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第三章
73.全てはたった一人の聖女のために
しおりを挟む『どうしてだ……今すぐ聖女をこの手で切り裂きたいというのに、体が動かない……おのれ、ゴリランめ。私に大人しく乗っ取られていればいいものを……まだ意識があるのか!?』
悔しそうに叫ぶ魔王を見て、呆然とする私に、グクイエ王子は小さな金色の鍵を差し出す。
「さあ、アコリーヌ。その手で魔王を封じてくれ」
「何を言ってるの? このままじゃ、ゴリランが……」
「僕もゴリランも、君を愛しているよ」
「グクイエ殿下?」
グクイエ王子は私に笑顔を向けた後、一冊の本を掲げてゴリランの前に立つ。その顔は冷たいものだったけど、私には泣きそうに見えた。そしてグクイエ王子が呪文を唱えると——可愛い顔をした王子様は、真っ赤な書物に吸い込まれた。
「グクイエ殿下!?」
————さあ、アコリーヌ。魔王を封印して。僕が人柱となって永遠に魔王を閉じ込めておくから。
「何を言ってるの!?」
————大丈夫、僕はずっと幸せな夢を見て生きていける。だからアコリーヌもどうか幸せに……。
「いやよ! そんなこと出来るはずがないじゃない! ゴリランもグクイエ殿下もいない世界なんて、そんなの何もないに等しいわ! お願いだから、私の歌で魔王を倒させて!」
————アコリーヌ、ごめんね。
グクイエ王子の声がそう告げた後、ゴリランが少しずつ書物に歩み寄る。どうやらゴリランは魔王を書物に封印する気なのだろう。でも、そうすると、二人とも魔王とともに封印されることになる。それだけは嫌だと思って私が、ゴリランに近づこうとした——その時。
その場にいる誰でもない声が、何か呪文を唱えるのが聞こえた。
「え? 誰?」
周囲を見回して人の存在を確認するけれど、何もなくて。私が狼狽えていると、私が持っていた鍵が光り出して——人の姿に変わる。
きのこみたいな髪型の青年だった。
人間になった鍵は、現れるなり長い呪文を唱える。すると、赤い書物が開いて、その中にゴリランが吸い寄せられ——ひとりでに閉じられた。
何がなんだかわからない状況で、私が赤い書物を眺めていると、そのうち、きのこみたいな髪型の青年が私に告げる。
「アコリーヌ様、どうかその本を燃やしてください」
「え? 誰? あなた……それに、本を燃やすだなんて……そんなこと、できるわけがないわ。だってこの本にはグクイエ殿下とゴリランが——」
「お二人の気持ちを無駄にするおつもりですか」
「どこの誰だか知らないけど、あなたに彼らの何がわかるというの!」
「僕は鍵です。ゴリラン大司教に作られた存在です。ですから、ゴリラン大司教の気持ちは私にもわかるのです」
「ゴリランに作られた存在?」
「そうです。私は鍵なのです」
「あなたが鍵なら、この本を開けることも可能よね? お願い! 本を開けて——」
「それはできません」
「どうして!」
「本を閉じることが、私の使命ですから」
「でも、グクイエ殿下が、ゴリランが——」
「アコリーヌ様……?」
その時私は、初めて喪失というものを知った。そして私の胸に、例えようのない怒りと悲しみが溢れ出したと同時に、全身が燃えるような感覚に陥った。
熱い……悲しい……辛い……。
こんな風に力が暴走するのは初めてだった。
「どうして私だけ……みんな、私の気持ちを無視して……どうして私だけ置いていくのよ!」
私が声を上げて叫ぶと、ゴォフと名乗った青年が、恐ろしいものでも見るような顔をして、息を呑んだ。
「まずい! アコリーヌ様の力が……」
まるで魔王の再来だった。私の足元から生えた木の枝が伸びて城じゅうを包み込むと——王城は、大木と化して空をも貫く。
そして真っ暗に染まった空はうねりを上げて、雷鳴が轟いた。自分でもどうすることもできなかった。
まさか、私が闇に堕ちるなんて。
「誰か……助けて……」
「アコリーヌ様!」
私が悲しみと怒りで苦しむ中、ゴォフさんが再び何か呪文を唱える。私を封印するつもりなのだろうか? けど、それでもいいと思った。グクイエ王子もゴリランもいないのに、私だけ生きているなんて辛すぎるもの——私が覚悟を決めると、ゴォフさんの手に銀色の鍵が現れる。
「これは私の分身です」
そう言って、ゴォフさんは銀色の鍵を私の胸に差し込んで、回した。
すると、私から溢れていた闇の力が急速に引いてゆき、王城は元の真っ白な姿に戻ったのだった。
「私を封印……したのね?」
「いいえ、あなたの力だけを封印しました」
「どうして私ごと封印してくれなかったの?」
「それは、グクイエ殿下やゴリラン大司教の意志ではないからですよ」
「私は……私はこれからどうすれば」
「お二人の分まで幸せに生きてください。でなければ、あの方たちは報われませんから」
ゴォフさんの言葉を聞いて、もう二人が戻ってこないことを悟った。私がまっとうに生きる代償は、とんでもなく大きなものだった。
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