ダントン回想録

大変よくできました

文字の大きさ
16 / 20

回想録16

しおりを挟む
――私が医師として…研究者として?

 医師として、なら分かります。しかし研究者としてとは…。

「あはは。驚いちゃうよね。そのままの意味で言ったつもりだけども。」
「い、いやあまりにも…その……。」
「もう論文と人を診るだけの医者じゃない。」

 マルグリット嬢が私の手を引き、外へ連れ出してくれました。

「ダントン、キミはもうただ人を診て、瀉血するだけの医者じゃないんだ。」

 ガラスの部屋から出てきたのに、手汗が止まりません。
 マルグリット嬢は気にせずに私の手を握りしめます。

「人を診て、体液のバランスを考えるだけじゃない。
 それだけじゃ足りない…。
 人を診て、終わりじゃない。
 症状と経過を――記録するんだ。」
「マルグリット嬢、それじゃあ今とあまり変わらない気が…。」

その言葉にマルグリット嬢は首を横に振ります。

「違う。違うよ。そうじゃない。
 咳をしてる人なら、咳の症状を聞き分けて…。いつその人が咳をしてるのか。

 その人の薬は毎回同じなのか、違うのか。
 症状と薬は合っているのか、記録を…もっともっと深い記録を付けるんだ。
 これも研究のひとつだよ。」

 マルグリット嬢と顔が近くなります。

「それを生涯かけて、付け続けるんだ。」

 これは私が長年、曇っていた医療への疑問を晴らす行為になるでしょう。
 同じ咳をしているからといって、体液が悪いからと決めつけ、当てずっぽうで、瀉血するのではないのだと分かり始めましたが………。

 顔が近いのです。
 それにくわえ、着替えるのが億劫だからと、乗馬服以来、彼女はドレスに着替えておりません。

 足の形が見えるその立ち姿は、数多の男たちの心臓を撃ち抜く行為です。
 私も例外ではありません。

 私たちは結婚の約束はしておりますが、まだ……その…………。
 ふ、ふふ夫婦の契は……まだ早いと……おおおおお思うのです。

 顔が熱くなります。
 は必ず決まっているのでしょうが、今日ここに来てまだ1日…。
 同じ敷地内に今日から私が住むとはいえ、早いのです。
 そういった行為は、神の前できちんと誓いを立ててからするというのが私の信念であり、世の常識です。

このままマルグリット嬢に身を委ねるしかないのでしょうか?
 私も……とうとう、神の前で誓わずに遊ぶ汚い貴族と同じように一線を越えてしまうのでしょうか?
 できれば、男性であるわたしがマルグリット嬢を手引きできる側でありたかっ――。

「二人とも、顔が近いと思わないかね?」

 マルグリット嬢の後ろから声を掛けたのは馬に乗った侯爵閣下父親でした。
 見られたくないものを見られた気持ちになりました。

「あら、父様。」

 マルグリット嬢はすぐに顔を遠ざけましたが、私の胸には安堵と、侯爵閣下に誤解されたかもしれない恐怖が入り混じりました。

 馬から降りた侯爵閣下はマルグリット嬢を淡々と叱り始めました。
 
「マルグリット、いくら婚約者とはいえ、侍女を付けなさい。」

 侯爵閣下とマルグリット嬢が互いの頬にキスの挨拶をします。

「あぁ。エマ……今は、お花でも摘みに行ってるよ。」
 可愛い口から、嘘が出てきます。
 マルグリット嬢でも嘘を言うことがあるのだなと思いました。

「……まだ侍女のその長い花摘みの間に時間がかかるなら、私がこの先付いていってもいいが?」
 やはり嘘はすぐにバレます。

「父様、別に嘘じゃないよ。んー…ここにはちょっとだけ居ないだけ。」
「…そうか。なら、今度からは侍女の花摘みに二人で向かいなさい。」
 
 会話だけ聞くと、そこには侯爵という立場でありながらも親子を感じます。

「ダントンくん、"理性がある"という評価は、失う時は一瞬だ。」

 今度は私も叱られました。
 そして先ほどのマルグリット嬢と同じ距離になり、いつだったかマルグリット嬢が私の耳に囁いたように言います。
 
「娘と家の信頼を失墜させるのも、君次第だ。
 ――……誇りまで継げるかは、"意思のある者"が継げる。」

 侯爵閣下の顔が離れます。

「覚えておきたまえ、後で役に立つ。」

 ……私はまた、侯爵閣下に教えを解かれ、黙って何度もうなずくだけでした。

 侯爵閣下はまだ何か言いたげでした。
「……あ、あの侯爵閣下?」
「娘の条件を思い出してな。」
「しばらくは食生活と運動生活があるとはお聞きしました…。」
 研究の事は言えませんでした。
 私の心の中でまだ噛み砕かれて居なかったのです。

