14 / 27
第二話 禁書館ライフ
学園祭準備
しおりを挟む
「これは絶対に無理です! 物理的に不可能です! 誰がこんな企画を考えたんですか!」
私は教室で、クラスメイトたちが提案した学園祭の模擬店企画書を見て、頭を抱えていた。
暗殺未遂事件から一週間が経った。その後、幸いにも新たな事件は起きていない。そして今、学園は年に一度の大イベント――学園祭の準備で盛り上がっていた。
私たちA組も、クラスとして何か出し物をすることになったのだが――
「『空飛ぶレストラン』!? しかも『雲の上で食事を提供』!?」
私は企画書を振りかざした。
「これ、どうやって実現するつもりですか、ゴードン!」
「いや、だって夢があるだろ!」
例の爆発事故を起こしたゴードンが、ふんぞり返って言った。
「空飛ぶ魔法陣を作って、その上にレストランを建てればいいじゃん!」
「魔法陣で建物を浮かせるには、莫大な魔力が必要です! それに、安全性の確保も――」
「ネイサがいれば大丈夫だろ? お前、魔法上手いし」
「私一人じゃ無理です!」
教室が騒然となった。
「じゃあ、俺の案はどうだ!」
別のクラスメイトが手を挙げた。
「『魔獣カフェ』! 本物の魔獣を呼んで、触れ合えるカフェ!」
「危険すぎます!」
「でも可愛いじゃん!」
「可愛いかどうかの問題じゃありません!」
私は溜息をついた。
みんな、発想は面白いけど、実現可能性を全く考えていない。
「あのー、私の案は?」
リリアが控えめに手を挙げた。
「『王子様のおもてなしカフェ』。アーガム様に給仕してもらうの」
「却下!」
私は即座に答えた。
「アーガム様を客寄せに使うなんて!」
「えー、でも人気出るよ?」
「ダメです!」
その時、教室のドアが開いた。
「おーい、何か揉めてるみたいだけど、大丈夫か?」
アーガムが顔を出した。
「あ、アーガム様!」
「殿下!」
クラスメイトたちが一斉に振り返った。
「なんだよ、お前ら。学園祭の準備か?」
「はい! でも、企画が決まらなくて……」
リリアが説明した。
「へえ、どんな案が出てるんだ?」
アーガムが企画書を覗き込む。
「『空飛ぶレストラン』、『魔獣カフェ』、『王子様のおもてなしカフェ』……」
彼は少し考えた後、言った。
「全部却下な」
「えー!」
「空飛ぶのは危ねえし、魔獣も危ねえ。それに、俺を使うのもナシ」
アーガムはきっぱりと言った。
「もっとシンプルで、でも楽しい企画にしようぜ」
「シンプルで楽しい……」
みんなが考え込んだ。
「そうだ!」
アーガムが手を打った。
「料理対決、どうだ?」
「料理対決?」
「ああ。クラスメイトが作った料理を、お客さんに食べ比べてもらう。一番人気だった料理を作った奴が優勝」
「おお、面白そう!」
「それならできそう!」
教室が盛り上がった。
「よし、じゃあそれで決まりだな!」
ゴードンが宣言した。
私は少しほっとした。
現実的な企画になって良かった。
「じゃあ、料理の準備とか、誰が担当する?」
「俺、料理得意だから担当するわ!」
アーガムが手を挙げた。
え?
アーガムが料理?
何か、嫌な予感がする……
翌日、準備が本格的に始まった。
私は装飾担当に任命された。クラスの出店ブースを魔法で飾り付ける役割だ。
一方、アーガムは料理担当として、厨房で準備をしていた。
「ネイサ、ちょっと味見してくれよ!」
昼休み、アーガムが試作品を持ってきた。
「これ、俺特製の『マッスルステーキ』だ!」
「マッスル……ステーキ?」
私は恐る恐る皿を見た。
そこには、分厚いステーキが乗っていた。
見た目は……まあ、普通だ。
「食ってみてくれ!」
「は、はい……」
私はナイフで切って、一口食べた。
――硬い。
「どうだ?」
「……硬いです」
「だろ!」
アーガムが嬉しそうに言った。
「この硬さが、噛む筋肉を鍛えるんだよ! 顎の筋トレになるだろ?」
「いえ、そういう問題じゃなくて……」
私は必死に噛み砕いた。
味は……悪くない。でも、硬すぎて顎が痛い。
「それに、このステーキ、プロテインをたっぷり染み込ませてあるんだ!」
「プロテイン……?」
「ああ! 筋肉を作るのに最高だろ!」
アーガムは誇らしげだった。
私は溜息をついた。
「アーガム様……これ、普通のお客さんには厳しいと思います」
「え、なんで?」
「硬すぎるし、プロテインの味が強すぎます」
「マジで?」
アーガムは首を傾げた。
「俺は美味いと思うんだけどな」
「あなたの味覚が、筋肉寄りなんです」
「筋肉寄り……?」
「普通の人は、もっと柔らかくて、味付けもマイルドな方がいいんです」
私は丁寧に説明した。
「それに、学園祭に来るのは、筋肉を鍛えたい人だけじゃありません」
「そっか……」
アーガムは少し落ち込んだ。
「じゃあ、どうすればいいんだ?」
「えっと……」
私は考えた。
「まず、肉をもっと薄く切って、柔らかくしましょう。それに、プロテインは控えめに」
「でも、それじゃ筋肉が――」
「学園祭の目的は、お客さんに美味しい料理を提供することです。筋トレじゃありません」
「……そうだな」
アーガムは渋々頷いた。
「分かった。お前の言う通りにするわ」
「はい。一緒に作りましょう」
「え、お前も手伝ってくれるのか?」
「当然です。相棒でしょう?」
私は笑った。
アーガムも笑顔になった。
「ありがとな、ネイサ」
それから数日間、私とアーガムは一緒に料理の試作を続けた。
最初は筋肉料理ばかり作っていたアーガムだったが、徐々に普通の料理も作れるようになった。
「この照り焼きチキン、どうだ?」
「美味しいです! これなら、お客さんも喜ぶと思います!」
「マジで!?」
アーガムは嬉しそうだった。
「お前が教えてくれたおかげだ」
「いえ、アーガム様の努力の結果です」
私は笑った。
料理を一緒に作る時間が、楽しかった。
彼の不器用な手つき、真剣な表情、そして成功した時の笑顔――
全てが、愛おしかった。
待って。
愛おしい?
