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第二部 巫女姫と幽霊と婚約破棄事件
第23話 貧民街の幽霊アパート
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「冬場なのに……なんで幽霊アパートなんかに――ッ!」
貧民街の夜は冷たく、薄暗い路地には霧が立ちこめていた。
オランジーナは寒さに肩をすくめながらコートの襟を立て、凍える冬の夜気から逃げるようにして足早に歩いていた。
彼女が選んだ宿屋は、住民たちから「幽霊アパート」と呼ばれている場所。
愛の女神メジェト神殿の巫女姫であるオランジーナは、聖女の補佐、魔獣退治、死霊などの悪霊浄化が主な仕事だが、本当は幽霊が苦手だった。
オランジーナ・エスタフォン。エスタフォン男爵家の第二令嬢。
長いブロンドを後ろで括り、犬のようにくりくりとした緑の瞳が闇夜に跳梁跋扈する魔獣たちを見逃さない。
そんな彼女には忌まわしい過去があった。
四歳のころ、貧困街に住んでいたオランジーナには、魔窟から這い出てきた死霊たちに夜通し追いかけられて、あやうく昇天しそうになったのだ。
「死霊とか最悪、本当に嫌です。聖女様も最悪……です! エッ、ここォ!?」
今歩いているのは幼少期を過ごした貧困街の一角。
アパートの家主は陰険な顔つきの金貸しだが、オランジーナの古い顔見知りだったため、安価で部屋を貸してくれると約束した。
疲れ切った彼女にはその条件を断る理由がなかった。
アパートに入り設置されている古びたエレベーターの扉を手動で閉じて、部屋がある4階のボタンを押す。
北側に位置する部屋には、必要な家具がすべて用意されている、という話だった。
チン、と乾いた音がしてエレベーターが止まる。
扉を開け、部屋に近づくにつれ、オランジーナは異様な気配を感じた。
「ん……ッ? なんですか、この異様な気配――人はいないはず……ッ!」
部屋の番号は、404号室。
もう半年以上も入居者がおらず、部屋の掃除だけはたまに管理人がしているという話だった。
だというのに、神官として有能な彼女は部屋の中でうごめいている何かの魔力反応を嗅ぎつけてしまう。
ええ……もし、死霊だったらどうしよう――?
いつもは仕事として行使している浄化魔法だが、今夜はうまく発動できるかどうか不安にだった。
手が左耳のイヤリングへとそっと伸びる。
伸縮自在の聖なる武器『聖鎚』が小さくなって引っかかっていた。
イヤリングをそっと外す。魔力を込めて意識すると、数センチしかなかった小さなハンマー型のイヤリングが、巨大なハンマーへと変化する。
その気になればドラゴンとすらも渡り合える、聖剣と同種の武器。
聖女から与えられた聖鎚オルビオルの柄をぎゅっと握りしめ、オランジーナはごくり、と喉を鳴らす。
「怖くない、怖くない……大丈夫です、怖くない……ッ!」
外套のポケットから鍵を取り出し、鍵穴に差し込みひねると、カチっと音がしてロックが解除される。
錆びた扉を開けると、室内は古びた家具と埃っぽい空気に満ちていた。
オランジーナは重い溜息をつき、部屋の鍵を握りしめながら中に入っていく。
間取りは2LDK。
入ってすぐ右手側にトイレと風呂場が別々にあり、左側にはコートなどをかけるドレッサーになっている。
少し奥に足を進めたらキッチンリビングと、2つの部屋がそれぞれあるはずだった。
「魔力反応はもっと奥……」
そろそろと足を進める。
ドレッサーをそっと開き内側を確認する、問題なし。
トイレと風呂場も同じようにしたが、特におかしな形跡はない。
台所ではつい最近、誰かが調理をした跡があり「幽霊が食事?」とオランジーナは頭を捻った。
リビングには来客用のソファーとテーブルセットがあり、ベランダに続くガラス窓からは夜の王都の街並みがうっすらと見て取れる。
右手前にある扉は、大家によると以前の所有者が仕事部屋兼書斎として使っていたという。
しかし、扉の下にある隙間には闇しかない。
右奥にある寝室の扉の隙間からうっすらと光が漏れていてオランジーナは「ひいっ」と小さく呻いた。
幽霊が光を発行しているのか。
それとも、窓から入った街灯の灯りが漏れているのか――それにしては、いやに明るい。
死霊たちが生み出す燐光よりも明るく、街灯や月明かりよりも濃くて温かみのある光だ。
「誰か――いるん……です、か――?」
意を決して、ドアノブに手をかけ回そうとする。
その瞬間、中からかすかな声が聞こえた。
「エリザベス! 僕はもう君を離したくない。この王都から逃げる準備が整いそうなんだ」
「エドワード、それは本当なの?」
聞こえてきた声に思わず、ドアノブにかかっていた手をゆっくりと離す。
エリザベスにエドワード、誰ですかそれ。王都から逃げる段取りって……犯罪の相談かしら?
