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24.ファーストキス2
しおりを挟むそれは特別寒い夜のこと。
亡国の王子を異常に崇めるという特殊性癖をもつ男──小金南人は、スーツに不釣り合いな銭湯の暖簾をくぐり引き戸に手をかける。
すると、ガラガラと音を立てて開いたドアの向こう側には、茶色を基調としたゴシックインテリアに囲まれた空間があった。
南人が当然のように部屋の奥へ進むと、奥から店員が現れる。柔らかな金糸の髪に藍の瞳の青年は、南人が崇める王子そのものだった。
ただ、店員の容姿は彼にそう見えるだけであって、実際は『最も心を許せる相手』の顔に見える、という話だ。
そして店員である〝まじない師〟は、南人の顔を見るなり、上客にしか見せない笑顔で迎えた。
「ようこそ、ナルムート──いえ、小金さん」
「こんばんは」
「お渡しした毒はいかがでしたか?」
「購入させていただいた毒、とても良かったですよ」
「それはそれは……何に使ったかは伺いませんが」
「あの毒をもう1本譲っていただくことは可能ですか?」
「残念ながら、特殊な毒ですので……そう何本もお譲りすることはできません」
「二百万でどうでしょう?」
「お買い上げありがとうございます」
決して金品では動かないと言われている〝まじない師〟だが、生活のこともあり、小金の要望にあっさり応じたのだった。
***
「ねぇ、リア。テストも終わったことだし、どこか寄り道しない?」
期末テスト最終日の放課後。
昼よりも少し早い時間に授業が終わると、さっそく秋斗が寄り道に誘ってくる。
二人きりになるのはちょっと怖いけど、断る理由もないので、私──リアは帰り支度をしながら頷いた。
「うん、いいよ。どこか行きたいところある?」
「スイーツブッフェのお店でメロンフェアをやってるみたいだよ」
「え? あのレストラン、スイーツブッフェ再開したの?」
「レストランが変わったなんて聞いてないよ」
「……やっぱり夢だったのかな」
「じゃあ、ちょっと電話で確認してみようか」
秋斗は言って、すぐにスマホで確認をとった。
「すみません、そちらのレストランでスイーツブッフェは……はい、そうです。じゃあ、二名予約でお願いします。ありがとうございます。失礼します」
ものの三分ほどで通話を終えた秋斗は、私に向かって柔らかい笑みを浮かべた。
「スイーツブッフェ、やってるみたいだよ。ついでに予約しておいたから、一度帰ってから待ち合わせしよう」
「そっか。わかった」
私たちは、いったん帰宅すると私服に着替えて集合した。
ホテルの庭に入るなり、生垣の陰でキスしようとする秋斗から逃げた私は、レストランに繋がっている通路を早足で歩く。
「ねぇ、なんで逃げるの?」
前世に戻った夢のせいで、王子様のギラギラした目が頭から離れなくて、とうぶんキスは出来そうになかった。
でもそんなことを言うわけにもいかないし、私は無言で秋斗と手を繋いでレストランに入る……けど、
「あれ? レストランの内装、変わった?」
レストランに踏み入るなり、秋斗が動揺する。
アンティークな調度品に包まれた、まるでおとぎ話の魔女が出てきそうなその部屋を見て、私も目を瞬かせる。
「やっぱりレストランじゃない……」
「なんだか前より狭くなったみたいだけど、どこでブッフェやってるんだろう」
「私の予想が正しければ……南人兄さんそっくりな店員さんが出てくるよ」
「いらっしゃいませ」
「出た!」
「え? 小金先生?」
「いえ、私は『こがね』という名前ではありません」
──夢みたいな話だけど、夢じゃなかったんだ。
店員さんの顔を見るなり、秋斗の転生の話や、前世に行ってファーストキスをした不思議体験を思い出して、私は少しだけ興奮する。
けど、秋斗は何も覚えていないようで、店員さんを不審そうに見ていた。
「でもその姿、どう見ても小金先生だけど……」
「あなたたちにとって、『最も心を許せる相手』に見えているはずですので、お知り合いと間違われても仕方のないことです」
「『最も心を許せる相手』? 小金先生が? 信じられないな……それにスイーツブッフェじゃないなら……帰ろう、リア」
秋斗がちゃっかり私の腰に手を回す中、店員さんがさらに近づいてくる。
「お待ちください。私のことをお忘れですか、王子」
「王子?」
「あなたが転生する手助けをしたのは、何を隠そうこの私ですから」
「お前はまさか……〝まじない師〟か?」
「そうです。思い出していただけましたか」
……このやりとり……二回目のような気がするけど。
既視感ハンパない状況を見て、私は言わずにはいられなかった。
「ねぇ、秋斗……前世の王子様は、転生して私と出会うために、残りの寿命を〝まじない師〟さんに渡したの?」
「どうしてそのことをリアが知ってるの?」
「やっぱり……あれは夢じゃなかったんだね」
秋斗がきょとんと目を丸くする中、私は前回ここに来た理由を思い出す。
ファーストキスの回収、まさかまたやれって言わないよね?