私は今、何を考えている?
「ネイサ? どうした? 顔赤いぞ?」
「な、何でもありません!」
私は慌てて顔を背けた。
「そうか? なら、いいけど」
アーガムは首を傾げながら、次の料理の準備を始めた。
私は自分の胸に手を当てた。
心臓が、激しく鼓動している。
これは――
いや、考えるのはやめよう。
今は、学園祭の準備に集中しないと。
一方、装飾の準備も順調だった。
私は魔法で、ブースを華やかに飾り付けることにした。
「《光よ、花となれ――ライト・ブロッサム》」
魔法陣から、光の花びらが舞い上がった。
それは空中で優雅に舞い、ブースの周りを彩る。
「わあ、綺麗!」
「すごい、ネイサ!」
クラスメイトたちが歓声を上げた。
「これ、学園祭当日もできる?」
「はい、魔法陣を設置しておけば、自動で発動します」
「すげえ! これなら、絶対に注目されるよ!」
リリアが興奮していた。
「でも、ちょっとやりすぎかも……」
私は不安になった。
目立ちすぎるのは、良くない。
正体がバレる可能性もある。
「何言ってんの! これくらいでちょうどいいよ!」
「そうだそうだ!」
クラスメイトたちは大喜びだった。
私は複雑な気持ちになった。
16歳の学生として、クラスのために頑張る。
それは、楽しい。
でも、同時に――
全てが嘘だという事実が、胸を刺す。
「ネイサ、大丈夫?」
リリアが心配そうに聞いた。
「あ、うん。大丈夫」
「そう? 最近、ちょっと疲れてるみたいだから、心配で」
「ありがとう、リリア。でも、本当に大丈夫だから」
私は笑顔を作った。
リリアは優しい子だ。
本当の友達になれたら――
でも、それは無理だ。
私は、彼女を欺いている。
年齢も、正体も、全てが嘘。
そんな私に、友達を作る資格があるのだろうか。
「ねえ、ネイサ」
「何?」
「学園祭、一緒に回ろうね!」
「え?」
「だって、友達でしょ? 一緒に楽しまなきゃ!」
リリアの笑顔が、眩しかった。
「……うん。一緒に回ろう」
私は頷いた。
嘘でもいい。
この瞬間だけは――
本当の16歳の女の子として、学園生活を楽しみたい。
学園祭前日。
最終準備が行われていた。
私は装飾の最終チェックをしていた。
「魔法陣の配置、良し。魔力供給、良し。発動タイミング、良し」
完璧だ。
これなら、当日も問題なく作動するだろう。
「ネイサー! ちょっと来てくれ!」
アーガムの声がした。
「どうしました?」
「料理の盛り付け、どうすればいいか分かんなくて」
厨房に行くと、アーガムが皿の前で悩んでいた。
「この照り焼きチキン、どう盛り付ければいい?」
「えっと……」
私は考えた。
「まず、チキンを斜めに切って、重ねるように盛り付けましょう。それから、付け合わせの野菜を添えて……」
私は実際にやって見せた。
「おお、すげえ! めっちゃオシャレになった!」
「盛り付けも大事ですからね」
「お前、料理もできるのか?」
「少しだけ。師匠の家で、たまに作ってましたから」
「万能だな、お前」
アーガムが感心したように言った。
「そんなことないです」
「いや、マジで。魔法も上手いし、料理もできるし、頭もいいし」
「それは……」
私は照れくさくなった。
「でも、アーガム様だって凄いです。料理、すごく上達しましたよ」
「それは、お前が教えてくれたからだ」
アーガムが笑った。
「俺一人じゃ、絶対にできなかった」
「二人でやったから、できたんです」
「そうだな」
アーガムは私の隣に座った。
「なあ、ネイサ」
「はい?」
「お前と一緒にいると、楽しいな」
突然の告白に、心臓が跳ねた。
「え……」
「いや、変な意味じゃなくてさ。相棒として、一緒に色々やるのが楽しいんだ」
「私も……楽しいです」
本当だった。
アーガムと過ごす時間は、かけがえのないものだった。
「学園祭、成功させようぜ」
「はい!」
私たちは拳を合わせた。
その夜、私は寮の部屋でランスと話していた。
「お前、最近いい顔してるな」
「そう?」
「ああ。楽しそうだ」
ランスが尻尾を揺らした。
「学園祭の準備、楽しかったの?」
「……うん」
私は素直に認めた。
「クラスのみんなと協力して、何かを作り上げる。それが、すごく楽しかった」
