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32.小金南人の誕生日事情
しおりを挟む始まりは、花売り娘の死だった。
それまで全てが完璧だった王子が、ものの見事に普通の人間に成り下がった。
彼女の存在が大きいことは知っていた。
だがこれほどまでに王子に影響を与えるとは誰が思っただろう。
辣腕の宰相として王子の右腕を務めてきたナルムートが、世話係になり下がったことも受け入れ難い事実だった。
四人の兄王子を差し置いて、次期国王の座を控えた若獅子の王子。
ナルムートが知る王子は、希望の光そのもの──のはずだった。
「……彼女はどこだ」
「王子……あの方はもうどこにも存在しません。諦めてください……彼女の棺に溢れんばかりの花を手向けたではありませんか」
「何を諦めるんだ? ああ、そうか。きっと彼女はあの東屋で待っているはずだ」
「王子! 目を覚ましてください!」
「なぜ止めるんだ? お前は僕の味方ではなかったのか?」
「もちろん、私は王子の味方です」
「なら、彼女に会わせてくれ……頼むから」
「王子!」
ナルムートにできるのは、寝所で気絶するまで暴れる王子を、宥めることくらいだった。
だがこのままでは、いつか王子は壊れてしまうだろう。
ナルムートは仕方なく、最後の手段を伝えた。
本当は誰にも言ってはいけない約束だった。だがあの店主ならわかってくれるだろう──そう思い、ナルムートは僅かな望みをかけた。
「王子、ひとつだけ望みを叶える方法があるかもしれません」
「彼女にまた会えるのか?」
まるで失くした宝物を見つけた子供のように目を輝かせる王子に、ナルムートは〝まじない師〟の存在を伝えた。
だが、まさか王子が自身の寿命と引き換えに転生するとは、その時のナルムートは知る由もなかった。
「まじない師よ、今日はここに王子が来ませんでしたか?」
何十年も続く店とは思えないほど、手入れの行き届いたゴシック調の部屋には、王子に瓜二つの店主がいた。
だが店主が王子に似ているわけではなく、訪れた客が『最も心を許す者』の姿に見えるという。
そしてナルムートが声をかけると、王子の姿をした店主はなんでもない風に答えた。
「ええ。いらっしゃいましたよ。悲壮な顔をした王子様が」
「王子はどこです? この時間になっても帰ってこないなんて」
「……王子様でしたら、命灯を終えましたよ」
「いのちを終えた……? どういうことですか?」
「私が王子様の寿命をいただきましたので、彼はもうこの世には存在しません」
「なんですって!?」
「そんな怖い顔をしないでください。私は彼の望みを叶えただけですから」
「王子の望み? まさか彼女との逢瀬を叶えたのですか? 死後の世界で」
「死後の世界? 違いますよ。恋人のいる来世に送っただけです」
「来世に? 死後の世界と変わらないではないですか! あなたはこの国を亡ぼすつもりですか?」
「いいえ。王子様はちゃんと弟王子に国を託されましたよ」
「兄王子を差し置いて、弟王子を? 第六王子はまだ十歳……成人するまでに幾度内紛が起きることか……」
「ですから、王子様からの伝言です」
「伝言?」
「弟のことをよろしく頼むと」
「あの御方は……どこまで狡い方なんだ。そう言われては、国務を投げ出すこともできないではないですか」
頼まれて断れないナルムートの性質を、王子はよく知っていた。
が、だからといって、ナルムートも王子を諦めることはできなかった。
「おい、まじない師」
「いくら親戚でも、もうちょっと丁寧に呼んでください」
「呼び方などどうでもいいでしょう。そんなことより、私も花売り娘さんのいる場所へ送ってください」
「花売り娘? 王子ではなく、王子の恋人の元へですか?」
「ええ。王子が彼女と出会うまで、私が今度こそ彼女を守りたいのです。ですから、私を彼女の血縁にしてください」
「それは面白いですね。ですがあなたは、願いのために何を差し出してくださいますか?」
「そうですね。私はこれから第六王子を生涯支えないといけませんから……寿命を渡すことはできません。ですから、代わりに来世の寿命をお渡ししましょう」
「来世の寿命? 本当によろしいのですか? 来世で幸せを掴む気はないのですか?」
「これは私の罪です。隣国の王女から彼女を守れなかったのは、私の過ちでもありますから」
「なるほど。それでは契約書にサインをお願いします」
***
「相智くんは今日もよく働きますね」
ナルムートの転生者──小金南人は、カフェのホールで動き回る秋斗を見て微笑ましげに三白眼を細める。
メルヘンチックなカフェで秋斗が働き始めるようになり、二週間と少しが過ぎた。
最初は過労で倒れるハプニングもあったが、恋人のリアが訴えたおかげで、今では大きな問題もなく仕事を続けられていた。
「本当に、君の生徒は働き者だね。猫耳を辞めても、一般人とは思えない存在感だよ。秋斗くんの前世は王子様だったのかもしれない」
青灰色のスーツにサングラスの店長は口元だけで笑ってみせるが、南人は笑うことができなかった。
「そうですね。ですが彼の将来を見届けられないのは残念です」
「どういう意味だい?」
「いえ、こちらの話です」
「それより、今日は君の誕生日じゃないか?」
「……そうですね」
「どうだい、うちで一杯やらないか? いいワインが手に入ったんだ」
「悪いですが、このあと人と会う約束をしていましてね」
「おやおや、寂しい独り身仲間だと思っていたが、いい人がいるのかい?」
「私は今も昔も寂しい独り身ですよ。残念ながら、あなたの思うような相手ではありません。ただの知り合いです」
「そうかい。それは失礼したね」
