたらあとは彼女との関係性は深まっていく一方だった。
そこに存在するだけでビアンカは俺の心の渇きを癒してくれる。
いつしか、孤児院に足を運んで彼女と過ごす時間を大切なものとして感じるようになって。
時が流れて一年が過ぎ二年が過ぎて、出会って三年目の頃には、疑いようがないくらいビアンカに惹かれているのだと自覚していた。
美しい音楽の流れる空間を引き裂くように、ガシャン、とガラスの割れる音が鳴り響いた。
飛び散る破片。真紅のカーペットにワインが染み込んでいく。
それまで心の中で聖女に罵声を浴びせていた貴族たちも、嫌がらせをしようと企んでいた令嬢たちも、俺のことなんてまるで気にかけていなかった両親も。
そして、俺の最愛の死を今か今かと待ち構えていた公爵家の姫さえも。
一斉にこちらを振り向き――驚愕の表情で俺を見る。
意識の空白と無理解が、そこに広がっていた。
どうやらまだ誰一人として何が起きたのか状況が呑み込めていないらしい。ああ、滑稽だ。なんて愉快なのだろう。こんな気分になったのは生まれて初めてだった。
これが貴様たちへの報いだ。どうだ、『道具』たる俺が死んだら困るんだろう?
地面に倒れ伏したままで彼らを見上げ、ニヤリと口の端を歪める。
そうしながら俺は、まるで走馬灯のように今までの短い一生を思い返し始めた――。
◆◆◆
貧富で言えば、俺は誰よりも恵まれていた。
この国の第一王子という地位。両親は健在だったし、生活において何一つ困らず、平穏に毎日を過ごせる。
誰もが俺のことを羨むだろう。神に愛されているかのような順風満帆の人生だったから。
ただ、心が満たされたことなど一度もありはしないというだけなのだ。
「父はお前を誇りに思っているぞ」
「あなたはわたしたちの大事な大事な子供なのです」
――そんな言葉はもう聞き飽きた、と何度も耳を塞ぎたくなった。
だって本当は、父は俺に完璧に意志を継がせる……つまり俺を己の代替品として育て上げるつもりでいたし、母は唯一の後継ぎである俺を失って再び王妃の務めを果たすのが嫌なだけだと知っているから。
「貴方こそが次の王に相応しい」
「王子殿下の友であれて幸福ですよ」
――自分のことしか考えていないくせに優しげな顔をするな、そう言ってやろうと思ったのは一度や二度じゃない。
俺の権威を利用してやろうと心の中で黒い笑みを浮かべているのが見えたから。
何もかもがくだらない。
かけられる言葉の通りに両親の愛があると疑わず、王に仰いでくれる相手も親友もいるのだと愚かに信じられたならどれほど幸せ者だっただろうか。
俺に授けられたこれはきっと祝福だった。まったくもって不要だったが。
人の心を読の声が聞こえる。おとぎ話に出てくる魔法のようなその力によって、残酷な現実を見せつけられてきた。
俺は『王子』という道具としてしか見られていないのだ。
唯一そうでないのは俺を恋慕い、近づいてこようとする令嬢たちくらいなものだが、己を少しでも良く見せようと醜い争いを繰り返し、恋敵をいかに蹴り落とそうかと考えてばかり。
人間というものに失望したのは一体いつからだっただろう。誰も彼も信用できなくなった俺は己の能力を秘匿した。
大勢の心の中を覗けば王子教育なんて簡単だったから、優等生として振る舞った。あとは令嬢たちを虜にしてやまない優しげな笑みを張り付けてさえいればいい。
――そんな風に考えていた俺にとって、それはただの暇つぶしでしかなかった。
王族というのは民に好印象を与えるために奉仕活動というのをすることがある。
どうせ良い王子を演じているのだから、たまにはそういうことをやってみるのも悪くない。
十二歳になったある日、向かったのは、ボロボロの孤児院だった。
中から現れた院長が俺を出迎える。
「第一王子殿下、ようこそおいでくださいました。神に感謝を」
(いかにもキラキラした服を着て、わざわざ見せつけに来たのかしら。いやらしい)
正面から悪意を浴びせられても、俺は何とも思わない。こういうことには慣れ切っていた。
「王国の善良な民である貴方たちを支えるのは王族として当然の務めです」
もっともらしいことを言って、孤児院の中に足を踏み入れる。