「それはいいことだ」
「でも――」
私は言葉を濁した。
「でも?」
「任務を忘れるところだった」
ランスは黙って聞いていた。
「私は、アーガム様を守るために来たのに……学園生活を楽しんでいる自分がいて……」
「それの何が悪いんだ?」
「え?」
「任務も大事だけど、お前の人生も大事だろ」
ランスは真剣な表情で言った。
「お前、ずっと師匠の下で研究ばかりしてきたんだ。普通の学生生活なんて、経験したことないだろ」
「それは……そうだけど……」
「だったら、今を楽しめばいい。任務と両立すればいいじゃないか」
「両立……」
「ああ。どっちかを選ぶ必要はない。どっちも大事にすればいい」
ランスの言葉が、心に染みた。
「それに」
ランスがニヤリと笑った。
「お前、アーガムといる時、一番いい顔してるぞ」
「え……」
「気付いてないのか? お前、完全に恋してるぞ」
「こ、恋!?」
顔が一気に熱くなった。
「違う! 私は、任務で――」
「嘘つけ。お前の目を見れば分かる」
ランスは断言した。
「お前は、アーガムを愛してる」
「……っ」
私は反論できなかった。
なぜなら――
ランスの言う通りだから。
私は、アーガムを愛している。
護衛対象としてではなく、一人の男性として。
「でも……」
「でも?」
「私は、彼を欺いてる。年齢も、正体も、全部嘘」
私は拳を握った。
「そんな私に、彼を愛する資格なんて――」
「資格なんて、誰が決めるんだ?」
ランスが遮った。
「恋に資格なんていらない。お前が彼を愛してる。それだけで十分だろ」
「でも、真実を知ったら、彼は――」
「その時はその時だ。今は、お前の気持ちに正直になれ」
ランスはそう言って、丸くなった。
「明日は学園祭だ。楽しんで来いよ」
「……うん」
私は小さく答えた。
窓の外を見ると、星が輝いていた。
明日は、学園祭。
アーガムと一緒に、楽しい一日を過ごせる。
その事実が――嬉しくて、そして切なかった。
学園祭当日。
朝から、学園は人で溢れていた。
生徒だけでなく、保護者や一般の来場者も大勢訪れている。
「すごい人……」
私は人混みに圧倒されていた。
「おう、ネイサ! 準備できたか?」
アーガムが現れた。
彼は料理人用のエプロンを着けている。
「はい、装飾も完璧です」
「よし、じゃあ開店だ!」
私たちのブース『A組特製料理対決』が、オープンした。
すぐに、お客さんが集まってきた。
「わあ、綺麗!」
「この光の花、すごい!」
私の魔法装飾が、注目を集めていた。
「いらっしゃいませ!」
リリアが元気よく呼び込みをする。
「今日は五種類の料理を用意しています! 食べ比べて、一番美味しいと思った料理に投票してください!」
お客さんたちが、料理を注文し始めた。
「照り焼きチキン、お願いします!」
「クリームパスタください!」
注文が殺到する。
アーガムと他の料理担当が、必死に料理を作っていた。
「ネイサ、ちょっと手伝ってくれ!」
「はい!」
私も厨房に入った。
「この野菜、切ってくれ!」
「分かりました!」
私は野菜を切り始めた。
慣れない作業だが、全力でやった。
「できました!」
「ありがとな! 次は盛り付け頼む!」
「はい!」
私は盛り付けを担当した。
美しく、丁寧に。
「おお、さすがだな!」
アーガムが褒めてくれた。
嬉しかった。
みんなで協力して、お客さんに料理を提供する。
それが、こんなに楽しいなんて。
昼過ぎ、ひと段落ついた。
「ふう……忙しかったな」
アーガムが汗を拭った。
「でも、お客さん、めっちゃ喜んでくれてたぞ!」
「そうですね。良かったです」
私も笑った。
「ねえねえ、二人とも! 休憩しよう!」
リリアが提案した。
「他のブースも見に行こうよ!」
「おお、いいな!」
アーガムが賛成した。
「ネイサも行くだろ?」
「え、でも――」
「いいからいいから!」
リリアに引っ張られて、私たちは学園祭を回り始めた。
色々なブースがあった。
お化け屋敷、射的、占いの館――
「これ、やってみようぜ!」
アーガムが射的のブースを指差した。
「射的ですか?」
「ああ! 景品がもらえるらしいぞ!」
私たちは射的に挑戦した。
アーガムは――
バシッ、バシッ、バシッ!
