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第八話 就職困難
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「恥ずかしいわ」
子鬼の少女にくくくっ、と失態をからかわれる。
さて、これからどうなるのだろうと身を清めて見たこともない生地で編まれた、着物に袖を通して案内された先には、凌空とこの屋敷の主がいた。
数百畳はあるだろう大部屋を想像していたのに、小さな茶の間に通されて、秋奈は何となく肩透かしを食らう。
それでも思い直し、堂々とした体躯に燃える炎のような逆立つ髪と、自分と同じ金目の支倉をみて、見事な一角だと彼の額から生える野太い角に、心で賛辞を贈る。
礼儀作法を文字通り叩きこんだ老婆の教えに従い、秋奈は三つ指を付いて礼を述べた。
湯殿を使わせてくれた礼、腰の痛みをたちどころに治してくれた仙丹を与えてくれたことに対する礼だ。
「もう逃げませんので、どうぞお好きに為さってくださいませ」
ぴかぴかに磨き上げられ、こんな見事な仕立ての豪奢な和装まで整えてくれたのだ。
最後くらい足掻くのをやめて、命を美しく終わらせようと決めての、一言だった。
「お好きに、と申されてもな。人食いはしておらんし、人買いもしておらん。どちらも重大な違法行為だ」
「……は、犯罪?」
「そうだ、の。ここに来られたのも縁とは思うが、そういった悪習は終わったものでな」
と、支倉は大きな朱塗りの盃をあおり、隣で日本酒なのかそれとも焼酎なのかよく分からないものを、ぐいっと猪口で飲んでいる凌空を困ったように斜めに見る。
二人には明らかに体格差があり、凌空は180ほどだが支倉はどう見てもニメートルを大幅に越える巨躯の持ち主だった。
どうしたものか、と問う鬼の長者に、青年は「荷物を届けただけですから」と冷ややかに返した。
凌空はこの珍事にもう関わらないという姿勢を見せていた。
鬼の長者は、やれ困ったと言い、また盃を煽る。
そこに、秋奈をこの場に連れてきた滝野が、面白そうにころころと鈴のような声で笑いだした。
「ならば、この酒などに限らず、現世の珍味を仲介して貰えばよいではありませぬか」
支倉の盃に酒を注ぐと、滝野はある提案をする。
「おお、それは良い案だ。しかし、今はこの凌空が手配するだけで足りておる」
怪訝な顔をする支倉に、滝野は言葉を継ぎ足した。
「いまは凌空様が時折、寄られる際にだけ注文を出しておりますから。この屋敷に、職員を常駐していただけば、美味しい酒や珍味を常に手にできます、お館様」
「なるほど、それはいい」
支倉のことを、滝野はお館様と呼ぶ。
まるでそれは大河ドラマで見た戦国時代の武将とその妻の会話にそっくりで、「世界観……」と秋奈は失笑を漏らしそうになる
しかし、職員として常駐するとはどういうことだろう? 気になってじっと凌空を眺めると、彼は説明するように言った。
「俺の仕事は運送だ。もっといえば、現世と幽世の合間での商品の輸出入を行う個人商社だ。意味わかるか?」
「なんとなく……」
日本と海外とのあいだで商品を輸出入するということは理解が及ぶ。
つまりそれを現世と幽世の間でやっているということになるわけで。
この男とんでもない商売をしているな、と思わず唖然とする秋奈だった。
凌空はそんな彼女に「つまり支倉の旦那は俺にお前を雇え、と言っている」と告げる。
食料になるはずが、いきなり貿易商社に就職する話になっていて、秋奈は思わず頭を抱えた。
現実があまりにも突飛すぎる。現実が!
これまで働いたこともなく、人どころか鬼と交わって暮らしたことすらもないのに。
この場所が本当に安全で暮らし易く過ごしやすい場所だという保証もないのに。
それでも戻れば間違いなくもっと悲惨な環境が待ち構えているだろう。
「……にお答えすればいいのか判断に迷います」
率直に告げる。
ついさっきまで覚悟を決めていたはずなのに。
いざ環境が変わるとなると、ありえないほどに足がすくみ心が震え、緊張が全身を覆いつくしていく。
暖かいはずなのに寒さすら覚えて、唇から血の気が失せていくのが自分でも分かった。
「今すぐは無理なようですがね?」
「そのようだな」
助け舟を出すかのように、凌空は長者に確認すると、支倉もまたここのままでは無理そうだと理解したようだった。
「方法としてはなんですが……旦那、彼女は元々貢物として送られてきたものだ。それを返品っていうのもちょっと困る」
「ならば、どうしろと?」
凌空は猪口を一杯煽って、不敵に応えた。
「まずはこの子を、この屋敷で雇って欲しい。その上で俺の会社に派遣してくれたらいい。うちはこれ以上人を雇う余裕がない」
「その程度のことなら造作もない。他には?」
「しばらく俺の家で預かるよ。うちの奥様も、似たような境遇だしな。業務に慣れた頃にまた連れてくる。それまでは通いっていうことでどうにかならないか?」
支倉はしばらく考えてから「それで行こう。試してみて駄目なら他のことをやってみればいい」と悠然と構えて言った。
凌空が妻帯者だということにも驚いたが、彼の妻が自分と似た境遇だという事実にも、秋奈は驚きを隠せない。
どういった意味で似た境遇なのか。ほんの少しだけ興味が湧いた。
「うちに来るか? もちろん元の場所に戻したりしない」
人間の世界に戻れるのならば、とこの時はあまり深く考えずに、秋奈は頷いてしまった。
それを見て鬼たちはこれから、美味い珍味や酒に事欠くことはないと、よろこび微笑み合っている。
かつて昔話にもあるように、悪の権化として退治され、やまいや疫病、果ては悪鬼羅刹なんて言葉まで生み出された恐怖の象徴であるべき、鬼の現在がこんなに柔和なことに激しく戸惑いを覚えるしかない。
この後、凌空の元で商売を学び、あちらとこちらの注文を請け負って輸出入に励む秋奈の姿がこの屋敷で見受けられるようになるのは、もう少し先のことだった。
子鬼の少女にくくくっ、と失態をからかわれる。
さて、これからどうなるのだろうと身を清めて見たこともない生地で編まれた、着物に袖を通して案内された先には、凌空とこの屋敷の主がいた。
数百畳はあるだろう大部屋を想像していたのに、小さな茶の間に通されて、秋奈は何となく肩透かしを食らう。
それでも思い直し、堂々とした体躯に燃える炎のような逆立つ髪と、自分と同じ金目の支倉をみて、見事な一角だと彼の額から生える野太い角に、心で賛辞を贈る。
礼儀作法を文字通り叩きこんだ老婆の教えに従い、秋奈は三つ指を付いて礼を述べた。
湯殿を使わせてくれた礼、腰の痛みをたちどころに治してくれた仙丹を与えてくれたことに対する礼だ。
「もう逃げませんので、どうぞお好きに為さってくださいませ」
ぴかぴかに磨き上げられ、こんな見事な仕立ての豪奢な和装まで整えてくれたのだ。
最後くらい足掻くのをやめて、命を美しく終わらせようと決めての、一言だった。
「お好きに、と申されてもな。人食いはしておらんし、人買いもしておらん。どちらも重大な違法行為だ」
「……は、犯罪?」
「そうだ、の。ここに来られたのも縁とは思うが、そういった悪習は終わったものでな」
と、支倉は大きな朱塗りの盃をあおり、隣で日本酒なのかそれとも焼酎なのかよく分からないものを、ぐいっと猪口で飲んでいる凌空を困ったように斜めに見る。
二人には明らかに体格差があり、凌空は180ほどだが支倉はどう見てもニメートルを大幅に越える巨躯の持ち主だった。
どうしたものか、と問う鬼の長者に、青年は「荷物を届けただけですから」と冷ややかに返した。
凌空はこの珍事にもう関わらないという姿勢を見せていた。
鬼の長者は、やれ困ったと言い、また盃を煽る。
そこに、秋奈をこの場に連れてきた滝野が、面白そうにころころと鈴のような声で笑いだした。
「ならば、この酒などに限らず、現世の珍味を仲介して貰えばよいではありませぬか」
支倉の盃に酒を注ぐと、滝野はある提案をする。
「おお、それは良い案だ。しかし、今はこの凌空が手配するだけで足りておる」
怪訝な顔をする支倉に、滝野は言葉を継ぎ足した。
「いまは凌空様が時折、寄られる際にだけ注文を出しておりますから。この屋敷に、職員を常駐していただけば、美味しい酒や珍味を常に手にできます、お館様」
「なるほど、それはいい」
支倉のことを、滝野はお館様と呼ぶ。
まるでそれは大河ドラマで見た戦国時代の武将とその妻の会話にそっくりで、「世界観……」と秋奈は失笑を漏らしそうになる
しかし、職員として常駐するとはどういうことだろう? 気になってじっと凌空を眺めると、彼は説明するように言った。
「俺の仕事は運送だ。もっといえば、現世と幽世の合間での商品の輸出入を行う個人商社だ。意味わかるか?」
「なんとなく……」
日本と海外とのあいだで商品を輸出入するということは理解が及ぶ。
つまりそれを現世と幽世の間でやっているということになるわけで。
この男とんでもない商売をしているな、と思わず唖然とする秋奈だった。
凌空はそんな彼女に「つまり支倉の旦那は俺にお前を雇え、と言っている」と告げる。
食料になるはずが、いきなり貿易商社に就職する話になっていて、秋奈は思わず頭を抱えた。
現実があまりにも突飛すぎる。現実が!
これまで働いたこともなく、人どころか鬼と交わって暮らしたことすらもないのに。
この場所が本当に安全で暮らし易く過ごしやすい場所だという保証もないのに。
それでも戻れば間違いなくもっと悲惨な環境が待ち構えているだろう。
「……にお答えすればいいのか判断に迷います」
率直に告げる。
ついさっきまで覚悟を決めていたはずなのに。
いざ環境が変わるとなると、ありえないほどに足がすくみ心が震え、緊張が全身を覆いつくしていく。
暖かいはずなのに寒さすら覚えて、唇から血の気が失せていくのが自分でも分かった。
「今すぐは無理なようですがね?」
「そのようだな」
助け舟を出すかのように、凌空は長者に確認すると、支倉もまたここのままでは無理そうだと理解したようだった。
「方法としてはなんですが……旦那、彼女は元々貢物として送られてきたものだ。それを返品っていうのもちょっと困る」
「ならば、どうしろと?」
凌空は猪口を一杯煽って、不敵に応えた。
「まずはこの子を、この屋敷で雇って欲しい。その上で俺の会社に派遣してくれたらいい。うちはこれ以上人を雇う余裕がない」
「その程度のことなら造作もない。他には?」
「しばらく俺の家で預かるよ。うちの奥様も、似たような境遇だしな。業務に慣れた頃にまた連れてくる。それまでは通いっていうことでどうにかならないか?」
支倉はしばらく考えてから「それで行こう。試してみて駄目なら他のことをやってみればいい」と悠然と構えて言った。
凌空が妻帯者だということにも驚いたが、彼の妻が自分と似た境遇だという事実にも、秋奈は驚きを隠せない。
どういった意味で似た境遇なのか。ほんの少しだけ興味が湧いた。
「うちに来るか? もちろん元の場所に戻したりしない」
人間の世界に戻れるのならば、とこの時はあまり深く考えずに、秋奈は頷いてしまった。
それを見て鬼たちはこれから、美味い珍味や酒に事欠くことはないと、よろこび微笑み合っている。
かつて昔話にもあるように、悪の権化として退治され、やまいや疫病、果ては悪鬼羅刹なんて言葉まで生み出された恐怖の象徴であるべき、鬼の現在がこんなに柔和なことに激しく戸惑いを覚えるしかない。
この後、凌空の元で商売を学び、あちらとこちらの注文を請け負って輸出入に励む秋奈の姿がこの屋敷で見受けられるようになるのは、もう少し先のことだった。
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