孤児院の孤児たちは皆俺を注視した。
王子になど近づくと何をされるかわからない。そう考えて無言で俯き、存在感を消そうとする子がいた。
自分たちが貧しいのは王族のせいなのだからと憎悪を募らせ鋭く睨みつけてくる子も、俺に気に入ってもらえれば孤児院から抜け出せるのではと考える子供までいる始末。
皆、齢十歳ほどである。まともな教育を受けていないにせよそれなりの知恵はついているから、心を覗けば色々考えていることがわかってしまってうんざりとした。
――所詮、人間の考えることはどんな場所でも同じということか。
だが一人だけ、例外がいた。
俺は一目でそれに気づかなかったけれど、彼女だけは確かに異質だったのだ。
「ねえ、あなた、だあれ?」
先陣を切って声をかけてきたのは、透き通るような白い髪に、キラキラとした金の瞳の少女。
服はボロ切れのようだし四肢は痩せ細っていたが、見窄らしいどころか形容し難い輝きを放っていた。
こちらを見上げる動作に媚びる様子は見られない。その心の中を覗き見ても――。
(かっこいい! おうじさまなんて、すごいなぁ。どんなこなのかな?)
打算も畏れも恐怖もそこにはなかった。
あったのはただ、純粋なる好奇心。
こんな無垢な心に出会ったのは初めてで驚いたのをよく覚えている。
「俺はダイオニシアス。ダイオニシアス・ギディオン・バートラム」
彼女の綺麗な目と真正面から見つめ合った俺は、令嬢たちが大好きな優しげな笑みを浮かべながら名乗った。
きっとこの少女とて頬を染めて俺の名を呼ぶだろう。そう思っていたのに、返ってきた反応は想像と違うもので。
「ダイオ……ラムさま?」
辿々しく言いながらこてんと小さく首を傾げる少女。
どうやら名前がうまくわからなかったらしい。
「ダイオニシアス」
「ダイオス?」
「……ダイオニシアス、だよ」
「うーん、わかんない。やっぱりおうじさまでいっか!」
散々間違えた挙句、結局最初に戻ってしまった。
というか、いくら心の中を覗いても特別に喜ぶ様子の欠片もない。それどころか、彼女は俺のことを『同世代の男の子』として見ていた。
「おうじさま、わたし、ビアンカっていうの。もしよかったらおともだちになってくれる?」
平民が王子と友達だなんて不敬罪で首が飛びかねない話だ。
そもそも王侯貴族と民は血の色が違うと言われていた。もちろんそんなわけはないし、俺からしてみれば国王であろうが平民であろうがどうでもいいのだが、上流階級の連中はそういうのにうるさいのである。
でも、そんなことはお構いなしの少女――ビアンカは俺に綺麗な掌を差し出してきて。
戸惑いながら俺はその手を取った。取ってしまった。
「ありがとう、おうじさま。これからよろしくね」
そのあとビアンカの心の声を聞き続けたが、あまりにも裏表がなさ過ぎる。
いくら子供といえどもこんな人間がいることが信じられないままであっという間に時が過ぎた。
気づけばすっかり帰りの馬車に乗り込む時間。
孤児院の庭で彼女の遊びに付き合わされて泥まみれになった俺に向かって、ビアンカは言った。
「おうじさま、またきてね」
(またあえるといいな)
ビアンカが浮かべる笑みは邪念なんて一つもない、純粋なものだった。
それを見せられてしまってはなんだか悪い気はしなくて――奉仕活動なんて滅多にやることではないというのに、俺は思わず頷いた。
――それが、全ての始まりだったのだ。
王宮に戻ればまた憂鬱な日々を過ごさなければならない。
俺のことなんてまともに見てくれない両親や使用人、媚びる友人たち。そんな中で思い出すのはビアンカの顔だった。
煌めく曇りなき眼が、俺を本当の意味で友達として認識していたあの心の声の優しさが忘れられない。
王子教育がないとある日、とうとう俺は城を飛び出した。
と言っても、両親からの許可は取ったし護衛はついているし馬車もいる。だが行事もないのに王宮を離れるのは非常に稀なことであった。
馬車を走らせ向かったのは、つい先日訪れたばかりの孤児院。ギョッとした顔をする院長の横を通り抜け、奥へ行く。
そこに彼女は今日もいた。
(あ、おうじさまだ!)