全部の的を撃ち落とした。
「すげえ!」
「完璧です!」
周囲から拍手が起きた。
「へへ、まあな」
アーガムは照れくさそうに笑った。
「景品、これにします」
彼が選んだのは――
小さなぬいぐるみだった。
黒猫のぬいぐるみ。
「ネイサ、これ」
「え?」
「お前の使い魔、黒猫だろ? だから」
アーガムは私にぬいぐるみを渡した。
「これ……私に?」
「ああ。お礼だよ。学園祭の準備、手伝ってくれたし」
「あ、ありがとうございます……」
私は胸が熱くなった。
ぬいぐるみを大事に抱きしめた。
「喜んでくれて良かった」
アーガムが笑った。
その笑顔が――
眩しすぎて、直視できなかった。
夕方、再びブースに戻った。
投票結果が発表される時間だった。
「それでは、発表します!」
リリアが投票箱を開けた。
「第一位は……アーガム殿下の照り焼きチキン!」
「おお!」
アーガムが拳を上げた。
「やったぜ!」
「おめでとうございます!」
私も喜んだ。
クラスメイトたちも、大喜びだった。
「アーガム様、すごい!」
「さすがです!」
アーガムは照れくさそうに頭を掻いた。
「いや、俺一人の力じゃねえよ。ネイサが教えてくれたおかげだ」
彼は私を見た。
「ありがとな、ネイサ」
「いえ……こちらこそ」
私は微笑んだ。
二人で一緒に作り上げた、この成果。
それが、何よりも嬉しかった。
学園祭が終わり、片付けをしていた時だった。
「ネイサ」
突然、知らない男子生徒が話しかけてきた。
「君の魔法装飾、すごく綺麗だったよ」
「あ、ありがとうございます……」
「良かったら、連絡先交換しない?」
「え……」
私は困惑した。
連絡先?
なぜ?
「お前、何してんだ?」
突然、アーガムが割って込んできた。
「ネイサに変なことすんなよ」
「変なことって……ただ連絡先を――」
「ダメだ。ネイサは忙しいんだ」
アーガムは私の手を掴んで、引っ張っていった。
「ちょ、ちょっと、アーガム様!?」
「悪い。でも、なんか嫌だった」
「嫌?」
「ああ。お前が、他の奴と仲良くするの」
アーガムは少し不機嫌そうだった。
「それって……」
「なんでもねえ。気にすんな」
彼は私の手を離した。
でも――
その手が、わずかに震えていた気がした。
片付けが終わり、帰り道。
私とアーガムは一緒に歩いていた。
「今日は、楽しかったな」
「はい」
「お前と一緒に準備して、一緒に学園祭を回って――」
アーガムは空を見上げた。
「すげえ、いい思い出になった」
「私も……同じです」
本当だった。
この一週間は、かけがえのない時間だった。
「なあ、ネイサ」
「はい?」
「これからも、ずっと一緒にいてくれるよな?」
その言葉に、胸が締め付けられた。
ずっと、一緒に――
それは、叶わない願い。
いつか、この任務は終わる。
そうしたら、私は彼の前から消える。
それが、運命だ。
「……はい」
でも、私は嘘をついた。
「ずっと、一緒にいます」
「そっか」
アーガムは嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て――
私は決意した。
この瞬間を、大切にしよう。
いつか終わりが来るとしても。
今は、彼の隣にいられる。
それだけで、十分だ。
その夜、部屋に戻ると、ランスが待っていた。
「お帰り。楽しかったか?」
「うん……すごく」
私は黒猫のぬいぐるみを見せた。
「これ、アーガム様がくれたの」
「へえ。お前、完全に恋する乙女の顔してるぞ」
「もう、否定しないわ」
私は認めた。
「私、アーガム様が好き」
「やっと認めたか」
ランスが嬉しそうに尻尾を揺らした。
「で、告白するのか?」
「……できない」
「なんで?」
「だって、私は彼を欺いてる。年齢も、正体も、全部嘘」
私はベッドに座った。
「そんな私が、彼を好きだなんて言えない」
「じゃあ、どうするんだ?」
「このまま……見守るだけ」
私は空を見上げた。
「彼の笑顔を守る。それが、私にできる唯一のこと」
ランスは何も言わなかった。
ただ、静かに私に寄り添ってくれた。
窓の外には、月が輝いていた。
明日からは、また日常が戻ってくる。
禁書館での勤務。
暗殺者からの脅威。
そして――
隠し続けなければならない、私の想い。
全てを抱えて、私は戦い続ける。
アーガムを守るために。
そして――
この恋を、胸に秘めたまま。
私は教室で、クラスメイトたちが提案した学園祭の模擬店企画書を見て、頭を抱えていた。
暗殺未遂事件から一週間が経った。その後、幸いにも新たな事件は起きていない。そして今、学園は年に一度の大イベント――学園祭の準備で盛り上がっていた。
私たちA組も、クラスとして何か出し物をすることになったのだが――
「『空飛ぶレストラン』!? しかも『雲の上で食事を提供』!?」
私は企画書を振りかざした。
「これ、どうやって実現するつもりですか、ゴードン!」
「いや、だって夢があるだろ!」
例の爆発事故を起こしたゴードンが、ふんぞり返って言った。
「空飛ぶ魔法陣を作って、その上にレストランを建てればいいじゃん!」
「魔法陣で建物を浮かせるには、莫大な魔力が必要です! それに、安全性の確保も――」
「ネイサがいれば大丈夫だろ? お前、魔法上手いし」
「私一人じゃ無理です!」
教室が騒然となった。
「じゃあ、俺の案はどうだ!」
別のクラスメイトが手を挙げた。
「『魔獣カフェ』! 本物の魔獣を呼んで、触れ合えるカフェ!」
「危険すぎます!」
「でも可愛いじゃん!」
「可愛いかどうかの問題じゃありません!」
私は溜息をついた。
みんな、発想は面白いけど、実現可能性を全く考えていない。
「あのー、私の案は?」
リリアが控えめに手を挙げた。
「『王子様のおもてなしカフェ』。アーガム様に給仕してもらうの」
「却下!」
私は即座に答えた。
「アーガム様を客寄せに使うなんて!」
「えー、でも人気出るよ?」
「ダメです!」
その時、教室のドアが開いた。
「おーい、何か揉めてるみたいだけど、大丈夫か?」
アーガムが顔を出した。
「あ、アーガム様!」
「殿下!」
クラスメイトたちが一斉に振り返った。
「なんだよ、お前ら。学園祭の準備か?」
「はい! でも、企画が決まらなくて……」
リリアが説明した。
「へえ、どんな案が出てるんだ?」
アーガムが企画書を覗き込む。
「『空飛ぶレストラン』、『魔獣カフェ』、『王子様のおもてなしカフェ』……」
彼は少し考えた後、言った。
「全部却下な」
「えー!」
「空飛ぶのは危ねえし、魔獣も危ねえ。それに、俺を使うのもナシ」
アーガムはきっぱりと言った。
「もっとシンプルで、でも楽しい企画にしようぜ」
「シンプルで楽しい……」
みんなが考え込んだ。
「そうだ!」
アーガムが手を打った。
「料理対決、どうだ?」
「料理対決?」
「ああ。クラスメイトが作った料理を、お客さんに食べ比べてもらう。一番人気だった料理を作った奴が優勝」
「おお、面白そう!」
「それならできそう!」
教室が盛り上がった。
「よし、じゃあそれで決まりだな!」
ゴードンが宣言した。
私は少しほっとした。
現実的な企画になって良かった。
「じゃあ、料理の準備とか、誰が担当する?」
「俺、料理得意だから担当するわ!」
アーガムが手を挙げた。
え?
