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10.頼りになるのは
しおりを挟む「おはよう、リア」
柔らかい陽の光が窓から差し込む朝の教室。
席に着くなり声をかけられて、私はとっさに身構えてしまう。
昨日、不審者に声をかけられた恐怖が、まだ体にこびりついているようだった。
「あ、秋斗」
「リア……顔色悪いね。昨日は眠れてないんじゃない?」
気軽に話しかけてくる秋斗に、私は引きつった笑みを浮かべた。
昨日のあれはなんだったのだろう。
あれだけよく喋った愛里たちが、また離れた場所で談笑している。
元のぼっちに戻った私は、この環境を受け入れるしかなかった。
「そんなに顔色悪いかな?」
「今日は休んだほうが良かったんじゃ……」
「そういうわけにもいかないよ」
「リアは真面目だね」
「普通だよ」
秋斗と話すと、少しだけ気持ちが楽になった気がした。
愛里たちといるよりも、なんとなく安心感があるし。
きっと秋斗といることに慣れたんだと思う。
元に戻って心底ほっとしていることに、私は気づかないふりをする。
「今日は一緒に帰ろう」
「え、でも秋斗には友達がいるでしょ?」
本心とは裏腹に冷たくつき放すと、秋斗は苦笑する。
「やっぱり僕の友達はリアだけだよ」
「昨日はあんなに仲良さそうだったのに、帰りにケンカでもしたの?」
「まあ、そういうところかな」
「……そうなんだ」
〝友達は私だけ〟という言葉に、少なからず安堵してしまった私は、慌てて首を振る。
特別扱いされて喜ぶなんて、良くないよね。秋斗とは距離を置くって決めたんだから。
かといって、友達をやめる勇気もないから、物理的な距離を遠ざけることはできないけど。
……心の距離を離すにはどうすればいいのかな?
「リア、難しい顔して、何を考えてるの?」
「え?」
まさか秋斗のことを考えているとは言えず、私は笑って誤魔化した。
「あはは、今日の体育はテニスだっけ? 楽しみだよね」
「……リア、今日は体育ないよ。本当に大丈夫? 保健室で休んだら?」
「悪いけど、授業中寝てたら起こしてくれる?」
「リアは本当に真面目だね。一限目は小金先生だから、寝てても大丈夫だよ」
「南人兄さんかぁ……だったら少しだけ寝ようかな」
「リアは小金先生にだけは気を許しているんだね」
秋斗は可愛い笑顔で言うけど、その目は笑っていなかった。
まるで機嫌が悪い時の王子様みたいで、私は反射的に言い訳する。
「南人兄さんとは、幼い頃から一緒にいるし……兄妹みたいなものだから」
「それでも小金先生も一応男だからね、泊まるのはやめてほしいな」
「秋斗は心配症だよね。あの小金先生なのに」
「わかってるんだ。小金先生が安全で、万が一にも何もないっていうのはよくわかるんだけど……それでも嫌なんだ。リアが男と二人でいるっていう状況が」
「なんだか私のパパよりも父親みたいだね、秋斗って」
私が冗談めかして笑うと、秋斗は驚いた顔をする。
本当は秋斗が小金先生に嫉妬していることはわかっていた。だからおかしな空気になる前に予防線を張った。
秋斗が言いたいことは理解していたけど、否定も肯定もしないで笑って誤魔化すのが精一杯だった。
すると秋斗も何事もなかったみたいに笑ってくれた。
そしてそれ以降、秋斗は小金先生の家に行った件については一切触れなかった。
学校が終わった帰り道、いつものように秋斗と一緒に帰っていた。
けど、話す内容はいつもと同じじゃなくて、秋斗が面白い話ばかりしてくれた。
子供の頃、犬だと思って拾ったら猫だった話とか、母親とのチャンネル争いに負けて、なぜかサンタのバイトをさせられた話。
それに父親が秘境で出会った少数民族に謎の食事でもてなされた話なんかも。
次から次へと話してくれるから、昨日と同じ不審者が出た帰り道もちっとも怖くなかった。
「秋斗、ありがとう」
「どうしたの、リア?」
「秋斗のおかげで、楽しいから」
「……リア」
素直にお礼を言うと、秋斗は急に真顔で立ち止まる。
そして秋斗が私のほうに手を伸ばしたその時──
「あれあれ? 今日は一人じゃないの?」
またあのサングラスの男の人が現れた。
南人兄さんにお灸を据えられてもまだ懲りていないらしい。
震えて固まる私を見て、男の人は不気味な笑みを浮かべた。
「リア、大丈夫。僕がいるから」
秋斗が私をかばうようにして前に出ると、男の人は秋斗のことを頭からつま先までじろじろと見ていた。
そして軽く口笛を吹いたかと思えば、まさかの提案をしてくる。
「いいね、君も一緒にお茶する?」
一瞬、わけがわからず思考が停止するけど、短い沈黙のあと私は声をあげる。
「はあ!?」
再び現れた不審者は、私だけでなく秋斗までお茶に誘った。その楽しそうな様子を見て、私も秋斗もドン引きして後ずさる。
けど、そんな私たちの反応にも構わず、サングラスの男の人はさらに近づいてくる。
「二人とも可愛いね、皆で一緒に向こうの店に行こうよ」
秋斗は汚いものを見る目で男の人を見るけど、男の人はひるまなかった。
「ボールペンで目を潰すくらいなら正当防衛かな?」
「え、秋斗怖い」
「可愛い顔して、怖いこと言うねぇ、アハハ」
「動じないこの人も怖いよ!」
鞄からペンケースを取り出す秋斗を必死で止めていると、今度は背中からよく通る声が響いた。
