鬼の贄姫と鬼界の渡し守 幕間—『金目の童女』—

秋津冴

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第六話 鬼の湯殿

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 へなへなとその場にへたれこむ秋奈を見て、青年はいかにも面白そうにくっくっくっと笑いを押し殺す。

「お前間抜けな女だなぁ? こんな窮屈な場所でずっといたんだから、いきなり動こうとしたら体がどっかおかしくなるくらいわかるだろう、普通?」
「たっ、助けて。足が、うぐうっ……」

 呻く、嘆く、脳天を貫く鈍い痛みをこらえながら、女性の日ですらもこんなに酷い痛みに襲われたことはない、と自分の浅慮を秋奈は後悔した。

 無様だ……、それと笑うことはないじゃない! というかすかな怒りも、殺気すらも沸いて来そうだった。
 それらはちょっとばかり身体を捻っただけで突き上げる痛みによって、脳裏のどこかに追いやられてしまったが。

「心配しなくても俺はお前の味方と言うかどう言えばいいんだろうな。契約違反をされた時点でつっかえすべきなんだが」
「や、やめてっ! お願い、それだけは! 今度は本当に殺される、絶対に、殺される」
「殺されるなんて物騒な話はやめてほしいんだが。俺は単なる運び屋だぞ?」
「はこび、や……?」

 そうそう、と青年は肯く。
 彼の顔から下をゆっくりと見て、秋奈は痛みを堪えながら眉根を寄せた。

 彼は高級そうなネイビーブルーのスーツに、若草色の小紋柄のネクタイ。
 胸には綺麗に山型に折りたたまれた純白のポケットチーフが差されていて、襟元からは白の光沢のあるワイシャツが顔をのぞかせていた。

 足元に目を落とすと、そこは見慣れたアスファルトで舗装された場所で、濃いキャメル色に輝くつま先の尖った革靴を履いている。
 どこからどう見ても、やり手の営業マンとか、銀行の人みたいな出で立ちだ。

 とはいってもずっと地下牢に居た秋奈にとって、それらはタブレット越しに見た、ドラマでしか見知らぬ存在だったが。

「運び屋、だな。幽世と現世を往復する個人輸入代行、みたいなもんだ」
「は?」

 輸入代行? なにそれ。狭い世界で生きてきた秋奈にはまったく想像がつかない仕事だった。言葉の意味は理解できたけれど。

「たまにあるんだよ、こういった運んでいる間に、異臭がする荷物が」
「異臭……」

 はっとなって自分の放っている異臭に、再度、自覚させられる。
 むわっとむせるようなすえた臭いに、胸が激しくかきむしられるような、ムカつきを覚えた。

「おっ、おい?」
「駄目っ、も……無理」

 視界がかく乱される。
 ぐっるんぐるんと世界が回った。

 焦点がぶれて男の姿が二重、三重に重なり合って、さらにぶれていく。
 ああ、目が回るって本当に世界が回るんだ。

 そんなどうでもいいことを冷静に受け止めながら、秋奈は辺りを汚さないように? いや、腰が痛すぎてそこになだれ込むしかできなかっただけだ。

 詰められていたスーツケースの中に、胃の中のものを盛大にぶちまけた。


 ◇


 ちゃぷんと、淑やかな音が静謐な空間にこだまする。
 手に湯を浸し、それを持ち上げたら、数滴の雫とともに水が漏れ落ちた。

 周囲には鮮やかな髪色をした女性たち肌襦袢だけになり、たすきがけをした状態で湯船に浸かる秋奈の髪や肌をせっせと磨いてくれている。

 赤に紫、橙に青、藍色に紫。
 どこかの童話で耳にしたような髪色の彼女たちの額には等しく、同じようなものがあった。

 一つであったり、二つであったり、三つはあまりいない。
 一角、二角、三角と絵巻物で名付けられた「鬼」の女性たちだ。

 湯殿の屋根の一部から、夜闇を照らし出す銀月の明かりが差し込んでくる。
 それに照らされて透けるように輝くその髪色は、染めたものではなく天然のものであることを、ぼんやりと見上げる秋奈に示していた。

 ここは鬼界。
 その一部、どこかわからない土地の鬼の長者の屋敷の一室。

 そこに設けられた風呂の中で、屋敷という意味では十数人の使用人を住み込みで働かせている実家もそれなりに大きかった気がするが。
 ここはその比にならず、40畳ほどの部屋が数室ある香月の本家よりも更に巨大で贅に尽くしていた。

「やってこられた時、驚きましたよ」

 一角鬼。紅の髪色と真っ青な瞳をした小柄な少女が、にこやかに微笑んで声をかけてくる。
 にっと笑った人懐っこい笑顔が可愛らしいが、その頬からにょっきりと犬歯のような牙が顔を覗かせていて、小心者の秋奈は思わず頬を引きつらせた。
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