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第三章
79.新たな予感(最終話)
しおりを挟む何もない石造りの空間だったが、ただ一冊の本が、高い台に置かれていた。
アコリーヌは慌ててその本に駆け寄る。
本はまるで普通の書物のように静かなものだった。王族に奪われて以来、ずっと会うことのできなかった本を胸に抱いたアコリーヌは、その場で思わず涙していた。
だがそんなアコリーヌの肩を、ジンテールがそっと叩く。
「泣くにはまだ早いぞ。グクイエに呼びかけるんだ」
ジンテールの言葉に、アコリーヌは涙を拭って頷いた。
そして本に向かって、グクイエの名を何度も呼びかける。
「グクイエ殿下、起きなさい。ゴリランと一緒に出てくるのよ」
ジンテールは、アコリーヌの呼びかけを邪魔しないよう、本に手を置いた。そして目を閉じると、心の中でケイラに呼びかける。
すると、本の中にいるケイラが、ふと頭上を見上げた。ケイラにはジンテールの声が聞こえていた。
「聞こえるか、ケイラ」
————ジンテール! お母さんを連れてきてくれたの?
「ああ、グクイエを今から起こす。それがどういうことか、わかっているな?」
————わかっているわ。
ケイラが本の中で笑みを浮かべる中、アコリーヌは本に向かって歌を歌った。子どもたちに伝えてきた、子守唄だった。母との思い出であり、ケイとの思い出でもあった。
そしてその声に呼応するように、ケイラの歌声が響いた。アコリーヌは何十年ぶりに聞いた娘の声に、泣きたくなる気持ちを堪えて、子守唄を歌い続けた。
すると、周囲に風が吹き荒れて、本が光り始める。
溢れんばかりの光に包まれた本は、アコリーヌの手を離れて舞い上がると、ゴリランを吐き出した。
本から現れたゴリランが目を丸くする中、本は形を変えて年老いた紳士に変化する。
それは、グクイエ王子だった。本に閉じ込められても、年は重ねていたのだろう。アコリーヌの前に立ったグクイエ王子は、確かにその面影を残していた。
「それで、ケイはどこなの!?」
アコリーヌが叫ぶと、すぐ近くから消え入りそうな声が聞こえた。
振り返ると、存在が薄くなったケイラの姿があった。
「あなたが……ケイなの?」
『久しぶりね、お母さん』
「あなた……その姿は……」
『本の中の登場人物として転生したの。でもせっかく会えたのに……残念だわ。本が消えたら私も消えるの』
「まあ、なんてこと!」
アコリーヌが驚愕し、口を押さえる中、ジンテールがケイラに近づく。
「本当にこれで良かったのか?」
『私が生まれ変わったら、また一緒にいてくれるんでしょう? だってあなたは、私の力を監視する役目があるんだから』
「ああ、何度生まれ変わっても、俺はお前のそばにいる」
『じゃあ、私は何も怖くないわ——お母さん、どうかグクイエ殿下と幸せになってね』
アコリーヌは嗚咽をこぼしながら、「愛しているわ」とケイラを抱きしめようとするもの、ケイラは泡のように消えた。
こうして魔王を封印した本は消え、物語がその役割を終えた時。
王国では年老いたグクイエ王子とアコリーヌの結婚式が執り行われた。魔王をその身に封印した英雄が帰ってきたということで、国中が湧いた。そして結婚後は、いつまでも幸せに暮らしたのだった。
***
「ねぇ、お母さん。私ってなんでこんなダミ声なのよ」
「知らないわよ。誰に似たんだか」
「こんなんじゃ、彼氏とカラオケになんていけないじゃない」
時は流れて。現代日本。小説家の母とサラリーマンの父を持つ里原ケイは、リビングのテーブルで朝食のシリアルを頬張りながら愚痴をこぼす。
彼女は歌うと老人のようにしわがれた声になるのがコンプレックスで、人前で決して歌うことはなかった。そんな娘に、容赦ない母親は「どうせ彼氏なんていないんでしょ?」とバッサリ斬り捨てた。
