鬼の贄姫は輸入代行業に精を出す~現世と鬼界を行き来するのは、私だけの特権です~

秋津冴

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第一章 鬼界の渡し守

第九話 椋梨トランスポート

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 むせび泣いている背中に、どるんっ、と大きな迫って来る。

「何?」

 振り返ると、大きくて黒い外車が、何もない空間から凄い勢いで、視界に飛び込んできた。

「ひっ!」

 引き殺される。
 そう感じたわたしは、小さく悲鳴を上げ、首を竦めた。
 猛スピードで突っ込んでくると思われた外車は、わたしと白眉の手前数メートルのところで停車する。

「大丈夫だ、麗羽。安心しろ」

 危険はない、と白眉が優しくその尾で、頬を撫でてくれる。
 恐怖で、あれだけ威力のある爆風に晒されても無傷だったことを、すっかり忘れてしまっていた。

「信頼がないな」

 そうぼやく白い竜は嫌味を込めて臆病者、とこちらを見下してくる。
 だってしかたないじゃない、生まれてこのかた、暴力に晒され続けたおかげで、無条件に怯える体質に躾けられてきたのだから。

「ごめんなさい。‥‥‥決して、白眉の強さを疑ったわけじゃないのよ?」
「知っている。冗談だ」

 この緊急時に、たちの悪い冗談はいい加減にしろ。
 いらっときてにらんでやったら、竜は素知らぬふりをして、あっちの方向を見遣った。
 エンジンをかけたまま、凌空が外車の運転席から降りて来る。

「なんだ……竜? まさか、本物?」

 怪訝な顔をして品定めするように視線をゆっくりと巡らせたあと、彼は驚きの顔で疑問を漏らす。
 ゆらゆらと空中を揺蕩いながら、幾重にもまかれた白眉の尾に包まれて、わたしは初めて椋梨凌空という男性を意識した。

 高級そうなネイビーブルーのスーツに、若草色の小紋柄のネクタイ。
 胸には綺麗に山型に折りたたまれた純白のポケットチーフが差されていて、襟元からは白の光沢のあるワイシャツが顔をのぞかせていた。

 足元には濃いキャメル色に輝くつま先の尖った革靴。
 どこからどう見ても、やり手の営業マンとか、銀行の人みたいな出で立ち。
 こんな山奥にしかも高級な外車の黒塗りセダンから降りてくるのは、あまりにも場違いだ。

「女? 子供か?」

 お互いの視線が重なり合う。
 彼はさらに驚きの顔をして、納得したのかひとつうなずくと、こちらに歩いてきた。

「え、え? 誰‥‥‥白眉?」

 遠慮のない堂々とした歩みに、一瞬、警戒を怠ってしまう。
 手元にあった尾の一部を掴み、ぐいっと引き寄せる。

 いざとなったら、これを叩きつけて逃げ出そう。
 武器を構えるようにすると、彼はふっと口元をほころばせた。

 それはどんな婦女子の警戒も即座に解かせてしまうような、魅力的なものだ。
 20代後半だろうか? 丁寧に撫でつけた黒髪と大きな黒い瞳が特徴の彼。

 男性か女性かわからないような中性的な顔立ちをしていて、肌は日に焼けて浅黒く、高くすっと抜けた鼻梁と、彫りの深い顔立ちは、よくファッション雑誌に載っているような外国人の男性モデルを思わせる。

 スーツの内ポケットからなにかを取り出す。
 四角い手のひらサイズのそれは、革製の名刺入れだった。
 一枚、中身を取り出すと両手でうやうやしく差しだしてくる。

「椋梨凌空です。お嬢さん」
「え‥‥‥あ。ち、頂戴します?」

 無下にするわけにもいかず、どうしたものかと思いながらそれを受け取った。
 長方形のそれは真っ白で上質の紙で、記載されている文字は縦長。

『椋梨トランスポート 代表取締役椋梨凌空』と印刷されている。

「椋梨‥‥‥トランスポート? って、運送屋さん?」

 身長差がある彼を見上げるようにしておずおずと問いかけると、「まあ、そんなところです」と丁寧に返事がかえってきた。

 さきほど、スーツケースに押し込められていたときに聞こえた、威圧的な押し問答をしていたようには思えない、優しい声。

 詰まっていた鼻の奥がすっと通るような、柑橘系の香りを嗅いだときのような、爽快感に心がやすらぎを覚える。
 この人は大地に広く根を張った数百年の樹齢をもつ大木のように、どっしりとした安定感を持つ人だ、そう思う。
 その器の大きさに、無条件の安堵を覚えた。

「そうですね。ところで、どうしてそんな稀有なものに囲まれているのかな?」

 と、凌空。このときはまだ椋梨さんだけれど、とても面白いものを見つけた、という目をして白眉越しにわたしに質問した。

「視えているのか。おまえも」
「ええ、一応は。宝竜を目にしたのは、もう数年ぶりですが――お目にかかれて恐悦至極です」

 背筋をしゃんと伸ばして腰を深く曲げ、丁寧にお辞儀をする。
 そのさまは、本家の当主様にこびへつらい頭を下げる、わたしの父の姿とは、似ても似つかない。

 正しいおとなの挨拶を目の当たりしてしまった。
 まるでテレビに映し出された国会議員の挨拶の用だった。

 折り目の正しい佇まい。
 宝竜というひとを越えた神格を持つ偉大な存在に、彼は引け目を感じさせない行動を見せた。

「人間にしては、礼儀を心得ている。最近はそういう者にもとんと合わなくなった」
「……わたしと会ってるじゃない」

 あなたを視認できる者はここにもいるわよ、と白眉を軽く小突いたら、にらまれた。
 黙っていろ、目でそう示してくる。

 どうやらわたしは子供で、大人同士の会話に立ち入るのはまだ早いようだった。
 
 
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