アーガムが料理?
何か、嫌な予感がする……
翌日、準備が本格的に始まった。
私は装飾担当に任命された。クラスの出店ブースを魔法で飾り付ける役割だ。
一方、アーガムは料理担当として、厨房で準備をしていた。
「ネイサ、ちょっと味見してくれよ!」
昼休み、アーガムが試作品を持ってきた。
「これ、俺特製の『マッスルステーキ』だ!」
「マッスル……ステーキ?」
私は恐る恐る皿を見た。
そこには、分厚いステーキが乗っていた。
見た目は……まあ、普通だ。
「食ってみてくれ!」
「は、はい……」
私はナイフで切って、一口食べた。
――硬い。
「どうだ?」
「……硬いです」
「だろ!」
アーガムが嬉しそうに言った。
「この硬さが、噛む筋肉を鍛えるんだよ! 顎の筋トレになるだろ?」
「いえ、そういう問題じゃなくて……」
私は必死に噛み砕いた。
味は……悪くない。でも、硬すぎて顎が痛い。
「それに、このステーキ、プロテインをたっぷり染み込ませてあるんだ!」
「プロテイン……?」
「ああ! 筋肉を作るのに最高だろ!」
アーガムは誇らしげだった。
私は溜息をついた。
「アーガム様……これ、普通のお客さんには厳しいと思います」
「え、なんで?」
「硬すぎるし、プロテインの味が強すぎます」
「マジで?」
アーガムは首を傾げた。
「俺は美味いと思うんだけどな」
「あなたの味覚が、筋肉寄りなんです」
「筋肉寄り……?」
「普通の人は、もっと柔らかくて、味付けもマイルドな方がいいんです」
私は丁寧に説明した。
「それに、学園祭に来るのは、筋肉を鍛えたい人だけじゃありません」
「そっか……」
アーガムは少し落ち込んだ。
「じゃあ、どうすればいいんだ?」
「えっと……」
私は考えた。
「まず、肉をもっと薄く切って、柔らかくしましょう。それに、プロテインは控えめに」
「でも、それじゃ筋肉が――」
「学園祭の目的は、お客さんに美味しい料理を提供することです。筋トレじゃありません」
「……そうだな」
アーガムは渋々頷いた。
「分かった。お前の言う通りにするわ」
「はい。一緒に作りましょう」
「え、お前も手伝ってくれるのか?」
「当然です。相棒でしょう?」
私は笑った。
アーガムも笑顔になった。
「ありがとな、ネイサ」
それから数日間、私とアーガムは一緒に料理の試作を続けた。
最初は筋肉料理ばかり作っていたアーガムだったが、徐々に普通の料理も作れるようになった。
「この照り焼きチキン、どうだ?」
「美味しいです! これなら、お客さんも喜ぶと思います!」
「マジで!?」
アーガムは嬉しそうだった。
「お前が教えてくれたおかげだ」
「いえ、アーガム様の努力の結果です」
私は笑った。
料理を一緒に作る時間が、楽しかった。
彼の不器用な手つき、真剣な表情、そして成功した時の笑顔――
全てが、愛おしかった。
待って。
愛おしい?
私は今、何を考えている?