「──待ちなさい!」
「南人兄さん!」
再び現れた兄さんを見てほっとしていると、サングラスの男の人は面倒くさそうに吐き捨てた。
「またあんたか」
「こんなところで女子生徒と男子生徒にちょっかいを出すなんて、けしからんですね」
兄さんはさっそく指示棒で不審者を突こうとするけど、男の人はそれを簡単に避けてしまう。
「フッ、同じ手は通用しないよ」
不審者は勝ち誇ったようにサングラスの中心を押さえて笑った。
何度も指示棒をつきつける兄さん。
けど、男の人はまるで兄さんの動きを先に読んでいるかのように逃げ回った。
「なんて人でしょう。只者ではありませんね」
「言ってるじゃないか。同じ手は通用しな──」
プスッ……
男の人は余裕の笑みを浮かべていたけど、気づくと秋斗が不審者のお尻にボールペンを刺していた。
「のわぁあああああ!」
陽が落ちた住宅街。
私がスマホで通報する中、不審者の声が響き渡った。
「……今日は怖かったね、秋斗」
「そうだね」
不審者が、駆けつけた警官に取り押さえられてようやく帰れた頃にはすっかり遅くなっていた。
「秋斗は可愛いから今後は気をつけないといけないね」
「……くそ、あいつのせいで不名誉なレッテルを……」
「でも今日は秋斗のおかげで心強かったよ、ありがとう」
「それは良かった」
顔を引きつらせて笑う秋斗の隣で、私は小さく笑う。
「なんだか秋斗が身近に感じられるようになったよ」
「……男として見られなくなってる」
ブツブツと呟く秋斗に、前を歩いていた兄さんが振り返って親指を立てる。
「アオハルですね」
「どこがだよ」
兄さんを睨みつける秋斗を見て、私は思わず吹き出した。
***
「リア、できた?」
課外授業の日。
青空の下、スケッチブックを抱えて訊ねる秋斗に、私は大きく首を振る。
「ううん。まだだよ……秋斗はもう終わったの?」
「うん。雑だけど、描けたよ」
「え、見せて見せて!」
芝生が敷き詰められた公園の広場で、私は秋斗のスケッチブックを覗き込む。
ビルに囲まれた公園の一角が丁寧に描き込まれているのを見て、私は思わず「わあ」と声をあげた。
「すごい! 秋斗はなんでもできるんだね」
「そんなことないよ。料理はできないから」
「料理は慣れだよ。いっぱい作ったら、自然と作れるようになるから……って、私もあまり得意じゃないんだけど」
「リアの料理、また食べたいな」
「簡単なものしか作れないけど、また作ろうか?」
私が何気なく誘うと、秋斗は眩しそうに笑った。
「じゃあ、またリアの家に行ってもいいかな?」
「いいよ。いつにする?」
「──ここにいましたか、大塚さんに相智くん」
「あ、小金先生」
「こいつ……なんというタイミングで」
「相智くんは描けましたか?」
「あと少しです」
「おや? 人物画じゃありませんね」
「人物じゃないとダメですか?」
「どうせなら、二人で生まれたままの姿を……」
「先生、下品なことを言うのはやめてください。しかもここは野外で公共の場です」
「芸術に野外も屋内もありません」
「芸術じゃなくて犯罪です」
「相智くんはシャイですね」
「You ought to be ashamed of yourself.(少しは恥を知りなさい)」
「旅の恥はかき捨て、と言うじゃありませんか」
「先生、国語を勉強してください」
呆れる秋斗に、南人兄さんは何を思ったのかウインクしてみせた。
***
「さすがにもう変な人は出ないよね」
いつもの帰り道。私と秋斗は、道路照明灯に照らされる広小路をのんびりと歩いていた。
あんなに怖かった広小路も、南人兄さんや秋斗のおかげでもう怖くはなかった。
「また現れたら、今度こそ僕が守るからね」
「私よりも秋斗のほうが心配だよ。可愛いから」
「……可愛い?」
私に合わせてゆっくりと歩いていた秋斗が、突然立ち止まる。
「え? どうしたの?」
急に黙りこんだ秋斗にどう反応していいのかわからず狼狽えていると──秋斗は私の目をじっと見つめながら近づいてくる。
じわじわと接近してくる秋斗から逃げるようにさがっていると、そのうち私の背中が民家の外壁にぶつかった。
なんだか怖くなって視線を落とすと、秋斗は私の顔近くにある壁に片手をついた。
これって、いわゆる壁ドンだよね。
張り詰めた空気が流れる中、私は息をのんで秋斗の顔を見上げる。
秋斗は真剣な顔で私を見ていた。
「僕のことが可愛い? 僕には、リア以上に可愛い人なんていないよ」
「ちょっと、秋斗……どうしたの、急に」
「気づかないふりしたって無駄だよ。リアが僕を意識してることはわかってるんだから」
「そ、そんなこと……」
「ねぇ、本当に僕は可愛いのかな?」
「近いよ、秋斗」
息がかかるくらい顔を近づける秋斗から逃げることができなくて咄嗟に目を瞑ると、秋斗は私の耳にそっと吹き込む。
「今度僕のことを可愛いって言ったら、キスするよ」
「え、ええ!?」
驚いて飛び上がる私を見て、秋斗は吹き出す。
「……冗談だよ」
「もう、からかわないでよ」
「だって、リアが僕のことを可愛いなんて言うから」
「あー、びっくりした」
笑いながら離れていく秋斗を見て、私が胸を撫で下ろす中──
少し離れた電柱の陰で親指を立てる南人兄さんが見えた。
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