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第六話 結婚披露宴にて②
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「ジェシカ嬢、いえ、ジェシカ妃殿下とお呼びした方がいいわね。ごきげんよう!」
あてもなく大ホールの中を彷徨い歩き、次々と声をかけてくる貴族たちを上手くあしらいながら過ごし、デザートを摘んでいると、背後から朗らかな声が聞こえてきた。
わたくしは振り返り、声の主の姿を目にして思わず作り物ではない笑顔になる。
縦ロールにした鮮やかなワインレッドの髪にオレンジの瞳、そして朱い華やかなドレスを纏った令嬢が、わたくしに向かって淑女の礼をしていた。
彼女はわたくしの親しい友人である名門ヴェストリス侯爵家息女、アンナ・ヴェストリス嬢だった。
「アンナ嬢、ごきげんよう。ずいぶんとお久しぶりですわね。フロディ王国に滞在する以前にお会いしたきりでしたから、三年ぶりくらいでしょうか?」
「ええ、そうね。そして帰国後一年はずっと婚約者探しと妃教育にお忙しかったようだし。それにしてもさすが完璧令嬢だわ、たったの一年で妃教育を終えてしまうなんて。妃殿下は全貴族女性の憧れよ」
「それほどでもございませんわ。わたくしが受けたのは簡単なものですもの」
ふふふ、と笑い合いながら、わたくしたちは目立たないホールの隅へと移動する。
アンナ嬢とはかつて毎週のようにお茶会に呼び合っていたほど仲がいい。数多い友人の中、彼女の前でだけは気を張らずにいられるので気楽なのだった。
「申し遅れたわ、ジェシカ妃殿下、ご成婚おめでとう。けれど相手があのヒューパート皇太子殿下だなんて……これは天変地異の前触れなのかしら?」
「そんな物騒なことをおっしゃらないでくださいませ。アンナ嬢のお気持ちはよくわかりますけれど」
わたくしはヒューパート様に関する愚痴を、アンナ嬢によく漏らしてしまっていた。だからアンナ嬢は、いくらわたくしの嫁ぎ先がなかったからと言って、よりにもよってわたくしがヒューパート様の妃になったことが信じられないのだろう。
わたくし自身さえもそうなのだから当然だった。
「それでどうだったの、皇太子殿下との夜は」
わたくしへ身をすり寄せ、心配そうな声音で、しかし興味津々なのを隠し切れずに訊いてくるアンナ嬢。
わたくしは懐に隠していた扇をパッと広げ、周囲に視線を走らせ聞き耳を立てている者がいないことを確認すると、すぐ隣のアンナ嬢でさえやっと聞き取れるほどの小声で言った。
「いいえ、彼との甘い夜は過ごしておりませんわ。
アンナ嬢だからこそ教えて差し上げますけれど、わたくしとヒューパート様は白い結婚をいたしましたのよ」
「まあっ」アンナ嬢はオレンジ色の瞳を見開いて驚いた。「白い結婚って、あの」
「もちろんこのことは他の方にはご内密にお願いいたしますわね。公になれば、わたくしの名誉に関わりますから」
きっちり釘を刺しておくと、アンナ嬢はこくこくと頷いた。
貴族令嬢という生き物は基本、噂好きだ。どんな隠し事でも誰かが聞きつければすぐに広めてしまうのが社交界という場所である。一度口にしてしまったが最後、簡単に秘密は秘密でなくなる。
ならなぜこんな重要な話をアンナ嬢にしたかと言えば、わたくしが彼女を信頼しているからに他ならない。そして彼女の不利にしかならないからだ。
――このことを漏らせば、アンナ嬢はわたくしというスタンナード家との信頼と繋がりを失う。それは彼女のヴェストリス侯爵家にとって望まざることだから、決して彼女が口を滑らせることはないというわけだった。
もちろんそれでも噂を流す令嬢はいるが、アンナ嬢はその類の愚か者ではないと知っているし信じている。
声を潜めて話し続ける。
「つまり、離縁狙いということ?」
「そうなりますわね。二年をめどに離縁できたらと考えておりましてよ」
「それは皇太子殿下も同じなの?」
わたくしは「もちろんですわ」と答えた。
離縁を望んでいるのは、ヒューパート様とて同様のはずだ。そうでなければ白い結婚という失礼にもほどがある提案を呑むわけがない。
「せっかく皇太子妃の地位を手に入れられたのにそれを手放そうだなんて、あなた以外にはきっと考えもしないでしょうね」
わたくし以外の令嬢に見せるヒューパート様の顔を思い浮かべる。