「ネイサ? どうした? 顔赤いぞ?」
「な、何でもありません!」
私は慌てて顔を背けた。
「そうか? なら、いいけど」
アーガムは首を傾げながら、次の料理の準備を始めた。
私は自分の胸に手を当てた。
心臓が、激しく鼓動している。
これは――
いや、考えるのはやめよう。
今は、学園祭の準備に集中しないと。
一方、装飾の準備も順調だった。
私は魔法で、ブースを華やかに飾り付けることにした。
「《光よ、花となれ――ライト・ブロッサム》」
魔法陣から、光の花びらが舞い上がった。
それは空中で優雅に舞い、ブースの周りを彩る。
「わあ、綺麗!」
「すごい、ネイサ!」
クラスメイトたちが歓声を上げた。
「これ、学園祭当日もできる?」
「はい、魔法陣を設置しておけば、自動で発動します」
「すげえ! これなら、絶対に注目されるよ!」
リリアが興奮していた。
「でも、ちょっとやりすぎかも……」
私は不安になった。
目立ちすぎるのは、良くない。
正体がバレる可能性もある。
「何言ってんの! これくらいでちょうどいいよ!」
「そうだそうだ!」
クラスメイトたちは大喜びだった。
私は複雑な気持ちになった。
16歳の学生として、クラスのために頑張る。
それは、楽しい。
でも、同時に――
全てが嘘だという事実が、胸を刺す。
「ネイサ、大丈夫?」
リリアが心配そうに聞いた。
「あ、うん。大丈夫」
「そう? 最近、ちょっと疲れてるみたいだから、心配で」
「ありがとう、リリア。でも、本当に大丈夫だから」
私は笑顔を作った。
リリアは優しい子だ。
本当の友達になれたら――
でも、それは無理だ。
私は、彼女を欺いている。
年齢も、正体も、全てが嘘。
そんな私に、友達を作る資格があるのだろうか。
「ねえ、ネイサ」
「何?」
「学園祭、一緒に回ろうね!」
「え?」
「だって、友達でしょ? 一緒に楽しまなきゃ!」
リリアの笑顔が、眩しかった。
「……うん。一緒に回ろう」
私は頷いた。
嘘でもいい。
この瞬間だけは――
本当の16歳の女の子として、学園生活を楽しみたい。
学園祭前日。
最終準備が行われていた。
私は装飾の最終チェックをしていた。
「魔法陣の配置、良し。魔力供給、良し。発動タイミング、良し」
完璧だ。
これなら、当日も問題なく作動するだろう。
「ネイサー! ちょっと来てくれ!」
アーガムの声がした。
「どうしました?」
「料理の盛り付け、どうすればいいか分かんなくて」
厨房に行くと、アーガムが皿の前で悩んでいた。
「この照り焼きチキン、どう盛り付ければいい?」
「えっと……」
私は考えた。
「まず、チキンを斜めに切って、重ねるように盛り付けましょう。それから、付け合わせの野菜を添えて……」
私は実際にやって見せた。
「おお、すげえ! めっちゃオシャレになった!」
「盛り付けも大事ですからね」
「お前、料理もできるのか?」
「少しだけ。師匠の家で、たまに作ってましたから」
「万能だな、お前」
アーガムが感心したように言った。
「そんなことないです」
「いや、マジで。魔法も上手いし、料理もできるし、頭もいいし」
「それは……」
私は照れくさくなった。
「でも、アーガム様だって凄いです。料理、すごく上達しましたよ」
「それは、お前が教えてくれたからだ」
アーガムが笑った。
「俺一人じゃ、絶対にできなかった」
「二人でやったから、できたんです」
「そうだな」
アーガムは私の隣に座った。
「なあ、ネイサ」
「はい?」
「お前と一緒にいると、楽しいな」
突然の告白に、心臓が跳ねた。
「え……」
「いや、変な意味じゃなくてさ。相棒として、一緒に色々やるのが楽しいんだ」
「私も……楽しいです」
本当だった。
アーガムと過ごす時間は、かけがえのないものだった。
「学園祭、成功させようぜ」
「はい!」
私たちは拳を合わせた。
その夜、私は寮の部屋でランスと話していた。
「お前、最近いい顔してるな」
「そう?」
「ああ。楽しそうだ」
ランスが尻尾を揺らした。
「学園祭の準備、楽しかったの?」
「……うん」
私は素直に認めた。
「クラスのみんなと協力して、何かを作り上げる。それが、すごく楽しかった」
「それはいいことだ」
「でも――」
私は言葉を濁した。
「でも?」
「任務を忘れるところだった」
ランスは黙って聞いていた。
「私は、アーガム様を守るために来たのに……学園生活を楽しんでいる自分がいて……」
「それの何が悪いんだ?」
「え?」
「任務も大事だけど、お前の人生も大事だろ」
ランスは真剣な表情で言った。
「お前、ずっと師匠の下で研究ばかりしてきたんだ。普通の学生生活なんて、経験したことないだろ」
「それは……そうだけど……」
「だったら、今を楽しめばいい。任務と両立すればいいじゃないか」
「両立……」
「ああ。どっちかを選ぶ必要はない。どっちも大事にすればいい」
ランスの言葉が、心に染みた。
「それに」
ランスがニヤリと笑った。
「お前、アーガムといる時、一番いい顔してるぞ」
「え……」
