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俺の地元
夢と行動
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湾曲した海岸線が数キロにも渡って細く長い白波を作っている。俺はそこにチラりと目をやり、他に人がいないことを確認した。渚沙と俺が付き合っていることは一部の人しか伝えておらず、別れた時の事も心配して公にはしていない。狭い村だから噂が広まるのも時間の問題なのだ。
特に渚沙は同世代の男から人気があって「俺と付き合ってる」、なんて事が知れたら村は大騒ぎだ。男同士で恋愛沙汰の喧嘩なぞするタイプではないし、村の奥様方から「渚沙ちゃん泣かせよって」などという言葉を投げかけられるのも御免だ。
夕闇の中、心地良い潮風が吹く。
渚沙は堤防が段になった所を指し、「ここにしよう」と言った。
どっこらしょ、なんて気持ち良さそうに声を出しながら腰を降ろした。間髪を入れずに胡坐をかいて座った渚沙は、ありのままの自分を俺の前で曝け出してくれているようで。
でも、流石にここまで弛すぎる姿は男としてひいてしまうかもしれない。半分の嬉しさと、3割のどよめきと2割の自分もくつろぎたいという思いが生まれる。
渚沙に倣って俺も胡坐をかき、水平線の彼方を伺うように身を前へ乗り出す。膝と肘をくっつけて、掌に顎を置いたら渚沙ポーズの完成だ。
空はいつの間にか紺藍に近い色味になっており、残ってしまったオレンジやブルーを水平線の奥へ押しているように見えた。
俺に何か話したかったんじゃないのか、と目配りをするも渚沙は思わせぶりに口を一瞬開いては閉じる。その繰り返しが数分間が続いた。言い難いことなんだろうな、と悟った俺は素知らぬ顔をして渚沙の言葉を待つ。そうしておくのが渚沙のためなんだろうと思ったから。
「慶介は将来の夢とかある?」
「はあ? 一応な」
「そっか」
念を押すように「そうだよね」と照れ臭そうに笑う。
さっきまでは何て言えば良いのか分からなくなった幼い面持ちをしていたのに、質問をした途端大人びた顔になる。中学生の少女が胡坐に恥じらいを覚えたように、きゅっと一度股を閉じる。
渚沙がそんな表情をしたから、着ている服が一気に違うものに見えた。
色の映えだけを考えた赤色のシャツは、個性を出したイメージカラーにまで変貌する。お洒落に興味がある高校生の女、と言えばピッタリだろう。
シャツから飛び出た白く長い肢体はスタイルの良さを強調して、安かった肌から“どうしても”色気が滲み出るようになってしまう。
流行だからと言って買ってきたんであろうサロペットすら、機能的にラフだったから? 着ただけだし? なんていうあざとさすら感じる。花のついたサンダルもチョイスがいい。ありもの感が出ている所が尚更良い。渚沙はまだ女性とは表現出来ないものの、そそられる気怠さがあって良い。
俺はさり気なく、堂々としたチラ見をし、ごくりと息を飲んだ。
それに気付いていない渚沙は閉じた脚を何でだろうと思ったのか、覚えた恥じらいを誤魔化しつつも元の胡坐へと戻す。半分しか脚が開いていないのが少し残念でもある。
「ここって何が出来るのかな」
渚沙の話第2段。俺は眼をぱちくりさせた。顔に熱が帯びているのか、両手でパタパタと扇いでいる。暑いのもあるが、照れ臭く思っているのは明白である。声もさっきと違って強さが感じられず、トーンさえも上がっている。自信がないのか、俺に話すか迷っているのか。
どういうことだ、俺の吃驚声を掻き消すように陸風が吹く。鼓膜に訴えかけてくるような重低音。俺と渚沙は互いの顔を見合って話をする。
「私、この村を出て神奈川の学校行こう思ってる」
「は? 学校?」
「うん。神奈川の、学校」
「そんなん何処でも良いっちゃけん、通信教育でええ!」
俺の心に急に火がつく。彼氏彼女の関係が灯油になったのだろうか。
この村に高校はない。バスで片道3時間の所に学校はあるが、この村で通学している学生はひとりといない。
市長がインターネットで教育を受けられるようにしてくれたが、俺の知ってる同世代の中で利用している人は渚沙だけだ。
「良くないよ! 私、漫画家になりたいん!
