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第一章 鬼界の渡し守

第三話 お鷹さん

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「お嬢様。お出かけでございますか?」

 寒々とした景色の中に軽やかな質問が紛れ込む。
 振り返らなくてもわかる。女中のお鷹さんだ。

 正しくは鷹尾さんというのだが、私たち姉妹は揃ってお鷹さん、と呼んでいる。
 父親までしてもそう呼んでいるのだから、まあ悪い気はしていないはずだ。

「今日は免許を取りに行くの。でも今からだと、高松まではちょっと遠いかな?」

 私はちょっと困ったように、甘えるような仕草で、首をかしげて見せた。
 お鷹さんは、十数人の使用人が住み込みで働く我が家の中で、たった一人だけ私に気を配ってくれる人。

 年のころは三十を過ぎたばかりでまだ若い。
 十六歳の時、同い年の母親に添う形で、この土地にやってきた。

 一番身近で、最も近い他人。
 彼女だけは私に向かって「母殺し」と罵らない人だった。

 母が幼いころから仲良くしていたと聞くお鷹さんだけが、私に優しい現実が、この家の異常だった。
 仕える主を失って居場所が不安定な彼女と、母を失って居場所を放り出されそうな私。

 境遇の似た者同士、どこか惹かれあっていたのかもしれない。

「お車を出しますね。ちょっとお待ち下さいね」

 使用人たちの多くが和服を着用する中、お鷹さんはいつもシックなワンピースかスーツ姿か、とにかく企業の社長秘書みたいな。

 キャリアレディのような出で立ちで過ごしている。
 大体は父親の富彦の手伝いをメインにしている彼女が、今日に限ってこの時間、家に居るのもなんだか変だな、と思った。

 いつもはもっと朝早くから、市内にある父の会社へと二人揃って出て行くからだ。
 玄関の内側に姿を消したお鷹さんは、ガレージから黒塗りの国産セダンを運転してやってきた。

 後部座席を開けようと運転席から出てくるのを制して、助手席のドアを開けて中にお尻から身を滑り込ませる。
 私は陰気が好きだが、車に乗る時はなるべく前に座る。

 景色がどんどん進むにつれて、自分を歓迎してくれているような錯覚を覚えるのが、大好きだからだ。

「高松はどうですかね」

 と、訊ねられる。多分、雪の積もり具合を考えているのだろう。
 それは私に分からないことだ。もしかしたら、異能の才覚で判別がつく、と思われているのかもしれない。

 あいにくと私には妖や竜を視る程度の目しかなく、退魔の才覚も、式神や精霊を操る力もない。
 よって、天候の具合なんて何一つわからない。

「どうかなあ? ここよりは少ないと思いたい?」
「標高高いですからね、こっちの方が」

 お鷹さんは綺麗な標準語を喋る。母の生家でもある高尾一族は、関東圏に勢力を持つ退魔師の一家だ。
 その一人であるお鷹さんの方が、異能の才はよほどあると思われた。

「式鬼でも出せばわかりそう」
「式神はそうそう便利に扱うと、怒りますから」
「そう……いいな。式神」
「麗羽様もいずれお持ちになられますよ。旦那様も期待していらしてますから」

 また軽やかにそう言って、嫌味のない言葉が暖房のきき始めた車内に溶けていく。
 彼女もなんだかんだで応援してくれているのが分かり、心がなんとなく重たさを感じる。

「麗華が、いるから……」
「そうですね。麗華様は、今度、本家にお目見えに行くのだとか」
「え?」

 走り出した車は、緩やかに山道を降り、国道へと差し掛かる。
 その曲がり角で停車し、左右を確認したお鷹さんが発した何気に一言に、私は自由が削り取られる速度が増していくのを感じた。



 高松市。
 人口約42万人の地方都市。

 人口50万人を超えないと政令都市になれないから、やれ企業誘致だのなんだのと騒がしい。
 県庁所在地でもあり、四国の東側の玄関口。

 小東京とも言われていて、ここで揃わないものは四国のどこに行っても揃わないとすらされるくらい、多様な業種の店が軒を並べる。

 北側が瀬戸内海に面しており、その東部に当たる郷東区に免許センターは存在する。

「あー……お腹空いた」

 お鷹さんの運転のお陰で遅刻することなく、九時から始まる原付講習に間に合った。
 正式名称は面倒くさいから略。

 筆記試験は一発合格。暇な自室で二週間、テキストを何度も解いた甲斐があった。
 海からの寒風吹きすさぶなかの講習は死ねたし、片目しか見えていない私は適性検査で落ちる可能性があったけれど、どうにかこちらも合格。

 晴れて免許証を手にすることができた私は上機嫌で、駐車場へと足を伸ばす。
 一度、高松市内で所用を済ませたお鷹さんと、この時間に合流する予定だからだ。

 免許センターの建物から外に出ると、また凍えるような北風が、私の背筋を撫でで行く。

「ひょおおおっ」

 思わず声を上げ、震えるとダウンジャケットの襟元をすかさず寄せてガード。
 それっきり、北風は背筋を脅かさなくなった。

 風の勢いが強く、これならマフラーを持参すべきだったと激しく後悔しつつ、目に入った自販機でホットのレモンティーを購入。

 数台並ぶ自販機置き場の片隅で震えながら待っていたら、スマホが振動した。
 到着の合図だ。

 その場から離れると、さっと澄んだ空が目に飛び込んできた。
 右手に五色台。正面に瀬戸内海、左手に屋島を抱いて、ようやく自由になれる手段を一つ掴んだことに満足感を覚える。

 麗華が本家にお目見えに行く。

 その何気ないお鷹さんが言った一言が、私の心を急かしていた。
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