などと考えてしまい、いきなりな展開に頭が追い付かない。
「だが、そうなると君はもう貴族には戻れない。僕もそうだ。その覚悟はできているね?」
「もちろん――もちろんよ、エドワード。あなたがいてくれるなら、それだけでいいわ」
いやいや、いいことないでしょう? ここ、あたしの借りた部屋なんですけど――!
扉の向こうでは会話が続く。
二人の男女はそれぞれの名を呼び合い、抱きしめ合っているような……そんなところまで展開は進んでいて、ほっておいたらキスまでしそうな勢いを感じてしまう。
「幽霊? 死霊? それとも意志のある魔獣――? ええい、もうどうでもいいです! ちょっと、人の部屋でなにしてるんですか――っ!?」
扉の向こうにいるのが誰かなんてどうでもよくなったオランジーナは、聖鎚を振りかぶり扉を勢いよく押すと、バンっと音を立てて開いた扉の向こうには、二人の人影があった。
「なっ、誰だっ!?」
「なっ――何者っ!」
オランジーナとよく似たブロンドに碧眼の少女と、赤髪に黒目の青年だ。
一目見た途端、彼等が発している魔力反応によって生きている人間だと判別できたオランジーナは、幽霊ではなかった安心感から、さらに勢いづく。
「何者かって? この部屋を今日から借りた者ですよ! 空き物件だからって逢引きに使うなんて、いい度胸じゃないですか! そこに直りなさい、この聖鎚のサビにしてやりますから!」
口調は丁寧だが、言ってることは物騒だ。
さらに両手で人の頭ほどもある巨大なハンマーを掲げていて、いまにも攻撃を開始しそうな雰囲気だってある。
普段は温厚なオランジーナだが、今夜は珍しく気が立っていた。
手向かう者なら、女子供容赦なく聖鎚の餌食にしてもおかしくはない――それほどに殺気だっていて、目が座っている。
血走った瞳でぎろっ、と睨まれて碧眼の少女がひいっ、と悲鳴を上げる。その前に進み出た赤髪の青年は、腰に帯びた剣に手をやりながら「待っ、待ってくれ! これには事情があるんだ!」と口走った。
「エドワード! この狼藉者に手加減など要りません!」
「待て、エリザベス! そんな刺激するようなことを言ったら余計に――!」
彼の腰に少女がすがりつきながら指図するのを見て、オランジーナの中でなにかがキレた。
「ああっ?」
プツンと、血管が切れた音が脳内に響く。
怒りを通り越して無常になったオランジーナは、無表情のまま、二人の侵入者に聖鎚を振り下ろした。
※
「‥‥‥まったく。最初から理由があれば理由があると言ってくれれば」
聖鎚の一撃は重たい。
頭に喰らった赤髪の青年、エドワードは叩き伏せられて床にのびてしまった。
それを見た碧眼の少女が「いやあーっ! エドワー……」と完全に言い終えるまえにオランジーナは返す一撃で、彼女の左側面を強打した。
少女は吹っ飛び、壁に叩きつけられてカエルが潰れたようなうめき声を出し、意識を失ってしまう。
二人が動けなくなったのを確認し、手足を拘束してから聖鎚オルビオルで治癒魔法をほどこしてやると、ようやく意識を取り戻した。
芋虫のように縛られた二人をよくよく見ると、どちらも素材の良い生地で仕立てられた衣類に身を包んでいて、こんな貧困層が集まる土地にはふさわしくないのがよく分かる。
貴族か裕福な商家の関係者か。
そう見当をつけたものの、男性が帯びていた剣は儀礼用で本物ではないことから、騎士や剣士、冒険者出などではないことが分かる。
オランジーナは彼が貴族階級の子息のように感じた。
どうしてそんな身分の者たちがここを逢引きに使っていたのか。
謎が謎を呼び、このまま官憲に突き出そうかと思ったのだけれど、やめた。
回復させて事情を聞こうと思ったのだ。
「だから言ったじゃないか! 待ってくれ、と」
「そうですわ、お願いしたのに」
「お願い?」
「そう……お願い……申し訳ございません」
「そうですね。狼藉者呼ばわりされたこと、まだ忘れていませんから」
「はっ、はい……お許しを」
腰掛けたベッドの上から睨みつけると、薄明かりの中に二つの影が揺れていた。
一人は美しい侯爵令嬢、もう一人は若い男爵令息の姿だ。
意識を回復した彼らに聖鎚を指し示し、オランジーナは自分の身分を明かした。
神殿の巫女姫だ、と。どこの神殿かは名乗らなかった。
聖鎚を持つ巫女姫なんてそう多くはない。調べたらあっさりと分かることだから明かさなかった。
すると、彼等は意外にもあっさりと身分を告白したのだ。
「レストレード侯爵令嬢エリザベスとハミルタス男爵令息エドワードです」
「レストレード……? アーガイム元殿下の愛妾だった?」
「なぜ、それを――!」
彼らの顔には深い悲しみと切なさが浮かんでいた。
驚いたことに二人は時間が経過するほど、その姿が輪郭が薄くなっていく。
まさか、本当の幽霊……!?