高校行って漫画描いて、東京で生活したいんや!」
啖呵を切った渚沙に手をあげる。
「東京に住むのは許さへん!」
バシンッと鋭い音がした頬に渚沙は手をあてて、顔はそのままに瞳だけを釣り上げてギロリと俺を睨む。俺は怒りのまま立ち上がり、座っている渚沙に怒鳴り声を浴びせる。
「渚沙だって知ってるはずや! 俺の姉ちゃんのこと。
俺のオカンもオトンも村の人達も皆言うてる。俺の姉ちゃんは韓国か朝鮮にでも売り飛ばされたんちゃうかって。今生きてるかどうか分からんって」
渚沙は頬をかばったまま、むくりと起き上がる。
「8年前の話やあ! 東京は悪い人ばかりじゃない、良い人も沢山いる」
「渚沙にとってはもう8年じゃろうけど、俺にとってはたかが8年。
良い人おるのも分こうてる。でもな、悪い人がおる所に渚沙を住ませられん」
渚沙は声を張り上げて私にはチャンスがないの、と言った。
家も裕福じゃないから、夢が追えるのはせいぜい高校生まで。神奈川の一番安い高校に通いながら、東京に行って原稿を出版社に持ち込みして暮らす。今のようにコンクールや大賞に応募しているだけでは駄目なんだと。
渚沙が話している間、ずっと俺の脳内に8年前のニュースが再生されていた。俺の姉ちゃんの血痕が立体駐車場でみつかった事と、行方が分からないこと。各テレビ放送局で不明芸能事務所があったことが報じられ、小中学生をスカウトしていたこと。見つかった子供は5人、死亡した子供は6人、お姉ちゃんを含め行方不明の子供は19人。警察署では毎日のように号泣する両親の姿があった。
特に渚沙は同世代の男から人気があって「俺と付き合ってる」、なんて事が知れたら村は大騒ぎだ。男同士で恋愛沙汰の喧嘩なぞするタイプではないし、村の奥様方から「渚沙ちゃん泣かせよって」などという言葉を投げかけられるのも御免だ。
夕闇の中、心地良い潮風が吹く。
渚沙は堤防が段になった所を指し、「ここにしよう」と言った。
どっこらしょ、なんて気持ち良さそうに声を出しながら腰を降ろした。間髪を入れずに胡坐をかいて座った渚沙は、ありのままの自分を俺の前で曝け出してくれているようで。
でも、流石にここまで弛すぎる姿は男としてひいてしまうかもしれない。半分の嬉しさと、3割のどよめきと2割の自分もくつろぎたいという思いが生まれる。
渚沙に倣って俺も胡坐をかき、水平線の彼方を伺うように身を前へ乗り出す。膝と肘をくっつけて、掌に顎を置いたら渚沙ポーズの完成だ。
空はいつの間にか紺藍に近い色味になっており、残ってしまったオレンジやブルーを水平線の奥へ押しているように見えた。
俺に何か話したかったんじゃないのか、と目配りをするも渚沙は思わせぶりに口を一瞬開いては閉じる。その繰り返しが数分間が続いた。言い難いことなんだろうな、と悟った俺は素知らぬ顔をして渚沙の言葉を待つ。そうしておくのが渚沙のためなんだろうと思ったから。
「慶介は将来の夢とかある?」
「はあ? 一応な」
「そっか」
念を押すように「そうだよね」と照れ臭そうに笑う。
さっきまでは何て言えば良いのか分からなくなった幼い面持ちをしていたのに、質問をした途端大人びた顔になる。中学生の少女が胡坐に恥じらいを覚えたように、きゅっと一度股を閉じる。
渚沙がそんな表情をしたから、着ている服が一気に違うものに見えた。
色の映えだけを考えた赤色のシャツは、個性を出したイメージカラーにまで変貌する。お洒落に興味がある高校生の女、と言えばピッタリだろう。