「ひさしぶり。わたしにあいにきてくれたんだ?」
久しぶりというほどではないが、俺はビアンカを懐かしく思ってしまった。
不思議な話だ。まだたった一度しか会ったことがないはずなのに、これほどまでに安心するだなんて。
「たまたま、この付近を通りかかったからな。少しだけなら遊んでもいいけど」
ビアンカの反応を見てみたくて、俺は軽く嘘を吐いてみる。
しかし彼女の心は大して変わらなかった。
(そっか……。でもわざわざきてくれたってことは、わたしとあそびたかったからってことだよね)
「じゃあおねがい、おうじさま」
眩しい。なんて眩しいのだろう。
彼女と過ごすうち、鬱々とした気分は晴れ、年相応の子供のように遊び回ってしまった。
周りで騒ぎ立てている心の声なんて微塵も気にならない。俺の視線はビアンカに釘付けだったからだ。
屈託なく笑う彼女は、とても――――可愛かった。
この頃になって確信し始めていた。彼女は両親や周りの奴らとは何かが違うのではないかと。
しかしそんなのはまやかしでしかないのではないかとも思う。
まだ相手のことを何もわかっていないに等しいのに気を許してはダメだ。しっかりと確かめなければ。
一見何もないように見えても、きっと奥底には醜い欲望を抱えているかも知れない。それを暴き出すべく彼女の心を揺らしてみよう。
それから孤児院を訪れる度、彼女の欲するものを与えることにした。
まずは服。貧しい孤児院では食べられない柔らかなパン、それから甘いお菓子まで。
彼女のついでに他の子供らに与えてみたら、彼らは俺のことを『恵んでくれる人』として認識し始め、途端に俺の名前を訊き出したりベタベタしてくるようになった。
単純で分かりやすい愚か者どもだ。そして人間というのは本来こうなって然るべきである。
けれどもビアンカはというと、俺がどれだけものを与えても優しく振る舞っても人並みに嬉しがりはするけれど、一番喜ぶのは俺の訪問そのものだった。
明るく健気で、まっすぐな彼女。
だがビアンカにはこれまで友達がいなかった。
白い髪は平民どころか貴族でも滅多に見られない。それ故にどこか異質なものとして遠巻きにされてきたらしい。
物心ついた時から親はなく院長も雑に世話をするだけ。そんな中で純粋なままで成長できたのは紛うことなき奇跡のような気がした。
(こんなにやさしくされるの、うまれてはじめて)
(おうじさまっていいこだなぁ)
(わたしもおうじさまになにかしてあげられるかな?)
その心の声はあたたかくて優しくて、やがて彼女を疑うことをやめた。
そうしたらあとは彼女との関係性は深まっていく一方だった。
そこに存在するだけでビアンカは俺の心の渇きを癒してくれる。
いつしか、孤児院に足を運んで彼女と過ごす時間を大切なものとして感じるようになって。
時が流れて一年が過ぎ二年が過ぎて、出会って三年目の頃には、疑いようがないくらいビアンカに惹かれているのだと自覚していた。
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