南人は目を閉じて、前世に思いを馳せる。
まじない師との契約が、今でも続いていることを覚えていた。
ナルムートとまじない師の契約には続きがあった。
「──来世の寿命? 本当によろしいのですか? 来世で幸せを掴む気はないのですか?」
ゴシック調の部屋で、王子の姿をした〝まじない師〟は、ナルムートの提案に驚いた顔を見せた。
それもそうだろう。自分から命を投げ出すのは、王子に続き──これで二人目なのだから。
「これは私の罪です。他国の王女から彼女を守れなかったのは、私の過ちでもありますから」
「なるほど。それでは契約書にサインをお願いします」
まじない師が出した羊皮紙にナルムートはさらさらと名前を記入する。
もう後戻りはできなかった。
「これでいいですか?」
「ありがとうございます。これであなたの来世の寿命は私のものになりました。27才の誕生日になれば迎えに行きます」
「わかりました。27才の誕生日ですね」
「──お出迎えありがとうございます」
カフェのある繁華街からそう遠くない場所に橋がある。
交通量の少ない道路橋の歩道には、ナルムートが仕えた王子に瓜二つの青年がいた。まじない師だった。
「心の準備はできましたか?」
「ええ……未練がないといえば嘘になりますが」
「最後にやり残したことはありませんか?」
「そうですね……王子をお姫様だっこできなかったのは非常に残念です」
「王子をお姫様だっこ? 今からでもできるんじゃないですか?」
「今からですか? それはどういう──」
「おい!」
背中から声をかけられ、南人は息をのむ。よく知る声だが、まさかこんなところに現れるとは思わなかった。
そして南人がゆっくりと振り返った視線の先には、声の主である秋斗の姿があった。
「相智くん……どうしてここに?」
「聞いたぞ。お前が寿命と引き換えに転生したことを」
「その話をどこで」
「すみません、うっかり喋ってしまいました」
悪びれもせずに言う〝まじない師〟を、南人は責めるように睨みつける。
だが南人が文句を言う前に、秋斗がまくしたてた。
「ナルムート、どうしてそんなことをしたんだ? 僕が前世で全てを放棄した以上、もう家臣でもなんでもないというのに」
懐かしい名前で呼ばれて、南人は少し胸が痛んだが──そう悟られないよう、強い口調で告げる。
「前世のリアさんを死なせてしまったのは私の罪ですから。償いたかったのです」
「彼女の死は……お前のせいなんかじゃない」
「いいえ、私の責任です。不穏な動きがあったことを知っていたにもかかわらず、私は軽く考えておりました」
「それは僕も同じだ。だが僕はお前にどれだけ救われたことか……」
「でしたら、最後のお願いを聞いていただけますか?」
「断る」
「……このやりとりの流れをいきなりぶった切りましたね」
「どうせお姫様だっことか言うんだろ」
「なぜわかったのですか」
「最後にどうしてお姫様だっこなんだ? もっと他にあるだろう」
「王子にはきっとわからないでしょうね。プライドの高い王子が羞恥に歪ませた顔を見る幸せを」
「わかるわけがないだろう……というか、思った以上に変態だな」
「そろそろ行きましょうか、南人さん」
「ええ」
まじない師に先導される南人に向かって、秋斗は怒鳴りつける。
「ちょっと待て、こんな中途半端な去り方があるか!」
「ですが私はもう、契約書にサインしてしまったのですよ」
「契約書……」
「そう、契約書です」
「それはどんな契約書なの?」
南人が悲痛の面持ちで告げる中、田橋まさきが横から訊ねた。
いつからそこにいたのか、まさきは正義感あふれるウサギの瞳で南人を見ていた。
「な! 田橋くん、あなた一体どこから?」
「話は聞かせてもらったよ。転生したリアのために小金先生は命を投げ出すんだね」
「投げ出すとは人聞きの悪い」
「今の会話だけでよく現状を把握したな」
秋斗がツッコミを入れる中、まさきはいつになく真面目な顔で指摘した。
「小金先生がいなくなったら、きっとリアは自分のせいだと苦しむよ」
「田橋くん……わかった風なことを言わないでください。王子は私ごときのことで苦しんだりしません」
「そんなことはないよ。リアは小金先生のことが大好きだよ」
「おい、気持ち悪いこと言うな」
「だから命を投げ出すのは良くないよ」
「ですが、田橋くん。私はもう契約書にサインしてしまったのですよ」
「それは、お金で解決できないの?」
「まさかそんなこと、できないに決まってるじゃ……」
まさきの言葉に、南人が言い返そうとしたその時──
「出来ますよ」
まじない師があっさりと肯定した。
「え? 出来るんですか?」
「私も思っていたんですよ。南人さんのような太客がいなくなると、売り上げに響くなぁ、と」
「だったら、初めから言ってくださいよ」
「なんだったんだ……この茶番は」
呆れた顔をする秋斗に、南人は堪えきれない笑みを向ける。
「ですが、相智くんの心のうちを知れて良かったです」
「……」
「そういえばリア、おとといの鍋パーティのあとからずっと、浮かない顔をしてたけど、どうしたの?」
「……別に、浮かない顔なんかしてない」
「まさか……私のせいですか?」
「違う。なんでお前なんかのために」
「リアは優しいねぇ」
「相智くん……!」
「二人とも寄ってくるな!」
南人とまさきが秋斗に抱きつこうと迫る中、まじない師は他人事のようにスマホを触り始める。
「私はそろそろ帰ってもいいですか? あと、転生分の代金についてはメールを送りますので、こちらの振込先にお願いします」
こうして南人の誕生日は暮れていった。
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