まさに貴公子の中の貴公子である彼に嫌悪感を抱く者などいないだろう。わたくしももし仮に彼があのような顔を向けてくれたなら絆されてしまうかも知れないと思うほどには魅力的だ。
そうでなくても普通ならば彼の妃になるということは将来の皇妃の地位を約束されるわけで、普通の貴族令嬢であれば、喉から手が出るほど欲しいものだろう。
けれどわたくしはそれを承知の上で、ヒューパート様と別れようと企てている。
いくら好条件であれ、彼と夫婦を続けていくのだけは無理だから。
「皇太子妃の座、アンナ嬢に譲って差し上げてもよろしくてよ?」
「私は遠慮しておくわ。侯爵家を継がなければならないし、ジェシカ妃と違って伴侶に不満はないもの」
冗談半分で言えば、アンナ嬢も冗談めかして言葉を返す。
アンナ嬢はヴェストリス侯爵家の後継者。
彼女の婚約者はとある侯爵家の次男坊で、婿に迎えるらしい。婚姻は周囲の貴族よりは遅めで二十歳頃、二年後くらいを予定しているのだとか。
仲は非常に良好であり、申し分ない婚約者だという。……わたくしもナサニエル様となら同様の関係を築けていたのに、と少し悔しくなったけれど、どうせわたくしも二年ほど経てばヒューパート様と離縁するのだし悔しがることでもないと思い直した。
良縁は、そのあとにでも探せばいいのだ。
今はひとまず仮初の妃を演じ切らなければ。
「二年間はわたくしは皇太子妃となりますけれど、その間も気軽にお付き合いいただければ幸いですわ。今度都合がよろしい時にお城にお呼びしたいのですが、構いませんでしょうか?」
「ええ、もちろんよ。ぜひ招待してちょうだい」
わたくしたちは微笑み合い、そっと約束を交わすと、まるで何事もなかったかのように互いに離れていった。
しかしもちろんこれで終わりではなく、待ってましたとばかりにそこそこ親しい令嬢三人組が現れた。
「「「皇太子妃殿下、ご成婚おめでとうございます」」」
「あら、ごきげんよう。お祝いいただきありがとうございます」
祝辞を述べながらも、彼女たちはわかりやすく前のめりになっている。やはりわたくしとヒューパート様の関係を聞きたいようだ。
同じ友人といえどそこまで親密ではないし、他国へ嫁いでいく令嬢もいるのでありのままの真実は話せそうにない。適当に取り繕うべきだろうとわたくしは瞬時に判断し、彼女らとの談笑を始めた。
披露宴はまだ続く。ヒューパート様が戻ってくるまで、もうしばらく時間を潰しておこうと思いながら。
あてもなく大ホールの中を彷徨い歩き、次々と声をかけてくる貴族たちを上手くあしらいながら過ごし、デザートを摘んでいると、背後から朗らかな声が聞こえてきた。
わたくしは振り返り、声の主の姿を目にして思わず作り物ではない笑顔になる。
縦ロールにした鮮やかなワインレッドの髪にオレンジの瞳、そして朱い華やかなドレスを纏った令嬢が、わたくしに向かって淑女の礼をしていた。
彼女はわたくしの親しい友人である名門ヴェストリス侯爵家息女、アンナ・ヴェストリス嬢だった。
「アンナ嬢、ごきげんよう。ずいぶんとお久しぶりですわね。フロディ王国に滞在する以前にお会いしたきりでしたから、三年ぶりくらいでしょうか?」
「ええ、そうね。そして帰国後一年はずっと婚約者探しと妃教育にお忙しかったようだし。それにしてもさすが完璧令嬢だわ、たったの一年で妃教育を終えてしまうなんて。妃殿下は全貴族女性の憧れよ」
「それほどでもございませんわ。わたくしが受けたのは簡単なものですもの」
ふふふ、と笑い合いながら、わたくしたちは目立たないホールの隅へと移動する。
アンナ嬢とはかつて毎週のようにお茶会に呼び合っていたほど仲がいい。数多い友人の中、彼女の前でだけは気を張らずにいられるので気楽なのだった。
「申し遅れたわ、ジェシカ妃殿下、ご成婚おめでとう。けれど相手があのヒューパート皇太子殿下だなんて……これは天変地異の前触れなのかしら?」
「そんな物騒なことをおっしゃらないでくださいませ。アンナ嬢のお気持ちはよくわかりますけれど」
わたくしはヒューパート様に関する愚痴を、アンナ嬢によく漏らしてしまっていた。だからアンナ嬢は、いくらわたくしの嫁ぎ先がなかったからと言って、よりにもよってわたくしがヒューパート様の妃になったことが信じられないのだろう。
わたくし自身さえもそうなのだから当然だった。
「それでどうだったの、皇太子殿下との夜は」
わたくしへ身をすり寄せ、心配そうな声音で、しかし興味津々なのを隠し切れずに訊いてくるアンナ嬢。