そう思うと、オランジーナは恐怖で心臓が高鳴ったが、足が動かない。
「なぜここに…」
彼女が震える声で尋ねると、令嬢が悲しげに答えた。
「私たちは、こうして夜にほんの少しだけしか会えないのです」
「もう、翌日がくる……。巫女姫様、どうかこのことを秘密にしてください。そうでないと僕たちは――」
「ちょ、待ちなさい! ええ、本当の幽霊なの!?」
エドワードの言葉が反響するようにうねり、部屋の闇へと消えいく。
うっすらと消えかかっていた輪郭がほとんど透明になってしまい、とうとう、二人は影も形もなく消えてしまった。
後に残されたのはオランジーナが緊急の捕縛用に、聖鎚から作りだした銀の鎖だけになっていた。
「うああああっ! まさか、本物!? いや、いやあああっ! 見たくない、信じない、もういやああっ―――ァあッ!」
オランジーナは聖鎚を抱きかかえたまま、ベッドの毛布にくるまって現実逃避をしてしまう。
貧民街の夜は、まだ終わりを告げていなかった。
貧民街の夜は冷たく、薄暗い路地には霧が立ちこめていた。
オランジーナは寒さに肩をすくめながらコートの襟を立て、凍える冬の夜気から逃げるようにして足早に歩いていた。
彼女が選んだ宿屋は、住民たちから「幽霊アパート」と呼ばれている場所。
愛の女神メジェト神殿の巫女姫であるオランジーナは、聖女の補佐、魔獣退治、死霊などの悪霊浄化が主な仕事だが、本当は幽霊が苦手だった。
オランジーナ・エスタフォン。エスタフォン男爵家の第二令嬢。
長いブロンドを後ろで括り、犬のようにくりくりとした緑の瞳が闇夜に跳梁跋扈する魔獣たちを見逃さない。
そんな彼女には忌まわしい過去があった。
四歳のころ、貧困街に住んでいたオランジーナには、魔窟から這い出てきた死霊たちに夜通し追いかけられて、あやうく昇天しそうになったのだ。
「死霊とか最悪、本当に嫌です。聖女様も最悪……です! エッ、ここォ!?」
今歩いているのは幼少期を過ごした貧困街の一角。
アパートの家主は陰険な顔つきの金貸しだが、オランジーナの古い顔見知りだったため、安価で部屋を貸してくれると約束した。
疲れ切った彼女にはその条件を断る理由がなかった。
アパートに入り設置されている古びたエレベーターの扉を手動で閉じて、部屋がある4階のボタンを押す。
北側に位置する部屋には、必要な家具がすべて用意されている、という話だった。
チン、と乾いた音がしてエレベーターが止まる。
扉を開け、部屋に近づくにつれ、オランジーナは異様な気配を感じた。
「ん……ッ? なんですか、この異様な気配――人はいないはず……ッ!」
部屋の番号は、404号室。
もう半年以上も入居者がおらず、部屋の掃除だけはたまに管理人がしているという話だった。
だというのに、神官として有能な彼女は部屋の中でうごめいている何かの魔力反応を嗅ぎつけてしまう。
ええ……もし、死霊だったらどうしよう――?