「気付いてないのか? お前、完全に恋してるぞ」
「こ、恋!?」
顔が一気に熱くなった。
「違う! 私は、任務で――」
「嘘つけ。お前の目を見れば分かる」
ランスは断言した。
「お前は、アーガムを愛してる」
「……っ」
私は反論できなかった。
なぜなら――
ランスの言う通りだから。
私は、アーガムを愛している。
護衛対象としてではなく、一人の男性として。
「でも……」
「でも?」
「私は、彼を欺いてる。年齢も、正体も、全部嘘」
私は拳を握った。
「そんな私に、彼を愛する資格なんて――」
「資格なんて、誰が決めるんだ?」
ランスが遮った。
「恋に資格なんていらない。お前が彼を愛してる。それだけで十分だろ」
「でも、真実を知ったら、彼は――」
「その時はその時だ。今は、お前の気持ちに正直になれ」
ランスはそう言って、丸くなった。
「明日は学園祭だ。楽しんで来いよ」
「……うん」
私は小さく答えた。
窓の外を見ると、星が輝いていた。
明日は、学園祭。
アーガムと一緒に、楽しい一日を過ごせる。
その事実が――嬉しくて、そして切なかった。
学園祭当日。
朝から、学園は人で溢れていた。
生徒だけでなく、保護者や一般の来場者も大勢訪れている。
「すごい人……」
私は人混みに圧倒されていた。
「おう、ネイサ! 準備できたか?」
アーガムが現れた。
彼は料理人用のエプロンを着けている。
「はい、装飾も完璧です」
「よし、じゃあ開店だ!」
私たちのブース『A組特製料理対決』が、オープンした。
すぐに、お客さんが集まってきた。
「わあ、綺麗!」
「この光の花、すごい!」
私の魔法装飾が、注目を集めていた。
「いらっしゃいませ!」
リリアが元気よく呼び込みをする。
「今日は五種類の料理を用意しています! 食べ比べて、一番美味しいと思った料理に投票してください!」
お客さんたちが、料理を注文し始めた。
「照り焼きチキン、お願いします!」
「クリームパスタください!」
注文が殺到する。
アーガムと他の料理担当が、必死に料理を作っていた。
「ネイサ、ちょっと手伝ってくれ!」
「はい!」
私も厨房に入った。
「この野菜、切ってくれ!」
「分かりました!」
私は野菜を切り始めた。
慣れない作業だが、全力でやった。
「できました!」
「ありがとな! 次は盛り付け頼む!」
「はい!」
私は盛り付けを担当した。
美しく、丁寧に。
「おお、さすがだな!」
アーガムが褒めてくれた。
嬉しかった。
みんなで協力して、お客さんに料理を提供する。
それが、こんなに楽しいなんて。
昼過ぎ、ひと段落ついた。
「ふう……忙しかったな」
アーガムが汗を拭った。
「でも、お客さん、めっちゃ喜んでくれてたぞ!」
「そうですね。良かったです」
私も笑った。
「ねえねえ、二人とも! 休憩しよう!」
リリアが提案した。
「他のブースも見に行こうよ!」
「おお、いいな!」
アーガムが賛成した。
「ネイサも行くだろ?」
「え、でも――」
「いいからいいから!」
リリアに引っ張られて、私たちは学園祭を回り始めた。
色々なブースがあった。
お化け屋敷、射的、占いの館――
「これ、やってみようぜ!」
アーガムが射的のブースを指差した。
「射的ですか?」
「ああ! 景品がもらえるらしいぞ!」
私たちは射的に挑戦した。
アーガムは――
バシッ、バシッ、バシッ!
全部の的を撃ち落とした。
「すげえ!」
「完璧です!」
周囲から拍手が起きた。
「へへ、まあな」
アーガムは照れくさそうに笑った。
「景品、これにします」
彼が選んだのは――
小さなぬいぐるみだった。
黒猫のぬいぐるみ。
「ネイサ、これ」
「え?」
「お前の使い魔、黒猫だろ? だから」
アーガムは私にぬいぐるみを渡した。
「これ……私に?」
「ああ。お礼だよ。学園祭の準備、手伝ってくれたし」
「あ、ありがとうございます……」
私は胸が熱くなった。
ぬいぐるみを大事に抱きしめた。
「喜んでくれて良かった」
アーガムが笑った。
その笑顔が――
眩しすぎて、直視できなかった。
夕方、再びブースに戻った。
投票結果が発表される時間だった。
「それでは、発表します!」
リリアが投票箱を開けた。
「第一位は……アーガム殿下の照り焼きチキン!」
「おお!」
アーガムが拳を上げた。
「やったぜ!」
「おめでとうございます!」
私も喜んだ。
クラスメイトたちも、大喜びだった。
「アーガム様、すごい!」
「さすがです!」
アーガムは照れくさそうに頭を掻いた。
「いや、俺一人の力じゃねえよ。ネイサが教えてくれたおかげだ」
彼は私を見た。
「ありがとな、ネイサ」
「いえ……こちらこそ」
私は微笑んだ。
二人で一緒に作り上げた、この成果。
それが、何よりも嬉しかった。
学園祭が終わり、片付けをしていた時だった。
「ネイサ」
突然、知らない男子生徒が話しかけてきた。
「君の魔法装飾、すごく綺麗だったよ」
「あ、ありがとうございます……」
「良かったら、連絡先交換しない?」
「え……」
私は困惑した。
連絡先?
なぜ?