わたくしは懐に隠していた扇をパッと広げ、周囲に視線を走らせ聞き耳を立てている者がいないことを確認すると、すぐ隣のアンナ嬢でさえやっと聞き取れるほどの小声で言った。
「いいえ、彼との甘い夜は過ごしておりませんわ。
アンナ嬢だからこそ教えて差し上げますけれど、わたくしとヒューパート様は白い結婚をいたしましたのよ」
「まあっ」アンナ嬢はオレンジ色の瞳を見開いて驚いた。「白い結婚って、あの」
「もちろんこのことは他の方にはご内密にお願いいたしますわね。公になれば、わたくしの名誉に関わりますから」
きっちり釘を刺しておくと、アンナ嬢はこくこくと頷いた。
貴族令嬢という生き物は基本、噂好きだ。どんな隠し事でも誰かが聞きつければすぐに広めてしまうのが社交界という場所である。一度口にしてしまったが最後、簡単に秘密は秘密でなくなる。
ならなぜこんな重要な話をアンナ嬢にしたかと言えば、わたくしが彼女を信頼しているからに他ならない。そして彼女の不利にしかならないからだ。
――このことを漏らせば、アンナ嬢はわたくしというスタンナード家との信頼と繋がりを失う。それは彼女のヴェストリス侯爵家にとって望まざることだから、決して彼女が口を滑らせることはないというわけだった。
もちろんそれでも噂を流す令嬢はいるが、アンナ嬢はその類の愚か者ではないと知っているし信じている。
声を潜めて話し続ける。
「つまり、離縁狙いということ?」
「そうなりますわね。二年をめどに離縁できたらと考えておりましてよ」
「それは皇太子殿下も同じなの?」
わたくしは「もちろんですわ」と答えた。
離縁を望んでいるのは、ヒューパート様とて同様のはずだ。そうでなければ白い結婚という失礼にもほどがある提案を呑むわけがない。
「せっかく皇太子妃の地位を手に入れられたのにそれを手放そうだなんて、あなた以外にはきっと考えもしないでしょうね」
わたくし以外の令嬢に見せるヒューパート様の顔を思い浮かべる。
まさに貴公子の中の貴公子である彼に嫌悪感を抱く者などいないだろう。わたくしももし仮に彼があのような顔を向けてくれたなら絆されてしまうかも知れないと思うほどには魅力的だ。
そうでなくても普通ならば彼の妃になるということは将来の皇妃の地位を約束されるわけで、普通の貴族令嬢であれば、喉から手が出るほど欲しいものだろう。
けれどわたくしはそれを承知の上で、ヒューパート様と別れようと企てている。
いくら好条件であれ、彼と夫婦を続けていくのだけは無理だから。
「皇太子妃の座、アンナ嬢に譲って差し上げてもよろしくてよ?」
「私は遠慮しておくわ。侯爵家を継がなければならないし、ジェシカ妃と違って伴侶に不満はないもの」
冗談半分で言えば、アンナ嬢も冗談めかして言葉を返す。
アンナ嬢はヴェストリス侯爵家の後継者。
彼女の婚約者はとある侯爵家の次男坊で、婿に迎えるらしい。婚姻は周囲の貴族よりは遅めで二十歳頃、二年後くらいを予定しているのだとか。
仲は非常に良好であり、申し分ない婚約者だという。……わたくしもナサニエル様となら同様の関係を築けていたのに、と少し悔しくなったけれど、どうせわたくしも二年ほど経てばヒューパート様と離縁するのだし悔しがることでもないと思い直した。
良縁は、そのあとにでも探せばいいのだ。
今はひとまず仮初の妃を演じ切らなければ。
「二年間はわたくしは皇太子妃となりますけれど、その間も気軽にお付き合いいただければ幸いですわ。今度都合がよろしい時にお城にお呼びしたいのですが、構いませんでしょうか?」
「ええ、もちろんよ。ぜひ招待してちょうだい」
わたくしたちは微笑み合い、そっと約束を交わすと、まるで何事もなかったかのように互いに離れていった。
しかしもちろんこれで終わりではなく、待ってましたとばかりにそこそこ親しい令嬢三人組が現れた。
「「「皇太子妃殿下、ご成婚おめでとうございます」」」
「あら、ごきげんよう。お祝いいただきありがとうございます」
祝辞を述べながらも、彼女たちはわかりやすく前のめりになっている。やはりわたくしとヒューパート様の関係を聞きたいようだ。
同じ友人といえどそこまで親密ではないし、他国へ嫁いでいく令嬢もいるのでありのままの真実は話せそうにない。適当に取り繕うべきだろうとわたくしは瞬時に判断し、彼女らとの談笑を始めた。
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