嫌な予感しかしないけど、店員さんは驚いた顔をしていた。
「お嬢さんはこの店に来たことを覚えているのですね」
「ええ。夢だと思っていましたが」
「不思議な方ですね。たいていの方はこの店に来たことを忘れてしまうのですが」
「この店に来た? リア、ここへいつ来たの?」
「先週だよ。秋斗と一緒に来たはずだけど、秋斗は覚えてないんだね」
「全く覚えてないよ」
「もしかして、店員さんが私たちをまたここに呼び寄せたんですか?」
「お嬢さんは勘が良いですね。説明する手間が省けました」
「まさかまた過去に戻ってファーストキスしてくださいとか言わないですよね?」
「ぎくっ」
「ファーストキスってなんの話?」
秋斗に訊かれて、私は店員さんのかわりに説明する。
「実は前回、『前世の記憶を蘇らせた代金をまだもらってない』とか云々で……、前世に戻ってファーストキスをさせられたんだよ」
「前世に戻ってファーストキス? そんな面白い話を僕は忘れてしまったの?」
「私はもう前世には戻りたくないけど」
「そうですか」
「なら僕が行こうか? 前世ってどうやって戻るんですか?」
秋斗が訊ねると、店員さんは拳くらいの大きさの青緑の玉を用意した。
「前世でしたら、この『前世に戻るくんdeluxe』で戻ることができますよ。ちなみにこれは、前回の戻るくんを砂糖ではなく還元麦芽糖に変更して、糖質を五十パーセント抑えたものになります。味はそのままで低カロリーなので、ダイエット中の方でも安心して召し上がれます」
「糖質を抑える努力はしても味を変える努力はしないんですね」
「妙薬は口に苦しって言うじゃありませんか?」
「良薬ですよね? 妙薬ってなんですか」
「あんな謎のカタマリをリアは食べたの?」
「うん。秋斗にばかり辛い思いをさせたくなかったから」
「リア……」
私の腰を引き寄せてキスしようとする秋斗の顔を、手のひらで押さえる。
場所関係なくキスしようとするのはやめてほしい。
「そもそも今回はどうしてまたファーストキスをしなくちゃいけないんですか?」
「それは……どうしても毒が必要だというお客様がいらっしゃいまして……今回はアルバイトだと思っていただきたい」
「アルバイト? 僕がファーストキスをすることで、何が得られるんですか?」
「時給二万円でどうですか?」
「四万で」
「……わかりました。四万お支払いしましょう」
「ファーストキスが、今回は四万……ということは、私たちが前世の記憶を取り戻したことって、たった四万円の出来事なの?」
「お嬢さんはなかなか細かいですね」
「今回は四万円で手を打ちますが、そのかわりファーストキスの写真を撮ってもらうことは可能ですか?」
「秋斗……やっぱりそうくるんだね」
「わかりました、今回だけですよ」
***
「本当に……前世に来たんだ? どこもかしこも懐かしいな」
〝まじない師〟の店よりも遥かに豪華で優美な調度品が揃えられた、過去の王子様の私室にやってきた相智秋斗は、懐かしい気持ちで周囲を眺める。
が、これから前世のリアを探しに向かおうとドアに向かった瞬間、豪快にドアが開いた。
現れたのは、切れ上がった三白眼に片眼鏡をつけた、派手な赤い装いの男だった。
「王子殿下! もうすぐ謁見の時間です。広間へお越しください」
「は!? 僕には重要な任務があるのに、仕事なんてしてられないよ」
「殿下! わがままはダメですよ。なに、一時間ほどで開放されますから、その後にでも花売り娘さんに会いにゆけばよろしいではないですか」
「その一時間が重要なんだよ!」
「仕方ないですね。おい、お前たち!」
小金南人の前世であるナルムート宰相は城の衛士を五人ほど呼び寄せる。
いかつい甲冑に身を包んだ衛士に囲まれて、さすがの秋斗も身動きがとれなくなる。
「王子を謁見の間へ連れて来なさい」
「ちょ……ちょっと!」
「今日は逃がしませんよ」
「うわぁあああああ」
五人の衛士に持ち上げられて、秋斗はそのまま広間へと連れて行かれた。
「……ハッ」
「秋斗、大丈夫?」
次に起きた時、秋斗の目に飛び込んできたのは、茶色い木造の天井だった。
まじない師の店にあるソファで身を起こした秋斗を、リアは心配そうに覗き込んでいた。
いつもなら嬉しいシチュエーションだが、今はそんなことを考えられなかった。
「くそっ……」
「どうしたの?」
「彼女とファーストキスどころか、会うことすらできなかった」
「ええええ!?」
「残念です。王子様ともあろう御方が、失敗するなんて……」
「もう一回だ」
そして秋斗は再び『前世に戻るくんdeluxe』を無理やり齧って飲み込んだ。
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