「彼氏はいつか迎えにくるのよ」
「また夢の話?」
「だって、毎日のように見るんだよ? 大きな目の綺麗な顔立ちをした王子様が、私を迎えに来る夢。きっと現実なんだわ」
ケイは夢見心地で手を合わせるが、ふと目に入った時計の表示を見て悲鳴を上げた。
「ぎゃあっ! もう遅刻じゃん!」
「もう、うるさいわね。早く学校に行きなさいよ」
「わかってるわよ! 早く行かなきゃ」
二階建て一軒家を飛び出したケイは、ベッドタウンの狭道を何度も曲がり、そのうち大きな並木道に出る。イチョウに彩られた道の奥には近代的な高校の校舎があり、校門が今にも閉められようとしていた。
そして全速力で走ったにも拘らず、胸の高さまであるアコーディオン門扉は教師の手によって閉められたのだった。
「どうしよう、閉められちゃったし!」
アコーディオン門扉の向こう側で、教師がにっこりと笑った。ケイが走っていたのは見えていたはずだが、見せしめとして閉めたのだろう。
ケイが呆然と立ち尽くす中、後ろから声が聞こえた。
「——ああ、もう閉められたのか」
聞き覚えのある声だった。ケイがゆっくり振り返ると、やや長め髪を一つにまとめたスーツの男が、やれやれとため息をついていた。
二十代前半くらいだろうか。
その端正な顔立ちに、思わず固唾を飲み込むケイだったが、男の方はケイの方には見向きもせず、何度もため息を吐いていた。
どこかで見た顔だった。
が、男はケイの存在を無視したかと思えば——突然ケイの方を向いた。
「おい、そこの女生徒。遅刻した場合はどこから入ればいいんだ?」
居丈高な物言いに、少しだけ幻滅しながらも、ケイはおそるおそる口を開く。
「遅刻者はそこのインターホンを鳴らして、脇戸から入れてもらわないと……」
「なんだと!?」
ケイが校門の脇にあるインターホンを指さすと、男は大袈裟に驚いて見せた。生徒の父兄だろうか。学校関係者にしては、要領を得ない様子だった。
そうこうするうち、始業の鐘が鳴った。みるみる青ざめたケイが、インターホンを鳴らそうとすると、後ろから肩をぐっと掴まれる。驚いて振り返ると、先ほどからそこに立っていた男が、ケイを見て微笑を浮かべた。
その美しさに飲み込まれそうな感覚に陥りながらも、遅刻だという事実で我に帰ったケイは、男の手を振り払う。
「私、急ぐので」
「俺がインターホンを押すから、待ってろ」
「は?」
それから男は宣言した通り、インターホンを押すと事務員に遅刻の旨を説明した。
父兄だとばかり思っていたが、説明によると新しい教師のようだった。男は高平ジンと名乗ったが、その名前に聞き覚えがあるケイは、首を傾げる。
そんな中、高平はケイの手を掴むと、もう一方の手で脇戸のドアノブに手をかけた。
「ほら、行くぞ」
「あ、あの! ちょっと——」
ケイは手を引かれるがまま、校舎に入る。
十六才のケイは恋人でも家族でもない男と手を繋ぐのは初めてで、狼狽えるしかなかった。そしてそんなケイの反応を見て、高平は悪い顔をしていた。といっても、どんな顔も王子様にしか見えないほど、美しい顔立ちをしているのだが。
「こんなところ誰かにみられたら……」
「ああ、そうか」
校舎に差し掛かるところで、高平はケイの手を離した。ほのかに熱が残る手に緊張していると、男は呆れたようにため息を吐く。
「そんな顔をされると、こちらも困るんだが」
「え?」
「これだけ待たせたんだ。覚悟しておけよ」
高平が流し目を送ると、ケイは胸が早鐘のように鳴るのを感じた。何かの予感だった。それがどんな予感かはわからないが、これから何か楽しいことが待ち受けているような、そんな気がした。
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