いつもは仕事として行使している浄化魔法だが、今夜はうまく発動できるかどうか不安にだった。
手が左耳のイヤリングへとそっと伸びる。
伸縮自在の聖なる武器『聖鎚』が小さくなって引っかかっていた。
イヤリングをそっと外す。魔力を込めて意識すると、数センチしかなかった小さなハンマー型のイヤリングが、巨大なハンマーへと変化する。
その気になればドラゴンとすらも渡り合える、聖剣と同種の武器。
聖女から与えられた聖鎚オルビオルの柄をぎゅっと握りしめ、オランジーナはごくり、と喉を鳴らす。
「怖くない、怖くない……大丈夫です、怖くない……ッ!」
外套のポケットから鍵を取り出し、鍵穴に差し込みひねると、カチっと音がしてロックが解除される。
錆びた扉を開けると、室内は古びた家具と埃っぽい空気に満ちていた。
オランジーナは重い溜息をつき、部屋の鍵を握りしめながら中に入っていく。
間取りは2LDK。
入ってすぐ右手側にトイレと風呂場が別々にあり、左側にはコートなどをかけるドレッサーになっている。
少し奥に足を進めたらキッチンリビングと、2つの部屋がそれぞれあるはずだった。
「魔力反応はもっと奥……」
そろそろと足を進める。
ドレッサーをそっと開き内側を確認する、問題なし。
トイレと風呂場も同じようにしたが、特におかしな形跡はない。
台所ではつい最近、誰かが調理をした跡があり「幽霊が食事?」とオランジーナは頭を捻った。
リビングには来客用のソファーとテーブルセットがあり、ベランダに続くガラス窓からは夜の王都の街並みがうっすらと見て取れる。
右手前にある扉は、大家によると以前の所有者が仕事部屋兼書斎として使っていたという。
しかし、扉の下にある隙間には闇しかない。
右奥にある寝室の扉の隙間からうっすらと光が漏れていてオランジーナは「ひいっ」と小さく呻いた。
幽霊が光を発行しているのか。
それとも、窓から入った街灯の灯りが漏れているのか――それにしては、いやに明るい。
死霊たちが生み出す燐光よりも明るく、街灯や月明かりよりも濃くて温かみのある光だ。
「誰か――いるん……です、か――?」
意を決して、ドアノブに手をかけ回そうとする。
その瞬間、中からかすかな声が聞こえた。
「エリザベス! 僕はもう君を離したくない。この王都から逃げる準備が整いそうなんだ」
「エドワード、それは本当なの?」
聞こえてきた声に思わず、ドアノブにかかっていた手をゆっくりと離す。
エリザベスにエドワード、誰ですかそれ。王都から逃げる段取りって……犯罪の相談かしら?
などと考えてしまい、いきなりな展開に頭が追い付かない。
「だが、そうなると君はもう貴族には戻れない。僕もそうだ。その覚悟はできているね?」
「もちろん――もちろんよ、エドワード。あなたがいてくれるなら、それだけでいいわ」
いやいや、いいことないでしょう? ここ、あたしの借りた部屋なんですけど――!