シャツから飛び出た白く長い肢体はスタイルの良さを強調して、安かった肌から“どうしても”色気が滲み出るようになってしまう。
流行だからと言って買ってきたんであろうサロペットすら、機能的にラフだったから? 着ただけだし? なんていうあざとさすら感じる。花のついたサンダルもチョイスがいい。ありもの感が出ている所が尚更良い。渚沙はまだ女性とは表現出来ないものの、そそられる気怠さがあって良い。
俺はさり気なく、堂々としたチラ見をし、ごくりと息を飲んだ。
それに気付いていない渚沙は閉じた脚を何でだろうと思ったのか、覚えた恥じらいを誤魔化しつつも元の胡坐へと戻す。半分しか脚が開いていないのが少し残念でもある。
「ここって何が出来るのかな」
渚沙の話第2段。俺は眼をぱちくりさせた。顔に熱が帯びているのか、両手でパタパタと扇いでいる。暑いのもあるが、照れ臭く思っているのは明白である。声もさっきと違って強さが感じられず、トーンさえも上がっている。自信がないのか、俺に話すか迷っているのか。
どういうことだ、俺の吃驚声を掻き消すように陸風が吹く。鼓膜に訴えかけてくるような重低音。俺と渚沙は互いの顔を見合って話をする。
「私、この村を出て神奈川の学校行こう思ってる」
「は? 学校?」
「うん。神奈川の、学校」
「そんなん何処でも良いっちゃけん、通信教育でええ!」
俺の心に急に火がつく。彼氏彼女の関係が灯油になったのだろうか。
この村に高校はない。バスで片道3時間の所に学校はあるが、この村で通学している学生はひとりといない。
市長がインターネットで教育を受けられるようにしてくれたが、俺の知ってる同世代の中で利用している人は渚沙だけだ。
「良くないよ! 私、漫画家になりたいん!
高校行って漫画描いて、東京で生活したいんや!」
啖呵を切った渚沙に手をあげる。
「東京に住むのは許さへん!」
バシンッと鋭い音がした頬に渚沙は手をあてて、顔はそのままに瞳だけを釣り上げてギロリと俺を睨む。俺は怒りのまま立ち上がり、座っている渚沙に怒鳴り声を浴びせる。
「渚沙だって知ってるはずや! 俺の姉ちゃんのこと。
俺のオカンもオトンも村の人達も皆言うてる。俺の姉ちゃんは韓国か朝鮮にでも売り飛ばされたんちゃうかって。今生きてるかどうか分からんって」
渚沙は頬をかばったまま、むくりと起き上がる。
「8年前の話やあ! 東京は悪い人ばかりじゃない、良い人も沢山いる」
「渚沙にとってはもう8年じゃろうけど、俺にとってはたかが8年。
良い人おるのも分こうてる。でもな、悪い人がおる所に渚沙を住ませられん」
渚沙は声を張り上げて私にはチャンスがないの、と言った。
家も裕福じゃないから、夢が追えるのはせいぜい高校生まで。神奈川の一番安い高校に通いながら、東京に行って原稿を出版社に持ち込みして暮らす。今のようにコンクールや大賞に応募しているだけでは駄目なんだと。
渚沙が話している間、ずっと俺の脳内に8年前のニュースが再生されていた。俺の姉ちゃんの血痕が立体駐車場でみつかった事と、行方が分からないこと。各テレビ放送局で不明芸能事務所があったことが報じられ、小中学生をスカウトしていたこと。見つかった子供は5人、死亡した子供は6人、お姉ちゃんを含め行方不明の子供は19人。警察署では毎日のように号泣する両親の姿があった。
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