 「ふむ。もうすぐ王太子の花嫁が来るからな。それまでに頑張ってもらわねばならない。」

 半年後、長年戦争をしていた国のひとつである異国の花嫁が輿入れするという話は私の耳にも入っておりました。

「それまでに形を整えて貰わないとな。」

 つまり、私は今のこの体型は割に合わないということ…。
間を置かず侯爵閣下の口が開きます。
 
「はて……持参金が足りなかったか………。」

 昼食時、マルグリット嬢が冗談めかして口にした言葉とまったく同じものでした。
 その口調も、表情も……。侯爵閣下か娘かということです。

 その後放心状態である私の全身を一通り見たあと、「娘の条件、キミならいい結果がでるだろう。」と侯爵閣下はまた馬に乗りどこかへ行きました。

「父様、勘違いしすぎなんだよねぇ…。」

 今日、私がここに来て学んだことは、マルグリット嬢と侯爵閣下はやはり親子であると。
 私は高値で売られたのか、迎え入れられたのか……はたまたどちらかなのか。

 そして侯爵閣下という偉大な存在には決して逆らえないということです。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻の遺品を整理していたら

家紋武範
恋愛
妻の遺品整理。 片づけていくとそこには彼女の名前が記入済みの離婚届があった。

別れ話

はるきりょう
恋愛
別れ話をする男女の話

やさしいキスの見つけ方

神室さち
恋愛
 諸々の事情から、天涯孤独の高校一年生、完璧な優等生である渡辺夏清(わたなべかすみ)は日々の糧を得るために年齢を偽って某所風俗店でバイトをしながら暮らしていた。  そこへ、現れたのは、天敵に近い存在の数学教師にしてクラス担任、井名里礼良(いなりあきら)。  辞めろ辞めないの押し問答の末に、井名里が持ち出した賭けとは?果たして夏清は平穏な日常を取り戻すことができるのか!?  何て言ってても、どこかにある幸せの結末を求めて突っ走ります。  こちらは2001年初出の自サイトに掲載していた小説です。完結済み。サイト閉鎖に伴い移行。若干の加筆修正は入りますがほぼそのままにしようと思っています。20年近く前に書いた作品なのでいろいろ文明の利器が古かったり常識が若干、今と異なったりしています。 20年くらい前の女子高生はこんな感じだったのかー くらいの視点で見ていただければ幸いです。今はこんなの通用しない! と思われる点も多々あるとは思いますが、大筋の変更はしない予定です。 フィクションなので。 多少不愉快な表現等ありますが、ネタバレになる事前の注意は行いません。この表現ついていけない…と思ったらそっとタグを閉じていただけると幸いです。 当時、だいぶ未来の話として書いていた部分がすでに現代なんで…そのあたりはもしかしたら現代に即した感じになるかもしれない。

幼馴染の許嫁

山見月あいまゆ
恋愛
私にとって世界一かっこいい男の子は、同い年で幼馴染の高校1年、朝霧 連(あさぎり れん)だ。 彼は、私の許嫁だ。 ___あの日までは その日、私は連に私の手作りのお弁当を届けに行く時だった 連を見つけたとき、連は私が知らない女の子と一緒だった 連はモテるからいつも、周りに女の子がいるのは慣れいてたがもやもやした気持ちになった 女の子は、薄い緑色の髪、ピンク色の瞳、ピンクのフリルのついたワンピース 誰が見ても、愛らしいと思う子だった。 それに比べて、自分は濃い藍色の髪に、水色の瞳、目には大きな黒色の眼鏡 どうみても、女の子よりも女子力が低そうな黄土色の入ったお洋服 どちらが可愛いかなんて100人中100人が女の子のほうが、かわいいというだろう 「こっちを見ている人がいるよ、知り合い?」 可愛い声で連に私のことを聞いているのが聞こえる 「ああ、あれが例の許嫁、氷瀬 美鈴(こおりせ みすず)だ。」 例のってことは、前から私のことを話していたのか。 それだけでも、ショックだった。 その時、連はよしっと覚悟を決めた顔をした 「美鈴、許嫁をやめてくれないか。」 頭を殴られた感覚だった。 いや、それ以上だったかもしれない。 「結婚や恋愛は、好きな子としたいんだ。」 受け入れたくない。 けど、これが連の本心なんだ。 受け入れるしかない 一つだけ、わかったことがある 私は、連に 「許嫁、やめますっ」 選ばれなかったんだ… 八つ当たりの感覚で連に向かって、そして女の子に向かって言った。

大丈夫のその先は…

水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。 新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。 バレないように、バレないように。 「大丈夫だよ」 すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m

英雄の番が名乗るまで

長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。 大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。 ※小説家になろうにも投稿

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

処理中です...