扉の向こうでは会話が続く。
二人の男女はそれぞれの名を呼び合い、抱きしめ合っているような……そんなところまで展開は進んでいて、ほっておいたらキスまでしそうな勢いを感じてしまう。
「幽霊? 死霊? それとも意志のある魔獣――? ええい、もうどうでもいいです! ちょっと、人の部屋でなにしてるんですか――っ!?」
扉の向こうにいるのが誰かなんてどうでもよくなったオランジーナは、聖鎚を振りかぶり扉を勢いよく押すと、バンっと音を立てて開いた扉の向こうには、二人の人影があった。
「なっ、誰だっ!?」
「なっ――何者っ!」
オランジーナとよく似たブロンドに碧眼の少女と、赤髪に黒目の青年だ。
一目見た途端、彼等が発している魔力反応によって生きている人間だと判別できたオランジーナは、幽霊ではなかった安心感から、さらに勢いづく。
「何者かって? この部屋を今日から借りた者ですよ! 空き物件だからって逢引きに使うなんて、いい度胸じゃないですか! そこに直りなさい、この聖鎚のサビにしてやりますから!」
口調は丁寧だが、言ってることは物騒だ。
さらに両手で人の頭ほどもある巨大なハンマーを掲げていて、いまにも攻撃を開始しそうな雰囲気だってある。
普段は温厚なオランジーナだが、今夜は珍しく気が立っていた。
手向かう者なら、女子供容赦なく聖鎚の餌食にしてもおかしくはない――それほどに殺気だっていて、目が座っている。
血走った瞳でぎろっ、と睨まれて碧眼の少女がひいっ、と悲鳴を上げる。その前に進み出た赤髪の青年は、腰に帯びた剣に手をやりながら「待っ、待ってくれ! これには事情があるんだ!」と口走った。
「エドワード! この狼藉者に手加減など要りません!」
「待て、エリザベス! そんな刺激するようなことを言ったら余計に――!」
彼の腰に少女がすがりつきながら指図するのを見て、オランジーナの中でなにかがキレた。
「ああっ?」
プツンと、血管が切れた音が脳内に響く。
怒りを通り越して無常になったオランジーナは、無表情のまま、二人の侵入者に聖鎚を振り下ろした。
※
「‥‥‥まったく。最初から理由があれば理由があると言ってくれれば」
聖鎚の一撃は重たい。
頭に喰らった赤髪の青年、エドワードは叩き伏せられて床にのびてしまった。
それを見た碧眼の少女が「いやあーっ! エドワー……」と完全に言い終えるまえにオランジーナは返す一撃で、彼女の左側面を強打した。
少女は吹っ飛び、壁に叩きつけられてカエルが潰れたようなうめき声を出し、意識を失ってしまう。
二人が動けなくなったのを確認し、手足を拘束してから聖鎚オルビオルで治癒魔法をほどこしてやると、ようやく意識を取り戻した。
芋虫のように縛られた二人をよくよく見ると、どちらも素材の良い生地で仕立てられた衣類に身を包んでいて、こんな貧困層が集まる土地にはふさわしくないのがよく分かる。
貴族か裕福な商家の関係者か。
そう見当をつけたものの、男性が帯びていた剣は儀礼用で本物ではないことから、騎士や剣士、冒険者出などではないことが分かる。
オランジーナは彼が貴族階級の子息のように感じた。
どうしてそんな身分の者たちがここを逢引きに使っていたのか。
謎が謎を呼び、このまま官憲に突き出そうかと思ったのだけれど、やめた。
回復させて事情を聞こうと思ったのだ。
「だから言ったじゃないか! 待ってくれ、と」
「そうですわ、お願いしたのに」
「お願い?」
「そう……お願い……申し訳ございません」
「そうですね。狼藉者呼ばわりされたこと、まだ忘れていませんから」
「はっ、はい……お許しを」
腰掛けたベッドの上から睨みつけると、薄明かりの中に二つの影が揺れていた。
一人は美しい侯爵令嬢、もう一人は若い男爵令息の姿だ。
意識を回復した彼らに聖鎚を指し示し、オランジーナは自分の身分を明かした。
神殿の巫女姫だ、と。どこの神殿かは名乗らなかった。
聖鎚を持つ巫女姫なんてそう多くはない。調べたらあっさりと分かることだから明かさなかった。
すると、彼等は意外にもあっさりと身分を告白したのだ。
「レストレード侯爵令嬢エリザベスとハミルタス男爵令息エドワードです」
「レストレード……? アーガイム元殿下の愛妾だった?」
「なぜ、それを――!」
彼らの顔には深い悲しみと切なさが浮かんでいた。
驚いたことに二人は時間が経過するほど、その姿が輪郭が薄くなっていく。
まさか、本当の幽霊……!?
そう思うと、オランジーナは恐怖で心臓が高鳴ったが、足が動かない。
「なぜここに…」
彼女が震える声で尋ねると、令嬢が悲しげに答えた。
「私たちは、こうして夜にほんの少しだけしか会えないのです」
「もう、翌日がくる……。巫女姫様、どうかこのことを秘密にしてください。そうでないと僕たちは――」
「ちょ、待ちなさい! ええ、本当の幽霊なの!?」
エドワードの言葉が反響するようにうねり、部屋の闇へと消えいく。
うっすらと消えかかっていた輪郭がほとんど透明になってしまい、とうとう、二人は影も形もなく消えてしまった。
後に残されたのはオランジーナが緊急の捕縛用に、聖鎚から作りだした銀の鎖だけになっていた。
「うああああっ! まさか、本物!? いや、いやあああっ! 見たくない、信じない、もういやああっ―――ァあッ!」
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