「お前、何してんだ?」
突然、アーガムが割って込んできた。
「ネイサに変なことすんなよ」
「変なことって……ただ連絡先を――」
「ダメだ。ネイサは忙しいんだ」
アーガムは私の手を掴んで、引っ張っていった。
「ちょ、ちょっと、アーガム様!?」
「悪い。でも、なんか嫌だった」
「嫌?」
「ああ。お前が、他の奴と仲良くするの」
アーガムは少し不機嫌そうだった。
「それって……」
「なんでもねえ。気にすんな」
彼は私の手を離した。
でも――
その手が、わずかに震えていた気がした。
片付けが終わり、帰り道。
私とアーガムは一緒に歩いていた。
「今日は、楽しかったな」
「はい」
「お前と一緒に準備して、一緒に学園祭を回って――」
アーガムは空を見上げた。
「すげえ、いい思い出になった」
「私も……同じです」
本当だった。
この一週間は、かけがえのない時間だった。
「なあ、ネイサ」
「はい?」
「これからも、ずっと一緒にいてくれるよな?」
その言葉に、胸が締め付けられた。
ずっと、一緒に――
それは、叶わない願い。
いつか、この任務は終わる。
そうしたら、私は彼の前から消える。
それが、運命だ。
「……はい」
でも、私は嘘をついた。
「ずっと、一緒にいます」
「そっか」
アーガムは嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て――
私は決意した。
この瞬間を、大切にしよう。
いつか終わりが来るとしても。
今は、彼の隣にいられる。
それだけで、十分だ。
その夜、部屋に戻ると、ランスが待っていた。
「お帰り。楽しかったか?」
「うん……すごく」
私は黒猫のぬいぐるみを見せた。
「これ、アーガム様がくれたの」
「へえ。お前、完全に恋する乙女の顔してるぞ」
「もう、否定しないわ」
私は認めた。
「私、アーガム様が好き」
「やっと認めたか」
ランスが嬉しそうに尻尾を揺らした。
「で、告白するのか?」
「……できない」
「なんで?」
「だって、私は彼を欺いてる。年齢も、正体も、全部嘘」
私はベッドに座った。
「そんな私が、彼を好きだなんて言えない」
「じゃあ、どうするんだ?」
「このまま……見守るだけ」
私は空を見上げた。
「彼の笑顔を守る。それが、私にできる唯一のこと」
ランスは何も言わなかった。
ただ、静かに私に寄り添ってくれた。
窓の外には、月が輝いていた。
明日からは、また日常が戻ってくる。
禁書館での勤務。
暗殺者からの脅威。
そして――
隠し続けなければならない、私の想い。
全てを抱えて、私は戦い続ける。
アーガムを守るために。
そして――
この恋を、胸に秘めたまま。
0
あなたにおすすめの小説
はじめまして、旦那様。離婚はいつになさいます?
あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
「はじめてお目にかかります。……旦那様」
「……あぁ、君がアグリア、か」
「それで……、離縁はいつになさいます?」
領地の未来を守るため、同じく子爵家の次男で軍人のシオンと期間限定の契約婚をした貧乏貴族令嬢アグリア。
両家の顔合わせなし、婚礼なし、一切の付き合いもなし。それどころかシオン本人とすら一度も顔を合わせることなく結婚したアグリアだったが、長らく戦地へと行っていたシオンと初対面することになった。
帰ってきたその日、アグリアは約束通り離縁を申し出たのだが――。
形だけの結婚をしたはずのふたりは、愛で結ばれた本物の夫婦になれるのか。
★HOTランキング最高2位をいただきました! ありがとうございます!
※書き上げ済みなので完結保証。他サイトでも掲載中です。
義姉の身代わりだった私
雨雲レーダー
恋愛
名門貴族グリセリア家の次女・エレナは、義姉セシリアの代わりとして王宮に送り込まれる。
理由はただ一つ。
王子妃教育が面倒だから。
赤い瞳を忌み色と蔑まれ、家でも冷遇されてきた彼女にとって、それは命じられれば従うしかない当然の運命だった。
ところが、王宮で過ごすうちに状況は思わぬ方向へ転がり出す。
・しばらくは不定期更新です。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
私の容姿は中の下だと、婚約者が話していたのを小耳に挟んでしまいました
山田ランチ
恋愛
想い合う二人のすれ違いラブストーリー。
※以前掲載しておりましたものを、加筆の為再投稿致しました。お読み下さっていた方は重複しますので、ご注意下さいませ。
コレット・ロシニョール 侯爵家令嬢。ジャンの双子の姉。
ジャン・ロシニョール 侯爵家嫡男。コレットの双子の弟。
トリスタン・デュボワ 公爵家嫡男。コレットの婚約者。
クレマン・ルゥセーブル・ジハァーウ、王太子。
シモン・グレンツェ 辺境伯家嫡男。コレットの従兄。
ルネ ロシニョール家の侍女でコレット付き。
シルヴィー・ペレス 子爵令嬢。
〈あらすじ〉
コレットは愛しの婚約者が自分の容姿について話しているのを聞いてしまう。このまま大好きな婚約者のそばにいれば疎まれてしまうと思ったコレットは、親類の領地へ向かう事に。そこで新しい商売を始めたコレットは、知らない間に国の重要人物になってしまう。そしてトリスタンにも女性の影が見え隠れして……。
ジレジレ、すれ違いラブストーリー
悪女として処刑されたはずが、処刑前に戻っていたので処刑を回避するために頑張ります!
ゆずこしょう
恋愛
「フランチェスカ。お前を処刑する。精々あの世で悔いるが良い。」
特に何かした記憶は無いのにいつの間にか悪女としてのレッテルを貼られ処刑されたフランチェスカ・アマレッティ侯爵令嬢(18)
最後に見た光景は自分の婚約者であったはずのオルテンシア・パネットーネ王太子(23)と親友だったはずのカルミア・パンナコッタ(19)が寄り添っている姿だった。
そしてカルミアの口が動く。
「サヨナラ。かわいそうなフランチェスカ。」
オルテンシア王太子に見えないように笑った顔はまさしく悪女のようだった。
「生まれ変わるなら、自由気ままな猫になりたいわ。」
この物語は猫になりたいと願ったフランチェスカが本当に猫になって戻ってきてしまった物語である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる