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第七話 仙丹と贄姫
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自分が贄。嫁のエサとしてここに送り届けられた、と自覚しているからだ。
あの男、運送人と身分を明かした男は、椋梨凌空(くれなしりく)と名乗った。
車のトランクに嘔吐せず、スーツケースにぶちまけてくれたことについて、なぜか感謝を述べられて唖然とする秋奈に向かい、彼は清潔なタオルを与えて顔を拭くように言った。
まだ開栓されていないお茶のペットボトルを渡されて、それを飲むとどうにか気分は治まった。しかし、腰に響く魔女の一撃は未だに止まるところを知らない。
腰を抑えてうずくまる秋奈に、市販の痛み止め飲み薬をくれた凌空は「ぐぐぐ……」と呻く秋奈を抱き上げて、後部座席に寝かせてくれた。
逃げようとするも、ぎっくり腰のせいでまったく力の入らない下半身に愕然としつつ、「これからどうする気なのですか」とまた板の上の鯛になった気分で質問した。
こんなにがりがりで、栄養不足で成長も止まってしまった肉体が、鯛のように豪華な食材に成れる気はもちろんしなかったが。
人生詰んだ、と諦め半分。戻されたら確実に終わるという予測半分。
どっちに転んでも、鬼か邪しか待っていない。
「頼れるのはあなただけです。この命の舵を握るのは、あなただけ……凌空さん」
このとき、バックミラーに映った後部座席の秋奈を見て、息も絶え絶えに命乞いをしている、と凌空は思ったらしい。
依頼主には裏切られる、こんな厄介な荷物はしょい込む、おまけに届け先にはとりあえず行かなければならない。
そんな運送人としての使命感と義務感のはざまで苛まれて、凌空は「ああ……なんでこんな面倒なことに」と零していた。
凌空の車は真っ白な高級外車で、それはどうやってなのか仕組みすら謎だったが、虹色に光り輝く泡のようなものに包まれて、疾走していた。
どこかよくわからない山道を駆け抜け、巨大な岩肌に速度を緩めずに突入する。
ぶつかると目を瞑り衝撃に備えた秋奈は、まったくそれがやってこないどころか、車が走り続けていることに驚きを感じて、目を開ける。
すると、そこにあったのは現実ではないどこかだった。
まだ夜にもなっていないというのに空は満天の星空が輝き、しかし、青でも藍色でも赤でも黒でもない、壮麗な紫色に彩られて天空があった。
遠くにも近くにも、大空を行き交うのは、中世の海賊映画に出てくるような帆船で、よくよく見ると、それは縁起物で使われる七福神が座する宝船のような形をしている。
凌空の駆る外車は地上をひた走るが、舗装されている道などないはずなのに、大きな振動すら起こらない。
やがて車は巨大な都市に差し掛かり、そこは本家にお目見えする道すがら実家の車の窓から見た市内のビル群を更に大きくしたような、摩天楼が広がっていた。
洋画などで見るニューヨークの街並みみたい、とその景観に圧倒され、秋奈は少なからずの感動を心に覚えた。
市内から郊外にでる道を行き、ようやくたどり着いたのが……。
「鬼の長者、支倉の屋敷だ。ここに届ける予定だったんだよ」
とどこか後悔めいた口調で、凌空はぼやくように言う。
ようやく年貢の納め時? いや、この身の終わりはこんなにも虚しいものなのだ。
私は最後まで助けを求めた人にすら、見捨てられるのかとぼろぼろと涙を零すと、彼は「違うからな?」と言い訳のように漏らした。
「何が違うの……」
もうどうでもいいだろう、どんな間違いがあっても。この身は鬼に食されて終わるから、最期はなるべく痛みの内容にして欲しい、とか勝手に観念していたら、それ自体、大きな間違いだった。
「鬼はもう数世紀前から人を食べたりしない」
「は?」
「そんな因業な悪習は、もう終わったんだ。あいつら、いまじゃあんな天空に浮かぶ船で幽世の色んな国々と交易して、現世の日本並みに裕福だからな」
「は……?」
何の悪い冗談だろう。
ならば、なぜここに連れてきた?
思わず、そう心で毒づいた。
「犯罪件数も日本より少ない。平和で安定した文化を築いているんだよ。俺たちが惨めになりそうなくらい、あいつら、金持ちだからな」
「……絶対、嘘だ」
その否定の言葉は、それからあっという間に覆された。
支倉の長者の屋敷から、たくさんの女中と思しき女の鬼たちがわらわらと凌空の車に列を成し、その中央を歩いて来る鬼は一際美しい女鬼で、角を四本持ち、滝野と名乗った。
まるで人の名字の様だと考えていると、凌空が滝野に頼んだらしい。
痛み止めと言われ与えられた丸薬。
これを飲んでどうせ意識を失って、気付いたら……とか闇に呑まれそうな想像をしつつ、口に含むと、たちどころに全ての痛みや苦痛、心の重しになっていたあれやこれやも立ち消えてしまい、味わったことのない感覚に包まれる。
その感覚はどこかで憶えているもので、「幸福だろ? 仙丹だからな」と凌空が丸薬の正体を教えてくれた一言で、ああこれが幸せというものなのか、と秋奈は初めて穏やかな心地に包まれる。
そして今。
こうして三十人は同時に浸かれそうな、よくいえば温泉のような浴場で、自ら吐いた汚れを洗い流して貰っているのだった。
あの男、運送人と身分を明かした男は、椋梨凌空(くれなしりく)と名乗った。
車のトランクに嘔吐せず、スーツケースにぶちまけてくれたことについて、なぜか感謝を述べられて唖然とする秋奈に向かい、彼は清潔なタオルを与えて顔を拭くように言った。
まだ開栓されていないお茶のペットボトルを渡されて、それを飲むとどうにか気分は治まった。しかし、腰に響く魔女の一撃は未だに止まるところを知らない。
腰を抑えてうずくまる秋奈に、市販の痛み止め飲み薬をくれた凌空は「ぐぐぐ……」と呻く秋奈を抱き上げて、後部座席に寝かせてくれた。
逃げようとするも、ぎっくり腰のせいでまったく力の入らない下半身に愕然としつつ、「これからどうする気なのですか」とまた板の上の鯛になった気分で質問した。
こんなにがりがりで、栄養不足で成長も止まってしまった肉体が、鯛のように豪華な食材に成れる気はもちろんしなかったが。
人生詰んだ、と諦め半分。戻されたら確実に終わるという予測半分。
どっちに転んでも、鬼か邪しか待っていない。
「頼れるのはあなただけです。この命の舵を握るのは、あなただけ……凌空さん」
このとき、バックミラーに映った後部座席の秋奈を見て、息も絶え絶えに命乞いをしている、と凌空は思ったらしい。
依頼主には裏切られる、こんな厄介な荷物はしょい込む、おまけに届け先にはとりあえず行かなければならない。
そんな運送人としての使命感と義務感のはざまで苛まれて、凌空は「ああ……なんでこんな面倒なことに」と零していた。
凌空の車は真っ白な高級外車で、それはどうやってなのか仕組みすら謎だったが、虹色に光り輝く泡のようなものに包まれて、疾走していた。
どこかよくわからない山道を駆け抜け、巨大な岩肌に速度を緩めずに突入する。
ぶつかると目を瞑り衝撃に備えた秋奈は、まったくそれがやってこないどころか、車が走り続けていることに驚きを感じて、目を開ける。
すると、そこにあったのは現実ではないどこかだった。
まだ夜にもなっていないというのに空は満天の星空が輝き、しかし、青でも藍色でも赤でも黒でもない、壮麗な紫色に彩られて天空があった。
遠くにも近くにも、大空を行き交うのは、中世の海賊映画に出てくるような帆船で、よくよく見ると、それは縁起物で使われる七福神が座する宝船のような形をしている。
凌空の駆る外車は地上をひた走るが、舗装されている道などないはずなのに、大きな振動すら起こらない。
やがて車は巨大な都市に差し掛かり、そこは本家にお目見えする道すがら実家の車の窓から見た市内のビル群を更に大きくしたような、摩天楼が広がっていた。
洋画などで見るニューヨークの街並みみたい、とその景観に圧倒され、秋奈は少なからずの感動を心に覚えた。
市内から郊外にでる道を行き、ようやくたどり着いたのが……。
「鬼の長者、支倉の屋敷だ。ここに届ける予定だったんだよ」
とどこか後悔めいた口調で、凌空はぼやくように言う。
ようやく年貢の納め時? いや、この身の終わりはこんなにも虚しいものなのだ。
私は最後まで助けを求めた人にすら、見捨てられるのかとぼろぼろと涙を零すと、彼は「違うからな?」と言い訳のように漏らした。
「何が違うの……」
もうどうでもいいだろう、どんな間違いがあっても。この身は鬼に食されて終わるから、最期はなるべく痛みの内容にして欲しい、とか勝手に観念していたら、それ自体、大きな間違いだった。
「鬼はもう数世紀前から人を食べたりしない」
「は?」
「そんな因業な悪習は、もう終わったんだ。あいつら、いまじゃあんな天空に浮かぶ船で幽世の色んな国々と交易して、現世の日本並みに裕福だからな」
「は……?」
何の悪い冗談だろう。
ならば、なぜここに連れてきた?
思わず、そう心で毒づいた。
「犯罪件数も日本より少ない。平和で安定した文化を築いているんだよ。俺たちが惨めになりそうなくらい、あいつら、金持ちだからな」
「……絶対、嘘だ」
その否定の言葉は、それからあっという間に覆された。
支倉の長者の屋敷から、たくさんの女中と思しき女の鬼たちがわらわらと凌空の車に列を成し、その中央を歩いて来る鬼は一際美しい女鬼で、角を四本持ち、滝野と名乗った。
まるで人の名字の様だと考えていると、凌空が滝野に頼んだらしい。
痛み止めと言われ与えられた丸薬。
これを飲んでどうせ意識を失って、気付いたら……とか闇に呑まれそうな想像をしつつ、口に含むと、たちどころに全ての痛みや苦痛、心の重しになっていたあれやこれやも立ち消えてしまい、味わったことのない感覚に包まれる。
その感覚はどこかで憶えているもので、「幸福だろ? 仙丹だからな」と凌空が丸薬の正体を教えてくれた一言で、ああこれが幸せというものなのか、と秋奈は初めて穏やかな心地に包まれる。
そして今。
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