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第十四話
すいません、と彼に謝罪する。
自分のはしたない姿を見せてしまったからだ。
紳士、さん。というべきか。
彼の名前を知ろうとしないほうがいい気もしてしまい、私はハンカチでまた目元を拭った。
うっすらと、森の香りがする。
豊潤な水をたたえた、森林の放つ、シダーウッド系の香り。
大きな安らぎに包まれるような錯覚を覚えてしまった。
これは‥‥‥男性の選ぶ香りではないだろうことも、思い至る。
そっか。
彼には戻れる場所と待っていてくれる女性がいるのか、と。
ちょっとだけ、嫉妬もした。
その相手にではなく、彼の‥‥‥私より恵まれた環境に、だ。
それは大人げない心の迷いだと理解しつつも、そんなふうに自由に生きてみたいとも夢想する。
もちろん、そこには私の想像すら及ばない、別な問題はあるのだろうけれど。
でも、羨ましかった。
「これは改めて、同額の品を購入してお返しいたします」
「いや、それには及ばないよ。こうして、送ってもらった礼の代わりにはならないが‥‥‥」
と、彼は車窓からそとをちらり、と見てから付け加えた。
「あなたはこのまま屋敷に戻られるがいい。侯爵様は在宅かな」
「は? 父はその」
在宅です、と言おうとして思いとどまる。
助けてくれたとはいえ、彼は謎の人。
スパイと疑いを勝手にかけて失礼をしているとは思うけれど、でも、安全な存在ではないかもしれない。
家族の動向を伝えるのは危険だと、頭の中で警鐘が鳴り響いた。
「分かりません。出かけているか、屋敷にいるかはいまの時点では、なんとも」
嘘だ。
お父様は、今日一日、屋敷で公務に打ち込んでいる。
それを知りつつ、誤魔化すのは、女の私にとって難しいことではない。
殿下のことを思い出したふりをして、目を下に顔を傾ければそれで済む話だ。
彼はそれを真に受けてくれたのか、「そうですか」と納得してくれたようだった。
「では、俺はそろそろ去ることにしよう」
「ああ、それでは御者に言わないと」
彼が座っている席の向こう側に、御者が座っている。
壁の上についている小さな明り取りのような窓を開いて、こちらから命じないと、それは伝わらない。
でも、彼は「ああ、いいですよ。問題ない」と首を振る。
「どういうことですか」
「こういう、ことです。レイダー侯爵に宜しく。ギレリスというより、バーゼナルによろしく。アイナ様」
「バッ、どこでその名を!?」
「兄弟子ですよ。お嬢様」
にやりと悪戯でも企んでいるかのような彼の笑顔がそこにはあった。
子供が何かを仕組んで、大人や友達を驚かせようとする仕草にそれはそっくりで。
その右手を彼がそっと揚げたら、そこには彼の瞳と同じような紅の光の塊があり――。
「きゃっ?」
パシュッ、と音を立てて、それは破裂して消えてしまう。
いや、そう‥‥‥見えた。
光源に気を取られ目を逸らしたその瞬間、彼もまた消えていた。
「嘘っ」
これまでのことは幻だった?
その光景を錯覚だと思いたくなかった。
でも、伸ばしたその手の先にはもう何もない。
「魔法、使い‥‥‥名乗らずに行ってしまわれた」
片方の手に握りしめているハンカチが彼のいたことの証左で。
もう一度、彼のことを忘れないように私はそれをぎゅっと握りしめた。
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